仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

たがや / 桂三木助(五代目)

2021年11月28日 | エンタメ
落語『たがや桂三木助(五代目)。
噺は、「江戸っ子が待っていた両国の川開き。両国橋の上は花火見物の人でごったがえしていたが、本所方向から旗本の一行が、"寄れ!! 寄れいっ!!" と強引に渡ろうとしていた。反対側の広小路方向からは大きな道具箱を担いだ "たがや" が、"いけねぇ川開きだ。えれえことしちゃったなぁ" と思いながらも、引き返すこともできず、そのまま通ろうとしていた。そのうち、あちこちから押された拍子で勢いよく侍の前に飛び出してしまい・・・」という内容。
この噺は随分と古くて、江戸時代から高座にかけられていたのだという。
そして、士農工商の階級が存在した江戸時代は、道路の真ん中、全体の七割が武士が歩く領域で、残りの端の三割を他の階級の人達がが歩いたのだという。
ちなみに落語家さん達は、さらに端にあるどぶの中を・・・ということらしい。
(^。^)
さて、演者の五代目桂三木助師匠は、三代目桂三木助(1903年~1961年)師匠が祖父で、四代目桂三木助(1957年~2001年)師匠が叔父とのことだが、入門の際には二人共すでに他界していたので、十一代目金原亭馬生師匠に弟子入りしたとのことだが、関係性を考えれば小さん師匠のところではなかったのかなぁと考えてしまう。
(^_^;)
平成29(2017)年に真打に昇進し際、やはり祖父が名乗っていた桂三木男から桂三木助に変更したようだ。
四代目は早くに残念なことになってしまったので、先代の分までも活躍を期待するのである。

鮑熨斗 / 鈴々舎馬るこ

2018年05月26日 | エンタメ
落語『鮑熨斗(あわびのし)』 鈴々舎馬るこ
噺は、「腹をすかして家に帰り、"何か食わしてくれ"と言う甚兵衛だが、米がない。女房のおみつに言われたとおり、隣の山田さんに借りた五十銭で魚屋に尾頭付きを買いに行った甚兵衛だったが、鯛の尾頭付きは五円もするので買えない。それじゃと勧められた鮑を買い、それを鮑好きの大家の所へ若旦那の婚礼祝いとして持って行くのだが・・・」という内容。
信用がなくてお金を貸してもらえない甚兵衛だが、女房の名前を出すと「一円かい?五円かい?」と聞かれる。
これには甚兵衛さんも憤慨したものの、本人に信用がないんだから仕方がないことだ。
(^_^;)
おみつが考えた作戦は、この日に嫁を迎えるという若旦那のお祝いに尾頭付きを持って行き、お返しにくれるだろう一円をあてにするというものだったが、甚兵衛が尾頭付きを手に入れられなかったことで、はじめから作戦が狂ってしまった。
しかし、ここで作戦の変更をせずに突っ走るのが面白いところで、口上さえしっかり言うことができれば何とかなるだろうと踏んだのだろう。
まぁ甚兵衛にしてみれば、何から何まで女房の言う通りにしてるだけなので、何も分っていなかったのだろうが。
(^。^)
さて、演者の鈴々舎馬るこ師匠は、同じ日に(十一代目金原亭馬生師匠に)入門した桂三木助(五代目)師匠より香盤が一つ上だったことから、真打昇進が半年早かったのだという。
落語協会の事務局が履歴書を受け取った順で香盤が決まるとも話されていたが、この辺りの真偽のほどが定かでないエピソードも面白い。
(^_^)

景清 / 金原亭馬治

2017年12月22日 | エンタメ
落語『景清金原亭馬治
噺は、「目が見えなくなってしまった腕の良い木彫り職人・定次郎は、医者にも見放されてしまった。友人の勧めで、霊験あらたかといわれる赤坂の円通寺に21日間通い、一心不乱に願掛けしたものの願いは叶わなかったと近所の旦那に話したところ、清水観音堂の観音様にすがってみたらどうかと言われ、その日から雨の日も風の日も100日間毎日通い続けた。そして満願叶うはずの100日目に・・・」という内容。
これは上方の演題が江戸落語に伝えられたものだという。
能や歌舞伎といった古典芸能には、"景清もの"と呼ばれる藤原景清(?~1196年)が登場する演目が多数あるようで、上方落語の『景清』は、平家に仕えた景清が「源氏の世の中は見たくない」と自らの目をえぐり、京都・清水寺に奉納したという伝説を基にした噺らしいが、それが江戸落語となったこの噺は、"京都・清水寺を模した清水観音堂"を舞台にしているところが何ともこじつけ。
(^。^)
この物語に登場する定次郎は、とても負けず嫌いな性格のようで、家を通り過ぎたよと言われても「歌の文句の途中だったから歌い終わってから引き返そうと思った」と返し、白い犬だと聞いても「墨で塗れば黒くなる」と強情を張る、何とも困ったやつだ。
(^_^;)
そういう面倒くさい男が、たった今からでも神仏にすがりに行くと言うのだから、定次郎はよほど絶望の淵に立たされていたということなのだろう。
演者の金原亭馬治師匠は十一代目金原亭馬生門下。
2015(平成27)に真打昇進を果たしたという若手の落語家さんのようだ。
これからどんどん活躍されていくのだろう。
(^_^)

