裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

見事なひと「天皇陛下」

2018年12月27日 10時13分23秒 | Weblog
平成が終わるのですね。
天皇陛下、お疲れ様でした、と申し上げたいです。
代々、神様の家系だったものが、前の代で突然に「にんげん」に、しかも「象徴」となるべし、と決定されたのですから、その戸惑いはいかばかりだったかとお察しします。
この奇妙な「象徴」という言葉を、天皇家はおそらく「お手本」ととらえたのでしょうね。
その通りに、彼らは実に立派な、絵に描いたように穏やかで平和な家族を築き上げ(じゃなく、おそらくは演じ)て見せました。
そのお姿は、最高度に洗練されたサザエさん家のようでもありました。
日本の家庭はかくあるべし。
日本人の心はかくあるべし。
それは、まじないでもありました。
天皇陛下と皇后陛下、それにその周辺の皇族の振る舞いを日々目にする日本国民は、そのおかげで、常識的で抑制的であらねば、と自分を律することができたのだと思います。
陛下は象徴でありつつ、国民の鑑であったわけです。
決して乱れず、悪意を持たず、常に弱い者の身に寄り添う。
それは、立場や任務などという俗世の枠組みやきれいごとを超越して、まことに尊いお姿でありました。
ただただ人間として崇高な態度。
それが、今上天皇の真の価値だったんじゃないか、と思うのです。
お見事でありました。
サンキュー、陛下。
自由で楽しい余生を!

・・・こんなことばっか書いてるけど、オレ、右でも左でもないんで、よろしくです。

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びっくりした捕鯨の話

2018年12月22日 21時56分53秒 | Weblog
日本の悪口ばっか言って、嫌なとこばっか並べ立てて、おまえは非国民かっ!
・・・と怒ってるおっちょこちょいがいそうですが、これがオレの愛国心ですから。
日本を誉めそやしてばかりのやつ、てめーの方こそちっとも日本のことを想ってねーだろ(あるいは、日本のことを知らないか)。
つわけで、また悪口です。
捕鯨してますよね、日本は、どれだけ諸外国様から非難を受けても。
んで、その非難の声に耐えかね、日本は IWC(捕鯨を管理する国際団体)を脱退する!ってことになったんでした。
オレもね、クジラは獲らない方がいいなあ、だいたいかわいそうだよ、だけどあのクソシーシェパードに対抗するためなら日本がんばれ、権利の限りにクジラを獲りまくったれ!だいたい鯨漁は日本の文化だ、それにクジラを間引かないと世界中の海の魚がクジラの餌として一網打尽になってしまう・・・ってふうに考えてました。
ところがですよ、ちょっと気になる情報を耳にしたのですね。
まんま垂れ流すんで、興味のあるひとは聞いてください。
日本の文化としての捕鯨は、別に IWC方面から止められてるわけじゃないみたいですよ。
昔から伝統的につづく「自国沿岸での捕鯨はやってくれてかまわない」と、三度に渡ってお達しをいただいてるようです。
が、なぜか日本はこの提案を蹴るのですね。
「我々がクジラを獲りまくりたいのは、南氷洋だ!」と。
・・・これって、日本の古来からの捕鯨文化とはまるで関係のない主張です。
そしてその南半球というひとの庭で、日本は「調査」と称して、捕鯨に乗り出してるのです。
なんの意味があるんすかね?そもそもそこまで船を出すと何十億円という出費がかさみ、売れども売れども採算がとれるわけがない。
しかもこれが、ミンククジラあたりの、それこそ伝統的に食されてきたやつにしとけばいいのに、「でっかいザトウクジラを獲る!しかも50頭いただく!」と宣言し、獲りまくってるというのですよ。
ここからがえげつない話になるのですが!
このオセアニアから南氷洋という地域(海)は、国際的に「クジラのサンクチュアリ(聖域)」と定められてて、捕鯨を認められた数少ない他国も絶対に足を踏み入れないエリアにも関わらず、そこで日本船は平気で狩りまくってるというのですよ。
楽園のようなサバンナ・セレンゲティで、ライオンを撃ちまくるような感覚ですかね。
その狩りまくってるザトウクジラというのがまた、付近の保護団体が一頭一頭に名前をつけ、家族のような(あんたのとこのペットみたいなもん)気持ちで見守ってるという尊い個体群。
それが、日本の捕鯨船の無法によって、一頭、また一頭と姿を消していくのですと。
彼らの憤怒と怨恨に燃える気持ち、ちょっと理解できてきました?
そこで立ち上がったのが、シーシェパード、ってわけですよ。
こうなってくると、風向きは変わります。
ちょっと応援したくなりません?シーシェパード。
有名人たちがこぞって支援金を出したくなるわけです。
んで、なんで日本がそうまでして捕鯨をつづけるのか?っつーと、これが何者かの利権がらみなんですと。
こんなことがですね、山本太郎の国会質問であったんで、一応お耳に入れときます。
ここんとこ、日本は国際社会において、ひんしゅくを買うことおびただしい(環境系、兵器系、人権系・・・枚挙にいとまなし)。
今日び、「あの国は、恥というものを知らんのか?」と囁かれてはじめてることを、日本国民は知ってるんですかね?
また安倍さんの話になりますが、本当にこの人物が総理大臣になって以来、日本は変わりました。
支持、不支持、はこの際もうどうでもいいけど、この国で起こってることと、他の国からこの国がどう見えてるのかってこと、それだけはちゃんと客観視しといた方がよろしい。
それでも安倍さんを支持できるなら、見事、と言わせてもらいましょう。

