裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

生命の誕生、その思考実験・4

2020年10月11日 09時16分53秒 | 生命の誕生
化学式は誰もが頭痛とあくびを禁じ得ないシロモノだが、少しだけつき合ってほしい。
こいつは退屈に見えて、中学校を出たひとなら誰にでも理解でき、しかもとても単純で美しいやつだから。
C6H12O6(数字はちっちゃく右下につく)という化合物があって、これは「グルコース」という炭水化物、つまりご飯の中の栄養分(エネルギーの元)だ。
こいつを人間は体内でつくっておいて、酸素を吸う。
すると、
C6H12O6+6O2→6CO2+6H2O+エネルギー(言語訳→炭水化物を食べて酸素・O2を吸うと、二酸化炭素・CO2と、水・H2Oの老廃物が出るのと引きかえに、エネルギーが発生する)
となる。
植物は逆行程で、
6CO2+6H2O+日光→C6H12O6+6O2(二酸化炭素を吸い、根っこから水を取り込んで、葉っぱに日光を浴びると、体内で炭水化物ができる)
だ。
この過程で、分子が解体される際に剥がされた電子が、細胞内の物質間を移動していく。
電子は供与側から放り出され、受容側に渡り、その受容体がさらに強い受容体へ電子を供与し、それが次々とリレーされていく。
その受け渡しの都度、電子はエネルギーを放出する。
そして細胞は、そのエネルギーをため込むと同時に、細胞内から陽子を追い出す、というのだな。
陽子は電子の相方で、要するにプラス・マイナスで結ばれるべき両者が同数いると好ましいのだが、陽子が追い出されたせいで、細胞の内外に不釣り合いが起きる。
つまり、陽子数の勾配が。
そこで、外に追い出された陽子は、浸透圧における透過等圧の原則から細胞内に戻ろうとするわけだが、内外を隔てる細胞膜には巧妙な仕掛けがあって、陽子が中に戻る際に「水車を回す」ようなメカニズムを用意してるのだ。
こいつが陽子の通り抜け際にくるくると回り、エネルギーカプセル(ATP)がコロリと組み上がる。
あぶくの幕をへだてたイオンの出し入れだけで、エネルギーが発生するわけ。
おっと、これって、どこかで耳にした話では・・・?
なんと、このくどくどと長い連載ものの最初の回に出てきた、海底の熱水噴出口の電気発生におけるイオン勾配の話と瓜二つではないの。
あのときすでにあぶくは、このエネルギー獲得の方法を思いついてたのかもね。
このエネルギー生成システムは、数種類のタンパク質と複雑な構造を必要とするとは言え、おそらくは誰もが最初に思いつくような簡潔なメカニズムだ。
川が流れていれば、そこからエネルギーを取り出したいと考える者は、まず水車の構造を思いつくだろう。
それほど普遍的なものなのだ。
細胞のような極小の世界では、前述したように、電子が流れている。
そこに電子の流れがあるのなら、その抵抗と振る舞いから、この構造が立ち上がるのは自明、とまで思える。
それがつまり、深海の熱水噴出口ではじめてつくり上げられた・・・いや、自然に組み上がったんではなかろうか?
電子と陽子の量子的振る舞いと、イオンや浸透圧の勾配さえあれば、この機構は必ず稼働してくれるため、そこに「生命意思」は必要なさそうだ。
つまり、鉱物と無機物が転げ転げて、自然にこうなった、と考えることはできる。
さて、生物群が進化を見た現在、細胞内でエネルギーをつくるという重要な役目を担うのが、動物の体内においてはミトコンドリアで、植物においては葉緑体だ。
ところが実は、このミトコンドリアという小器官は、動物の細胞の中に巣食う「別の生物」なのだ。
なにしろ、動物本体(宿主)とはDNAが違う。
なのに、生まれたときからすでに宿主の細胞内にいるという、えげつないパラサイトなのだ。
同様に葉緑体も、植物の中に居候する別のひと(別だったひと)だ。
おそらくはむかしむかしに、助け合う関係のふたつの生物がいて、あるときどちらかがどちらかに取り込まれ、そのまま一緒に進化してしまったわけだ。
内外でふたつのパーソナリティを持ちながらも、「これは居心地がいいわ」「役割分担すれば一緒に生きていけるね」となったにちがいない。
こうしてやがて、宿主が外界から栄養素を持ち帰り、内側の居候に渡して内職でエネルギーをつくってもらい、それをまた受け取ってパワーを得た宿主が活発な外交活動を展開するという、ウィンウィン物語が成就したわけなんだった。
この「くっつき」「共存」「役割分担」という考え方は、初期生命発生のプロセスにおいても重要なヒントになりそうだ。
すなわち、ミトコンドリアや葉緑素のご先祖さまである初期バクテリア(未生物とする)は、とりあえずこの「エネルギー抽出機構」を身につけたわけだ。
そして、有機物がたまたま大規模に組み上がった構造を持つあぶくに、これまたたまたま飲み込まれた!

