高速船トッピーで、屋久島に午後2時ごろ到着。
屋久島では四日間観光しましたが、すべてガイドさんの車で移動しました。
一日目に観光した場所。数字は、訪れた順番です。

島の形が丸っこい五角形をしているので、現地では、島を時計に例えて位置を表すようです。
(→こちらのサイトにわかりやすいイラストあり「はじめての屋久島旅行で”見るべき”観光スポットBEST10」)
高速船が着いたのは、1時くらいの位置。
①一日目は、港からすぐの益救(やく)神社にお参り。

娘に頼まれていたお守りを買いました。
②それから、矢筈嶽(やはずだけ)神社という、洞窟にあるめずらしい神社へ。(島の12時くらいの位置)

・・・赤く見えるのが鳥居です
案内板より
「御案内
通称八幡様と称する。此の神社の正確な名称は一湊矢筈嶽神社と申します。
創立、造営の起源は不明ですが、古くから、海上安全の神として
漁業で栄えた一湊区民の信仰の中心であったことは
港が一望できる此の地に神社をたてた事実がそれをものがたっております。
矢筈半島のきびしい自然環境の此の地は颱風や塩害で長い年代の推移の間に
幾度か神社の再建がなされたことは古い文献で明でありますが、
今回昭和二十九年の颱風で倒壊したまゝになっておりました拝殿が屋久杉を主材として
再興され此処に一湊区民の繁栄と地場産業の興隆を祈願する次第であります。
昭和五十三年三月吉日」

洞窟の奥に拝殿があります。後で知ったのですが、拝殿の奥にも洞窟が続いているらしいです。覗いてみればよかった。



ちなみに、半島の根元のところに「西郷隆盛上陸の地」があります。
行きませんでしたが。Googlemapより。

神社に行く途中から見える一湊集落(奥の方)。矢印のあたりが、西郷さんが流れ着いたと言われる場所。


1862年に鹿児島から徳之島に流される途中に流れ着いたそうです。(愛加那と結婚して菊次郎が生まれた翌年のようですね)
なぜ屋久島に流れ着いたのか理由は諸説あるようです。(→西郷どんの島暮らし)
③志戸子(しとご)ガジュマル公園(島のほぼ12時あたり)



”屋久島が分布の北限”で、志戸子ガジュマル園は島のほぼ北部なので、本当にここが北限ですね。



・・・入り口に、やぶ蚊避けのうちわが置いてあります。パタパタ扇ぎながら見学しました。(入園料がかかります)
(志戸子ガジュマル園のほかに、島の4時ぐらいのところに猿川ガジュマル、7時くらいのところに中間ガジュマルがあって、
そこは小規模で無料で見られるようです。)
④宮之浦川とその支流、白谷川が合流するあたりの川原に連れて行ってくれました。

「屋久島 縄文水」という水を作っている会社(工場)のすぐそばです。(南日本酪農協同株式会社)
ガイドさんに「あれが宮之浦川ですよー」とか教えてもらいながら、
しばらく、川の流れる音を聞きながら、岩に座ってゆったりしました。
奥が、合流地点です。ちょっと見えないかな。


宿まで送ってもらい、いったん解散。
初日だけ、一泊した宿「ロッジ八重岳山荘」

島の1時くらいの位置です。
ガイドさんが、「夜、晴れたら、星を見に行きましょう」と言ってくれたので、
夕食を済ませ、空を見上げると晴れている??
木が多くてあまり空が見えないのです。
ガイドさんと連絡を取ろうとすると、携帯電話の電波が弱い・・・!!
森の中だからかなあ?
なんとか携帯電話がつながって、晴れていることを伝えると、
迎えに来てくれて星空観測へ!
ガイドさんが住んでいる東の方(島の3時くらいの場所)は、雨が降っていたそうで、
屋久島って少し離れると天気が全く違うことを実感しました。
⑤見晴らしの良いところということで、矢筈嶽神社の駐車場に行きました。
この日は、新月に近い月で空は暗く、星がとってもよく見えたのですが、
釣り人が多く灯りがあったので、⑥永田いなか浜へ移動してくれて(島の10時半くらいの位置)、
マットまで用意してくれて、母と二人、寝転がって星空を堪能しました。
うすーく雲がかかっているとガイドさんが言っていましたが、そうとは思えないくらいにとってもきれいでした。
ガイドさんに、熱いお茶までごちそうになって、星座の解説もしていただいて、すばらしい星空観測ができました。
しかも、流れ星を3つも見ました!!
本当に、ラッキーでした




