裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

辺野古移設の料金

2019年12月26日 09時47分09秒 | Weblog
「国民のみなさん、お金を集めまーす」
と、国は言うわけだ。
「ひとりにつき9000円を払ってください。赤ちゃんも、死にかけのじいちゃんばあちゃんも全員、ひとりにつき9000円でーす」
そうアナウンスする菅官房長官には、容赦がない。
「夫婦なら18000円ね。はい、出して」
あ、うちのことか。
うちも支払わねばならんのだなあ。
「家族五人なら45000円。まからないよ、ちゃんと4万と5千円出してね、はいはいー」
弟んちはこれだけの額か、子だくさんな家は大変だ。
ま、出すしかないが、これっぽっちの金で、ちゃんと辺野古に飛行場はつくれるのか?
厳しいひとの試算によれば、この軟弱地盤に100メートルの杭を七万七千本打ち込むのに2兆円かかる、って話もある。
「そうなったらまた徴収しまーす」
と、安倍さんは言うのだろう。
なにしろ、税金を湯水のように使ってくれるひとだ。
あ、いやいや、その頃にはすっかりと政権は変わってるのだろうが。
「総額でひとり2万円は用意しといてくださいね。七人家族なら、14万円ね。大丈夫、全部辺野古に使いますから」
そういうことだなあ。
いやあ、金がかかるもんだなあ、米軍移設とは。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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玩物喪志

2019年12月24日 22時08分06秒 | Weblog
読んだ本を大事に取っておくなんてもったいない、と思うのだ。
ん?
もう一度言うよ。
読んだ本を捨てないなんてもったいない、と思うのだ。
空間が。
本<空間、の価値観。
本とは、背表紙を書棚にため込むものではなく、内容を頭の中にため込むものだろう。
その本が300円としたところで、その本が占めるスペースにもまた300円分の価値がある。
そこで考える。
自由に使える部屋内の空っぽの容積(300円分の価値を持つ空間)に、300円だった本の体積を占有させるべきか、否か。
本に綴られてた300円分の価値は、すでに自分の脳内に移ったのだ。
だとしたら、その本の抜け殻に、300円の空間を占有させる価値が残ってるだろうか?
ここは考えどころだろうが、オレは空間を大切にしたいんで、本の方を捨てる。
本を大切にしたければ、空間を捨てるのも悪くない。
だけど、「せっかく買った本なんだから念のために(あるいは記念に、別の言い方をすれば自慢のために)取っておく」という考え方は、オロカに思える。
なぜなら、刻々と増えるそれらと相対的に、自分の使える空間がむしばまれていくんだから。
オレは、一度読んだ本は片っ端から捨てていく。
自由空間の方が断然大事!
必ず読み返すにちがいない大好きな本や、資料として価値のあるものだけは残すけど、それも30センチ立方の棚に収まるだけ!と決めてる。
なので、新しく収蔵したい一冊が現れれば、しばらく読むことのなかった一冊とはバイバイとなる。
ベンチ入りメンバーの選抜争いは、熾烈極まる。
かわいそうだが、このタガを外すと、スペースは際限なく侵されることになるのだ。
生活空間を脅かすほどに本を積み上げたとして、それらのおびただしい本をいつ読み返すというのか?
一冊の体積が、わが自由空間の容積300円分を侵すとして、部屋の一面を本が覆ったとしたら、その空間分の損失は数十万から数百万ってところになる。
その逸失利益は半永久的であり、しかも増大しつづけるものと考えるべきだ。
本を捨てないなんて、もったいない。
それは、体を伸ばせる場所を捨ててしまうようなものだ。
どれもこれも、捨ててしまおうではないか。
楽になろうではないか。
と思うのだ、捨てられないよめはんを見てると。
だけど、CDな・・・
これだけは、オレの部屋にも際限なく増えてくんだよなあ・・・
ダウンロードにすればいいと思う?
でもね、やり方が今だにわかんねーんだわ、サムライなんで・・・
そしてオレは、CDと、CDチェンジの時間を愛してるのだあ!
すまんが、これだけは残させてくれ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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フリーランスふたり

