湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆マーラー:交響曲第8番

2016年10月01日 | マーラー
◎テンシュテット指揮ロンドン・フィル他、ヴァラディ、ユーグレン他(EMI)1991/1/27,28BBC放送live・DVD

非常に有名な映像でプレミアもついていたLD、それでもまだ10数年しかたってない「晩年の演奏」なわけだが、LD映像がもっともっと復刻されてほしい(チェリとか)。新しい映像だから画質音質へのこだわりはほしいところだが、DVDは画質は劣るといわれているものの普通の家庭の機器ではまずまったく問題ない。演奏はスケールが大きくなってはいるが相変わらずダイナミックさが目立つ第一部(テンシュテットの精力溢れる指揮ぶりと終止後の憔悴振りの差が凄い)この曲の核心である第二部はテンシュテット自身の生涯の終焉を崇高に巨大に、密やかさからまさに歌劇的な盛り上がりを見せる結部の威容(やはりドイツの指揮者だなあという音響含め)、演奏自体極めて完成度も高く、二日の編集版とはいえこの演奏振りをプロのカメラワークと上質の音で楽しめるのは非常に贅沢である・・・いや、贅沢というスノブな言葉はこの純粋に人間の一生をえがく交響曲たる音楽に似つかわしくない。熱狂を呼ぶのではない、心の底から徐々に深い感動が沸き起こるのだ。終始わくわくして時間を忘れるたぐいの演奏ではない、この類稀なるマーラー指揮者のバーンスタインの主観的芸風から解き放たれた真の「千人」を眠い部分圧倒される部分揺り動かされる部分すべて包括したものとして聞ける。客観的演奏ではない、しかしそこには客観的な読みは確かにあるからその手の上がどのくらい広いかで現代指揮者の格は決まる。テンシュテットはきっと釈迦くらいの手の大きさなんだろう。憔悴しきっても満足げなテンシュテットの顔を見ても、これ以上望めないほどの布陣で素晴らしい会場設定のうえで行われた名演。音だけ聴いてみたがそれでも「指揮者にありがちな最晩年様式」を殆ど感じさせないダイナミズムが聞き取れるうえに、映像つき、◎にせざるをえないだろう。バンスタほどの有無を言わせないものがあるかどうかは置いておくが、千人の映像を見たい?ならこれしかない!という判断を下せる映像が来たという感じである。
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