かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

仕事での姿

2015年02月20日 23時53分39秒 | 一般
今日は父の通夜である。
入院していた息子はすっかり元気になり、今日めでたく退院の日を迎えた。朝に迎えに行ったときにはすっかりご機嫌で、いつもの息子に戻っていた。病院から嫁さんと一緒に家に連れて帰り、その後は出かけるまでしばらく家で休息をとった。息子が帰ってきて、家の中はいっぺんに明るくなった。子どもの笑い声というのは家の中をどんな照明よりも明るくするもののようである。
さて、夕方になり母と妹とともに式場に入った。父の顔は薄化粧が施されて、より生きているときの表情に近くなった。本当に眠っているかのようである。父が最後に着ていた白衣はハンガーに掛けて祭壇の脇に置かれ、そばにはいつも使っていた診察道具も置かれた。式場内には昨日選んだ、生前の父が好きだったピアノ曲がBGMとして流されていて、父を送り出す舞台はようやく整ってきた。導師は我が家の菩提寺の住職で、個人的なつきあいも昔からあるような間柄で、わざわざ北海道から来てくれた。
供花は予想をはるかに上回り150基ほどにも及んだ。方々の大学や縁のあった病院、勤めていた病院からで、芳名板を見ると錚々たる面々の名前が並んでいた。そして、参列者の数も思った以上に多かった。自分の焼香を済ませ、その後で一般の焼香に移ったところで参列者の方を見るとぎっしりと後ろまで連なっていて、用意した椅子ではおさまりきれないくらいだった。
私の関係の人たちも何人かわざわざ来てくれていたが、もちろんほとんどは父の仕事の関係の人たちで、涙ぐんでいる人も少なからずいて、本当に皆から愛されていたことがうかがえた。通夜が始まる前にも父の職場の人と何人かお話しすることができたのだが、職場での父はとても人当たりが良く何かと色々相談をされていたようだった。診療でも話をよく聞いて患者さんからも慕われていたらしい。さらに、最後の日の様子を聞くこともできた。涙ながらに話してくれたのだが、これだけ皆に愛され、慕われるというのは並大抵ではない。私は残念ながら仕事中の父の様子を見ることはできなかったが、私が普段見ていた父の姿からは想像もつかない姿があったらしいということはよくわかった。
通夜が終わった後は、親族で食事をして思い出を語ったりした。何人かからは私が父にいろいろなところが似ていると言われた。中には父のような立派な神経内科医になりなさい、というようなことも言われた。
私はあまり食欲がなくそれほどたくさんは食べられなかったが、ひとまず今日のところはお開きになり、明日は告別式。名実ともに明日父を送り出すことになる。そして、本当にお別れだ。

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