湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」短縮版

2017年03月09日 | Weblog
シリングス指揮シュターツカペレ・ベルリン(polydor/hindenburg)1924ベルリン

ベルリン国立歌劇場管弦楽団の戦前録音でも最古の類ではないか。ardmoreのhindenburg盤ではノイズを適度に残してよくレストアしてある(削ると音がなくなる)。短縮版だがしらべてもちょっとわからないので、2トラック25分半とだけ記録しておく。悟りを開いたような出だしは良いがその後はリヒャルト・シュトラウス節で、ライトモチーフなど用いて原作の要素を散りばめてはいるものの、ほとんど物語仕立てというか、哲学の雰囲気はない。ベルリンのオケとは思えないメロメロのウィーン風の生温い音楽で、シリングスもそれほど引き締めの強い演奏にならないというか、この録音条件では大規模な曲はこれが限界の収め方なのだろう。悪くないが、印象には残らなかった。もっとも時代からするとすこぶる意思的か。
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フランツ・シュミット:交響曲第2番

2017年03月09日 | Weblog
ビシュコフ指揮VPO(DIRIGENT)2015/09/20ウィーンlive

きわめてウィーン的と言えるフランツ・シュミットに近年よく取り組んでいるビシュコフだが、そのウィーンの頂点のオケとの記録としてどうなのか。ビシュコフはかつてのイメージを覆しマーラーなど円熟した演奏ぶりを聴かせている。ただ、これは最近の同オケの変質というより恐らく録音の問題なのだろうが、肝心の弦が俊敏な一方で金属質で固い音を出し、生温いのが魅力のフランツの音楽を冷やして固めてしまっている(薄いノイズも耳に悪い)。テンポ取りなど聴くと確かにウィーン情緒を醸そうとしているのだが東欧や北欧オケのようで、ビシュコフ自身もそれほど旋律の魅力や楽想の変化を煽る表現をとらないので、頭からドライな印象があり、足をすくわれる。フランツはブルックナーの構築性、厚い響きとシューベルトの歌謡性、ブラームスの理知性を融合発展させたような作曲家だが(そのため結局マーラーみたいな管弦楽が出来上がる)、この曲の一楽章はほぼリヒャルト・シュトラウスである。この演奏はそれからすると寧ろ的確というか、リヒャルト・シュトラウスの指揮ぶりをも想起させ、純粋にやや複雑な音、楽器の交錯を捌き分けていくことで、一見旋律命のようなフランツのマニアックに造り込む側面、すなわち曲の本質的な魅力に気付かされる。新しい録音なので派手さも伝わる。変奏曲はそれぞれの描き分けが明確だ。ロシア国民楽派のような安直な音楽、教会音楽を思わせるブルックナー的な音楽、ワグナーを模した英雄的表現、それらの中での旋律の変容ぶり、通奏的なものを含む複数の主題の絡みを含め、フィナーレに向けての有機的な構成はフランツのなかなか技師なところに気づかせて、それをしっかりわかる形で伝えているビシュコフにも高度な技師ぶりを感じることができる。一方で即物的で耽溺できない部分もあり、ネックとなる。この曲など長大な変奏曲を聴き通させるためのプラスアルファが必要なところで、とくに最後の方になると意思的にコントロールして変化をつけなければただの交響的大蛇となる。いつ終わるんだ?これで終わったのか?と思わせてしまった、終演後の戸惑い気味の拍手はまさに、フィナーレの持っていきかたを失敗したのだ。ずっと同じような動きを大声で吹かせ弾かせ続けるだけで何分ももたせるのは辛い。これは表層的な感が残るのは仕方ない。
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マーラー:交響曲第9番

2017年03月09日 | Weblog
バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(vibrato)1985/9/8東京live