文違い / 五街道雲助(六代目)

2017年12月10日 | エンタメ
落語『文違い五街道雲助(六代目)。
噺は、「新宿。飯盛女のお杉は、育ての親との縁切りに二十両が必要だと常連客の半七に泣きついたが、半七は全部を用立てできなかった。そこで角蔵という客には、病気の母親に御種人参を飲ませたいが二十両もすると言い、十五両をせしめた。しかしお杉が必要な二十両とは、芳次郎から目の治療に必要だと無心された金だった。用立てできた金を芳次郎に渡したお杉だったが、金を受け取った芳次郎はゆっくりすることなくすぐに帰ってしまう。芳次郎が部屋に落としていった文を見つけ、それを読んでしまったお杉は・・・」という内容。
半七には年季が明けたら夫婦になると言っているらしいお杉は、角蔵にも同じことを言っている。
そして、その男の前では「この人はうわべは野暮に見せておいて、芯は粋なんだよ」と周りに向かって誉め、影では「あん畜生が来たのかい」などと散々な言い様をする。
遊びにくる男達からどんどん金を引き出そうと考える女というのは、そういうものなのだろう。
とはいえ、人間の考えることなど皆一緒なので、悪だくみというのはそうそう上手くは行かないのである。
(^_^;)
さて、当代の五街道雲助師匠は六代目ということになっているらしいが、実のところ何代目なのかは不明らしい。
まぁ、"由緒正しい雲助"というのもおかしな話なので、師匠の十代目金原亭馬生(1928年~1982年)も何代目かという辺りは拘らなかったのだろうか。
ただ、雲助師匠は2016(平成28)年に紫綬褒章を受賞しているらしいので、五街道雲助という名は、これから"由緒正しい雲助"になっていくのかもしれない。
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目黒の秋刀魚 / 春風亭一朝

2017年12月06日 | エンタメ
落語『目黒の秋刀魚春風亭一朝
噺は、「秋。殿様が目黒まで遠乗りに出掛けたが、突然のことだったので供の者は弁当を持ってきていなかった。辺りは田園風景ばかりで何もない。一同が腹をすかせているところに、どこからか、煙と共に旨そうな匂いが漂ってくる。"あれは何の匂いか"と聞くお殿さま。家来が、"秋刀魚という下魚でございます。高貴なお殿さまが口に召すものではございません"と答えたものの、百姓が"隠亡焼き"にした十匹の秋刀魚をすべてたいらげてしまい・・・」という内容。
"隠亡焼き"とは、網を使わず、真っ赤になった炭の火の中に直接秋刀魚を突っ込んで焼くという焼き方のことらしく、これが一番美味しいのだとか。
魚は鯛しか食べたことがないという殿さまが初めて食べた秋刀魚がこれだったのだから、その美味しさによほど驚いたはずだ。
あまりの美味しさから家来には分け与えず、全部一人で食べてしまい、これには家来衆もガッカリしたということだが、その際の上目遣いの演技が何とも雰囲気が出ていて良かった。
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「いっちょう懸命頑張ります」と言う春風亭一朝師匠は、五代目春風亭柳朝(1929年~1991年)師匠の弟子。
東京都の出身ということもあって、テレビドラマの江戸ことば指導を行なったこともあるらしい。
さて、枕では、かつて落語協会で行われていたという"真打昇進試験"のことを話されていた。
落語協会柳家小さん会長の自宅道場につくられた即席の高座で、五代目柳家小さん(1915年~2002年)師匠、三代目三遊亭円歌(1929年~2017年)師匠、四代目三遊亭金馬師匠、十代目金原亭馬生(1928年~1982年)師匠、五代目春風亭柳朝(1929年~1991年)師匠、古今亭志ん朝(1938年~2001年)師匠、七代目立川談志(1936年~2011年)師匠、五代目三遊亭圓楽(1932年~2009年)師匠、十代目柳家小三治師匠といった名人たちを前にして一席やらされたのだという。
「誰も笑わない。噺を直されたやつもいる」というような興味深い話で、これも面白かった。
(^_^)