おがはまのつぶやき

ボケばばぁの独り言です。今後の老老介護ならぬ朗々介護目指し、
ボケ老人の扱い募集中です!

セロリ

2012-06-28 06:42:54 | Weblog
オクラとキャベツの苗に促進剤のオルトランを2回施して、なんと見るも無残な疲れ果てた姿です。立てよ歩めよと期待が先行してしまいました。夫婦の行き違いの狭間で、一番に被害にあった苗でした。友人のご主人はセロリが好きで、ポットに植えて水をかけて、大切に育てています。主人曰く、種が小さすぎて種を蒔く時は難儀したと笑っています。一つのマスに10本以上植えてる感じです。丈が2、3センチくらいに伸びています。友人と1本づつ離したら?と問いかけます。面倒くさくてと笑います。「じゃー、あそこに田植え方式で植えてみる?」と了解を頂いて植えました。2人の仕事の上がりは完全に違いがありました。わたしは「この世に芽を出したのに、、、と細いのも全部植えました。彼女はしっかり落ち着いた苗だけ植えました。見栄えは一目瞭然で、彼女のが見ていて気持ちが良かったです。性格がここにも出るなーと気落ちしました。でも、こっちにも報われるかもしれないと、早い立ち直りですが、いつもの負け組でしょう。うるうる、、、。素人のセロリ作りは、茎の筋が気になります。商品のように、茎が葉の付け根まで白く、みずみずしいのが羨ましいです。一面の臭いはどんな感じでしょう。オクラも地植えで追いつかせようとしたのですが、根切りか、もぐらのいたずらか、半分に減ってしまいました。毎年挑戦状を受け取るわたしです。それに右往左往して1年が過ぎていく感じです。家庭菜園は手を掛けた分、答えてくれるので「土」に感謝です。

農作業

2012-06-25 06:22:59 | Weblog
畑に通いだして3か月近くになりました。植える段取りで毎年悩む所です。じゃがいもは連作出来ないので、場所が決まれば少しづつ植えられて埋まって行きます。今年は腰を痛めたので、培養土で野菜の苗を植えましたが、結果的に失敗しました。欲を出してお世話しすぎてしまいました。そして今年は助っ人を名乗ってくれた人がいて助かりました。彼女は津波で被災して1軒家を借りています。家の中でいつも同じ顔を見ているより、体を動かしていた方が落ち着くと、我が家の畑の草取りを小まめに手伝ってくれます。じゃがいもとまめとねぎを植えてあげました。お花畑も小さく仕切ってお世話をして頂いて有難いです。もう1人は友人のご主人で、友人とのお話から御主人が畑仕事をすることになりました。一度もクワを持たなかった人が、スコップと三角の土寄せ型で、草1本なく手入れして見事な出来栄えです。午前と午後、水をポリタンクに入れて、バイクで両側に付けて畑へ通って来ます。4人が集まると面白い話がでて賑やかです。弟からねぎを貰って植える時のことです。彼女にひと畝植えて、倍の長さの我が家に植えた時、彼が土を掛けてくれました。手伝ったら半分は貰えるかも、、、と言うので4人で大笑いです。いつの間にか共同体に近い4人組になっていました。今年も折り返し地点になり、収穫だけが楽しみになります。今はさやえんどうや山東菜です。キャベツとオクラときゅうりは苗作りで失敗しましたが、ますます4人のパワーは、収穫を夢見て通うのでした。

いとこ

2012-06-21 06:36:16 | Weblog
この頃はいとこにお見舞いしたり、亡くなったりと続けて3件ありました。父方、母方と範囲が広くなります。久々に出かけると、悲しくも懐かしい出逢いがあります。いとことは人との関わりあいの元となる気がするのです。立場が近いことを良いことに、大目に見て頂いて話しは弾みます。従兄に「おばあさんお元気ですか?」「元気で、デイサービスに行ってる、大人揃いで咳払いばかりしているようなもんだ」と相変わらず笑いを誘います。女性の表現の仕方と違って、パッケージの中に「核家族の濃縮サイズ」が透けて見えて感心しました。誰もが経験するパッケージを上手く表現していて言わずとも、、、です。老いの坂は看られるより看る方が良いの答えがでるまで、誰もが「忍」を強いられるような気がしました。いとこ達の年齢となると年が近いです。見送る側にいると、その年までもう目の前に居ることに気が付きました。だんだんと近づいて来る老いの坂を、見て見ぬふりをして明日の希望を探す自分がいます。一生は一瞬と聞いたことがあります。ただ流されるより、その日まで楽しむ!これに限ります。出かけて行って刺激を貰って来ました。そして、明日への階段登る~です。現役の進行形が理想に思えました。

