徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

大学時代の下宿の思い出

2009-05-14 05:48:25 | 私・家族・我が家・親戚
私が大学に入ったのは昭和52年?頃。
大学は兄貴と同じ大学だったので、
兄貴が入っていた下宿に私もお世話になることにした。
大学は1・2年が東横線沿線。
3・4年が山手線沿線にある大学でした。
さて、この下宿、
物価の差もあるけれど、
当時の中でも安い方、
と言うより、かなりおぞい下宿でした。
家賃は1ヶ月1万3千円。
4畳半。
トイレは共同使用(汲み取り式)。
2階に住んでいたからまだ良かったが、
汲み取り式は臭く、夏は最悪だった。
風呂なし。
炊事場も共同。
窓は桟をもって引っ張ると、桟が外れてしまうような窓。
友達が遊びにきて、
「あ!地震」と叫ぶときは、
たいてい前の道路をトラックが走っている時だった。
クーラーもなく、夏は蒸し風呂。
今考えると、よくあんな下宿で我慢したなあと思う。
当時はコンビニなんてほとんどなく、
ところどころにセブンイレブンが、
文字通り朝7時から夜11まで開店していたが、
私の下宿のそばにはなく、
どうやって生活していたか、
正直よく覚えていない。
当時吉野家は本当によくお世話になった。
自由が丘が我々の遊びの町だったが、
よく吉野家であった、駒澤大学の相撲部の学生は、
牛丼の大盛りとライスを頼んでいたのが新鮮だった。
(今のように特盛やメガ牛丼はなかった)
あるとき、吉野家が値上げしたのだが、
そんなこと忘れて、
マージャン帰りに、夜中の0時5分ごろ吉野家に行ったら、
ただ今から値上げされましたと言われて、
ものすごく悲しかったこと、今でも覚えている。
当時世の中にこんなおいしいものがあるのか?
そう思ったが、貧乏学生だったなあ。
今では吉野家よりすき家だが。

バイトはあんまりやらず、
中元歳暮時期に、
銀座三越のバイトで、晴海の配送センターでお手伝い。
これが確か1日約4千円弱?
時給は覚えていないが500円台前半?だった気がする。
一番割りが良かったのはテニスのコーチ。
2時間の指導で5000円。
時給2500円は本当にありがたかった。
もらったお金でテニスウェアを買ったなあ。

当時はエンゲル係数90%くらいだったのでは?
よく食ったよなあ。



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