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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

2月10日・島田洋七の革命

2018-02-10 | ビジネス
2月10日は、女性解放運動の旗手、平塚らいてうが生まれた日(1886年)だが、天才漫才師、島田洋七の誕生日でもある。伝説のお笑いコンビ「B&B」の洋七である。

島田洋七は、1950年、広島で生まれた。父親は原爆の被爆者で、洋七が2歳のときに原爆症により亡くなった。洋七には兄がいた。
6歳のころ、洋七は家族を離れてひとり、九州・佐賀に住む祖母のもとに預けられ、中学を卒業するまで祖母と暮らした。高校時代は広島ですごし、高校卒業後、佐賀にもどった。佐賀で知り合ったデパート勤務の女性と恋に落ち、20歳のときに東京へ駆け落ちした。歌手を目指したが、断念し、知人に誘われて大阪へ移った。
大阪で漫才を見て、急に芸人を志し、夫婦漫才の島田洋之介に弟子入り。
22歳のとき、お笑いコンビ「B&B」を結成。相方が2度変わった後、3代目の相方、島田洋八とコンビを組んでいた29歳のとき、東京へ移った。
「B&B」のロゴを胸に入れたおそろいのトレーナーを着、島田洋七が全やりとりの9割以上を一方的にマンシガンのようにしゃべりまくるという新しい漫才スタイルで、B&Bは絶大な人気を集めた。これと同じスタイルでツービート、紳助・竜介も頭角を現した。
B&B、ツービート、紳助・竜介は、1980年代はじめの漫才ブームを巻き起こし、漫才コンビ、お笑い芸人の社会的地位と報酬とを飛躍的に高めるのに貢献した。
33歳のとき、B&Bを解散。休養生活に入った。激務の反動でうつ症状におちいっていた。
約6年間の休養の後、タレント活動を再開。試行錯誤したが、ぱっとしなかった。
37歳のとき、佐賀での少年時代を回想した自伝『振り向けば哀しくもなく』を自費出版。
52歳のとき、同書のタイトルを『佐賀のがばいばあちゃん』に変え、いま一度自費出版。これがべつの出版社から文庫本化されて、大ベストセラーとなり、島田洋七のもとに全国から講演依頼が殺到した。親友のビートたけしが、
「漫才ばかである。洋七から漫才をとったらうそつき、うらぎり者、サギ師、へんたいなどしか残らない」(「新潮45別冊二月号 コマネチ!」平成10年2月)
と絶賛する漫才の天才である。

お笑い芸人全盛の現代では信じがたいけれど、1980年ごろまでは、お笑いや漫才は垢抜けない、貧乏くさい「すみっこにあるもの」だった。それを変えたのが1980年代はじめに起きた漫才ブームで、それを境にお笑い芸人のステイタスは飛躍的に上がり、日本の文化そのものも変質した。その功罪はべつにして、この大逆転を成し遂げた革命家が、ビートたけし、明石家さんま、島田紳助、そして島田洋七だった。

B&Bが登場したときの衝撃はすごかった。それまでの漫才にはない、若さとエネルギーに満ちていて、なにより明るかった。

かつて、ビートたけしが、講談社へ殴り込みにいき、警察に身柄を拘留されていたとき、ほかのタレントたちは見向きなしなかったところ、洋七だけは面会に行ったという。
(2018年2月10日)



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