雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

060831 日々歌う

2006-08-31 22:54:26 | 日々歌ふ
越後なる妻有の大地に三年ごと現代アートの祭りのありて
(妻有=つまり、三年=みとせ)

まる二日妻有の里を駆けめぐり過疎の大地にアート楽しむ

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ダグラス・ラミスと小林節慶応大学教授

2006-08-29 10:02:53 | 非暴力による平和を
060829 日々歌う
政府への民のしばりが憲法と思はぬ者ら改憲をいふ
国家とはわれらのことと思ひなす<エリート>唾棄す現憲法を
強力にリードさるるを待ち望む怯懦のこころ民を蝕む
物腰で民を欺く者勝ちてつひに解かむか民のしばりを
<右><左>問はずに民のしばりをば軽んずる者 国を誤る

                          *

ベトナム戦争時のアメリカ海兵隊員で、長く津田塾大学で政治学を教えていたダグラス・ラミスは定年後、日本人の妻とともに沖縄に在住しています。
ぼくは長年、このラミスの日本国憲法論から深く学んできました。
(『ラディカルな日本国憲法』『憲法と戦争』『日本は、本当に平和憲法を捨てるのですか?』など)

昨日の夕刊だったかで、ラミスの新しい本の広告が目に留まりました。
『憲法は、政府に対する命令である。』(平凡社)
ラミス憲法論の核心をつく言葉が、そのまま本の題名になっています。
Amazonで調べると、目次はこうです。

第1章 憲法が国のかたちや人びとの生活を決める
第2章 国民には、憲法に従う義務があるか
第3章 前文の「われら」とは、誰のことか
第4章 日本国憲法は、誰が誰に押しつけた憲法なのか
第5章 押しつけられた第九条と安保条約の意味
第6章 人権条項は誰のためにあるのか
第7章 思想・表現・言論の自由はなぜ必要か
第8章 平等のさまざまな意味
第9章 政治活動は市民の義務である
第10章 政教分離はなぜ必要なのか
第11章 憲法の原則を変えることは、もはや「改正」ではない

この間、新学期に備えて新聞の切抜きをしていました。
ネパール旅行中の8月15日終戦記念日の『東京新聞』の社説に、改憲派の論客で知られていた慶応大学の小林節教授が近年なぜ護憲論に転じたかの理由が示されていました。
そこで小林節教授の言葉として挙げられていたのが、「憲法は権力を縛るもの」という、「近代憲法の原理原則」であり、「人類が歴史から学び、たどりついた英知」でした。
前掲のラミスの近著の題名は、この近代立憲主義の原則を日本国憲法の成り立ちを踏まえて言い換えたものと言ってよいでしょう。

小林教授は改憲論者として自民党の憲法調査会の勉強会などにも呼ばれるようになりましたが、そこで知ったのはとくに世襲議員たちの次のような驚くべき憲法観だったのです。
「権力に近い世襲議員たちの憲法観は、憲法をつかって国民を縛ろうというものでした。「国を愛せ」「家庭を大切に」と道徳にまで介入しようとするその“新しい憲法観”は、その実、明治憲法への逆行でした。/小林教授には、この国のなかに「国家とは私」「まるで自分たちが主権者だった明治天皇の地位にいるような古い感覚」の特権階層が生まれたことが、心底からの驚きでした。/立憲主義の本質をわきまえない政治権力ほど恐ろしいものはありません。自分たちは安全地帯にいながらの歯止めなき海外派兵ともなるでしょう。」

冒頭の拙歌は、このラミスの本の題名と小林教授のエピソードに刺激されて歌ったものです。
早朝から今日も少年野球のコーチの罵声に悩まされ、一見貴公子風の次期首相本命候補の顔を苦々しく思い浮かべ、さらには、スターリン・毛沢東・金日成などの労働者・人民の名を僭称した独裁国家の悲惨を、若い頃の自分自身を含め、戦後の左翼・護憲派が美化してきたことなども、苦く思い出しながら…。

