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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月30日・ヒロ・ヤマガタの追跡

2015-05-30 | 美術
5月30日は、スウィング・ジャズのベニー・グッドマンが生まれた日(1909年)だが、芸術家ヒロ・ヤマガタの誕生日でもある。

ヒロ・ヤマガタは、1948年、滋賀の米原で生まれた。本名は、山形博導(やまがたひろみち)。実家は材木屋で、博導は6人きょうだいの上から3番目だった。
小さいときから絵画好きで、その才能を認められ、小学校時代、1年から6年生までずっと放課後に美術の特別授業を受けていた博導は、一面、サイクリングや天体観測に熱中する少年で、画家ではアンリ・ルソーのファンだった。
高校を卒業後、彼は上京し、画材店や広告会社で働きだした。
絵画の腕を変われ、広告用のイラストを描くようになった彼は、23歳のとき、自分から離れていった恋人を、イタリアのミラノまで追いかけていった。
しかし、結局ふられ、恋はよみがえらなかった。失意のヤマガタはフランスのパリへ移った。ユースホステルに泊まり、ブローニュの森で野宿する生活をへて、彼はパリ国立美術学校の聴講生になった。そうやってパリで芸術修行を続けていると、認めてくれる画商が現れ、オーストリアのウィーンで初の個展を開くことに成功。
26歳の年には、フランスのサロンへ出品し、パリでレーザー光線を使ったインスタレーション(場所、空間そのものを芸術作品とし体験させるアート作品)を展開。さらに、英国、ドイツなどヨーロッパ各地で絵画展を開いた。当時は水彩、油彩が多かった。
30歳のとき、ヤマガタは米国ロサンゼルスへ引っ越した。
西海岸で彼はアクリル画、シルクスクリーン作品を精力的に制作しはじめ、個展を開いて好評を得、全米各地のアート展覧会に参加しだした。
百色以上の多色刷りの、細密に描かれた、明るいファンタジックな風景画は米国人の心をつかみ、「ヒロ・ヤマガタ」の名声は急速に高まっていった。
ヤマガタは人類飛行200年記念、自由の女神100周年、アメリカ移民200周年など記念事業のポスターや、カルガリー冬季五輪、ソウル夏期五輪などの公式ポスターの依頼を受ける世界的作家となった。
21世紀に入ってからも、アフガニスタンのバーミヤーン遺跡で、破壊された石仏像をレーザー映像で復元するインスタレーションなど、レーザーを使ったさまざまなインスタレーションを世界各地で展開している世界的芸術家である。
ヤマガタは芸術活動とはべつに、慈善団体「ヤマガタ財団」を設立し、障害者のためのチャリティーイベントを開き、映画女優エリザベス・テイラーとともにエイズ患者のためのチャリティー活動を展開するなど、慈善事業にも力を入れてきた社会事業家でもある。

ヒロ・ヤマガタ作品は日本でも人気が高い。個性的で、ひと目見て、すぐに、
「あ、ヤマガタだ」
とわかる。色鮮やかで、細部まで描写が緻密である。見ていて、楽しい。
すくない色数と単純な構図でインパクトを創りだしたロイ・リキテンスタインやアンディ・ウォーホールらの初期のポップアートを、ていねいな職人芸を大事にする日本人の感性で展開、発展させた人、それがヤマガタだろう。それもこれも、逃げた恋人をヨーロッパまで追いかけていったところからはじまった人生の旅の行方だと思うと、感慨深いものがある。
(2015年5月30日)




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