1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月6日・フランクリンの夢

2017-01-06 | 歴史と人生
1月6日は、ゴロで「色の日」。この日は発掘王ハインリッヒ・シュリーマン(1822年)が生まれた日が、ベンジャミン・フランクリンの誕生日でもある。米国の百ドル紙幣の人である。

ベンジャミン・フランクリンは、ユリウス暦1706年1月6日に、米国の現マサチューセッツ州のボストンに生まれた(現代のグレゴリオ暦だとすこし異なる)。まだ英国の植民地だった時代のアメリカ人、である。彼の家は、英国から移ってきたプロテスタントの家系で、末っ子の末っ子がつづいて5代目の家に彼は生まれた。父親は染物屋をやっていて、同時にロウソクや石けんも作っていた。ベンジャミンは17人兄弟の下から数えて3番目で、いちばん末の男の子、だった。
もの心がついたときにはすでに文字が読めたというフランクリンは、教育費を割けない家庭事情のため、10歳のころから、家業のロウソク、石けん作りを手伝わされた。
フランクリン自身は子どものころ、船乗りになりたい希望を抱いていたが、12歳のとき、父親に説得させられ、兄がやっている印刷工場に年季奉公する契約書に、いやいやサインさせられ、そこで働きだした。兄は新聞を発行しだし、利発なフランクリンは匿名の寄稿原稿を書いて、誰か見知らぬ人の投書のようにして兄の目にとまるようにしむけ、自分の文書をまんまと記事として新聞に載せたりしていた。
年季奉公からの脱出を願っていたフランクリンは、機会をとらえて契約解除し、なおも自分を束縛しようとする家族から、17歳のときに逃げだした。ニューヨーク経由でフィラデルフィアへ着いた。紹介状も頼るあてもない、わずかな所持金をポケットに入れての家出だったが、これがフランクリンの運命の扉を開く旅となった。
誠実で勤勉、やる気にあふれ、高い印刷技術をもった彼は、フィラデルフィアで印刷工として働きだし、ゆく先々で会った人と仲良くなり、多くの実力者のひきたてにあった。
18歳のとき、印刷機を買い入れるために英国ロンドンへ渡り、約1年半後、20歳でフィラデルフィアへ帰還。22歳で印刷業者として独立し、以後、パンフレットや本を書き、新聞にさまざまな文章を寄稿しながら、事業を発展させていった。
彼は図書館を作り、消防組合を作り、学術協会を作り、大学を作った。州会書記となり、郵便局長となり、州会議員となり、義勇軍の隊長となり、州会議長となり、独立宣言を起草し、1776年、70歳のときにアメリカの独立を宣言した。有名な凧上げの電気実験は、フィラデルフィア州会議員だった46歳のときである。米国独立戦争の後は、対英国の講和会議代表となってパリ講和条約で調印した後、1790年4月、フィラデルフィアで没した。84歳だった。米国では国葬、フランス国会も彼の死を悼み、3日の喪に服したという。

岩波文庫のフランクリンの自伝は愛読書である。明治時代の日本でよく読まれた本である。

裸一貫から立身出世し、建国の父となった躍動感に満ちた、おそるべき経歴で、フランクリンこそ「アメリカン・ドリームの教科書」である。彼の経歴は破天荒、自由奔放だけれど、フランクリン自身は一貫して勤勉で、倹約に努め、公徳心と誠実を尊ぶ地道な人物で、生涯を通じてつねに他人にも、勤勉と誠実をすすめた。彼は言っている。
「勤勉は幸運の母である」(Diligence is the mother of good luck.)
(2017年1月6日)


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