電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ストコフスキーの「惑星」を聴く~見上げる星空と航行する宇宙と

2011年08月24日 06時04分22秒 | -オーケストラ
先日、ダウンロードした、ストコフスキー指揮ロサンジェルス・フィルによる、ホルストの「惑星」を聴いております。1956年に録音された、ストコフスキー指揮ロス・フィルによるホルストの「惑星」(*1)は、1970年代初頭には、たしか東芝レコードの廉価盤セラフィム・シリーズ(*2)のLPに入っていたはず。40年を経て、初めて聴く演奏です。

私の「惑星」の印象(*3)は、勇壮で神秘的でダイナミックな音楽と感じたものでしたが、様々な新録音に慣れた現在、この録音は、ダイナミックで語り上手でワクワクするような興奮をもたらすものというよりはむしろ、静かに天空を見上げる音楽のように感じてしまいます。

この違いはどこから来るのだろうと考えているうちに、ふと指揮者の世代に思い至りました。1956年に録音された「惑星」、これを指揮するストコフスキーは、1882年の生まれです。彼にとって、星空は見上げるものであり、宇宙は神秘的な存在であったことでしょう。しかし、アポロ計画により人類は月面に到達し、映画「スターウォーズ」に代表されるように、宇宙のイメージはダイナミックに航行するものに変わりました。「惑星」と「スターウォーズ」の音楽が併録された音楽CDが多数存在することからみても、近年の「惑星」演奏に期待されるのは、「スターウォーズ」以降のイメージが投影された、スペクタキュラーなものに変わっているように思えます。

そんなふうな感性からは、ストコフスキーの「惑星」は、彼らしくない、静かでおとなしい演奏に思えるのかもしれません。でもそれは、星空の神秘に対し、敬虔に祈りを捧げるような世代の感性が描いた、惑星の姿だったのかも。そして、後の世代は、コンピュータ・グラフィックスが描き出す仮想的な有能感を楽しみ喜びながら、人間は原子の火を制御可能だと錯覚してしまっていたのかもしれません。

(*1):ホルストの組曲「惑星」~「クラシック音楽へのおさそい」より
(*2):セラフィム名曲シリーズ~BQクラシックス~安田の部屋へようこそ
(*3):ホルストの組曲「惑星」を聴く~「電網郊外散歩道」2007年6月

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