この日の観光はこれで終わり。
2日目は、白谷雲水狭に行く予定でしたが・・・。
(追記)宿の晩御飯♪

(続く)
屋久島では四日間観光しましたが、すべてガイドさんの車で移動しました。
一日目に観光した場所。数字は、訪れた順番です。

島の形が丸っこい五角形をしているので、現地では、島を時計に例えて位置を表すようです。
(→こちらのサイトにわかりやすいイラストあり「はじめての屋久島旅行で”見るべき”観光スポットBEST10」)
高速船が着いたのは、1時くらいの位置。
①一日目は、港からすぐの益救(やく)神社にお参り。

娘に頼まれていたお守りを買いました。
②それから、矢筈嶽(やはずだけ)神社という、洞窟にあるめずらしい神社へ。(島の12時くらいの位置)

・・・赤く見えるのが鳥居です
案内板より
「御案内
通称八幡様と称する。此の神社の正確な名称は一湊矢筈嶽神社と申します。
創立、造営の起源は不明ですが、古くから、海上安全の神として
漁業で栄えた一湊区民の信仰の中心であったことは
港が一望できる此の地に神社をたてた事実がそれをものがたっております。
矢筈半島のきびしい自然環境の此の地は颱風や塩害で長い年代の推移の間に
幾度か神社の再建がなされたことは古い文献で明でありますが、
今回昭和二十九年の颱風で倒壊したまゝになっておりました拝殿が屋久杉を主材として
再興され此処に一湊区民の繁栄と地場産業の興隆を祈願する次第であります。
昭和五十三年三月吉日」

洞窟の奥に拝殿があります。後で知ったのですが、拝殿の奥にも洞窟が続いているらしいです。覗いてみればよかった。



ちなみに、半島の根元のところに「西郷隆盛上陸の地」があります。
行きませんでしたが。Googlemapより。

神社に行く途中から見える一湊集落(奥の方)。矢印のあたりが、西郷さんが流れ着いたと言われる場所。


1862年に鹿児島から徳之島に流される途中に流れ着いたそうです。(愛加那と結婚して菊次郎が生まれた翌年のようですね)
なぜ屋久島に流れ着いたのか理由は諸説あるようです。(→西郷どんの島暮らし)
③志戸子(しとご)ガジュマル公園(島のほぼ12時あたり)



”屋久島が分布の北限”で、志戸子ガジュマル園は島のほぼ北部なので、本当にここが北限ですね。



・・・入り口に、やぶ蚊避けのうちわが置いてあります。パタパタ扇ぎながら見学しました。(入園料がかかります)
(志戸子ガジュマル園のほかに、島の4時ぐらいのところに猿川ガジュマル、7時くらいのところに中間ガジュマルがあって、
そこは小規模で無料で見られるようです。)
④宮之浦川とその支流、白谷川が合流するあたりの川原に連れて行ってくれました。

「屋久島 縄文水」という水を作っている会社(工場)のすぐそばです。(南日本酪農協同株式会社)
ガイドさんに「あれが宮之浦川ですよー」とか教えてもらいながら、
しばらく、川の流れる音を聞きながら、岩に座ってゆったりしました。
奥が、合流地点です。ちょっと見えないかな。


宿まで送ってもらい、いったん解散。
初日だけ、一泊した宿「ロッジ八重岳山荘」

島の1時くらいの位置です。
ガイドさんが、「夜、晴れたら、星を見に行きましょう」と言ってくれたので、
夕食を済ませ、空を見上げると晴れている??
木が多くてあまり空が見えないのです。
ガイドさんと連絡を取ろうとすると、携帯電話の電波が弱い・・・!!
森の中だからかなあ?
なんとか携帯電話がつながって、晴れていることを伝えると、
迎えに来てくれて星空観測へ!
ガイドさんが住んでいる東の方(島の3時くらいの場所)は、雨が降っていたそうで、
屋久島って少し離れると天気が全く違うことを実感しました。
⑤見晴らしの良いところということで、矢筈嶽神社の駐車場に行きました。
この日は、新月に近い月で空は暗く、星がとってもよく見えたのですが、
釣り人が多く灯りがあったので、⑥永田いなか浜へ移動してくれて(島の10時半くらいの位置)、
マットまで用意してくれて、母と二人、寝転がって星空を堪能しました。
うすーく雲がかかっているとガイドさんが言っていましたが、そうとは思えないくらいにとってもきれいでした。
ガイドさんに、熱いお茶までごちそうになって、星座の解説もしていただいて、すばらしい星空観測ができました。
しかも、流れ星を3つも見ました!!
本当に、ラッキーでした





この日の観光はこれで終わり。
2日目は、白谷雲水狭に行く予定でしたが・・・。
(追記)宿の晩御飯♪

(続く)