知らなかった、ぼくらの戦争
Arthur Binard
小学館
アーサー・ビナードさんのラジオ番組の中で行ったインタビューに、
加筆修正して本にしたもの。
とても興味深い、衝撃的な内容でした。
* * *
(印象に残った内容)
アメリカの人にとっては「戦後」というと、「いつの戦争のあと?」みたいな感覚。
広島・長崎の「ピカ」と「ピカドン」、
ピカの記憶しかない人、ピカとドンの記憶がある人。
「外地」「内地」。
”「外地」は一瞬にして「外国」となった”
「この世界の片隅に」の舞台になった呉のすぐ近くの「
毒ガス工場」。
少女たちは何も知らされず、毒におかされながらにそこで働いた。
戦後の”進駐”のさなか、日本で朝鮮戦争の業務を行っていた。
事前に、
原発原爆もどきが実験として日本各地に落とされていた。
オバマさんが広島に来た。
安倍さんは真珠湾でこうスピーチした。
「戦争が終わり、日本が見渡す限りの焼け野原、
貧しさのどん底の中で苦しんでいた時、食べるもの、
着るものを惜しみなく送ってくれたのは、
米国であり、アメリカ国民でありました。
皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、
日本人は未来へと命をつなぐことができました。」
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受け取り方は様々だと思います。
「証言」や「想像・憶測」がすべて正しいとは限らない、とも思います。
それでも、考えさせられる内容がいくつもありました。