思い出話

2012-06-17 06:48:01 | Weblog
兄弟が揃うと、知らなかった話も出てきます。兄が「これら一番の悪がきだったなー」と仕切りたがります。下から2人はビニールが出始まった頃に、石をぶつけて穴をあけたり、田んぼへ水引きで隣に行かないように操作したりと笑うしかありません。いつも2人は一緒にいたのは知っていましたが、時効なのでみんなで大笑いです。その頃は今の時代と違って、水引は競争で小まめに止めたり、外したりとどこでも水けんかがあったS30年代の話です。弟達は水かけを外されないように近くの桑の木に登って見ていたのです。知らないで外しに来たのですが、遊び友達なので木の上で小さく笑ったのでした。「なんだ、居たのが」と言って外されたのですが、すぐ降りて水の流れを止めたそうです。今の時代は水けんかはないでしょう。約50年も前の話です。わたしもここに嫁いで同じ話を聞いたことがあります。今は85歳のおばあさんですが、一人娘で10歳の頃に水かけの時期となると、田んぼで暖をとって見張りをしたと評判だったのです。百姓の見本の姿で、田畑に草は1本もなく畝たても滑らかに乗せて上手です。土と向き合う姿勢は立派で利口なおばあさんです。わたしの幼い頃の思い出は、隣の子が「ばたんきょ(プラム)」を取りに来たのを、家の前で見ていた記憶が蘇りました。食べる物がなく、木の生り物がおやつだったので、今でも大好物です。人家の少ない集落で、大人になってお会いした暁には、何事もなく暮らしたようにただ、懐かしくお話しをしています。いつかその頃の人達とお会いして、昔話をしてみたくなりました。

退職祝い

2012-06-13 07:22:49 | Weblog
わたしは6人兄弟で、10年で6人生まれています。兄が70歳で末っ子は60歳で最後の定年退職になりました。2番と3番目が女の子でわたしが3番目です。同伴10人で、3男が幹事で末のお祝い会を花巻の温泉で盛大に行いました。2時集合でしたが、主賓の次男が結婚したので、11時から実家でお食事会となりました。若いお二人は、初々しくて羨ましい限りです。ケーキの入刀式もありますし、花束贈呈、祝辞もありますし、お礼の言葉もあって、兄弟手作りのお振舞いで盛り上がります。中学生に集合写真をお願いして、わいわい、がやがやと笑いが絶えません。2時に出発して、新幹線で来る姉を待ちます。適度な高さのコンクリートに男5人が座っています。先ほどの若い新婚さんと違って、、60過ぎたる5人は、神様から一人ずつお荷物を与えられて、頑張って来た姿にお年を感じさせます。それぞれに巣立って50年!。並んだ姿に醸し出された雰囲気は、わたしの心にじーんと伝わるものがありました。姉と合流して6時半から祝賀会となりました。一人ひとりの思いを披露します。主賓の弟は国家公務員を定年退職し、婿先の仕事である「漁師」で養殖の道を選びました。カキとかホタテです。もう海の男らしく日焼けしています。山で育って海の仕事ですから、遠回りで大変でしょうが、「師匠」は御舅さんで、ロープの結び方から教えられているそうです。おじいさんが65歳で船を買ったので、自分もその年で船を新しくして、みなさんを呼んで、ご披露すると、将来を見据えています。息子もその姿を見て、同じ目標が受け継がれるだろうと、家族の在り方を教わりました。それぞれの立場を理解して聞きました。わたしは立派に言えずとも、聞いてくれるのは兄弟ですから嬉しいです。昔の話や思いで話であっという間に時間が過ぎて行きました。記念品は番屋で聞く「ラジオ」と家を守って頂いた義妹にはキッチンカッターです。3世代同居ですが、ほどほどの干渉と自由と信頼があれば心配ありません。弟がされたように、するんだと安心しています。2次会は1時間のカラオケです。3次会は男組の部屋ですが、女性群はお風呂に入って、寝てしまいました。迎えに来ましたが、応じられません。もう、そんな元気はないお年になってしまいました(笑)。純粋に人の流れに沿うようです。ひとつの時代の区切りに打ち止めで、再出発の帰路に歩きだしました。