2019年12月19日 10時41分52秒 | Weblog
会社を辞めてロンドンに逃避行してたよめはんが、ついに帰ってきた。
帰ってきてしまった。
束の間のシングルライフよ、さようなら・・・
きゅうくつな・・・いやいや、たのしいふたり暮らしよ、こんにちは。
生活が劇的に変わりそう。
これまでは、ひとり暮らしのオレん家に多忙のよめはんが居候するスタイルで、すべての家内の仕事と経済運営をオレがまわしてきた。
よめはんはただパラサイトとしてお世話をしてもらっていれば、衣食住が確保できた。
しかし、以降はそれらの仕事を完全によめはんに移譲することになる。
大丈夫なのか・・・
実家暮らしをしてた22の頃からずっと終電まで働き続けたよめはんは、家事一切がおぼつかない。
そんな仕事ニンゲンが、突如としてフリーの身になってしまったのだ。
こわい・・・
定年退職を迎えた旦那を日中の家に迎え入れる古女房の苦悩がわかる気がする。
しかし、やらねばならんのだ。
今後、食事の支度にも後片付けにも買い物にも洗濯にも掃除にもゴミ出しにも、オレは一切手を出さない決意でいる。
これを、やつはやらねばならない。
これを身につけねば、真っ当な人間とはなれないのだから(ま、フツー一般によめはんがやるべき仕事だけど)。
たのむぞまじで。
ああ、今まで通りにお酒が飲めるかなあ・・・
それがいちばん心配。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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汗をかくハイテクノロジー

2019年12月13日 22時52分13秒 | Weblog
ホームページをネット上に出してると、ちょくちょくと「ヒット数を上げませんか」とか「検索ランキングを上位に」とか「露出を高めますよ」的な電話がかかってきて、要するに彼らは「月ナンボかで客数を増やしますよ」と誘惑してくる。
だけどうちには十分に会員さんがいてむしろ飽和状態に近いし、ひとに頼らねばならんほどHPをいじる技術がないわけじゃないし、そもそも脅威に感じるライバル教室が周辺地域にないんで、これ以上の広告費投入の必要性を感じない。
というよりもオレは、駅前で配るチラシの効果を信じきってるので、会員さんが減れば現場に出て立ち働こう、という考えなんだった。
チラシ配りはいいよ、楽しいし、なんたって結果が裏切らない。
さてそんな折りに、また電話がかかってきたのだ。
受話器の向こうの相手は、「グーグルです」とでかい名前を出してくる。
さてはサギか、と感じたが、相手は声高にその表看板を掲げてるし、話もそれに添う内容になってる上に、金銭のやり取りが発生するわけでもない、という。
「おたくのサイトはこのままじゃまずいので、一度うかがって説明させてもらいたい」のだと。
ほう面白い、だったら勉強させてもらおうではないの、と工房まで足を運んでもらった。
待ち受けるオレの両隣には、パソコンのプログラミングの先生に、ウエブプロデューサーという布陣で(たまたまそこにいた)、ネット知識に抜かりはない。
現れた若造は、どうやら本当にグーグル(の枝葉会社)の社員らしい。
この人物がありがたいことに、わがHPを示しつつ、「こうだからだめだ」「こうすればよい」とお節介を焼いてくださる。
「トップ取んなきゃ意味ないっす」と、なんだかケンカ番長みたいな勢いだ。
しかしそもそも、練馬区で陶芸教室を検索してみたところで、ヒットするのはわずか数件なので、オレとしてはこの位置(三番目ってとこ)でかまわない。
なのに「いやいやいや、もっと上の方がいいですよ」となかなかしつこい。
このお定まりの口上の後に、さて営業、ということになるのだろうが、金の話は一切してはならぬ、と電話であらかじめ釘を刺しておいたので、新米め、カードの切りどころに逡巡があるようだ。
そんな頃合いだよ。
こちらが、「うちは地域密着型で、チラシ配りで対応してるんで」と発言すると、ここぞ!と思ったか、攻めに転じてきた。
「おっと、お待ちください」というわけだ。
「ネットの力を甘く見ないほうがいいですよ。チラシなんかよりすごいですよ」などとのたまいはじめる。
「絶大なのです!」と、全能の彼は言うのだった。
はて。
だとしたら、きみのやってることって・・・?
ターゲットのサイトを片っ端から調べ上げ、飛び込み営業でアプローチの電話をかけまくったのではないかと、オレは想像するのだが・・・?
さらにうちが反応を示したと見るや、あらんかぎりの言葉を尽くしてアポイントを取り、わざわざ時間を割いて現場まで足を運んでくださる。
この営業方法って、きみが言うところの「無駄骨」なんでないの・・・?
たしかきみのさっきの説によると、ネット上にその旨を示し、検索順位を上げ、じっと待ってさえいれば、顧客はあちらからじゃんじゃんとやってくるはず・・・
きみはきみが軽んじる古典的作法(電話・チラシ勧誘)を捨て、きみが自信を持って説くところの方法論(ネット集客)に殉ずる覚悟で、顧客を増やすべきなのでは・・・?
矛盾に満ちた彼は、おびただしい原始的努力と言葉数を乱費したにも関わらず、なんの契約を得ることもなく帰っていった。
彼の行動はどこかがおかしい・・・と違和感を感じてたのだが、今ふと気づき、書き出してみた。
グーグルも、けっこう現場主義で汗を流してるのだなあ。
しかしこれでは、なるほど説得力がない。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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