ぽぉぽぉたんのお部屋

季節の移ろい、道ばたの草花、美味しい食べ物、映画や友人のこと、想いがいっぱいの毎日をお話します

「春がきたぁ」

2018-03-28 | 想いで
三寒四温は昔の話
地球がおかしくなってしまっている昨今はめちゃくちゃな天候に悩まされ

長雨の影響とこの冬の寒さで野菜の高騰がずっと続いていたが
海までもわかめの生育がおかしいという話を聞いたのもついこの間

暖かい日と寒い日がパズルのようにやってきて通り過ぎ
ずうっと桜もまだまだだわと思っていたのだ・・・

花いっぱいのお屋敷の淡いピンクのこぶしが
ちらほら咲きかけているのが遠めに見えてから数日

闇の中で酔眼で見た白モクレンは心なしか白っぽかったが
あっという間に花が次々開いたのだ

ちゃあんと春はやってくるんだねぇ~
言葉にならないそんな気持ちが抑えられなくて
何だかとても嬉しくなるんだから

花はすごいよね。
ちゃんと咲くときは咲くんだあ~
と何度も言葉にして足早に歩く

電車に乗り遅れないように


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はい!花粉症です~

2018-03-06 | きょうのできごと
今年、花粉症を感じたのは先月の9日
雪が多くて、寒い今年の冬なのに
なぜかあの日は目がムズムズかゆくなり始めたのだ・・・

そうして、今朝から本格的な花粉症が始まった。

昨日は雨だったのに
なぜに今朝から花粉症なんだろうと思いながらも
もう目がひずんでいる
目薬をさし、とりあえず鼻にも吸入してみる

先月から何となく右目の違和感がとれない

身近な家族がふたりもかかったインフルエンザBを
何とか、かわしてきたものの

花粉症はしょっぱなから強烈な感じで始まった

梅雨明け宣言から毎日雨が降り続いた昨夏だったから
かなり油断していたからなあ~

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「あの日のこと」  震災から七年

2018-03-01 | きょうのできごと
参加していたサークルが今年度で解散となる
時代の移り変わりの中で私たちの気持ちとは裏腹な通告だったが
仕方のないことだと思っている・・・

今までを振り返って語りあううちに、いつの間にか震災の時の話になった・・・

私が入会したのも震災後だったのだが、さらに後から入られた方がいて
順番に話していくうちに彼女の番になった。

いつも穏やかな彼女がとつとつと語りだした・・・

~年の離れた二人のお子さんを持つお母さん
小学生の妹さんと高校生のお姉ちゃんがいまだに本気で喧嘩するのだと笑っていらした~


震災の日、彼女は職場から車で家にむかったそうだ。
お子さんを必死に探したという
学童保育に預けている小学生のお子さんと
保育園にいるお子さんを探したという
でもすぐには会えなかった

学童に預けていた男の子がどこを探してもいなかった
どうしても見つからなかった
と、だんだん泣き声に変わながら話し続けた。
 
~大川小のことがある。
いまも裁判でもめている。
親としてあきらめきれないのだ~


彼女が「学童の先生も一人亡くなっているので誰も責められない」と言った。

それでもあの時、ああしてくれていればという思いは消えない
でもまさか津波が来るなんて、あんなに水が来るなんて、思わなかったのだろうとわかっている


保育園のお子さんも
体育館に入りこんできた水に流されまいと
必死にカーテンにしがみついて
自分のバッグを投げ出して子どもたちを掬ってくれた保母さんのおかげなのだという
命がけで子供を助けてくれたのだからと話した


そうして助かったその時2歳だったお子さんは
今も地震が怖くて恐ろしくて、一人にしておけないのだという


水に浸かった自宅を
必死で自分たちで泥を掻き出したそうだ
できる範囲の修繕をして今も住んでいると
遠慮がちに聞く私たちに答えてくれた

~Мさんが「うん、うん、随分大変な思いをしたんだね、本当に大変だったねえ」
と、何度も相槌をうった~


あの時
必死に探した男のお子さんはどうしても見つからなかった・・・

取りあえず連絡をしなくてはと
電話をするために入った体育館に
ふと気づくと遺体が並んでいたという

まさかと思ってそれらの遺体を見たらわが子の名前の書いてある名札を付けた遺体があった
名札がついていたからと繰り返した。

名札に現実を突きつけられた時の思いは私には到底、想像もできない

それからまもなくご主人は急性の潰瘍を起こししゃがみこんでしまったそうだ

設備がないといわれた病院で頼み込んですぐ手術を受けたという


ああ、この方は最初の自己紹介で
歳の離れた姉妹をもつと私たちに話してくれていた

そうしてやっと七年という月日と
このサークルのみんなとの出会いの中で
初めて真ん中にいた男のこの話をしてくれたのだ

今やっと、会の終わりが近づいて、心を開いてあの時の思いを話すことができるようになったのだなあと思った

どんなにか重くて辛い、苦しくて深い悲しみだったのだろう。
どこにも誰にも吐き出すこともできなかったのだ

ずっと自分は男の子をなくした母などではないと言い聞かせてきたのかもしれない
いまだに信じたくないできごとなのだから

もし生きていたら中学生なのだろうか、高校生なのだろうかと私は思ってしまうのだが
彼女にはそんな思いはないのかもしれない
おそらくあの時のまま止まってしまっているのかもしれない・・・


車ごと流されてやっと這い出して流れてきた屋根につかまり
ずぶ濡れのまま一夜を過ごした方も知っている
どんどん降ってきた雪と寒さといっぱいの星空と
たったひとり、何を思って一晩すごしたのだろう
彼女の人生も変わったはずだ

忙しさの中で忘れてしまっているような気がしていたが
本当は忘れられないあの日のできごと
それからの日々


七年目の三月がやってきた




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