12月5日の読売新聞は日本「お家芸」理数系で順位転落、OECD学力調査で判明で次のように報道している。
経済協力開発機構(OECD)は4日、加盟国を中心とする57の国・地域の15歳男女計約40万人を対象にした2006年国際学習到達度調査(略称PISA)の結果を世界同時発表した。
3回目の今回、日本は、すでに2位から6位に転落したことが明らかになっている「科学的応用力」に加え、「数学的応用力」が6位から10位へ、「読解力」も14位から15位へと全分野で順位を下げた。今回の対象は、詰め込み教育からの脱却を狙った「ゆとり教育」で育った世代で、日本が最も得意としてきた理数系で世界のトップレベルから転落したことは、今年度末に改定予定の次期学習指導要領に影響を与えそうだ。
科学的応用力 日本 フィンランド カナダ 香港 韓国 台湾
1回目 2位 3位 5位
2回目 2位 1位 11位 3位
3回目 6位 1位 3位 2位 4位
読解力
1回目 8位 1位 2位 6位
2回目 14位 1位 3位 10位 2位
3回目 15位 2位 4位 3位 1位
数学的応用力
1回目 1位 4位 2位 1位
2回目 6位 2位 1位 3位 1位
3回目 10位 2位 3位 4位 1位
ここで私が注目するのは、今回の対象は、詰め込み教育からの脱却を狙った「ゆとり教育」で育った世代だったことだ。
[「ゆとり教育」の基本理念の現実からの背離]
私はゆとり教育の実施について、これでいいのか中央教育審議会などを始めとして何回か多くの人達が感じたと思う疑問を何度も投げかけてきた。
私が当初から考えていた、ゆとり教育の考え方の基本とその問題は次の通りだ。
導入時、元の東大総長で文部大臣だった人の説明によれば
1.今までの内容で100点満点で平均が60点しかとれないのなら、70点に目標を下げて、全員が満点の70点を取ることにしよう。もしそれ以上の能力のある生徒は自主的に勉強させよう。
人的資源しかない日本が他国と伍して行くためには、他国より高度の技術(小中学校ではそれに必要な基礎知識)を持つしかない事実を抜きにしてい。
人の特性として100満点の時、60点とる人は、仮に70点満点の時は50点で満足すると言う現実を無視している。
教育の方法としては、先生、生徒が100満点を取る努力をすることはなかったのか。その目標を立ててやっと70点とるのが現実ではないだろうか。
元の文部大臣の説明は全くの敗北主義ではないだろうか。
能力のある生徒は放っておいてよいのか、更に特別に伸ばさねばいけないのではないか。
2.余裕の出来た時間は自分で課題を見つけ、自学自習する。
人は強制されなかったら自分で努力をしない。
生徒は厳しい入学試験があるから勉強している事を忘れては居ないだろうか。
大切な教育方針の決定の際このような分かりきった事実を無視して綺麗ごとで済ませていいのか。
3.土曜日は地域や父兄の協力を受けて、自学自習させる。
地域社会、家庭の教育能力の低下の現実と、現役教師の参画の必要性を無視している。
実際に、現役の教師が、どれだけ土曜日の生徒の自学自習のサポートをしているだろうか。
多くの父兄が審議会の言う余裕時間を利用して、子供を塾に通わせている現実を見て貰いたい。
[応用力の問題]
ゆとり教育のうたい文句の一つは、今回のOECDのテストのように総合的学習による応用力の向上にあった。
然しこれもWikipediaにあるように、
ゆとり教育によって導入された「総合的な学習の時間」は、教員や児童・生徒の力量・意欲が高い場合は成功しやすく、そういった要素に左右されるという欠点を持つとされる。
自分の立場を良くすることしか考えない意欲の少ない教師も多くいるかもしれないことをまた文部省は眼を瞑ってしまった。
[日教組と教師の考え方]
私はあるテレビ番組で、日教組の地方の幹部が、ゆとり教育は我々が勝ち取った権利だと言っていたのを聞いたことがある。
私は彼の発言が「ゆとり教育」の現実を突いていると思う。
「ゆとり教育」の提言は、ある意味では教育関係者の教育の責任の転嫁、または放棄ではないでだろうか。
「ゆとり教育」を教師の労働条件の改善と考えている教師や、それでなくても他の教師との振り合いをいつも考えている教師が、土曜日にわざわざ学校や地域の公民館などに出てきて、生徒達に綜合学習などや補習をするだろうか、
Wikipediaのゆとり教育によれば、
従来、学習指導要領に示される学習内容は、「到達目標」(教育目的における十分条件)とされてきた。しかし、実際には「これ以上教えてはいけない」という硬直的な解釈もまかり通り、学習内容の削減とともに学習進度の早い児童・生徒(浮きこぼれなど)に対する対処が問題となった。
と書いている。
教師の労働条件改善にしか関心がない日教組はこれだけ教えておけば良いのだとか、学習進度の早い児童・生徒を放置するなどなんとも考えない可能性があることを文部省は放置していたのだ。
一言で言えば文部省も、その意のままになっている中央教育審議会も、自分に都合の悪い現実に眼を瞑ってしまったのが今回の結果になったと言える。
当時伝えられたのは「ゆとり教育」がスタートしたころから、文部省と日教組が蜜月まではいかないが、協力状態になったと言われている。
この事実からも「ゆとり教育」への日教組の影響が如何に大きいか、またこのスタートさいして前に書いた様な、理想社会を前提としたとしか考られない夢のような説明をしていたのかよく分かるような気がする。
教育関係者はこれらの現実とそれが日本の将来にもたらす影響を良く考えて欲しいものだ。
参照:
カテゴリー → 教育問題
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