1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月24日・ホフマンの不屈

2017-01-24 | 文学
1月24日は、1848年のこの日に米国の現在のカリフォルニア州コロマで、金が発見され、ゴールドラッシュがはじまった日だけれど、作家ホフマンの誕生日でもある。

エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマンは、1776年、プロイセン王国のケーニヒスベルクに生まれた。出身地は現在はロシア領となっている土地である。
法律家の家系に生まれたホフマンは、司法試験に合格し、裁判所の判事となった。転勤していった各地の法廷で、判事の仕事をこなしながら、絵画を描き、オペラを作曲した。
30歳のとき、彼は妻子とともにワルシャワにいたが、そこへフランスのナポレオン軍が進駐してきた。これによって、プロイセン行政府の役人はみな失職し、ホフマンもとうぜん失業した。ホフマンは、妻子を縁者のもとに残し、単身ベルリンへでたが、そこもまたナポレオンの支配下にあり、ホフマンの生活は困窮した。
一文なしの彼は、友人に借金を重ね、それでもしばしば飢え死にしそうになった。そして、妻のもとにいた娘が亡くなったという報せを受けたのもこのころだった。
人生のどん底にいた32歳のとき、彼は妻をともなってバンベルクへ引っ越し、そこで劇場の音楽指揮者の職についた。
33歳のとき、小説『騎士グルック』を発表し、これによってようやく運が開けてくる。
ホフマンは劇場の音楽の仕事のかたわら、文筆活動も活発におこなうようになり、彼のオペラの代表作「ウンディーネ」を作曲し、『黄金の壺』を書いた。
その後、音楽の仕事をやめたホフマンは、38歳のとき、ふたたび判事にもどった。
そうして、法律関係の官僚として働きながら著述もつづけ、1822年6月、ベルリンで没した。46歳だった。

ホフマンの人生は、彼の書いた小説のように幻想的で起伏に富んでいる。
13歳のとき起こったフランス革命のあおりで、社会状況が激変をつづけるなか、しょっちゅう失業し、無一文の絶望的な状況に追い込まれたこともあった。それでも、法律、音楽、また法律と業種を変えて働きながら、並行して旺盛な筆力でたくさんの作品を書き残した。
多才で、けっしてくじけない、前へ進む強い意志の人である。
ちなみに、ホフマンの名前にある「アマデウス」は、天才音楽家アマデウス・モーツァルトへのオマージュとして、ホフマン自身が自分で付け加えたものである。

若いころから幻想小説が好きで、泉鏡花はもちろん、渋沢龍彦とか、ハウプトマンとか、あるいは、このホフマンなどを読んでいた。
ホフマンだと『黄金の壺』『砂男』『スキュデリー嬢』『くるみ割り人形とねずみの王様』『ブランビラ姫』『牡猫ムルの人生観』などを読んだ。『牡猫ムルの人生観』を意識して、おそらく夏目漱石は『吾輩は猫である』を書いたのだろう。

ホフマン作品は、まず構想が奇想天外で、文章に、読者にページをめくらせる腕力のようなものが感じられる。小説に勢いがある。知人のドイツ文学の教授は『砂男』が好きだと言っていた。それと、やはり『黄金の壺』をおすすめしたい。
(2017年1月24日)



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