参考のため、『東京新聞』の社説を全文載せておきます。

                          *

                 社説(『東京新聞』060815朝刊)
                    終戦の日に考える
                  「平和主義は百年の公約」

 団塊の世代がまもなく一線から退いていきます。戦争は知らないが戦後民主主義育ちの世代。若き現役世代へ伝えるべきは、平和主義は日本百年(とこしえ)の公約の想(おも)いです。

 一九四七年から四九年の間に生まれた団塊の世代の六百八十万人は、四六年十一月公布、四七年五月施行の日本国憲法と誕生と成育をほぼ同じくしてきました。

 「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」(前文)した徹底的平和主義の憲法は、この六十年の間に、不磨の大典から、改正が現実的な政治テーマとなるほどの変わりようをみせています。平和憲法が危ういのでしょうか。

■改憲論学者の転向はなぜ

 慶応大学の小林節法学部教授といえば改憲派の代表的論客として知られてきました。政党、経済団体、マスコミのブレーンを務め、世論づくりに重要な役割を果たしてきましたが、最近になって、その改憲論を棚上げ、改憲阻止へと方向転換してしまいました。転向の理由を聞かないわけにはいきません。研究室を訪ねました。

 小林教授は四九年生まれ。団塊の世代に属し、慶応入学時は学園紛争のただ中でしたが、学生運動を拒否、国会図書館通いに徹しました。生まれついての左手障害のハンディキャップが「生きるための勉強」を決意させたのです。優等での卒業、米・ハーバード大学への留学が憲法探究への道となりました。

 憲法論争といっても、その核心は非戦非武装を宣言した憲法九条への態度と解釈いかんであることは、今も昔も変わりません。

 小林教授の立場は、(侵略は禁止だが)自衛権、自衛戦力保持明記で学界では少数派。このような考えで憲法を明確に書き直すべきだとの自称「護憲的改憲派」で、海外派遣を順次解禁した政府解釈を「政府が最高法について嘘(うそ)をつくことこそ害悪」との考えです。

 憲法をめぐる環境は、九一年の湾岸戦争とソ連崩壊を境に劇的に変化しました。極東の弱小敗戦国から経済大国となった日本には、国際協力と国連平和維持活動への積極貢献が求められ、改憲論争のタブーがとかれていきました。

 小林教授の「憲法改正私案」公表が九二年、講師を務めた読売新聞の憲法改正試案が九四年、自民党の憲法調査会の勉強会への参加となっていきました。しかし、この権力サークル内での活動と若手議員たちとの接触体験が統治する権力側への不信となっていきました。

■9条以前に本体が危うい

 苦労知らずの二世、三世議員。決定的だったのは、根幹の憲法観をめぐるその姿勢にありました。

 「憲法は権力を縛るもの」-。この立憲主義こそ近代憲法の原理原則であり、人類が歴史から学び、たどりついた英知でもありました。

 人間は不完全な存在で、内に無限の欲望をもちます。個人の能力を超えた権力を与えられた政治家、公務員は暴走し、国民を苦しめます。それゆえに権力にたがを嵌(は)める立憲主義は、小林教授にとって「人間の本質に根ざした真理」であり「統治者が身につけるべき常識」でした。

 ところが、権力に近い世襲議員たちの憲法観は、憲法をつかって国民を縛ろうというものでした。「国を愛せ」「家庭を大切に」と道徳にまで介入しようとするその“新しい憲法観”は、その実、明治憲法への逆行でした。

 小林教授には、この国のなかに「国家とは私」「まるで自分たちが主権者だった明治天皇の地位にいるような古い感覚」の特権階層が生まれたことが、心底からの驚きでした。

 立憲主義の本質をわきまえない政治権力ほど恐ろしいものはありません。自分たちは安全地帯にいながらの歯止めなき海外派兵ともなるでしょう。

 かつての小林教授自身が、自分が戦争に行くなどと考えもせず、九条論を戦わせていた体験があるから分かるのです。

 「九条以前に憲法本体が脅かされている」が小林教授の危機感で、その怒りは、平和を叫ぶだけで真の憲法教育を怠ってきた護憲派にも及びました。

■立憲主義を国民の常識に

 国民が十分成熟するまでの憲法改正封印が小林教授の真意。「われわれ団塊の世代にはまだしばらく時間がある。もう一度、立憲主義の原点にかえって、正しい言葉で後の世代に語り残す責任がある」とも。

