こゑ低き君にしあればガラスより繊細な魂(たま)ふと見失ふ(
みずき)
小学生だった頃、我が家を訪ねた初めての客がぼくの声を聞くときまってこう言ったものです。
「ぼうや、お風邪?」
それほど幼いぼくの声はしわがれていたらしいのです。
それなりに毎度、ひそかに傷つきました。
ボーイソプラノで目のくりっとした二つ違いの兄とは対照的に、ぼくは目も細くてどこかジジくさい子どもだったのですね。
中学2年の頃に、やっと声変わりしました。
どうした作用なのか、一転してぼくのしわがれ声は普通の声に変わったのです。
しかも、かなり低音の。
山の家に行った先で、他クラスの女の子から「低音でステキ!」と言われた記憶が未だに耳に残っているほどです。
よほどうれしかったのでしょうね。
中学3年を終わるころから、ものを思うようになりました。
水泳やバスケットボールに打ち込む一方で、人生に深く悩み始めたのです。
本を読み漁り、音楽に浸り、恋に恋をし、ともすれば自死の誘惑に駆られました。
それは、大学になんとか現役で合格した後も1年ほど続きました。
スポーツで鍛えた身体と低音の持ち主だったそのころのぼくに、そんな<ガラスより繊細な魂>が隠されていたことを知っていたのは、家族とごく限られた友だちだけだったでしょう。
<こゑ低き君にしあればガラスより繊細な魂(たま)ふと見失ふ >
一読して、まるで半世紀近く前のぼくの若き日を誰かが詠ってくれていたかのような、そんな錯覚をおぼえました。
以下は、そのほかに気になった歌です。
散りてのち 花の紅よりなお赫く 低きを染める 桜の屍(
水風抱月)
往還に枝撒き散らし鵲の巣は去年(こぞ)よりも低く仕上がる(
今泉洋子)
西日のみ低く差し込むアパートの窓より世界の黄昏を見る(
つばめ)