モノラル膝録。歪み、情報量の少なさからリバーブをかけてもつらい音質。環境雑音は仕方ないが高音が弱く、弦楽器、肝心のヴァイオリンの音が遠く薄霧がかかったようで、音量変化すらとらえづらいのは残念。そんな状態なので細部は聴き取れないし音色も評価不能である。基本解釈は他の同時期の正規非正規盤と同じなので、それら幾分音のましなものを聴いたうえで、脳内補完できる人向けの音盤。この実演を聴いてバンスタにハマった知人が確かにいたが、ここで聴こえるものは実演とは程遠いと思われる。変な「伝説」に惑わされないほうがいい(この夜バンスタの枕元にマーラーが立ち「ありがとう」と言ったというが~当時そのての作文は多かった~アルマの枕元にすら立った記録がないのにありえない)。1楽章冒頭はそれでも迫力がある。物理的な迫力ではなく異様な音楽の始まる緊張感だ。マーラー9番としてはさすがのこなれっぷりでオケも演奏瑕疵のない点は晩年のバンスタの達していた境地を察して余りあるが、、、解釈は他と同じなので新味を感じず私は次第に飽きてきた。この時期にバンスタの導入していた(これは譜面改変なのだろうか)ヴァイオリンへの一部スルタスト奏法はここでも一応聴こえるが、ほとんどの人にはこの音では差がわからないと思われる。これ自体意味不明の「ミョ~ン」という効果を狙ったもので導入しないこともあったから、まあ聴こえなくても問題はない。細部はともかく、解釈はこなれており起伏に富んでなお自然な流れの寸断されない大きく有機的な演奏で、印象的には他の記録より激情に駆られて急激なテンポ変化など行う率が高く、しかしながらオケに一切乱れがないのは迫力の源である。三楽章でパチン系ではない音飛びがある。そしてこの後半楽章になると音質が一層不明瞭で、アンサンブルが明快には聴こえない。音楽そのものの力で押し通す前半楽章と違って構造的な魅力をみせる後半楽章は録音状態の影響を強く受ける。四楽章になるとさらに弦主体なので正直きつい。伸び縮みと流れを追うことしかできないが、その点でいうと異常に清澄で異常に引き延ばされた結部近くは印象に残る。余韻を無音部分含め全ておさめてからでいいのに、音は一応なくなってはいるが、あっさり切れて拍手カットなのは勿体ない(元のテープが足りなかったのだろうか、四楽章だけで30分超は長すぎではある)。以上、やはり既出盤で十分な録音であり、海外っぽくしておきながら国内焼き臭いこの盤の、そらぞらしい浮世絵ジャケを眺めながら、どこぞの音楽評論家の檄文でも読み返し、なんとなくその場にいたような気分になるくらいのものである。その場にいたのであれば、終演後に当日のライヴ盤を手売りされた気分で、あくまで思い出の記録としてとっておくのもよい。

<参考>バーンスタイン最後のマーラー9番記録について(現時点でのデータ)

NYP(65/12/16)、VPO(71/3live映像)、VPO(71/5/9live)、BPO(79/10live)、BSO(live)盤を承前として(一部疑義・編集・無編集版あり、以下含めまとめブログ参照)

1985年

・5/29-6/3ACO live編集版(stereo):DG
・8/25IPO テルアビブ、マン・オーディトリアムlive(stereo):Helicon(IPO) ☆これを聴きましょう
・9/3IPO大阪フェスティバルホールlive(stereo):LANNE、ETERNITIES※
・9/5IPO名古屋市民会館大ホールlive(stereo):LANNE、ETERNITIES※
・9/8IPO東京NHKホールlive(mono):VIBRATO(本盤)※
・9/12IPO東京NHKホールlive(mono):VIBRATO(2017/4発売)※

※来日公演(CD-R)。M9については4公演行われ、うち5,8日が評判となった。同曲は大阪万博時1970/8/29(大阪フェスティバルホール)9/7(東京文化会館)NYPとも来日公演を行っている。
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☆ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2017年03月09日 | ドイツ・オーストリア
○サモンス(Vn)ハーティ指揮ハレ管弦楽団(HALLE O)CD

