湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

オネゲル:オラトリオ「死の踊り」

2017年07月11日 | Weblog
ミュンシュ指揮パリ音楽院管弦楽団他、バロー(語)(Pathe/DANTE/cascavelle/sls)1944/3/1・CD

古い録音で音源によりノイズが厳しい。死の舞踏のイメージにもとづくクレーデルの台本による。絶望と空騒ぎ、アビニョンの橋など世俗から怒りの日に移り変わり、朗読から独唱から合唱、そしてオケには異様な緊張感が漲る。オネゲルらしい耳障りの良いキャッチーなメロディや響きも現れ、いかにもオネゲルのオペラジャンルの曲(もと劇付随音楽?)らしい常套性はかんじるものの、この演奏に戦争の影が無いと言えば嘘になる。ミュンシュは統制の取れた怒りを提示する。オケはORTFのようなよそよそしさはなく、管弦に特有の甘やかな、前時代的な色がつき、透明感はないが、それこそミュンシュのオネゲルにふさわしい音なのだ。皮肉っぽくずれた調性のまま途切れる終わり方は録音の問題でやや唐突感はある。ストラヴィンスキーの影響というより、暴力的な方法を敢えて模倣したのだろう。空疎で即物的な死ととらえる向きもおられるようで。クレーデルは第二次大戦への不安というよりその先の希望を示し、革命歌の利用はその意味があるらしいが詳しくはゴニョゴニョ。
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☆ボロディン:交響曲第2番

2017年07月11日 | ボロディン
○クエスタ指揮ローマ交響楽団(ROYALE)LP

非常に盤質の悪いいわゆるLP初期の乱発盤の一つだと思う。じっさい覆面オケであることは間違いないだろう。イタリア的な放埓さと高音や旋律への偏重ぶりはきかれるので「国まで偽っていることはあるまい」。迫力はない。アマチュアの演奏と言われても聴けてしまうくらい、レベルは・・・・。だが、解釈に時折「普通ロシア人がやらない」奇妙な音量操作や表情付けがなされているのが面白い。音質的にとても鑑賞にたえうる盤ではなかったが、解釈の特異性・・・アマチュアだけに許されるたぐいのものをプロがやったもの・・・としては特筆すべきものだ。○。

※2006/11/30の記事です
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オネゲル:交響曲第3番

2017年07月11日 | Weblog
カラヤン指揮BPO(DG)CD

ゴージャスでスケールが大きく、少しブヨブヨし録音もシャープさに欠けるところもあるが、特徴的な演奏だ。ミヨーのような超高音でも一糸乱れぬヴァイオリン等々オケの技術的な高まりは、元来の音色の持ち味をニュートラルに鞣してしまっている側面もあるが、このフランスの曲ではむしろメリットである。この演奏は構成的な部分やドラマチックなたかまりを聴くより二楽章や三楽章終盤の緩徐部をじっくり聴くほうが楽しめる。ヴォーン・ウィリアムズに影響を与えたのではないかとも言われる(単純な響きだけの話で影響も何も無いと思うが)幻想的な抒情の漂うオネゲルの極めて美麗な側面を、カラヤンという指揮者の持つ「世俗性」が良い意味で的確にとらえ、「タリス幻想曲」の名演も思い起こさせる感傷的なものに仕立てている。オネゲルのこういう部分こそ、聴かれればもっとメジャーになろうものだが、いかんせん単品では「夏の牧歌」くらいしかなく、オネゲル自身もそれだけを聴かせたいとは思わないだろうので、仕方がないか。まあしかしこの秀逸さはベルリン・フィルあってのものではある。音響的に精緻に整えた演奏ではないが、だからこそ旋律が生きている。
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オネゲル:交響曲第5番「三つのレ」

2017年07月11日 | Weblog
ミュンシュ指揮ORTF(DM他) 1964/6/11ヘルシンキlive・CD

勢いと説得力は天下一品で、響きや構造再現の精緻さよりも本質的なところを的確に刳り出しグイグイ引っ張っていくところがミュンシュのオネゲルの凄みであり、迫力である。オケは叙情的な緩徐部にはさほど拘泥せず次第に明るさを帯びていく大音量の部分に全ての力を注ぎ、最期の退嬰的な窶れ方とのコントラストも非常に明確で「これが正解だ」としか思わせない。なぜこの一種強引なやり方でこんなにオネゲルらしさが出るのかわからないが、ブラヴォは飛ぶのである。
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☆グラズノフ:交響曲第5番

2017年07月11日 | グラズノフ
○イワーノフ指揮チェコ・フィル(supraphone)1950・LP

チェコ・フィルとのセッションを何度か構えたようで、知る限りグラズノフは二枚出ている。スプラフォンはソヴィエト音源をそのまま出していることがままあるが、音からするとチェコ・フィルで間違いないようだ。オケが違うと洗練される。しかも同時期のチェコ・フィル、線は細いが正確で独特の金属質の肌触りがあり、オケ全体としてのまとまりは巨熊のようなロシアオケより余程上である。この曲もこの遅いテンポだと、ロシアオケならグズグズになり駄目演奏になりかねない(同指揮者は同曲ソヴィエト録音もあるがよく覚えていない)。だがぴしっと揃っているので、聞く側がハラハラするだけで問題なく、イワーノフの作為的解釈が生のまま届く。イワーノフ解釈で驚かされるのはその巨視的なテンポ設定で、4楽章の冒頭やはり遅速から、再現部以降のアッチェランド、そして祝祭的展開の鮮やかさは感服させられた・・・やはりベートーヴェン指揮者なのである。歓喜へ至るためには敢えて落とすのだ。1楽章のポリフォニーに満ち溢れたグラズノフ的展開、その中で窮屈ながらも無限転調を繰り出していくグラズノフらしい部分があるのだが、この転調がごちゃっとする演奏もある中、非常に鮮やかに聴こえ、その現代性に驚かされる。譜面を見たり室内楽をやればこういったグラズノフの時代なりの和声的挑戦は時折見かけることができるのだが、音できちんと、しかも大管弦楽で正しく聴けることはあまり無い。くらべ中間楽章はぱっとしない。3はともかく2、スケルツォは疾走感が薄く、この指揮者のリズム感のなさがわかる。総じて◎にしたかったくらい、見事な部分が混ざるのだが、オケを整えるかのような不自然なテンポの遅さを引いて○。webで聴ける。

※2010/3/13の記事です
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