ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ゴーギャン ‐ コートールド美術研究所(3)

2014年11月26日 |  ∟イギリスの美術館

 炎の画家と呼ばれたゴッホ(1853-1890/オランダ/後期印象派)の耳を切り事件の一方の当事者、ポール・ゴーギャン(1848-1903/フランス/後期印象派・象徴主義)。
 ゴッホの引き合いにされ、「迷惑や、いい加減にして」なんて、天国で嘆いているかも知れない。

 それはさておきゴーギャン、パリで生まれたものの、翌年、ナポレオンの台頭によってフランス第二共和政が危うくなると、一家で南米のマリへと逃れ7歳まで過ごしたとされる。
 帰国後、神学校を卒業、なぜか水夫として海上に過ごし、23歳で株式仲買商に勤務する傍ら本格的に絵画を学び始める。

 その後、精力的な制作活動を続け、総合主義を成立させた他、89年のパリ万博で象徴主義展を開催、ルドン(1840-1916 /フランス/象徴主義)たちと交友を重ねた。
 2年後、ベルナール(1864-1941/フランス)と総合主義の発端者を巡り喧嘩別れ。
 予て憧れたタヒチへと旅立ち、一度帰国するも再訪、没するまでタヒチへ留まったとされる。

 その二回目のタヒチ時代の名作、「ネヴァモア(横たわるタヒチの女)」が今回の絵。
 本作は、米国を代表する小説家兼詩人エドガー・アラン・ポーによる詩、「大鴉」の “ 二度と無い、ネヴァーモアと鳴く神秘の鴉 ” との関連性が指摘されている。
 窓辺の青い鳥は、悪魔の鳥として横たわる裸婦を見張り、裸婦は怖いもの見たさか、恐々とした表情を浮かべながら鳥へと視線を向ける。

 解説書には、“ 単純な裸体によって、ある種の野蛮な豪華さを暗示したかった。(中略)人の創造力のみがこの空想上の住居を飾ることができるのだ ” と画家自身が語るとあるのだが?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.898

 ※ 前号、コートールド美術研究所(2)へは、<コチラ>から入れます。


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1 コメント

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お久し振りです (ribbon)
2014-11-26 23:12:07
新しいブログ、読んでいますよ。
いろいろとデザインが変わるようですけれど、今の「木の葉」、タイトルもピンク色の字で、明るくていいんじゃないですか。
あまり拘らずに、季節ごとに変えてもいいんじゃないかな。

随分と寒くなりましたが、風邪などひかないように頑張って下さいね。
あれ、絵文字ないんだ!!
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