3月30日

 お昼ごめん。「麺屋 和佳」にて、白の担々麺。豆乳入りのスープでした。
 
  
 

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3月29日

 坂井妙子『メイド服とレインコート』を再読した。
 
 とても面白かった。ブリティッシュ・ファッションの起源を19世紀後半から1920年頃に求めた考察。
 ヴィクトリア朝後期、そこそこの経済力を持つミドルクラスが台頭するが、彼らの多くは色彩音痴だった(なんと!)。

 フランスへのコンプレックスを克服する為の努力から生み出された、イギリスらしいファッション。
 例えば女性用乗馬服は、男性スーツが完成させた地味なエレガンスを、乗馬服の美的近代化に向けた結果、モダンな健康美と洗練というイギリス人らしさを表すのに最適な女性服となった。
 メイド服は、雇用主と使用人の間の階級闘争から生まれた…など。
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3月27日

 ダンテ・アリギエリ/原基晶訳『神曲 地獄篇』を読んだ。
 
 行き届いた素晴らしい各歌解説のお蔭もあり、とても面白い。

 以下、解説からの覚書。
 ダンテは、ローマ皇帝権による世界全体の平和をもたらすために『神曲』の名声を求め、それがキリスト教的な善に合致すると言っている。
 古典古代をキリスト教の中に取り込んでいく(例えば『変身物語』はキリスト教的に解釈される)。
 ベアトリーチェは天国で神を見ている。
 商業経済への過渡期の文学という側面。『神曲』は“西欧中世の戦闘的な文化を転換する原動力の一つになった”。

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3月23日

 お昼ごめん。「ラーメン食堂ふくいち」にて、タマゴそば。ふわふわ。
 

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3月22日

 メアリー・ウェルズリー/田野崎アンドレーア嵐 監訳・和爾桃子訳『中世の写本の隠れた作り手たち:ヘンリー八世から女世捨て人まで』を読んだ。
 
 とても面白く読んだ。昔に生きた人々と今が、写本でどう結びつくのか。忘却に埋もれた庶民の姿を垣間見せ、普遍的な思いやその社会の集合的記憶をも伝えてくる写本。そしてなぜ、歴史記録に残る名と残らない名があるのか。

 〈画工たち〉の章では、名もなき職人集団の技に感嘆して口絵を見るのが楽しかった。
 とりわけ、自分の言葉をテクストに残せた稀有な女性たちの存在は忘れがたい。
 〈写字生と著者の関係〉の章では、後の時代の写字生の余計なミソジニー解釈で、自作(『寓話集』など)の内容を改変されてしまう女性作家マリーのこと(その流れも含めての“写本”だが)。
 〈隠れた著者たち〉の章では、明瞭な親しみやすい文章で己の幻視を書いて『神の愛の啓示』を綴った、女世捨て人ジュリアンのこと。
機知に富んだ華麗な作風で、大胆な性表現さえ臆せず使ったウェールズの女性詩人メハインのこと…など。
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3月18日

 金井美恵子『カストロの尻』を再読した。
 
 堪能した。とりわけ好きなのは「呼び声、もしくはサンザシ」と「『胡同(フートン)の素馨(ジャスミン)』」「廃墟の旋律」、そして表題作。
 岡上淑子のコラージュ・フォト作品に揺曳されたイメージの連なりに引きこまれる。まるで… “フランスの香水の小さなガラス瓶” ── “いわば香りのミイラが箱の中から微かにゆらいで立ちのぼる”。

 白樺派の特権意識について書かれた、「小さな女の子のいっぱいになった膀胱について」も面白かった。小さな森茉莉(というか森娘!)とパッパもちらっと出てくる。

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3月16日

 昼ビール部です。中華食びにきた。 麻婆豆腐とかアサリ和えとか。
 
  
 
  
 
  
 
  
 

 お昼ごめん。「台湾料理 新天地」にて、特製台湾ラーメン。 たぶん結構辛い(辛いの好きだからわからない)。
 
  
 

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3月15日

 アヴラム・デイヴィッドスン/池央耿訳『エステルハージ博士の事件簿』を再読した。
 
 やはり面白くて隅々まで大好きだった。
 ペダンティックではありつつどこか飄然とした作風が、エステルハージ博士その人の風変わりな魅力にも重なる。一筋縄ではいかない三重帝国の人々が織りなす、一筋縄ではいかない怪奇な事件とその謎の行方…。

 お気に入りは「神聖伏魔伝」(なぜか皆“縫い取りのあるチョッキを掴んで…堆肥の山に倒れ込む”)、「イギリス人魔術師 ジョージ・ペンバートン・スミス卿」、「真珠の擬母」(オンディーヌ!)。
 そして今回は、「夢幻抱影 その面差しは王に似て」の夢の一片を追うような儚さがあらためて沁みた。

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3月13日

 『片山廣子随筆集 ともしい日の記念』を読んだ。
 
 アイルランド文学(特にケルトの幻想文学の印象が強い)の翻訳家として、そして歌人としての作品にはふれたことがあるが、随筆を読んだのは初めて。美しい文章が心地よかった。

 “私がたのもしく思つても思はなくても北の星に何の感じがあらうか? それにしても、昔からきまつたあの位置に、とほく静かにまばたきもしないで、むしろ悲しさうな顔を見せてゐる星はすばらしいと思ふ。すべての正しいもののみなもとである神も、あの星のやうに悲しい冷たい静かなものであらうか? 私はさう信じたい。”

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3月11日

 アン・ラドクリフ/三馬志伸訳『ユドルフォの怪奇 下』を読んだ。
 
 頗る面白かった。“ゴシック小説を読んだ!”という満足感にどっぷり。

 ピラネージの装画のイメージも相俟っておどろおどろしい内容を期待したが、存外それほど満遍なく怪奇…という訳でもなく(ユドルフォ城は充分に不気味でよい)、非の打ちどころのないヒロイン・エミリーが恋をしたり非現実的な苦境を乗り越えていく展開は痛快だった。
 とりわけ、何かと気絶してしまうエミリーが実は気骨ある女性で、己を利用しようとする輩に屈しないところが好きで感嘆した。当時このような女性を描いたということに、とても意義があったのではないか…と。
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