仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

粗忽長屋 / 柳家小三治(十代目)

2019年01月04日 | エンタメ
落語『粗忽長屋柳家小三治(十代目)。
噺は、「浅草観音詣での帰り。何の人だかりだろうと、何人もの股ぐらをくぐって一番前に出た八五郎。身元不明の行き倒れの死体を見せられ、これは隣に住んでいる兄弟同様の熊五郎だと証言する。あいつは今朝もぼんやり考え込んでいたと話すと、この死体はゆうべから倒れていたから、それは別人だと言われたので、それじゃ本人を連れてくるからと長屋に帰るのだが・・・」という内容。
何とも間抜けな噺だ。
(^。^)
枕では、粗忽には二種類あって、マメな粗忽とズボラな粗忽があると話されていた小三治師匠だが、さて、この噺に登場する八五郎と熊五郎はどっちだろうかと考えた。
八五郎はマメな粗忽者で、熊五郎がズボラな粗忽者のような気がするのだが、どうだろうか。
(^_^)

八五郎出世 / 柳亭市馬(四代目)

2018年10月12日 | エンタメ
落語『八五郎出世柳亭市馬(四代目)。
噺は、「大家に呼ばれた八五郎は、赤井御門守のお屋敷に奉公に上がっている妹のお鶴が世継ぎを産んだと聞かされた。さらにそのお屋敷にも呼ばれてしまった八五郎は、大家に着物と履き物を借りて、お屋敷では丁寧な言葉を使いなさいと助言を受けて送り出されるのだった。丸の内の屋敷に着いた八五郎は、側用人・田中三太夫に御前まで案内されたのだが・・・」という内容。
八五郎はとにかく言葉が汚いので、大家から「言葉の頭に"お"を付けて、言葉尻には"ござる"か、"奉る"と付けておきなさい」と言われたのだが、使い慣れない言葉を使っているうちに自分でも何を話しているのか分からなくなってくるのが面白い。
友達と話すようにしてもいいと言われて、あぐらをかいて、いつもの調子で話し始めるのだが、「殿様、お互い見栄の張りっこはやめましょうよ」と、すっかり酔っぱらってしまって言いたい放題だ。
何も分からないというのはホントに幸せなことだ。
(^。^)
枕では、「落語家は真打ちを目指していろいろ辛抱をいたしますが・・・」というような話をされていた市馬師匠だが、真打昇進は1993(平成5)年。
2014(平成26)年からは、柳家小三治師匠の後を継いで落語協会の会長職に就いている。
落語家は真打になると師匠と呼ばれるようだが、今は師匠ではなく会長と呼ばれているのだろうか。
(^_^)

お化け長屋 / 柳家小三治(十代目)

2018年05月14日 | エンタメ
落語『お化け長屋柳家小三治(十代目)。
噺は、「とある長屋。空いている店が物置代わりに使われていることに怒り心頭の家主だが、長屋の連中はそこが埋まってしまうと不便になるので、長屋の古狸と呼ばれる杢兵衛が源さんと協力し、店を借りにくる人間を追い払うことにした。そこへ早速気の弱そうな男が訪ねてきて・・・」という内容。
杢兵衛が古狸と呼ばれているのは長屋に十九年住み続けているからで、近所の連中からはそれなりに頼りに思われているようでもあるのだが、とはいえ、実際に頼りになるかどうかは別の話。
(^_^;)
店賃の払いが四ヶ月分滞っているものだから、やはり家主を前にしては何も言えない。
そこで、見えない所で画策しようというわけだ。
貸家は二畳、四畳半、六畳、小さな庭、縁側が付いていて、陽当たりも良いという。
なかなか良い物件なのか、それなりに問い合わせる人がやってくる。
それを次々に追い返そうというのだから、実は酷い話なのだった。
(^。^)
演者の柳家小三治師匠は、この噺の枕で先代林家正蔵(八代目/1895年~1982年)師匠の怪談話における舞台効果の演出について話されていた。
30~40年ほど前のことらしく、今はやっていないのだろうが、なかなかに面白そうなことをしていたようだ。
(^_^)

時そば / 柳家小三治(十代目)

2018年01月30日 | エンタメ
落語『時そば柳家小三治(十代目)。
噺は、「寒い夜。一人の男が二八そばの屋台を呼び止める。"しっぽこを熱くしてもらおうかな。いやぁ寒いなぁ"、"お寒うございますね"と始まって、短い世間話のうちに早速出される熱いそば。食べながらも男の話は止まらない。しかも、すべてがこのそば屋をベタ褒めする言葉で、美味しそうに食べては、お代を払ってすっといなくなった。実は近くに、その様子をじっと眺めている一人の男がいたのだが・・・」という内容。
"しっぽこ"というそばは落語でしか聞くことがない名前だが、いろいろと具が入ったものをいうのだそうで、"五目そば"の類いのように思う。
また、江戸時代の屋台のそば屋は風鈴を吊るし、♪ちりーん♪ちりーん♪と鳴らしながら歩いていたのだそうだが、現代と違って、深夜ともなればほとんど物音が聞こえてこないほどに静かではなかったかと思うので、凍り付いたかのような冬の夜空の下だと、風鈴の音とはいえ充分に辺りに響き渡ったのかもしれない。
「折角出てきたんですから、お茶でも一杯」と、高座に座って早速お茶を飲む小三治師匠。
さすが余裕だ。
(^_^)
この噺の枕では、"古い一万円札"、"納豆"、"玉子"、"唐辛子売り"のことを話されていて、"小三治師匠といえば枕"であるのだが、(仁左衛門的には)もうひとつ、"小三治師匠といえばサマータイム"である。
その昔、小三治師匠はFMラジオで(確か土曜日の夕方5時から)1時間の音楽番組のパーソナリティーをしていた時期(1980年代中頃)があったのだが、夏になると毎年必ず、ジャズのスタンダードナンバーである♪サマータイム♪をかけていた。
いろいろな人が歌う♪サマータイム♪を1時間ずっと、いや、1か月間ずっとである。
この番組が好きで、毎週(留守録して)かかさず聞いていたものだ。
なんとも懐かしい。
(^。^)
2014(平成26)年には、五代目柳家小さん(1915年~2002年)師匠と同じく、(師弟共に)いわゆる"人間国宝"に認定されている(重要無形文化財保持者)のだから、何とも凄い。

