東日本大震災による福島第一原発事故の後、安斎育郎さんの『家族で語る食卓の放射能汚染』を読んで、こちらで紹介している。3.11直後に出版ということもあり、チェルノブイリ原発事故の後に出された著書に手を入れて増補改訂版ということで出された本でもあり、その後の状況変化を踏まえた安斎さんの本が読みたいと思い、ネット検索してみた。そこで、新しいし簡単に読めそうだしということで決めたのが、以下の本だ。
セブンネットショッピングの安斎育郎著『原発事故の理科・社会』の情報はこちら
さいたま市図書館で借りて読むことにしたが、既存図書になかったので、仕事帰りにJR浦和駅で途中下車して中央図書館でリクエストして買い入れて案内がくるのをじっと待った。図書館と同じ建物の中に紀伊国屋書店もあり、その本の在庫が1冊だけあってブックレットタイプで実に読みやすそうですぐに読みたくなったがあえて待つことにした。中学生からでも読めそうだし、公共図書館に備えてもらって多くの方に読んでもらいたいと思ったからだ。
メールで連絡をもらって借りてきて読んだ。ちょうどレンタル中のRC SUCCESSIONの『カバーズ』を聴きながらというタイミングだったし、忌野清志郎の『瀕死の双六問屋』も借りているのでそちらを延長して一緒に返すことにしたので、脱原発モードを高めながらあっという間に読んだ(どうでもいいかな?)。
amazonよりセブンネットショッピングの方が情報が詳しく、以下の情報も引用してご紹介。
<本の内容>
いま脱原発へ、日本の原発推進政策のからくりを学ぼう
原発事故以来、高まる放射線への不安。放射線の健康へのリスクを小さくすることと、なぜ日本で「安全性軽視で、経済開発優先主義的な」原発政策が進められてきたのかを考え、この国の主権者として、国のエネルギー政策のあり方をしっかりと見定めて行動するために、40年来の原発開発批判を続ける著者がおくるテキストです。
<目次>
第1章 福島原発事故の「理科」
(福島原発事故は、何をもたらしたか?
放射線の影響と防護の基本-2種類の影響
どうやって放射線のリスクを減らすか?)
第2章 福島原発事故の「社会科」←この章の中の節の部分を加筆してご紹介。
(1)原発開発の歴史を見直す大切さ
(2)広島・長崎の核被害が知られなかったわけ
(3)アメリカとソ連のしれつな核軍備競争
(4)ソ連による初の原発実用化とアメリカの対応
(5)ブルックヘブン報告が示唆した原発事故の影響
(6)原子力損害賠償法で国が電力会社を庇護した
(7)日本の原発開発を推し進めた中曽根康弘氏
(8)原子力の平和利用を宣伝した正力松太郎氏
(9)日本が水力→火力→原子力と推移したわけ
(10)田中角栄内閣がつくった「電源開発促進法」
(11)住民も原発推進に巻き込まれた
(12)国民総動員原発推進体制?
(13)大切な主権者としての私たちの主体的行動
第3章 私たちはどうすべきか?
(電力のつくり方を選ぶ時の考え方
代替エネルギーの開発・普及への課題と展望
節電型の生産・流通・消費・廃棄)
終章 40年来の原発批判活動から思うこと
「理科」の部分のコラムで「ガレキをどうするのか?」という問題に2ページを割いている。放射性物質を含む宮城県や岩手県のガレキを地方分散の広域処理がすすめられ、世論が分かれたことについてどう考えればよいかということに確信がもてた。
高レベル汚染地帯と低レベル汚染地帯とで分けて考える方がよく、高レベル汚染物は集中管理型で処分するのが好ましい。低レベルの汚染物を「広域処理」と称して各地に分散することは、市民の間に無用の混乱と対立を生み出すとともに、長距離輸送処分に膨大な費用を要するので「ミニマム廃棄物マイレージ」の考えからしても、できる限り発生地の近隣地域で処理処分することが基本とのこと。その上で、速やかな被災地の復興のためにはどうしても他地域に移送して処理処分することが不可欠と考えられる場合には、放射能やアスベスト濃度に関する正確な情報を公開した上で、「送り出し側」と「受け入れ側」の合意を形成し、限定的に「廃棄物マイレージ」の少ない地域に移送処分することもあり得る、とあった。
危険危険と騒ぎ立てて被災地復興に協力しないというのは非人道的だとばかりに受け入れをすすめたり、莫大な補助金付きで受け入れさせるように誘導していることはあまり報道もされないという、ガレキ処理をめぐる闇の部分をもっと明るみに出さなければならないと思う。
「社会科」の部分で、原発開発の歴史のところで、米ソの核軍事競争の中で遅れをとったアメリカが原子力潜水艦に使っていた原子炉を急遽、発電用に転用したのだ。原発は安全性を一歩一歩確かめながら技術の発展段階を踏まえて十分な時間をかけて開発されるという経過をたどったものではないので、いきおい、安全性は二の次となったとあった。
安斎さんは1962年、日本に原子力発電所がなかった時代に東京大学工学部原子力工学科第一期生になり、卒業して3年後ぐらいから日本の原子力政策に疑問をもち、徐々に失望の度を深め、やがて絶望するようになったという。
それから40年来の原発政策批判を通じて、日本の政治・経済の病根の根深さを感じ、だからこそ福島原発問題を「理科」の側面だけでなく、「社会科」の側面からも徹底的に検討すべきだと確信しているとのことだった。
そして第13節で「大切な主権者としての私たちの主体的行動」となり、第3章で「私たちはどうすべきか?」と論じられていく。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」にならないよう、リメンバー・フクシマ!ともあった。
日本人は嫌なことは忘れようとするような考え方が強く、そして国民には物事をきちんと考えないようにさせる政策(愚民化政策)が成功してきていると思うので、私は気がついた人から声を上げ、そのような声を大きくしていかなければならないと思っている。
今回の原発事故を忘れずに、脱原発社会を実現していくために、この本は大いに役立つと思う。図書館に返却した後で、マイテキストとしてやっぱり買っておこうかなぁ。
(4/4追記)
安斎さんのサイトのリンクをつけておこう。タイトルのイラストにお人柄が現れています!
「安斎科学・平和事務所」