サモンズの安定した技術がじつに素晴らしい。スピーディで一切の崩れもなく、音楽をどんどんドライヴしてゆく。古い演奏でいながらとても現代的なスマートなかっこよさがある。ハーティにもハレにも余りいい印象はないのだがこのSP音源音質でもサモンスと調和して共に補完しあうほどに上手く組み合っていることがわかる。オーソドックスという言葉はさいきんマイナス評価のように受け取られがちだが、敢えてプラス評価の意味でオーソドックスとしておく。いかにも灰汁のないイギリス的演奏の見本。ソリストもオケも。音色の統一感はこういう取り合わせでないと出ない。
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アイヴズ:祝日交響曲

2017年03月09日 | Weblog
ティルソン・トーマス指揮サン・フランシスコ交響楽団、合唱団(SFS)2007/11,12・CD/DVD(BD)

音だけでも聴けるがサンフランシスコ交響楽団自主制作映像シリーズ「KEEPING SCORE」の一巻として解説付きで作成された無観客演奏映像。MTTは既にCBSsonyの交響曲全集でアイヴズ再評価を問うているが、その中でも白眉の演奏だった同曲をしっかり解説しているところがまずは見どころ。「解説なしでは理解できない代物なのが理解できる」。演奏も鋭敏でかつてACOとやったものよりこちらを好む人もいると思う。

(以下twitter2009/2分よりまとめ)

アメリカを呼び覚ましアメリカを予言した独立主義者アイヴズ、祝日交響曲はストコやバーンスタインではなくティルソン・トーマス。RCOの名演から幾年月、サンフランシスコSとのDVD/CD。真芯をとらえたレクチャーはアイヴズと合衆国文化を解すに絶好。ノイズで手を抜くな。池を飛び越えろ。

Ⅱ.デコレーション・デイはアイヴズが繰り返し描いてるサウンドスケープ、異国人には理解できない、レクイエムからの、ブラスバンド、天国に陽気に送り出す。ブラスバンドは元々ロシアのものだったと思うんだけど、アメリカの象徴だ。

Ⅲ.独立記念日。この曲はティルソン・トーマスにしかできないものがある。さすがの奏者も苦笑する激しい祭りのカオス。20世紀初頭にクラスター奏法まで。しかしリズムや旋律のパッチワーク法に何かしらの統一感がある所を、しっかり捉える。ストラヴィンスキーにきこえる。アイヴズが祝日交響曲の中でポリリズムを多用していたのを当時話題沸騰のハルサイの影響ですよねと指摘された時、自分は春祭を聴く前に作曲していたと答えたが、(巧いかどうかは別として)既にポリリズムを始めとする前衛要素を取り入れた作品を書いていたのは事実。

オルガニスト作曲家ならではというか、オルガンで弾くとほとんどEL&P。前衛のモダンではないけど、明らかに時代を越えている。理念はドビュッシー的、表現はバルトーク的、しかしどちらとも違う誇大妄想の極致、それがアイヴズ。それがアメリカ。
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ワグナー:ニュールンベルグのマイスタージンガー〜一幕への前奏曲

2017年03月09日 | Weblog
シリングス指揮シュターツカペレ・ベルリン(Brunswick/Hindenburg)1927ベルリン

稀少盤ないし高額盤SPの周到な復刻で知られるCD-Rレーベルによる、シリングスの同曲二組目の録音でイギリスプレス。心なしか音は良い。明晰でいっそう軽量級に聞こえてしまうがつまりSPの情報量の少ない音をノイズの中より最大限に引き出しているのである。解釈は別記したシリングスのものと同じだが幾分テンポはまともに整えられているように聴こえる。曲の流れを重視し起伏も弛緩のないテンポに盛り込んで、しかしそれは縦を揃えたりインテンポに終始するトスカニーニらのような当時一般的な方法ではなく独特の柔軟さをもっている。これがフルトヴェングラーの唯一無比と思われた芸風の源流のひとつとなっている。朝には似つかわしい清々しい名歌手前奏。
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