目黒の秋刀魚 / 春風亭一朝

2017年12月06日 | エンタメ
落語『目黒の秋刀魚春風亭一朝
噺は、「秋。殿様が目黒まで遠乗りに出掛けたが、突然のことだったので供の者は弁当を持ってきていなかった。辺りは田園風景ばかりで何もない。一同が腹をすかせているところに、どこからか、煙と共に旨そうな匂いが漂ってくる。"あれは何の匂いか"と聞くお殿さま。家来が、"秋刀魚という下魚でございます。高貴なお殿さまが口に召すものではございません"と答えたものの、百姓が"隠亡焼き"にした十匹の秋刀魚をすべてたいらげてしまい・・・」という内容。
"隠亡焼き"とは、網を使わず、真っ赤になった炭の火の中に直接秋刀魚を突っ込んで焼くという焼き方のことらしく、これが一番美味しいのだとか。
魚は鯛しか食べたことがないという殿さまが初めて食べた秋刀魚がこれだったのだから、その美味しさによほど驚いたはずだ。
あまりの美味しさから家来には分け与えず、全部一人で食べてしまい、これには家来衆もガッカリしたということだが、その際の上目遣いの演技が何とも雰囲気が出ていて良かった。
(^。^)
「いっちょう懸命頑張ります」と言う春風亭一朝師匠は、五代目春風亭柳朝(1929年~1991年)師匠の弟子。
東京都の出身ということもあって、テレビドラマの江戸ことば指導を行なったこともあるらしい。
さて、枕では、かつて落語協会で行われていたという"真打昇進試験"のことを話されていた。
落語協会柳家小さん会長の自宅道場につくられた即席の高座で、五代目柳家小さん(1915年~2002年)師匠、三代目三遊亭円歌(1929年~2017年)師匠、四代目三遊亭金馬師匠、十代目金原亭馬生(1928年~1982年)師匠、五代目春風亭柳朝(1929年~1991年)師匠、古今亭志ん朝(1938年~2001年)師匠、七代目立川談志(1936年~2011年)師匠、五代目三遊亭圓楽(1932年~2009年)師匠、十代目柳家小三治師匠といった名人たちを前にして一席やらされたのだという。
「誰も笑わない。噺を直されたやつもいる」というような興味深い話で、これも面白かった。
(^_^)

山崎屋 / 柳家さん喬

2017年11月02日 | エンタメ
落語『山崎屋柳家さん喬
噺は、「江戸時代。日本橋横山町のべっこう問屋・山崎屋。道楽者の若旦那・徳三郎は、吉原の花魁(おいらん)に入れあげて幾度となく店の金をごまかしていたが、ある日、番頭に三十両融通してくれと頼む。番頭が隣町に女を囲っていることを知っていた徳三郎は、脅すようにして話を進めようとしたが、番頭は花魁と所帯を持ちたいという徳三郎の気持ちを確認し、一緒になれる策があるからと、逆にとある話を持ち掛け・・・」という内容。
11歳の時に奉公にあがったという番頭は、「私は女の人が大嫌いで、傍に寄せたこともありません。女のお客さんが来た時には若い者に任せるくらいですよ」と言うが、"堅物で通っている"という自己申告とは裏腹な実態が明らかになってくると、徳三郎の口から出る言葉が、「お前は野暮だねぇ」から、「お前は悪党だねぇ」に変わっていって面白い。
(^。^)
江戸幕府の時代は、1603(慶長8)年から1868(慶応4/明治元)年まで265年間もあるので、その間の貨幣価値は随分と変わったのだろうが、この噺の頃の"一両"は平成時代の10万円くらいの価値なのだそうで、花魁と一晩遊ぶために必要だった金額の"三分"とは、7万5,000円ほどだったようだ。
それを一晩で使ってしまうのだから、若旦那とはいえ、それを何度ともなると、店の金をごまかすにも限度があったわけだ。
(^_^;)
演者の柳家さん喬師匠は、人間国宝となった五代目柳家小さん(1915年~2002年)師匠門下で、七代目立川談志(1936年~2011年)師匠、十代目柳家小三治師匠、十代目鈴々舎馬風師匠、九代目入船亭扇橋(1931年~2015年)師匠などの弟弟子。
この噺も、さん喬師匠のその穏やかな語り口にどんどんと物語に引き込まれていく。
若旦那が戸を開ける時の"ガラガラガラ"という音と、お妾さんが戸を開ける時の"カラカラカラ"という擬音の使い分けなど、その言葉から場面が想像できて楽しく聞けたのだった。
(^_^)