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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月1日・阿木燿子の魅力

2022-05-01 | 映画
5月1日は、国際的な労働者の日「メーデー」。この日は作家、吉村昭が生まれた日(1927年)だが、作詞家の阿木燿子(あきようこ)の誕生日でもある。

阿木燿子は、1945年の敗戦直前、長野で生まれた。誕生時の本名は、福田広子。横浜で育ち、小中高と横浜の学校に通った。東京の明治大学に入学し、そこの軽音楽部に入部。そこで宇崎竜童(本名、木村修司)と知り合った。以前、テレビ番組で宇崎が語ったところによると、はじめて会ったとき、宇崎は彼女にこう声をかけたという。
「あのー、ぼくたち結婚することになっていると思うんですけど」
すると阿木燿子はこう答えた。
「そういうことにはなっていないはずですけど」
二人は熱烈な恋に落ち、彼女が26歳のときに結婚した。彼女は木村広子となった。
結婚の2年後、夫の宇崎は「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成。阿木は夫のバンドのために「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の歌詞を書いた。同曲は大ヒットし、歌詞の一節「あんたあの娘のなんなのさ」は当時、大流行した。そのほか「サクセス」「沖縄ベイ・ブルース」「身も心も」「裏切者の旅」をバンドに提供した彼女は、郷ひろみの「ハリウッド・スキャンダル」、キャンディーズの「微笑がえし」、中森明菜の「DESIRE」、水谷豊の「カリフォルニア・コネクション」、南こうせつの「夢一夜」などのヒット曲の詞も手がけた。そして、夫婦で山口百恵の全盛期を作った。
「横須賀ストーリー」
「夢先案内人」
「イミテイション・ゴールド」
「プレイバックPart2」
「絶体絶命」
「しなやかに歌って」
「ロックンロール・ウィドウ」
「さよならの向う側」
これらのヒット曲はすべて阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲である。
作詞家として活躍するほか、彼女はレストラン兼ライブハウスを経営し、女優として映画やテレビに出演し、みずから映画監督もこなし、プロデューサーとしてフラメンコと浄瑠璃をミックスさせた演劇の公演をおこなうなど、多方面に活躍している。
63歳のころには、彼女は「新タワー名称検討委員会」の委員となり、捨てられかけた案「東京スカイツリー」を引っ張り上げて最終候補に残した。これが一般投票でタワーの名称に選ばれた。

才媛。才色兼備。天が三物も四物も与えた美女。阿木燿子を讃えることばは多い。
「港のヨーコ」「身も心も」「プレイバックPart2」の歌詞は、何度聴いてもため息が漏れる名品である。ことばを組み合わせるセンスが抜群で、趣向がお洒落。そして、イメージ喚起力と、ことばの造形力が圧倒的である。

人気絶頂にあったころ、彼女ら夫婦はときどきバイクの二人乗りでツーリングにでかけていた。当時、雑誌の「危なくないですか?」との質問に、彼女はこう答えていた。
「のろけるわけじゃないんですけど、彼といっしょだったら、いつ死んでもいいんです」
いい女、というのは、いる。
(2022年5月1日)



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