昼の部は一人で観たので、幕間は明治座ビルをぐるっと回ってみた。隣に明治座アネックスビルというのもあり、食堂部門を別会社にして力を入れているのもうかがえた。
後半の「蝶の道行」「封印切」と続く。
【けいせい倭荘子 蝶の道行】
2009年6月の歌舞伎座(梅玉×福助)の感想はこちら。あらすじ等はそちらへ。
初見は2005年9月歌舞伎座で、助国は染五郎で小槇が孝太郎だった。今回も助国が染五郎で小槇は七之助。真っ暗な中に蛍光で彩られた大きな雄蝶と雌蝶が舞台中央を舞い飛ぶ開幕は同じで、変なレーザー光線のような照明の演出はなくなっていて落ち着いた感じ。
蝶が蛹から孵化して飛び立つように、蝶は人間の体から霊魂が抜け出たものの化身だという。そういう演出を使った舞台をいくつか観てきたので、今回はそのイメージで観ることができた。
染五郎も七之助も細表で陰のある表情が美しく、細身の身体が舞う様はふわりふわりとした蝶の連れ舞そのもの。3回観た中で今回が一番見応えがあった。
日本国語大辞典第二版オフィシャルサイトの「蝶」の項
【『恋飛脚大和往来』「封印切」】
「恋飛脚大和往来」は、近松門左衛門作の「冥途の飛脚」を増補改作した作品とのこと。(「冥途の飛脚」は2008年2月に文楽で観劇)。上方歌舞伎の代表的な演目で、成駒屋型と松嶋屋型の演じ方が少しずつ違うのが面白い。
2005年6月の歌舞伎座「封印切」「新口村」=松嶋屋型の感想
2007年10月の歌舞伎座「封印切」「新口村」=成駒屋型の感想
今回の主な配役は以下の通り。
亀屋忠兵衛=勘太郎 傾城梅川=七之助
井筒屋おえん=吉弥 槌屋治右衛門=亀蔵
丹波屋八右衛門=染五郎
2階の左列1列目真ん中の通路脇席からは花道を歩くところが近くに見えて、勘太郎の登場や、七三で独りでしゃべって喜ぶところもニヤニヤしながら見てしまう。梅川とおえんの畳算を誰を待つのか、「オレか、あ、間違えた、ワシか」と言っていたが、これは本当に間違えたのかしら(笑)
吉弥はいかにも花街の女将らしくどっしりとしながら色気もあるのがいい。さらに上方歌舞伎の役者は吉弥ばかりだが、今回はお江戸の役者も実によく頑張っている。
2005年に忠兵衛で見た染五郎が今回は八右衛門で、二枚目だが性格が悪すぎて「ゲジゲジのはっつぁん」と廓で総スカンを食っているボンボンを憎々しげに演じているのがコミカルでいい。その悪ノリに挑発されて頭に血が上る忠兵衛を勘太郎が実に一生懸命やっている。上方言葉もそんなにおかしくないし、早口になってもしっかり聞きとれるのがいい。
小判が本物かを金火鉢に金包みを当てて音を聞かせるという八右衛門の挑発から逃げられず、ついには封印が切れてしまい、残りは意地で切ってしまうという成駒屋型の「封印切」!その愚かしさ、哀しさが染五郎×勘太郎の丁々発止からたち上る。遊女をめぐって二人の若者が熱くなり、ついには身を滅ぼす悲劇を若いエネルギーがぶつかりあう芝居として見せてくれる。
それでいて、封印を切ってしまっての啖呵の場面は、しっかりきっぱりと極めてくれるのが勘太郎。これには参った。父の勘三郎よりも時代物の立ち役でも見どころがあると思っているが、勘太郎の面長な顔から初代播磨屋につながるDNAを感じるせいだろう。初代の父は上方出身の歌六であり、上方歌舞伎役者の血も流れているしと思ってしまう。最近、子息にも恵まれて、さらに精進ぶりに拍車がかかっている感じの勘太郎に好感度大である。
切った封印は御用金と忠兵衛から聞いて狼狽しつつ、「一緒に死んでくれ」と言われて覚悟を固める梅川。苦界を抜けて愛する男と添い遂げるための決断だが、心中流行りのご時世だったろうし、梅川の方はすぐに心が決まったと見える。
身請けの手続きもすんで、先に梅川に番所に行かせ、おえんに後事を頼んでからの忠兵衛の一人の引っ込み。いつもの席ならすぐに見えなくなるのだが、今回の席では恐ろしいことをしてしまった興奮から、身体の芯が抜けてしまって膝がガクガクとしてまともに歩いていけないのに、独り言をいいながら身を奮い立たせ、生まれ在所に向かおうとする姿を揚幕近くまで観ることができた。ここの芝居も勘太郎、必死の感じが伝わってきた。
梅川に嫌味にふるまう年増の仲居で小山三が出ると、ぐっと歌舞伎味が増す。子どもの時から手塩にかけて世話をした中村屋のぼっちゃん兄弟の舞台に元気に出ている姿に、観ている方も感無量。少しでも長くお姿を舞台で見せて欲しいと願う。
5/21夜の部(1)染五郎×七之助の「牡丹燈籠」
5/22昼の部(2)亀治郎の「四の切」