ロンドン大学構成カレッジのひとつコートールド美術研究所。
小さいギャラリー乍らも秀作を収蔵し、炎の画家と呼ばれたフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890/オランダ/後期印象派)の 「耳を切った自画像(頭に包帯をした自画像)」もそのひとつ。
ここで、<ナショナル・ギャラリー(28)>(14/7/28)を思い出してほしい。
ゴッホは対象を見乍ら描いたのに対し、ゴーギャン(1848-1903/フランス/後期印象派・象徴主義)は写実的表現を否定していたため、南仏アルル滞在で決定的な対立をみたと書いた。
ゴッホはアルルでの制作活動を複数の画家に呼びかけるものの、応じてくれたのはゴーギャンただひとり。
アトリエ兼生活場所である黄色い家で始まった制作活動は、あっけなくも二月で破綻する。
1889年12月、降誕祭を前にした夜だったという。
芸術論で激論を交わすものの相容れず、家を出たゴーギャンを追う彼の手には剃刀があった。
追いつくなり激情に駆られたゴッホ、剃刀で我が耳を切り落とし、娼婦ラシェルのもとへ届けるという悲劇を起してしまう。
本作に話を戻そう。
包帯が巻かれた顔は痛々しく見えるもののその表情や視線は、ゴーギャンとのあの激しい確執から解放されたかのように、冷静で落ち着きを取り戻したかのようにも見える。
しかし、懊悩は癒されることなく、本作を描いた翌年、自ら拳銃を撃ち37年の短すぎる生涯を閉じたゴッホ、耳切り事件は、その序章であった。
ちなみに、背後の壁に浮世絵が描かれてい、彼の日本の芸術に対する深い関心が窺える。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.897
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