 「憲法は百年は改正すべきではない」というのは平山正剛日弁連会長。兄二人を戦争で亡くし、戦争のない平和な社会をとの母親の願いがあった。アジアへの侵略の歴史。

 「憲法九条があれば近隣諸国は日本から仕掛けてくることはないと思うでしょう。あと四十年。論語にも『徳は孤ならず必ず隣あり』とある。分かってくれるはずだ」という。

 徹底的平和主義はアジア諸国への百年、いや永久(とこしえ)の公約であり、国内への拘束に思えます。
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060829 日々歌う

2006-08-29 08:42:20 | 日々歌ふ
政府への民のしばりが憲法と思はぬ者ら改憲をいふ

国家とはわれらのことと思ひなす<エリート>唾棄す現憲法を

強力にリードさるるを待ち望む怯懦のこころ民を蝕む

物腰で民を欺く者勝ちてつひに解かむか民のしばりを

<右><左>問はずに民のしばりをば軽んずる者 国を誤る

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060828 日々歌う

2006-08-28 01:39:36 | 日々歌ふ
鳴き初めし虫の音ときに途絶えつつ夜半のしじまに秋を告げ来る

                  *

吾娘つくる白磁で紅きネパールの茶を淹れ飲まむ旅の記憶に
(吾娘=あこ)

カタカタとはつかに蓋の小さくて吾娘のつくりし白磁の鳴るも


        

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少年野球の罵声の育てるもの

2006-08-27 16:17:36 | Weblog

060827 日々歌う
コーチらの罵声飛び交ふ少年の野球育てむファシズムの芽を

夏休み最後の日曜日、目の前の区営公園は一日中、少年野球大会でにぎわっていました。
曇り空で日中の気温も久しぶりに30度を下回り、マンションの窓を開け放しています。
相変わらずの蝉時雨と少年たちの歓声は、やむをえません。
しかし、我慢できないのはコーチらの罵声です。
普段の練習の時もそうなのですが、親や家族も応援に大勢来ているこの大会でも、声を限りに罵声を飛ばしています。
その異常さに本人たちも親たちも、そして子どもたちも気づいていないのでしょう。
むしろ、親の誰かが一言でもそんな疑問と異議をさしはさめば、たちまち寄ってたかって苛められ、つぶされてしまうのかもしれません。
ついまた、そうした思いが歌になってしまいます。
1年前にこのマンションに越してきて以来の、この件に関連した拙歌と文章を採録してみました。


060319 日々歌う
ミニ版の全体主義のはびこらむ少年野球の声のそろひて

051106 日々歌う
こだまする少年野球の掛け声を絶え間もなしに罵声の追ひて

050828 題詠マラソンから
【21532】046:泥 泥かぶる気概もなくて偉ぶった命令口調の輩を蔑む(コメット)
マンションの目の前の区営の公園は半分が野球場です。
夏休みには毎日、早朝から夕方まで少年野球を中心に練習や試合が熱心に行われています。
けっこうな騒音でもあるのですが、それはしかたがありません。
ただ、不快なのは少年野球のコーチらしき大人の罵声です。
ノックをしながら一球ごとに大声で口汚く子どもを罵って、あれこれ命令しています。
学校でも生徒たちに対して「偉ぶった命令口調の」教師がいます。
下級生に対して「偉ぶった命令口調の」先輩がいます。
教職員に対して「偉ぶった命令口調の」校長がいます。
さらにその上に「偉ぶった命令口調の」教育委員会や文科省の役人がいます。
公園でも、職場でも、国家でも、至るところにこうした輩が権力を笠にきて威張りくさっています。
そして、いざとなると自己保身に汲々とし、責任を他に転嫁して恥じないのです。
日本の近代史の中で、自国民と他国民に対して最も「偉ぶった命令口調」で威張りくさったのは軍人でしょう。
しかし、彼らのほとんどは戦争を始めた責任を認め、取ろうとしませんでした。
私的な場面から公の場面に至るまで、「泥かぶる気概もなくて偉ぶった命令口調の輩を蔑む」精神を大事にしたいものです。
同時にそれは、自らがそうした輩にはならないという気概を持つことでもあります。

