湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆フォーレ:弦楽四重奏曲

2017年07月07日 | フランス
○パレナン四重奏団(EMI)CD

パレナンの演奏録音スタイルには二種類あり、完全に鋼鉄機械のように磨き抜かれた現代的な演奏スタイルをとるときと、情緒的な音色を駆使して旋律に重点を置く古風な演奏スタイルをとるときがある。必ずしも録音時期に左右されるものでもなく、曲によって使い分けている。ただ、後者であっても全体のフォルムを崩さず整った演奏に仕上げようという客観的な感性が通底しており、そこがまたフランス的な品のいい情緒をかもす場合が多い。そしてこのどうやっても感情的になりがちな悲しくも美しい曲にあっては後者のスタイルがとられている。この曲の今や古典的名録音となっているものだけにそこにとどまらず、2楽章アンダンテの印象的な第二主題にあってもスピードを維持し、盛り上がってもしかし安定感あるボウイングを維持して激しないことによって・・・けしてハーモニーに重点を置いた演奏ではないのだが(フォーレだから厚いハーモニーの自在な変幻ぶりを描き出すことは重要ではあるのだがそこは敢えてさほど重視しないふうでもある)・・・ついていけないほど突っ走ることも飽きてしまうほど冷たいこともない中庸のよさを示している。終楽章もさほど激しないため全体の強烈さはないが漂う香気にはフランス派得意のお国ものというメリットが生かされているように思う。個人的にかつてのヴィア・ノヴァのスタイルに近いものを感じた。○。

※2007/7/10の記事です
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆プロコフィエフ:交響曲第2番

2017年07月07日 | プロコフィエフ
◎ブリュック指揮フランス国立放送管弦楽団(COLUMBIA)LP

ジャケデザはカッサンドルだがやや地味というか普通。まさにフランスかぶれの、しかし緻密で聞き応えのある作品だ(プロコでここまでガチに造り込んだ作品も珍しいだろう)。これを真摯なプロコ、他の要素の(音楽的影響以外)一切絡まない真の最高傑作と呼ぶ人に私は反論するすべを知らない。ストラヴィンスキーの素地も残るがほとんどオネゲルのような鋼の構造とミヨーのような複雑な烈しさで出来ているように、このようなフランスの演奏できくと一層感じられる。個人的に苦手な一種マンネリな「わかりやすいプロコ」の癖と、歪んで論理を失ったかのような汚い響きの「わかりにくいプロコ」がまったく目立たない。後半はっとさせられる素晴らしく抒情的で詩的な主題はこの透明なオケできくと六人組以上にフランス的な粋を感じさせる。皮肉もエキセントリシズムもない、じっくり聞き込んでしまう。本来意図はシニカルで(アイヴズふうに言えば)耳に歯ごたえあるよう、意外性というかモダンアートな(モダニズムと言うにはわかりやすいがしかし謎めいた耳新しい)構成がとられており、思わず何度も聞いてしまう。前進的で飽きさせない、かつロシアやモダニズムの生臭さを完全払拭した解釈ぶりは技術の確かさ含めあっぱれだ。モノラルだが◎。流石炎の天使の初演・初録音者。この曲しか録音してないとこがいい。わかる。

※2006/9/18の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ヒンデミット:画家マチス交響曲

2017年07月07日 | ドイツ・オーストリア
◎オーマンディ指揮ACO(RCO)1967/11/12LIVE

溢れんばかりのダイナミズム、くっきり鮮やかな音表現、実にかっこいい1楽章だ。オケが独特の魅力を誇るフィラ管でないのがこの指揮者の真価を問うものとして注目されるところだが、派手な音響効果を狙いながらも弦の叙情性に極めて深慮をはかっているのが読み取れる2楽章は注目すべき楽章である。常に自己主張が強く非常になまめかしい個性的な音を奏で続けるがゆえに「もういいよ」的な飽きを誘うフィラ管の、ただ華美なだけで、叙情を履き違えたような生臭さがなく、ヨーロッパのオケらしい渋さの中からたちのぼる地に足のついた美感はモノラル時代の凝縮されたオーマンディ芸術を思わせる真摯さがある。指揮者の真価はライヴだ、と唸らせられる破壊的な3楽章の凄みとあわせて◎をつけたい。ああ、もっとヨーロッパで振って欲しかった!

※2005/3/19の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする