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アイルランド、スコットランド、ウェールズなどのケルト文化圏の方々が新婚旅行で日本に来るとき、飛行場に降り立ったら京都でもなく奄美の島々や沖縄にやってくる傾向があるそうです。やはり同じジオポリティイクスでしょうか?それを読んだとき、胸騒ぎしました。ケルトが惹き付けるものは何だろう。ここ2,3日、ケルト関係の本を改めて紐解いています。
http://www.eisteddfod.wales/ ←Eisteddfod です。英国のウェールズのアイステッドヴォッドです。英国内でウェールズ語の国立劇場があることにも驚きますが、言語と文化の関係の深さが迫ってきますね。言語がアイデンティティーの要になります。ケルト文化圏の人々の言語意識と文化の密接な関りが伺われますが、多くのお祭りが詩や散文や音楽、踊りと楽しそうですね。1週間も繰り広げられる祭りです。毎年開催されます。
祭祀芸能から始まる世界のあらゆる地域の祭りを意識しても、祭祀が夫々の民族や地域のアイデンティティーと文化の軸になっているのは確かなようですね。祭祀=宗教と祭りが合体したものだから、祭りそのもののもつ継承〈伝達〉と一体感、再生の機能は常に伴っているといえるようです。神と対峙する空間であり宴であり日常の非日常化であり、それを取り込むことによって人々は日常の規範(ルーティーン)の中に戻っていくのですね。「その繰り返しが生きる縁〈糧)になっていく」。繰り返される祭り(どんなフェスティバルも)は、生きるための再生装置なのかもしれませんね。