作者はそのことをいささかの衒いもなく、剛速球のように詠っています。


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060827 日々歌う

2006-08-27 15:51:55 | 日々歌ふ
コーチらの罵声飛び交ふ少年の野球育てむファシズムの芽を

                 *

吾妹指す紫匂ふ花知るも名をこそ知らね野牡丹といふ

底紅の槿のかたへ紫にけふぞ名を知る野牡丹の咲く

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060826 日々歌う

2006-08-26 14:14:17 | 日々歌ふ
自らが<SS>たるを告白すドイツの作家ナチを責め来て

若き日に<SS>たりしことよりも沈黙問はる六十年の

耳聾すブリキ乱打のガンガンとグラスの告ぐる事実の重さに
(事実=こと)

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060825 日々歌う

2006-08-25 20:06:29 | 日々歌ふ
巨樹ありぬ林町なる徳川の屋敷の深く欅一本
(一本=ひともと)

児らととも最後の夏に父描く欅樹高く今も聳ゆる

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欅を歌ふ

2006-08-25 17:22:33 | 生きとし生けるもの
樹木が好きです。
しみじみ好きになったのは、中年以降でしょうか。
楠、欅、百合の木が、きっとぼくの好きな樹木ベスト3。
楠を詠った歌が29首だとすれば、欅の歌は?
そう思って調べると、楠の歌とダブっているのも含めて26首です。
百合の木はまだ調べていませんが、今のところやっぱり2位でした。


060825 日々歌う
巨樹ありぬ林町なる徳川の屋敷の深く欅一本
(一本=ひともと)
児らととも最後の夏に父描く欅樹高く今も聳ゆる

060719 日々歌う
したたかに梅雨の戻れば繁る葉の欅も楠も緑滴る

060422 日々歌う
楠も銀杏も欅も吾が娘知らぬと知るも北の丸にて

060412 日々歌う
降りしきる夜来の雨に欅樹の黒と萌黄のなほ深まりぬ

060405 日々歌う
濡れ光る黒鮮らけき欅樹の萌黄眼に染む雨の窓辺に

060316 日々歌う
鬱蒼と欅と楠の巨樹並ぶかたへに吾の<筋トレ>の場のありたり

060226 日々歌う
雨止まむ薄日の洩れて欅樹の小枝に溜まる滴光れば
伝蔵も別れを告げむ秩父なる欅の巨樹に藤絡み咲く
(伝蔵=井上伝蔵)

051227 日々歌う
木枯らしに応ふるさまの際立つも欅のゆるる楠のざわめく

051223 日々歌う
薄日さす欅の肌に影落ちて生ける証にアケビの二葉

051213 日々歌う
時をりの風に舞ひ散る欅葉の螺旋を描き落ち行く果ては

051128 日々歌う
数百の鴉啼き交ひ舞ひ飛べば欅紅葉の宵方に消ゆ

051116 日々歌う
朝陽さす欅紅葉の赤々と窓に浮かびて鴉は舞ひぬ

051112 日々歌う
一陣の風吹き渡りいつせいに欅の紅葉宙に舞ひけり
風強み欅紅葉は狂ひ飛び吹雪となりて地吹雪も舞ふ

051016 日々歌う
欅樹の濡れ葉に混じる紅葉も量増しけりな雨の上がりて
(紅葉=もみじば、量=かさ)

050929 日々歌う
空の青欅の緑グランドの何色なるか女生徒の歓声
(歓声=こえ)

050919 日々歌う
目の前の欅の梢揺れをりて鴉が枝葉啄み食めり

050915 日々歌う
さやさやと欅も楠もたゆたひて涼しき風に身を委ねをり
欅樹に囲まれ子らの赤白の帽子の躍る歓声上がる
仰ぎ見る楠の青葉の若くして欅早くも梢色づく

