青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

京今新在家西町むぉおん七-十九

1533年12月21日 00時00分00秒 | 投稿

鶺鴒~seki-ray~ (instrumental strings arrange)


この方は、アダムの血には連なっておられないが、京の神職装束、をまとう目、そのもの。
四条烏丸、鶏鉾町にわとりぼこちょう、祭祀職。
生涯、鶏鉾町から北東の堀之上町、四角形領域以内を往来。
“おおあっあろ かぬぉ の゛あうあ゛ん”。
人間はある涙を、意識が、かつて知ったとの履歴を、俯瞰上指摘され得るならば、すべからく、逃げられぬいさかいに出会いってしまうとの定めに服する事になる。
日常、必需なるしきたり、日用品作法を通じて、いさかいを求めいってしまう。
一連は、人間が文明に生きている上で頭部が自然と冠せし、摂理と言える。
ところで、かような、胸と、首の間、内側に籠りて見えざる、連綿、自らの眼球の裏、視神経の糸群へ、さり気無く、つい、知的言及してしまったとあらば、出会いいってしまう義務が在る。
その者とは、すべからく、文明に於ける人間の在り様を、胸と、首の繋がりまで大苦労して、荘厳修辞し、他者の素朴な思考に仕えねばならない。
ある涙とは、何が該当するであろうか。
倫理的唯一なる正解とは、どれ一つとして、明瞭銘柄の挙手ぶりに、人間は投票し正鵠感激を得てはならない、の筈。
どういった涙ですら、正解として、一を、先に、挙げようとする推移は、すべからく、他を、劣位へ排する事になる。
涙の、所以、質の上下を、追ってはならない。
その試行履歴は、すべからく、昇華せねばならぬ業を深しめるのみ。
一連との、知見、的、業深き憶測ごとを、人は、つい、知るに至ったと、仄めかしてはならない。
自己の周囲に立つ他者、利便性を運ぶ台車曳きを、論難中眼輪筋の内に押し込め、倫理的自由呼吸を窒息させゆく事になる。
かような、一連との、穿ち文の中で、ある涙、に該当し得る事柄は、遠方から、丁寧憶測の手で、枯れ葉を選定し、花を生ける事が出来る。
人の業を、まだ見えず、分からずとの自己の人生段階にふさわしくはなき、街の商取引上作法、簡略化手続きを仄聞せしとの、履歴。
これとの花瓶と、これに収まりいく可能性のあるあらゆる植生。
街の商取引上作法、これとは何と、街に住む人の業の昇華を手伝う、との云われを、明晰知性、学問の泰斗、は一瞬として嘲笑せず。
然るに、歴史的成立指摘とは、街の商取引上作法、これ、俯瞰上、京人の、胸。
そして、人の仄聞能力とは、絞り態様に瞬時すら気付かずのままなる絞りへの愚直邁進、これを砂時計の柱に選びたる、時間経過事態。
この捉えを、京人の、一人にすら、思考上の銘柄として掌握利用せしめない。
人の仄聞能力との、時間経過事態、これは、倫理的愚かとの指摘を、自他に許さない程、卓効が強力故。
京人の、一人すら、思考上の銘柄としての掌握利用は不可。
掌握利用には、倫理的愚かとの指摘可能性、銘柄の外装を要す。
しかし、仄聞には、これが無い。
故に、京人は、仄聞を、ガンガン利用す。
仄聞は、京に、満つ、空気也。
そして、俯瞰上指摘可能性は、京に満ちる。
自己の人生段階にふさわしくはなき、街の商取引上作法、簡略化手続きを仄聞せしとの履歴を、指摘され得る可能性が。
この仄聞履歴、指摘可能性が意味するところは、璽奥何事へも、いと遠き、大いなるアホ。
人間の業を昇華し得る洗練なる知見が、我が頭に、空気として流入中らしき。
一連は、涙は、どれか、が起点也。
涙をもたらし得る人の業とは、以下。
人の業を、まだ見えず、分からずとの自己の人生段階にふさわしくはなき、街の商取引上作法、簡略化手続きを仄聞せしとの、履歴。
涙を、追えば、人は、不動を選択せざるを得なくなる。
何も出来ない、してはならない、という座し、に至りいく。
しかしところで、人は文明に生きているならば、他者の涙を、俯瞰上、臨床資料として、断固実験利用に晒しいく。
故に、人は他者の涙を、拭いいかねばならない。
断定は、容易に在る。
人は、庵に座しての、璽奥駆使思考のみでは、他者の涙を拭ったとの、指摘には俯瞰上立ち得ない。
人は、動かねばらならない。
そして、人は涙腺を宿し生きる。
だらしない落涙へ、顔は今、構えている。
水風船を顔に秘め歩くが故に、人は文明の中で、他者の涙を利用して生きるとの資格を、克明論理で、正鵠指摘に会わずままで在る事が出来る。
この視座に言及し、一知的銘柄として、思考に上場してはならない。
戦コル知略で整形されし、奇怪な知的微笑、義憤顔人を招来しゆくのみ。
涙とは、文明の中で生きるとは。
人に論難気味にて指摘されぬ愚かさを、認めずのまま、のうのうと他者の愚かさ、涙を利用して生きる事。
そのように、いちいちと、自己宣告せずのまま、生きる事。
千五百年台前半は右京区、天龍寺、厭離庵、二尊院領域の内側で、作務坊主務め。
仏教を奉じてはおらずながらの、この雇用枠は当時稀だったが、山の向こう、清滝界隈の村の習俗に由来する要望を寺が聞き入れていた。
寺は、彼らがどこから来訪してきたのか、分からない。
彼らも今やどこから来たのか、移民時代の理由ごと、分からない。
ある時、一息で、中京へ転居。
これが通例。


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