私は経済学が嫌いである。低気圧があるから雨が降るなどと言う、気象予報士と大差ないからである。しかし、時には宇沢弘文のように金で換算できないもの、水や大地や環境などを社会共通資本と位置付け、経済原則から外すべきと主張する人が現れると、評価したくもなる。
ノーベル平和賞を断ったと言われる「モモ」で知られる、児童文学者ミヒャエル・エンデが「資本主義は成長し続けなければならない運命にある」と断じたのである。当時はは良く理解できなかった彼の言葉である。現在のアベノミクスに翻弄する『デフレ脱却』を命題にする、政治家や経済学者を見ていると良く解る。彼らは経済成長を主張する。しかし、インフレは同一貨幣域内の出来事でしかない。成長戦略は閉鎖空間でしか成り立たない。
経済成長をすることが資本主義は義務付けられている。誰が考えても無限に成長するのは、理論的出来るはずがない。
宇沢は、「20世紀は資本主義の横暴と、社会主義の幻想の世紀であった」と評価した。巷では、社会主義の敗北と資本主義(時には自由主義ともいう)の勝利と捉えられている。
現在の資本の横暴を許すことになっている。それがグローバリズムというものである。あるいはTPPに代表される、無関税制度である。
「資本主義の終焉と歴史の危機」水野和夫著集英社刊を、先輩ブログの紹介で購入した。水野氏の論理は明快である。詳細は省くが、骨子は資本主義は成長し続けなければ人々は納得しない。しかし、成長し続けるために空間が必要になる。即ち海外に出かけるわけであるが、彼は収奪とは表現しないが、結果的にそうなる。利潤を求めてる空間がある間は良いが、空間であったはずの後進国がこれに追いつくことになる。空間は閉鎖されることになる。中国は空間をアフリカなどの求めている。
資本は国家を越えて存在するようになる。それがグローバリズムなら、人々は幸福になるはずもない。
TPPはシステムであるが社会ではない。国家の集合体であるがシステムではない。
企業が国家に仕事ができないからと告発することができるというのが、ISD条項である。NAFTA(北米自由貿易機構)では実際に告発がなされている。すべてがアメリカ企業の告発で、ほとんど勝利している。まさしく資本が国家を超えるのである。
利益を求めて国境を越える資本であるが、空間は無限ではなく必ず行き詰ることになる。資本主義に代わるシステムを作らなければならないと水野氏は主張するが、結論内容は明快ではない。彼も模索の段階なのであろう。
TPPは資本の終焉と国家の崩壊と環境の破壊を起こす象徴的なシステムと言える。
ノーベル平和賞を断ったと言われる「モモ」で知られる、児童文学者ミヒャエル・エンデが「資本主義は成長し続けなければならない運命にある」と断じたのである。当時はは良く理解できなかった彼の言葉である。現在のアベノミクスに翻弄する『デフレ脱却』を命題にする、政治家や経済学者を見ていると良く解る。彼らは経済成長を主張する。しかし、インフレは同一貨幣域内の出来事でしかない。成長戦略は閉鎖空間でしか成り立たない。
経済成長をすることが資本主義は義務付けられている。誰が考えても無限に成長するのは、理論的出来るはずがない。
宇沢は、「20世紀は資本主義の横暴と、社会主義の幻想の世紀であった」と評価した。巷では、社会主義の敗北と資本主義(時には自由主義ともいう)の勝利と捉えられている。
現在の資本の横暴を許すことになっている。それがグローバリズムというものである。あるいはTPPに代表される、無関税制度である。
「資本主義の終焉と歴史の危機」水野和夫著集英社刊を、先輩ブログの紹介で購入した。水野氏の論理は明快である。詳細は省くが、骨子は資本主義は成長し続けなければ人々は納得しない。しかし、成長し続けるために空間が必要になる。即ち海外に出かけるわけであるが、彼は収奪とは表現しないが、結果的にそうなる。利潤を求めてる空間がある間は良いが、空間であったはずの後進国がこれに追いつくことになる。空間は閉鎖されることになる。中国は空間をアフリカなどの求めている。
資本は国家を越えて存在するようになる。それがグローバリズムなら、人々は幸福になるはずもない。
TPPはシステムであるが社会ではない。国家の集合体であるがシステムではない。
企業が国家に仕事ができないからと告発することができるというのが、ISD条項である。NAFTA(北米自由貿易機構)では実際に告発がなされている。すべてがアメリカ企業の告発で、ほとんど勝利している。まさしく資本が国家を超えるのである。
利益を求めて国境を越える資本であるが、空間は無限ではなく必ず行き詰ることになる。資本主義に代わるシステムを作らなければならないと水野氏は主張するが、結論内容は明快ではない。彼も模索の段階なのであろう。
TPPは資本の終焉と国家の崩壊と環境の破壊を起こす象徴的なシステムと言える。
全くその通りだと思います。このように企業のエゴを国益に優先させるような条約に理屈を付けて正当化する御用経済学者はもはや学者とは言えないでしょう。卑し過ぎます。現在もてはやされている経済学者の大半はこの手の御用学者であると感じています。
それに比して児童文学者ミヒャエル・エンデの洞察は鋭いし不快ですね。私も 『エンデの遺言』を読んで、そう感じました。
21世紀は望む望まざるに関らず、経済成長時代は終わり、脱成長路線にシフトするだろうと考えています。希望的推測でしょうか?
⇒ミヒャエル・エンデの洞察は鋭いし深いですね。
経済学者であるミヒャエル・エンデの洞察力を凌ぐ経済学者はなかなかいませんね。・・・と言うか、優れた経済学者に対しては世界の体制やマスコミが無視を決め込んでます。そして財界に媚を売る御用経済学者が蔓延ってノーベル賞等を貰ったりしています。そんなノーベル賞をエンデが辞退したと言うのも流石です。
×経済学者であるミヒャエル・エンデの洞察力を凌ぐ経済学者
→
○経済学者でないミヒャエル・エンデの洞察力を凌ぐ経済学者
以後書き込む前に一通り見直しします。失礼しました。
余談ですが、
私も経済学者は嫌いな輩が多いです。特にマスコミに多く顔を出している経済成長洗脳エコノミスト達は全部嫌いです。
ここのサイトの時事問題に対する批評は非常に優れていると感じます。これからどんどん参考にさせていただきます。よろしくお願いいたします。
質問ですが、
記事のタイトルの下の日付の後にある
不二家
とはどういう意味でしょうか?
もしかしたら外部ライターさんのHNとかでしょうか?