050810 日々歌う
驟雨来て欅の樹下に雨宿る蝉の時雨も降りやまずけり

050518 日々歌う
青嵐欅波打ち身をよじり樹下の紫蘭は身も世もあらず

050414 日々歌う
どこまでも真青な空にカラス飛び高き欅に若葉光れり

050412 日々歌う
濃淡を雨に深めて新緑の欅・楠 連なる巨木

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楠を歌ふ

2006-08-25 12:58:04 | 生きとし生けるもの
昨日の<日々歌う>で楠を歌いました。

黒き実の土を覆ひて公園の大楠告げむ季節の逝くを

ふと思いつき、これまで自分が楠を歌った歌がどのくらいあるだろうと調べてみました。
ブログはこの点、とても便利です。
あっという間にわかりました。
昨年、1月末に突然歌を歌い始めて以来、楠を詠んだ歌は昨日のものを含めて29首もありました。
ほとんど毎月詠んでいます。
多分、ぼくがもっとも親しい樹木が楠なのでしょう。
それが自ずとこのような歌になったのだと思います。
季節の移ろいと、それに託した自分の折々の心が改めて思い返されました。


060724 日々歌う
梅雨寒の雨の上がればヒグラシの声の谺す楠の木立に

060719 日々歌う
したたかに梅雨の戻れば繁る葉の欅も楠も緑滴る

060716 日々歌う
微かなるニーニー蝉の鳴き声を大楠繁る梢に聞くも

060702 日々歌う
大楠の葉音聞きつつ懸垂と腕立て伏せをけふも重ねぬ

060602 日々歌う
黄昏るる楠の大樹の傍らに男の独り立ちすくみをり
(男=をのこ)

060515 日々歌う
楠に花の咲けるを知ればこそ六十路の旅のよろこびもあれ

060501 日々歌う
常緑の楠の落ち葉を踏み分けつ仰げば高く若葉きらめく

060422 日々歌う
楠も銀杏も欅も吾が娘知らぬと知るも北の丸にて

060410 日々歌う
花赤く咲けるがごとに楠の緑覆ひぬ萌ゆる若葉の

060319 日々歌う
轟々と疾風吹き荒れ大楠の枝葉をもぎぬ春の嵐の
(疾風=はやて)

060316 日々歌う
鬱蒼と欅と楠の巨樹並ぶかたへに吾の<筋トレ>の場のありたり

060209 日々歌う
裸木の梢ゆれ舞ひ楠の葉の身悶ゆる朝春の遠かり

060205 日々歌う
冬陽浴び冷たき風にざわめけど葉群豊かに楠はきらめき
(葉群=はむら)

051227 日々歌う
木枯らしに応ふるさまの際立つも欅のゆるる楠のざわめく

051104 日々歌う
黒々と艶めく色に染むといふクスノキの実を吾は見ざりし

051023 日々歌う
花咲けば実もなるものか吾が無知よ楠の葉群の橋に迫りて
楠の名を妹わからぬに一葉を手折り渡しぬその香嗅げよと

050915 日々歌う
さやさやと欅も楠もたゆたひて涼しき風に身を委ねをり
仰ぎ見る楠の青葉の若くして欅早くも梢色づく

050905 日々歌う
雨に濡れ楠の葉色のやさしくてわれ仰ぎ見む新緑のごと

050718 日々歌う
楠の葉がきらめき光りざわめきてガンガンガンと夏来りけり

050521 日々歌う
地味なれば虫の眼以外に映らざるかそけき花の楠を覆ひぬ
校門の見れども見えぬ大楠は子らの頭上で花に覆はる
楠の在るをも知らず校門を子らは黙々けふも過ぎ行く
何年も通ひなれたる校門の大樹を問はれ戸惑ふ子らは

050416 日々歌う
一面の緑の海にそこだけがほんのり赤む楠の新緑

050412 日々歌う
濃淡を雨に深めて新緑の欅・楠 連なる巨木

050223 
楠の葉のさやぎきらめき目にすれば春一番の吹くも楽しく

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