○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1949/4live
1楽章終盤にアナウンスが重なり、メインは30分近くに及ぶ2楽章のほぼ通しリハ。ボストン弦楽セクションの重厚な響きを背景に濃いいロマンチシズムの盛り込まれたクーセヴィツキーらしい演奏で、単体で聴けばワグナーの緩徐楽曲のように聴ける。ルバートな伸縮もすれば音量変化もあざとい(表現主義者のデジタル変化ではなく、弦楽器奏者らしいうねるようになめらかな変化)。力強く速いテンポで音楽は歌われていく。だがこれはブルックナーなのである。このノリが全曲だと疑問に思うかもしれない。クーセヴィツキーの指示は殆どダイナミクス変化にかんするものしかない。ただ音量についていちいち感情的に叫ぶ。あとは歌う・・・ひたすら「旋律だけ」を。たまに表情記号にも言及するが、ロシア訛りの調子で実にボキャブラリーが少ない(陰で揶揄されるわけだ)。怖い頑固爺さんといったふうである。オケは大人の態度でただ鋭敏に従うだけ。異様に指示を理解するのが早く、指示する前に既に準備しているようですらある。そんじょそこらのオケではないので、予めボスの言うようなことはわかるのだろう。リハとはいえ表現に手抜かりはない。クレンペラーが晩年振らなくてもオケが弾いてる状態に至ったのと同じ、これは裸の王様とは違うカリスマ性であり、高度な芸術の世界での老年の奇跡である、としておこうか。
後代の指揮者に引き継がれるこのオケの実力はしかし(政治的なもの含め)全てクーセヴィツキーが培ったものとも言えるから、無骨な指導ぶりもやはりカリスマ性だけでなく、何かの技があってのもの。これは単なる本番前の断章にすぎないかもしれない。まあ、嫌われそうな人だなとも思った。ミュンシュと似てるんだけど、違うんだよなあ。わりと単曲としては感動的なので○。
クーセヴィツキーのブルックナー8番
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1楽章終盤にアナウンスが重なり、メインは30分近くに及ぶ2楽章のほぼ通しリハ。ボストン弦楽セクションの重厚な響きを背景に濃いいロマンチシズムの盛り込まれたクーセヴィツキーらしい演奏で、単体で聴けばワグナーの緩徐楽曲のように聴ける。ルバートな伸縮もすれば音量変化もあざとい(表現主義者のデジタル変化ではなく、弦楽器奏者らしいうねるようになめらかな変化)。力強く速いテンポで音楽は歌われていく。だがこれはブルックナーなのである。このノリが全曲だと疑問に思うかもしれない。クーセヴィツキーの指示は殆どダイナミクス変化にかんするものしかない。ただ音量についていちいち感情的に叫ぶ。あとは歌う・・・ひたすら「旋律だけ」を。たまに表情記号にも言及するが、ロシア訛りの調子で実にボキャブラリーが少ない(陰で揶揄されるわけだ)。怖い頑固爺さんといったふうである。オケは大人の態度でただ鋭敏に従うだけ。異様に指示を理解するのが早く、指示する前に既に準備しているようですらある。そんじょそこらのオケではないので、予めボスの言うようなことはわかるのだろう。リハとはいえ表現に手抜かりはない。クレンペラーが晩年振らなくてもオケが弾いてる状態に至ったのと同じ、これは裸の王様とは違うカリスマ性であり、高度な芸術の世界での老年の奇跡である、としておこうか。
後代の指揮者に引き継がれるこのオケの実力はしかし(政治的なもの含め)全てクーセヴィツキーが培ったものとも言えるから、無骨な指導ぶりもやはりカリスマ性だけでなく、何かの技があってのもの。これは単なる本番前の断章にすぎないかもしれない。まあ、嫌われそうな人だなとも思った。ミュンシュと似てるんだけど、違うんだよなあ。わりと単曲としては感動的なので○。
クーセヴィツキーのブルックナー8番
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