1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

3月14日・クインシー・ジョーンズの気づき

2024-03-14 | 音楽
「ホワイトデイ」の3月14日は、円周率のゴロ合わせから「数学の日」。この日は、物理学者アルベルト・アインシュタインが生まれた日(1879年)だが、音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズの誕生日でもある。

クインシー・ディライト・ジョーンズ二世は、1933年、米国イリノイ州のシカゴで生まれた。父親は大工でセミプロの野球選手で、クインシーの祖母は解放奴隷だった。
子どものころから、母親の歌う宗教歌や、となりの娘が弾くジャズピアノといった音楽に囲まれて育ったクインシーは、家族で引っ越した先のワシントン州シアトルの高校に通っていたころからトランペットと編曲を勉強しだした。
14歳のころからバンドで演奏しだし、そのころ、3歳年上の盲目のピアニスメト、レイ・チャールズがクラブで演奏するのを聴き、刺激を受けた。
18歳のとき、マサチューセッツ州ボストンの音楽大学の奨学生の資格を得て入学したが、ライオネル・ハンプトンのジャズバンドから仕事のオファーを受けると、学業を放りだして、トランペッターとしてバンドといっしょに巡業旅行に出た。
クインシーはバンドマンとして米国内や欧州をツアーでまわったが、生活にはつねに困窮していた。彼はミュージシャンから、レコード会社の音楽ディレクターとなり「涙のバースデイ・パーティー」をはじめとするレスリー・ゴーアの4枚のミリオンセラーをプロデュースし、31歳のとき、マーキュリー・レコードの副社長に昇進した。当時、音楽業界ではアフリカ系アメリカ人がそんな高い地位に昇った例はまだなかった。
エグゼクティブとなったクインシーは映画音楽の制作に乗りだし、「質屋」「夜の大捜査線」「冷血」「マッケンナの黄金」「ゲッタウェイ」「カラーパープル」「ウィズ」といった映画音楽を手がけた。
ポップソングのジャンルでは、マイルス・デイヴィス、フランク・シナトラら大物アーティストのプロデュースを手がけ、48歳のときにはアルバム「愛のコリーダ」でみずから世界的ヒットを放った。これは、大島渚監督の同名映画にかけたディスコ・ミュージックである。マイケル・ジャクソンのアルバム「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」「バッド」をプロデュースし、52歳のとき、米国のスーパースターが一堂に会して歌った「ウィ・アー・ザ・ワールド」をプロデュースしたクインシー・ジョーンズは、米国音楽界に君臨する大御所である。

シドニー・ポワチエ主演の映画「夜の大捜査線」のエンディングは、レイ・チャールズが歌う「夜の熱気の中で(In the Heat of the Night)」が流れ、列車が高速で走り去っていく印象的なシーンだったが、あの映画の音楽監督がクインシー・ジョーンズである。
人種差別の激しかった米国で、黒人の地位向上に功績のあった黒人の功労者は、ジャッキー・ロビンソン、モハメッド・アリ、マイケル・ジャクソンなど、たくさんいるけれど、クインシー・ジョーンズもそのひとりである。彼は言っている。
「われわれは最高のジャズバンドだった。それでもなお、文字通り飢えていた。それで、気づいたのだ。世の中には音楽と、音楽ビジネスがあるのだと。生き残るためには、その二つのちがいについて学ばなくてはならないだろう。」
彼はちがいを学び、両方の分野でみごとな達成をおさめた。
(2024年3月14日)



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