電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

モーツァルト「レクイエム」を聴く

2011年03月30日 06時04分34秒 | -オペラ・声楽
ふだん、モーツァルトの「レクイエム」を聴こうと思い立つことは、まずありません。学生時代、同級生が亡くなったときなど、廉価なLPに収録された音楽に、思わず厳粛な気持ちになりました。就職したての頃にも、急性白血病で亡くなった同級生の葬儀に参列したとき、新婚だったご主人の様子は、傷ましいものでした。また、父君と同年齢で同じ病気で亡くなった同業仲間の葬儀では、牧師さんが、クリスチャンだった彼の最期の様子を伝えました。いずれのケースでも、教会で行われた葬儀は、参会者の悲しみの心を鎮め、故人の魂の平安を願うものとして執り行われ、最後に歌われる賛美歌には、一種のカタルシスの作用が期待されていました。ですが、モーツァルトの「レクイエム」は、魂の平安と浄化を願うためのものというよりは、もっと直截に訴えかける悲痛さを感じてしまいます。

学生時代に聴いていたのは、1950年代のカール・ベーム指揮によるモノラル録音。最晩年のベームには見られない、厳しく引き締まった表現でした。こんな時でもなければ滅多に手を出さないこの曲を、いま聴いているのは、カラヤン指揮ベルリン・フィル、ウィーン楽友協会合唱団によるもの(UCCG-3771/2)。劇的で緊迫感のある表現です。

震災では、あまりにも多くの命が失われました。思わず運命とやらに非を鳴らしたくなる事態です。加えて、福島第一原発の現状は、相変わらず予断を許さない危機的な状況が続きます。まるで綱渡りです。冷却機能の回復ができるかどうか、最悪の事態を回避するために、長期戦になる模様。おそらく今は、大いなる存在に救いを乞うよりも、それぞれが為すべきことを為す時なのでしょう。

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4 コメント

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Unknown (いつか)
2011-03-30 07:53:48
 おはようございます。
 ブログを読んで、山形方面はずいぶん日常を取り戻しているなと元気づけられました。わたしのところはもうインフラも戻って、だいぶいいいのですが、まだガソリンは入荷待ち、コンビニの棚は空白が目立ちます。
 わたしも転勤することになり、ばたばたと片付け中です。なんとか、元気な春を迎えたいものですね。
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いつか さん、 (narkejp)
2011-03-30 20:41:26
コメントありがとうございます。当地では、引越しの手配はまだ大変なようですが、今朝は給油待ちの車の列も見られず、だいぶ日常が回復してきているようです。そちらもインフラの回復とのこと、ほんとによかったですね。
転勤されるとのこと、どちらも震災でたいへんでしょうが、子供たちにぜひ本を読む楽しみを伝えてあげてください(^o^)/
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Unknown (さちこ)
2011-03-30 23:26:58
こんばんは。
narkejpさんのいつも前向きな記述に背中を押される思いです。
さて、モツレクですが、自分が歌ったインパクトが強いもんで客観的に聴くことが出来ないですが(笑)、魂のやすらぎというのではないですよね・・・。
とにかくレクイエムとやらは、天国に行くか地獄に落ちるかという裁きに震え上がった記憶があります。
ことにヴェルレクなんて興奮して夜寝れません・・。
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さちこ さん、 (narkejp)
2011-03-31 06:38:20
コメントありがとうございます。山形県の北部、最上地方には、鶏モツを使ったモツラーメンというのがあり、「愛をとりもつ」モツラーメンと称して売り出しています。モツレクというとどうしてもそれを思い出して食欲が増してしまうのですが(^o^;)、自分で歌ったことがあれば、さぞやインパクトが強いことでしょう。ヴェルディのレクイエムに興奮して眠れなくなるというのはまったく同感ですね~(^o^)/
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