湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ショスタコーヴィチ:交響曲第15番

2005年04月09日 | ショスタコーヴィチ
○伝イワーノフ指揮モスクワ・フィル(regis)1980・CD

人生の最後にこういう大交響曲を残したショスタコの心情を察するに複雑なものを感じるが(1970年代にコレですよ!)、4楽章制の古典的構成に立ち返りながらも1楽章と4楽章はウィリアムテルを初めとする古典的楽想によって、まるで1番のようなシニシズムを秘めたカリカチュアライズされた交響曲の両端楽章を演出し、2、3楽章は逆に死者の歌までで至った哲学的な世界の延長上にいるようないささか静かで難しい音楽になっているのはコントラストが激しすぎてかなり分裂症的、私などははっきりいって余りのちぐはぐさについていけない感じすらした。2楽章の長大なチェロ・ソロは極めて晩年的で深刻な諦念(マーラーのような夢すらない空疎な諦念)を出してくるのに、4楽章ではワルキューレの運命の主題がそれほど悪くない運命であるかのように変な盛り上がりをもたらしている。決して傑作とは言わないが、天才作曲家にしか書けない交響曲ではある。最後の巨匠世代と言わせてもらいたいコンスタンチン・イワーノフのこの演奏はとてもしっかりしており他のショスタコ指揮者がことさらに曲を掘り下げて演奏しているのに対して素直に曲想に従ってしっかり仕上げている。聞き易さではかなりいい線をいっていると思った。1000円以下の廉価盤で手に入るのが信じられない。○。

(後補)当盤はポリャンスキのCHANDOS録音のコピー(偽盤)の模様。
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ワグナー:トリスタンとイゾルデ 前奏曲と愛の死

2005年04月09日 | その他古典等
○ゴロワノフ指揮モスクワ放送交響楽団(seven seas他)1950/10/3・CD

比較的まともな方の演奏だろう。思い入れたっぷりの演奏ぶりが鼻につかない程度に納まっている。ロシア奏法の多用については今更どうこう言う筋合いの指揮者ではないが、この曲ではそんなに気にならない。しいて言えば独自解釈が入って違和感を感じさせる部分がある程度で、これも彼なりの演奏効果を狙った演出であり、曲を知らなければすんなり聞けると思う。ようは自国の演奏家だけによってクラシック音楽の歴史を全て再生させなければならなかったソヴィエトという一種鎖国体制の中で奇形化していった、もしくは内的にぐつぐつ熟成されていった表現の極みがゴロワノフのような指揮者の解釈であり、ロシアオケの個性なのである。決して奇抜さを狙ったわけでもなく、彼等は真剣そのもの、われわれはただスコアとの違いや音表現の違和感のみに失笑するような愚かな評価を、彼等に対して下すべきではない。○。
Comments (2)
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ワグナー:ニュールンベルクのマイスタージンガー1幕への前奏曲

2005年04月09日 | その他古典等
ゴロワノフ指揮モスクワ放送交響楽団(seven seas他)1951/12/16・CD

「ソヴィエトでは」ワグナー指揮者として知られたゴロワノフでワグナー集も何度かCD化されている。これはその中でもト印のつく演奏。逆に言うといつものゴロワノフ全開で、ライヴでもないのに雑。ブラス各人が自己主張しすぎで、まるでラフレシアで花束を作ったように毒々しくうるさい。激しく突き進むがトスカニーニのように制御されたテンポではなくもう思うが侭にどんどん先へいくようなテンポ感はまるでアマチュアのよう。面白がる以前にこの曲の様式美とかそういうものを考えてしまった。これはちとやりすぎか。無印。
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スクリアビン:ピアノ・ソナタ第5番

2005年04月09日 | スクリアビン
ソフロニツキー(P)(classound)live・CD

どのライヴなのかわからないので同一のものを既に持っている可能性もあったのだが、一応買って聴いてみた。かつてはCD化が進まずマニアが血眼でLPを探すたぐいの伝説のピアニストだったのだが、今はソヴィエトで活躍したひと世代前の大家として普通に聞かれるようになっている。録音が悪いものも多く正当な評価を受けてこなかった一面もあるが、ライヴを含めると膨大なレコーディングが残っており(ステレオもあり)同じ曲でも結構印象の違う演奏をしてみたりもしている。というわけでこの義理の父親の曲なわけだが、曲自体私は大好きであり、ソフロニツキーでよく聴いている。ダイナミックでロマンティックながらもモダンで隙の無いかっこよさを兼ね備えた中期スクリアビンでも野暮さのない聞きごたえ十分の単一楽章の楽曲であり、無闇なトレモロも無調的な哲学性も確実に存在はするものの未だ表面化せず非常に入り易い。だが、そういった曲だけにリスト張りに大仰にやってほしいところで、この録音はその点いささか性急で即物的すぎる感がある。余り揺らさずに速めのテンポで弾き切ってしまう。細かいニュアンスがイマイチだ。音が比較的よく、逆によすぎてそう感じるのかもしれないが、音が一様に大きすぎてダカダカ弾いてハイおしまいみたいな味気無さすら感じる。この曲にはもっとドラマが欲しい。無印。
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