仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

ぞろぞろ / 蜃気楼龍玉(三代目)

2021年09月05日 | エンタメ
落語『ぞろぞろ』蜃気楼龍玉(三代目)。
噺は、「浅草観音の裏の田んぼの真ん中に、小さな古びた稲荷神社と、老夫婦が経営する寂れた一軒の茶店があった。ある日、お詣りに出掛けたお爺さん。道端に倒れていたのぼりを拾い上げてお稲荷さんに届けてみると・・・」という内容。
お爺さんが戻って間もなく雨が降り出すと、お婆さんは「早速ご利益ですよ。お爺さんがお詣りしなかったらもっと早くに降り出してましたよ」と言う。
このお婆さんはなかなかに前向きな人のようだ。
「つまらねぇご利益だなぁ」と呟いたお爺さんだったものの、直後のお客さんが七年前からの売れ残りのわらじを買ってくれたり、次々にわらじを買い求める客が現れるのだった。
何だか、どこかに伝わる民話のような噺だが面白い。
(^_^)
さて、演者の蜃気楼龍玉師匠は、五街道雲助師匠の弟子。
芸歴二十周年記念の際に作られた手拭いには、玉を握っている大きな龍が描かれていたようだ。
さすがドラゴンボール。

大山詣り / 五街道雲助(六代目)

2019年01月28日 | エンタメ
落語『大山詣り五街道雲助(六代目)。
噺は、「恒例の大山詣りの時期が近づいて来たので先達さんの家に長屋の連中が集まった。男連中がみんな出掛けてしまって女子供しか残らないのが不用心だから、今年は熊さん一人だけ残って欲しいという。しかし、それは表向きの理由。実は毎年ケンカをして騒ぎを起こすのが熊さんなので、一人長屋に残ってもらい、無事に大山詣りを過ごしたいというのが先達さんの本音だった。"そんな仲間外れみたいのは嫌だ。どうしても行く"というので、腕を振り上げたら二分の科料、揉め事を起こした時は頭を丸めてもらうという決めを作ったのだが・・・」という内容。
荒っぽい連中の中でも特に荒々しいのが熊さんのようで、相手が変わろうとも、揉め事の中心はいつも熊さんだという。
行楽というよりは信心で山に登るのが大山詣りなので、何事もなく無事に帰って来たい一心での発案だったのだが、一年に一度の楽しみとあれば、一人だけ留守番だなんて了承するわけがない。
そして案の定・・・というわけなのだ。
(^。^)
さて、演者の六代目五街道雲助師匠は、昭和56(1981)年に真打昇進を果たしているが、その際に改名することはせず、昭和47(1972)年の二つ目昇進時からの五街道雲助の名をそのまま使っているようだ。
よほど気に入っている名前なのだろう。

権助魚 / 桃月庵白酒(三代目)

2019年01月10日 | エンタメ
落語『権助魚桃月庵白酒(三代目)。
噺は、「旦那さんの浮気を疑った奥さんは、いつもお供につく権助に旦那さんの行動を教えて欲しいと小遣い銭を渡した。早速向島まで出掛ける旦那さん。お供の権助が奥さんに買収されていると気がつき・・・」という内容。
奥さんにもらったという小遣い銭の倍の額を権助に渡し、逆に買収した旦那さんだったが、少し考えが足りない権助は旦那さんの期待に応えられない。
(^。^)
出掛けて15分後には一人で帰宅してしまうのだから、旦那さんにどういう物語を授けられたとしてもバレバレなのだ。
まぁ憎めない正直者の代表みたいな男ではあるのだが。
(^_^)
さて、演者の桃月庵白酒師匠は、1992年に五街道雲助師匠に入門し、2005年に真打ちに昇進したそうなのだが、"新人賞"と名の付く賞を受賞したのは2018年3月の"芸術選奨文部科学大臣新人賞"というものらしい。
新人賞受賞まで入門から26年、真打ち昇進から13年が必要とは、落語家の世界も大変なようだ。
(^_^;)

品川心中 / 五街道雲助(六代目)

2018年03月11日 | エンタメ
落語『品川心中』五街道雲助
噺は、「品川宿・白木屋の遊女・おそめは歳をとってお客がつかなくなり、とうとう"お茶挽き"になってしまった。若い女を相手に強がりは言うものの、"紋日"が迫ってあちこちに手紙を出しはしたのだが、誰もお金を持ってきてくれない。"移り替え"も出来なくて単衣(ひとえ)から袷(あわせ)に替えることもできない。悔しい思いをするくらいなら、誰か相手を見つけて心中しようと思い立ち、貸本屋の金蔵を選び出す。相談したいことがあるからと手紙を出して呼び出すのだが・・・」という内容。
江戸時代、幕府公認の遊郭である"吉原"に対し、"岡場所"という非公認の遊女屋があり、江戸では、四宿と呼ばれた千住宿(奥州道中・日光道中)、板橋宿(中山道)、内藤新宿(甲州道中)、品川宿(東海道)等が栄え、特に品川宿では吉原を向こうに張った"花魁道中"も行われるほどに賑わったのだという。
また、単衣から袷に替えるのを、"衣替え"ではなく、"移り替え"というのだそうだが、このような"紋日"という特別な日は結構あったそうで、遊女も大変だったようだ。
ただ、お金がかかったとはいえ、それは馴染みの客が持ってきてくれたのだろう。
そして、誰も持ってきてくれなかったのが"おそめ"というわけだ。
(^_^)
心中の相手に選ばれてしまった金蔵も迷惑な話だ。
袷に替える"移り替え"となると、9月のはずだから、そんな時期に海に落とされてしまっては大変だ。
(^_^;)
この噺は前半と後半に分けられることが多いらしく、通して演じる落語家はあまりいないとのことなのだが、五街道雲助師匠は通しで話されていた。
ところで、この物語の登場人物、おそめと金蔵は映画『幕末太陽傳』(1957年/川島雄三監督)に登場するのだが、同作品は、『居残り佐平次』や『品川心中』といった落語の演題からのエピソードが散りばめられて、そちらもナカナカに面白い。