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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生命の誕生、その思考実験・3

2020年10月10日 04時45分46秒 | 生命の誕生
卵が先か、ニワトリが先か、という結論の出ない問答がある。
生命体における自己複製とは、突き詰めて言えば、タンパク質を各種合成して適切な箇所に配置する、という作業だ。
ここで問題になるのが、タンパク質が先か、それをつくる機械が先か、という点だ。
機械(生命のメカニズム)は、多種のタンパク質が組み上がってできている。
そのタンパク質は、機械によって生み出されている。
その機械はタンパク質からできており、そのタンパク質は機械からできていて・・・と、一体どちらが先だったのか?
いずれにしても、双方とも「あるときポンと」できるのは難しそうだ。
なんと難しい問題が、この最初の段階で出てくるのだろう。
あまつさえ、最初の生命体である「彼」がつくらなければなないのは、ただのタンパク質の構成体としての自分(の肉体)ではなく、「自分をもう一体つくることのできる自分」でなければならないのだ。
話が理解できているだろうか?
ここで、ある想像上の機械をつくることを考えてみる。
「自立式かつ自己完結式に自己複製ができる機械」を。
・・・よくわかるまいから、思考実験でそいつを実際につくってみよう。
その機械は、外からなんの干渉も受けずに、自ら動いてすべてをやってのける賢いものでなければならない。
その最終目的は、「自分のコピーをつくる」ことだ。
さて、まずは機械にエネルギー機構を取りつけ、自立的に動けるように配線をする(生命の獲得だ)。
そのエネルギーを使って工作活動ができるように、手、足をつけ、自在に動かせるようにする(運動能力の獲得)。
さらに、故障しても、機械自身が壊れた箇所を直せるような自己判断能力と修復機能を取りつける(機械は新陳代謝が可能になった)。
機械が自分を修理するには材料がいるので、それを外界から取り込み、部品として加工する機能も取りつける(補食と消化機能も手に入れたぞ)。
この「新材料獲得機能」は重要だ。
なにせ、機械が自分をもう一体つくる際には、材料がふんだんに必要になるのだから。
さあ、いよいよ機械に、もう一体の自分をつくらせる機能を盛り込まなければならない。
自分を複製するのだから、機械は自身の設計図をつくれなければならない。
この設計図が、やたらと複雑になってくる。
機械は設計図に、自分を構成する部品とその配置という「ハード」面を記した上に、自分に詰め込まれた上記の・・・つまり、運動機能、新陳代謝機能、補食と消化機能などの性能と、その使い方という「ソフト」面をすべて書き込まなければならない。
機械は、われわれがした作業をそっくりそのまま、自分で再現することを要求されるわけだ。
こうして機械は自分の複製をつくるが、もうひとつ、機械にさせるべき仕事で忘れてはならないものがある。
それは、複製にも次の複製をつくらせる、という伝言作業だ。
機械は、われわれがしたことをそっくり真似し、そして次の世代にそっくり真似させなくてはならないのだ。
こうしてはじめて、機械は未来永劫、自分のコピーを増やし続けることができる。
なんという複雑さだろう!
もうおわかりだろうが、機械に例えたこの一連の工程は、驚くべきことに、最初期の生命体が・・・鉱物に毛の生えたような(毛が生えるのはまだまだ先の話だが)原形質のごとき単純な物体が発明し、獲得した、生命として最も基本的な営みなのだ。
これらをコードスクリプト化して伝えていくことこそが、自己複製、つまり生物の増殖のコアの部分なのだが、本当にあの細菌や一個の細胞にも劣る心細い装備しか持ちえなかった原初の生命体が、こんな作業をやり遂げたというのか?
きみはできるだろうか?自分の姿かたちと体内の構造、それをどう使ってどう振る舞い、どう生きていくか、なんてことまでを事細かに言語化してメモに書き起こし、子供に正確に伝える、なんてことが。
ところが、そいつをやり遂げたのだ。
たった一個の、最初のご先祖さまは。