後で、、、、は失敗

2012-06-07 06:29:17 | Weblog
「思いついたら、すぐ行動」わたしには、これが欠乏しています。これが終わったらとか、行って来てからとかで失敗をするのです。診療所から午後に電話があり、「今日が予約の日です」と優しい声が聞こえます。朝に薬を見てそろそろ、、、と思ったのですが、3か月に1回の予約のことは頭からありません。後で確認をと思いつつ、忘れていました。電話が来て急いで出かけますが、途中で保険証の袋を忘れたことに気が付き、これ以上の恥の上乗せをしたくないと、50mくらいで戻って来ました。いつも、夢でこの光景を見ていて、1日が終わってしまうのです。今度は現実か?と不安になります。じいさまはアルバイトに行っていませんので、腰に負担がかかるとタクシーで行きました。運転手さんに「笑われるからここの別れ道でいいです」「いいから玄関まであばえ」「いえいえ、、、」と笑いました。帰り道は歩いて帰りました。友人とばったり出会い、コーヒーブレイクに誘われました。そのことを言ったら友人は「わたしの方がもっとひどいよ」と笑っています。彼女はバスで友人とお見舞いに行き、帰ってきて「そばをごちそうするから」とお店で押し問答をして、大風呂敷を広げた挙句に、いざ!支払いと財布を開けたら、2人分には足りなかったのだそうです。何となく安心を頂いた気持ちになりました。でも、彼女は次の日に弔辞のお言葉を言うのはおくびにも出さず、感服です。帰ってからすぐにカレンダーに予定日に○を付けて、「診療所」と書き込みました。後で、、、はもう駄目になってしまいました。

黄色いちょうちょ

2012-06-03 06:31:49 | Weblog
友人夫婦と国定公園の山へ、つつじのお花見会を楽しんで来ました。彼女は5年前から車イスになり、ご主人の付添い介助は不可欠です。入院やリハビリをしてここまで回復されました。我が家はじいさまとモモの参加です。1週間前にお伺いした時は、デイサービスに行って留守でしたから、前の日に電話がありお花見となりました。お弁当買って待っておりましたが、10時半になっても来ません。じいさまの聞き違いか?と電話を掛けてみると、まだ家なのでした。今から出ますと言うので頂上の駐車場で待ち合わせです。7年くらい前に同級生4夫婦で、東屋でお弁当を食べた時に、目の前の木の枝で、「うぐいす」が何度も鳴いて姿も見えます。わたしは一生、その感動を忘れられません。又の奇跡をと欲張りましたが、遊歩道で登り坂で車イスでは行けませんでした。なんたって老々介護になるつつあります。無理と知って下にある広場に行きました。遮るものもなく、丁寧に石のテーブルとイスが3組あります。お弁当を広げて、青空にも恵まれえて心地良いです。野原には黄色いちょうちょが、戯れるように3羽飛んでいて、見ていて飽きません。彼女は自分から言葉を発せられませんが、先に頭出しをしてあげると、言葉が少し出てきます。ふたりで「ちょうちょ」を歌いました。音楽の先生をしていましたから得意です。わたしを頼りに最後まで歌い上げました。この前は「うぐいす」で今度は「ちょうちょ」と不思議なご縁に感じました。写真もとってご機嫌です。幼いころから優しくて謙虚で、誰からも憧れの存在でした。まだまだ元気でいて欲しいし、夫婦の絆も深く安心していますが、わたしと前のようにじっくり話ができたらなーと、また、欲が出てしまいました。