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No623『阿賀に生きる』~いのちの温かさを感じる~

ずっと観たかった作品。
神戸映画資料館での特集でやっと観ることができ、感慨もひとしお。
ずっと書きたかった。やっと書けるのが嬉しい。
こういう映画が私は好きだなあと心底思う。

出てくるのは、新潟のおじいちゃん、おばあちゃん。
阿賀野川流域で
お米を育てたり、餅をつくったり、川舟をつくったりする
夫婦3組の日常を丁寧に撮っていく。
スタッフたちは、この映画を撮るために
近くの家に住み込んで、田んぼを手伝ったり、一緒にお酒を飲んだり…
そうして3年。

「まだ撮ってるの?大変やなあ」と
カメラに向かって笑いかけるおばあちゃん。
話の途中で寝てしまうおじいちゃん。
思い出すだけでも、あったかい空気が流れていて、心が温かくなる。

雪国で、大変だけれど、大地にちゃんと足をつけて、
それぞれに家族を営み、人生を送ってきた。
そのことへの、スタッフたちの深い敬意が感じられる。

佐藤監督は、とりたてて水俣病患者であることを
映像におさめようとはしない。
さりげなく、手がふるえたりするところを映すだけ。
普通の日常を撮る中で
川と密接な生活をしていることが伝われば、
その川を水銀で汚した公害の罪の深さが浮き上がるはずと
何かに書いておられた。

釣りの名人だというおじいさんに
何年ぶりかで釣りの腕をみせてもらおうと、
スタッフや村の人たちが川に連れて行く。
おじいさんはちょっと緊張している。照れてもいる。
この距離感がなんだかすてきだ。
スタッフとおじいさんたちのつながり、信頼感という輪の中に
観客の私たちも、入れてもらったような、温かい心地よさに包まれた。
まるで親類よりも身近に思える。
終わった時には、もう別れるかと思うと、目頭が熱くなった。

川や自然の中に立っている姿がいいから、
思い出すだけで、一緒にそこにいる気がしてくる。
風を感じる…。
船が川面を進む音が聞こえてくる…。

映画全体からしみだしてくる何か
ざっくばらんなおばあちゃんのしゃべり、おじいちゃんの微笑み、
みんなの笑顔、あの暖かい家の中、厳しくも美しい自然の風景は、
ぶつかっても会釈もしない街のぎすぎすした生活の中で、
忘れそうになっている人間的な心、暖かさや優しさ、素朴さを
思い出させてくれる。
囲炉裏の炎が、ぽっと心にも灯ったように、元気づけられる。

おじいちゃんたちが生きてきた時間、
監督やスタッフとともに過ごしてきた熱い時間が
フィルムに、暖かい体温とともに
しっかりと刻みつけられてるんだと思う。

ちょうど友人から借りていた
フラハティの「ある映画作家の旅」という本に
「人間としての共感」、「宇宙的な生命感」という言葉を見つけた。
『極北のナヌーク』のエスキモーのナヌークのにこにこした温和な表情や、
『ルイジアナ物語』の冒頭の川を漕ぎ進んでいく少年のときめきに共通する永遠が、
この作品にもあるように思えた。

船大工のおじいちゃんが船を浮かべた、あの川の美しさを
カメラをのぞく監督と、映画を観るわたしたちと
川を眺めるおじいちゃんとが共有し、共感する。
撮られる側の個の円と、撮る側の個の円とがぶつかりあい、
一緒に長い時間を過ごすことで、
段々と円同士が近づいていって、
いつしか真ん中の重なり合う部分が多くなっていく。
その重なりには、人間皆が共感できる何かがあるような気がする。

こましゃくれたことを書いたが、ふと思い出した。
かつて学生時代に、人類学の勉強をして
農村に入りこんで調査研究をしたいなあと考えていた時期があった。
論文書いたりするのは苦手で、結局諦めたが、
研究者としてではなく
一緒に暮らす者として、入っていくなんてすてきだと思う。
もちろん溶け込むまでの苦労は並々ならぬものがあるとは思うけれど。
撮影の方々は、カメラは持っていても、研究者や観察者とはかなり違う。
このスタッフの立ち位置はすごく興味深い。

本当に何度でも観たい映画。
あのおじいちゃんたちの笑顔がたまらない。  
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