菊江の佛壇 / 五街道雲助(六代目)

2018年02月16日 | エンタメ
落語『菊江の佛壇』五街道雲助(六代目)。
噺は、「茶屋遊びを覚えてからというもの、すっかり家に寄り付かなくなった若旦那。女房でも持たせれば少しは収まるかと嫁を迎えたものの、三月も経てばまた出かけるようになってしまった。そのうちに女房のおはなが病に倒れ、実家に帰って養生するようになってしまう。ところが、遊び呆けて病気見舞いにも行かない若旦那。いくら小言を言っても聞かないので、旦那さんは店を番頭に任せ、定吉をお供を連れて、おはなの病気見舞いに出掛けるのだが・・・」という内容。
昼間から酔って帰ってきて、"私は病気見舞いが嫌いでございます"と言い、さらには、自分のお茶屋遊びと人が入れるほどに大きな仏壇に買い替えた父親の信心を同じだとも言い放つ若旦那。
これにはすっかり呆れ果てる旦那さんだが、どれだけ怒られようとマッタク意に介さない若旦那は、ろれつの回らない口調で番頭に店の金から十両を無心する。
このあたりのくだりは、『山崎屋』や『よかちょろ』と同じなので、「あれっ!?」という感じだが、この噺の若旦那が一番酷い男だ。
(^_^;)
また、泊まり掛けで出掛けた旦那さんに後のことを頼まれた番頭も、若旦那に「この場は私が仕切らせていただきます」と店を早じまいして、今夜は無礼講だと宴会を始めてしまう。
若旦那が入れ込んでいる柳橋の芸者・菊江にお酌をしてもらって、「若旦那の酌より数段味が上がりますな」と、何とも調子の良い男だ。
若旦那に「向こう横丁に師匠を囲っているだけのことはある・・・」と言われてしまうと、返しようがないのだが、まぁ、どっちもどっち。
どうにも救いのようのない二人は、人情味溢れる旦那さんとの落差が大きい。
笑える噺ではないものの、なかなかに面白い演目だ。

ざる屋 / 桃月庵白酒(三代目)

2018年02月12日 | エンタメ
落語『ざる屋』桃月庵白酒(三代目)。
噺は、「わざわざ、忙しそうにしている人を選んで声をかけ、ざる屋の吉兵衛さんを知らないかと訪ねる男。道行く人もいなくなってしまったことから、店に入って聞いてみると、そこが探していた吉兵衛さんの家だった。ざるの売り子をすることになったその男は、天秤棒を担いで早速ざるを売りに歩くのたが・・・」という内容。
何事にも縁起を担ぐ人というのはいるのだから、ざるを売って歩く声といえども、その声を聞いて気に入る人もいるのだろう。
そこをうまく使うとは、やはり商売上手なわけだ。
(^_^)
演者の三代目桃月庵白酒(とうげつあんはくしゅ)師匠は、六代目五街道雲助師匠の弟子だが、この名跡は二代目が没して以降100年ほどの間、誰も名乗ることがなかったということである。
一体、どこから見つけてきたのだろうか?
(^。^)
枕では、肯定の否定形といった話をされていたが、スルメをアタリメと言ってみたりするのも縁起かつぎからきているのだそうで面白い。

文違い / 五街道雲助(六代目)

2017年12月10日 | エンタメ
落語『文違い五街道雲助(六代目)。
噺は、「新宿。飯盛女のお杉は、育ての親との縁切りに二十両が必要だと常連客の半七に泣きついたが、半七は全部を用立てできなかった。そこで角蔵という客には、病気の母親に御種人参を飲ませたいが二十両もすると言い、十五両をせしめた。しかしお杉が必要な二十両とは、芳次郎から目の治療に必要だと無心された金だった。用立てできた金を芳次郎に渡したお杉だったが、金を受け取った芳次郎はゆっくりすることなくすぐに帰ってしまう。芳次郎が部屋に落としていった文を見つけ、それを読んでしまったお杉は・・・」という内容。
半七には年季が明けたら夫婦になると言っているらしいお杉は、角蔵にも同じことを言っている。
そして、その男の前では「この人はうわべは野暮に見せておいて、芯は粋なんだよ」と周りに向かって誉め、影では「あん畜生が来たのかい」などと散々な言い様をする。
遊びにくる男達からどんどん金を引き出そうと考える女というのは、そういうものなのだろう。
とはいえ、人間の考えることなど皆一緒なので、悪だくみというのはそうそう上手くは行かないのである。
(^_^;)
さて、当代の五街道雲助師匠は六代目ということになっているらしいが、実のところ何代目なのかは不明らしい。
まぁ、"由緒正しい雲助"というのもおかしな話なので、師匠の十代目金原亭馬生(1928年~1982年)も何代目かという辺りは拘らなかったのだろうか。
ただ、雲助師匠は2016(平成28)年に紫綬褒章を受賞しているらしいので、五街道雲助という名は、これから"由緒正しい雲助"になっていくのかもしれない。
(^。^)