ただ建築が好きな走るエンジニア、

日系某メーカーを辞めて外資系に転職。資格、建築デザイン、転職と来て今はひたすらす走ってます。2019別大2:49:13。

47歳、走りながら考えること、

2017-12-17 21:56:22 | 日記


41歳でこのブログを始めたとき、

会社ではマネージャーとして
小さな設計チームを持って3年が過ぎ、
まだ世の中に出て間もない製品を
軌道に乗せるために奮闘していました。

それまで半導体5年、通信2年、液晶2年、
また半導体2年と安定の大企業では
余り例のない異動、経歴、
全部自分で決めてきました。

今では会社や仕事を変えることは珍しくないし、
こんなこと当たり前だけど、
当時はやはり少し異色だったと思います。

ただひたすら先端技術を追いかけていた?
事業環境の急速な悪化を先読みしていた?
尊敬できない上司の下で働くのが心底嫌だった?
もっといい給料が欲しかった?

41歳はちょうどそんな経験の最中でした。

恩義のある上司や先輩たちは私が変化をもたらすことで
少し未来が開けることを信じてくれました。

私の大切な設計チームは、
私のやりたいことを理解して
私以上にがんばって上手くやってました。

色々仕込みたいことがあって勉強し、
またそうした人材を探して引っ張ったりして。

開発していた先端技術が商品化を
迎える場面に幾度か遭遇しました。

研究部隊が事業部や生産工場など
パトロンと合流する場面です。

上手く立ち上げが出来ずに
パトロンが変わる場面にも遭遇しました。

トップがすげ変わり、
落下傘の様に人が降りてきます。

そんなときでも設計チームは
比較的荒波に飲まれることなく、
存続できることも経験しました。

でもちょっとハリネズミに
なっちゃったんですよね。

恩義のある上司を更迭した
新しいボスの言うことに従えるか?

訳も分からない新しいやり方を
受け入れられるか?

私はチームを守っている気になっていたけど、
結果としてとんがっていた私のせいで
みんなやり辛かったのかも知れません。

そんなこと関係なく環境は
どんどん変わったんですけどね。

それで少しは賢くなって
今の場所でまた頑張っているけど、

41歳のときのチームメンバーはどうしてるかなと
走りながら考えるときがあります。





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