志情(しなさき)の海へ

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歴史家は今「尚家文書」を読み解き、論文が盛んに書かれている。今頃琉球王国評定書文書を!

2014-09-05 23:24:32 | 沖縄の過去・現在・未来

                   (明治20年代に描かれたらしい「伏山敵討」、甲冑を身に着けていますね!『沖縄風俗絵図』より)

〈つぶやき〉

歴史の一次資料を、若い院生などは漢文や候文、仮名文字から読み解いている。1年もあれば習得できるのだろうか、丁寧にやるゆとりがなかった。近代以降がテーマだからと、思っていたのだが、候文の読み解きはできるし漢文は推測ができると思っていたが、歴史家がスラスラと読み解く姿は感銘を受ける。そうした教育、古文書の読み解きが今時、重視される義務教育があってもいいと思う。

今頃『琉球王国評定所文書』である。第一巻から第十三巻までの巻頭論文がいいと思う。新しい歴史の紐解きが大胆に繊細になされていることに驚く。自分の論文に引用できる一時資料を探していた。実際はもっと丁寧に読むと、見えなかったものがもっと見えてくるのだろうが、しかし、なるほどと思える記録が結構たくさんあることに驚く。近世は270年間、その推移(変遷)に驚く。1600年代、1700年代、そして激動の1800年代と変化が著しい。特に1840年代からフランス、イギリス、ロシア、アメリカと異国の艦隊が押し寄せて来るころから、従来と異なる監視体制が強くなっているようだ。1838年の戌の御冠船時代の記録が1866年より、充実していたわけも、実は1830年代から清の冊封体制が崩れて行く過程にあったことがわかる。つまり西欧列強が中国をさんざん切り刻んでいく過程にあったのである。二度、三度のアヘン戦争はイギリスにフランスも便乗していたのだね。知らなかった。それで「戌の御冠船」などは充実していて、1866年はおざなりなんだね。なるほどでした。琉球王国の滅亡近づいていて、冊封体制が崩れた時、小さな王国は一方のバランスが崩れ、後一方の体制の中に組み込まれていったのだが、それは両体制が強固でないかぎり、厳しかったと結論づけるか、それとも日本の近代政策の強引さを否定するか、是認するか?(防波堤的位置づけなら否定だね。今も変わらない)列強の植民地にならない手段としての早急な西洋化(軍隊、政治・経済・教育体制)があった。その中に近代沖縄もまた組み込まれていったのだった。良し悪しは別として、儒教倫理はしかし、いつまでも男性上位の構成になっている。≪儒教の国、中国ではかなり変わりつつあるのだろうか?)

家内にあって妻は夫と食事をいっしょにすることなく、サービスに徹している。いっしょに食事をしない関係とは何だろう?主人と主人に仕える者が存在する。歓待を受ける者たちの居心地の良さが想像できる。変わらない習性が現在も生きている。人間の本質は古来からあまり変わらないのかもしれない。妻と妾が一つ屋根の下で、あるいは別宅で(遊里などで)離れて生活した時代が長く長く続いた近世でもあった。人々が王府の統制の元に身を部屋の中に押込めたりもしていた時代である。妻や娘を隠したシステムがあった。イスラム教徒の女性たちの独特な民族衣装は「隠す」が大きなポイントである。身をさらさないことが女性の嗜みという風に。それは晒される女と晒されない女の距離が近かったということを暗示しているのだろうか、などと考えていた。


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