つづく

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生命の誕生、その思考実験・2

2020年10月08日 17時54分01秒 | 生命の誕生
あぶくの中で、アミノ酸という一単位が偶然にできたとしても、そいつがいくつかつながり合わなければタンパク質にはならない。
各種アミノ酸が何個も何個もくっついて、タンパク質はようやく構築され、生命のパーツとして有用になる。
そして、生命活動に使えるというだけあって、それは非常に大きく、複雑な構造なのだ。
アミノ酸をピーマンに例えるなら、タンパク質は「チンジャオロースー」みたいなものだ。
まったく偶然に、あぶくの中でそんな生成が起きるものだろうか?
何個かがぶつかりざまにくっつく・・・という程度の合体なら可能かもしれない。
ただ、数知れないそんな偶然が積み重なって、アミノ酸が延々と連なって(タンパク質という)求める形に行き着き、機能をしはじめる・・・なんて確率はそうそうなく、現実的とは思えない。
やはり、タンパク質の生成が自然に起きたと考えるのは難しそうだ。
この世界の掟に「エントロピーの法則」というのがあって、自然界はこれに従わなきゃならない。
ものの本によると、科学界で、原理、法則、理論・・・数あれど、本当に真理と確認されてるのは、このエントロピーの法則ただひとつ!ということらしい。
法則の内容はシンプルで、要約すると「世界は整然とした状態から雑然と散らかる方向へと不可逆的に進む」というものだ。
部屋の中を散らかしたら、自然現象(例えば、重力や磁力)のみで元に戻ることはあり得ない。
家が倒壊したら、ひとりでに(例えば、嵐や竜巻で)元通りに建ち直ることもあり得ない。
例えばそこに人間の意思が介入し、建て直そうという意図と、自発的な運動を加えないことには、再び家が建設されることはない。
別の言い方をすれば、自然に反した秩序をつくり出すのが、生命の意思の働きなんであって、それなしには、自然界は秩序立ったものの破壊のみを行う(素粒子の量子的振る舞いや、圧力、熱、電磁気力などで、天体を形づくったり、鉱物の中に美しい結晶を生むようなことはあっても)。
整ったものを崩していく自然のこの振る舞いの過程を、「エントロピーの増大」と言い、エントロピーが最大値になると、宇宙はまったくなにもない、エネルギーすらゼロという、沈黙の世界に丸められる。
でこぼこが一切ない真っ平らにならされる、というか。
散らかり方も極まると、整頓と清潔の境地に至るわけだ。
だとしたら、生命活動が構築するこのきれいに整った、いやらしい言い方をすれば「人工的」で「作為的」な僕らの世界とは、エントロピーに抵抗しようという試みなのだろうか?
いやいや、エントロピーの法則は絶対的なもののはず。
シュレディンガーが「負のエントロピー」と呼んだ生命活動だけど、その因果応報はエネルギーの保存則に反せず、概念上の根本世界はちゃんと乱雑に荒らされてカオスに向かうため、エントロピーは無事着々と増大していく、ということのようだ。
・・・説明が長くなったが、つまりなにが言いたいのかというと、アミノ酸が集まって、自然にタンパク質ができるものなのか?ということだった。
仮に、驚くべき確率の話だが、各種のタンパク質ができたとして、そいつが偶然にも「われわれが求める機能」に必要な部品としてすべてそろったとして、それが「われわれが求める形」に正確に並んだとして、そいつを自然の現象のみで稼働させることができるものだろうか?
つまり、「生命による意思」抜きで。
素晴らしい奇跡が続きに続き、無事に機械(久しく触れなかったが、自己複製の話をしていることを思い出してほしい)が組み上がったとして、一体誰がスタートボタンを押すというのか?
そこだけは、自然の力ではできそうにないのだ・・・

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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