○ロヴィツキ指揮ワルシャワ・フィル(lys他)1960-67・CD
美しいのだがどこか生硬で、客観的に整えたような感じが否めない。とくに前半だ(切り貼り録音のようだが)。復刻状態にもよるのだろうが冒頭からしばらく音量的に平板でどのパートもただ自分の役割を硬く守っているだけのような感じがし、この指揮者らしくない。技術的な理由がありそうだ。曲半ばにはソロ楽器を中心としてだんだんそれらしさが加わり、繊細な響きが明確に再現される。シマノフスキ的な高精細の怜悧さが美しい。だが、やはりどうも、盛り上がりどころで節度を守りすぎている。テンポは前に向かわずドイツ的な縦を守る表現に終始する。もちろんこのリズムの作曲家にはそのやり方は正しいのかもしれないけれど、もっと弾けるような野卑た躍動感がほしかった。綺麗なんだけど、爆発的なところとか、感情を揺り動かすまでに心にリーチする迫力がない。強音の出だしのアタックでことごとくアクセントが弱く、上品すぎるかな。ソロピアノのリズム処理は少しずらしライヴ性を持ち込んで、他にも音量的に他を凌駕するバランスでかっこよく、例外的によかった。もともと協奏曲的に扱われるピアノが引き立った演奏は締まっていい。最後は一応盛り上がるが、どうも前へ向かわないのは一緒。楽想変化の描き分けもイマイチだが、響きは美しいので○にはしておく。
<ペトルーシュカについて>
このグロテスクだが美しいポリトナリティに貫かれた三大バレエの真ん中の曲、ストラヴィンスキーの曲中でもひときわ自身による編曲や演奏者による変更が加えられたものとして知られややこしい。サマリーは
wikiでわかるが、主として4管の初演期の1911年版(厳密には初演版とも違うらしい)と一般的な派手で新古典的な3管の1947年版がある。特に同時代の指揮者による細かい変更は知られており、初演者モントゥやアンセルメなどそれぞれの見識で組み合わせや部分的に「版」(恐らく改変ではなく作曲家も絡んだ演奏上のものである可能性が高いので版としておく)を変えている。またひとつの方法だけを堅持したわけでもなくオケの編成上の問題やバレエ伴奏上の事情などでそのつど変えたり録音でだけ変えたりということもしばしばあった。これは現在も同様である。組曲版でも曲順曲選にかなりの変更が加わっている。この演奏は組曲とされている場合があるが全曲だったのでそう書いておく。
これはハルサイも入った初録音スタジオ盤。ストラヴィンスキーも言っているとおり初演をまかされたとはいえ不器用さの指摘されるモントゥだが、要求されるままつとに演奏してきたために現在ライヴ録音が非常に多く出回っている。しかし考証的興味から仔細を比べる楽しみはあるとはいえ演奏的にはおのおのにそれほど強く個性を訴えるたぐいのものはなく、ひとつの録音で楽しめば十分である。ニジンスキー主演のパリ初演を思い浮かべながら聞きましょう。この時代の人の作品はやはり、いい録音でどうぞ。