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オレの年金

2018年12月21日 23時40分37秒 | Weblog
以前は、株価が落ちれば「金持ちが困ってやがるザマーミロわっはっは」と愉快だったけど、今じゃそうはいかないのだあ。
なにしろ、自分の大切な年金が、国家によって勝手に株にぶっ込まれてんだもんなあ。
なんかもう、わが子を見守るように株価の折れ線を見守ってしまうよ。
「たった!」「あ、ころんだ!」なんて。
将来、大丈夫なのかなあ・・・まあねえ、今さら年金がもらえるなんて思ってないけどさ。
とにかく、そのぶっ込まれる額たるや甚大なんで、もう手のつけようがないように思える。
たぶん、たぶんの話ねここからは(政府が情報をよこさないからしょうがない)。
昨今の「好景気」と喧伝されてる時期の株価は、国家が国民から預かってるはずの年金をじゃぶじゃぶにマーケットにつぎ込むことで、高値で安定させてたわけよ。
政府発表は「収支はプラス」ってことだけど、そりゃ儲かるだろ、自分で手持ちの株を売り買いして株価の上昇下落をコントロールしてんだから(このへん、なんでインサイダーを問われないのかが不思議だよ・・・)。
そうして、海外のトレーダーを悦ばせてさしあげてきたわけだ。
しかし、今やめちゃくちゃに、本当にデタラメなほどにめちゃくちゃに株を買い進めてしまったわが国は、株価が落ちはじめると、さらに逆張り的に買い支えて、安定状態に戻すしかない。
こうして自らの損を隠し通すために株券の入った金庫を膨らませていくわけだが、こいつがもう、売りたくても売りようがない。
利益を出そうというほどの量を売れば、相対的に株価を下落させてしまうのは必至なんだから。
つまり、株価が上がっても、売り抜けられないわけだ(利益を出せない)。
逆に、下がれば、株価を支えるために買うしかない(損をする)。
このジレンマ、理解できる?
上がれば売るわけだが、持ち株の量が尋常じゃないんで、売れば下がり、下がれば上げるために買うしかなく、どうしても、どうやっても、得分は相殺され、損分は取り返すことができない構造だ。
株価がそこそこで安定してる局面ならまだいいが、ふと急激に落ち込んだときが怖い。
含み損を抱えて塩漬けにするか、さらにさらに買い進めて株価を戻すしかない。
その購入量は、わが国における国債発行量と同様に、際限なく膨らみつづけるものと思われる。
最終的にわが国は、わがはいの計算上、わが国の企業発行の株の大半を保有するに至る(今もすでにそれに近い気がするが)。
さて、ここでまた安倍さんなのだ。
安倍さんが考え出すあらゆる政策は、この国を共産主義か、あるいはナチスみたいな国家社会主義(政府による産業の国有化と統制経済)にしようと努めてるものと思われるんだが、この意図しないところの(とはいえ必然だが)株の買い占めによって、それは皮肉にも実現されてしまうかもしれないね。
すべての日本企業は、日本政府による株の買い占めによって、国有化される・・・というのが、わがはいの見立てなんである。
そのとき、年金はどうなるんだろう・・・?
株券でもらうことになるのかなあ?

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学習

2018年12月19日 21時02分24秒 | Weblog
「中学の理科を大人のために網羅した」みたいな分厚いのを読んでるんだけど、こんなおさらいが結構面白い。
あの頃、教科書なんて少しも面白いと思わなかったけど、きちんと読み解くと、ファンタジーにあふれた世界が描かれてたんだなあ。
・・・いや、当時の文面を思い返してみても、こうは書かれてなかったはず。
教科書をつくるやつは、「伝えよう!」という執念と思い入れなんて持ってなかったにちがいない。
試験に必要な情報を詰め込むのに精一杯だったわけだ。
でなきゃ、ああまでクソ面白くない形に編纂できないよなあ。
あるいは、社会が悪かったのだ。
「学生には、質よりも量を詰め込むべし!」って、味に無頓着な学生街の大盛り飯屋をありがたがるようなもんだもんなあ。
とにかくまあ、こっちはガキだったのだ。
結局、未熟者なんで、どう書かれたところで、現象面の丸暗記はしても、真理の構造理解まではできようになかった。
京都、ね。
あの町は、中学生風情が修学旅行で回ったところで、たいして面白くない。
あそこは、知性と品格を身につけた大人が観てこそ、魅力が100%伝わる町。
それと同じで、中学生に物理学の真のシブさはわからない。
大人になってこそ、味わい深く楽しめるというもの。
いや、こうまで美しく構築されてたとは・・・
カミソリ一枚のすき間もなく、こうまで矛盾なく論理が整えられてたとは・・・
先人の心の砕き様と、その成果の精密さは、人類の営みの崇高さの現れ。
シンプルで初歩的な方程式を見てくだけでも、まったく、息を飲みたくなる。
ああ、勉強、楽しい。
そして残された時間を考えると、せつない。
頭がもうバカになってるから、入れても入れても抜けてく感がすごい。
もっとガキの頃にやっとくんだったなあ・・・
だけど、あの頃やってもつまんないだろうしなあ・・・
人間は、ジレンマに満ちてる。

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不幸な国

2018年12月19日 13時32分12秒 | Weblog
キャッシュレスの報道なんかを見るにつけ、ようやく日本の著しい遅れっぷりが露見してきたみたい。
日本は、世界の文化文明の成熟度から完全に置き去りにされて、今や海外の人々は、「なつかしい原始社会」を体験しに日本にきてるんじゃないかしらん(旅費がひどく安上がり、ってのも含めて)。
これを言うとまたアレになるけど、すべてが自民党のせいだなあ・・・
政治が古い、古すぎる。
過去を振り返ってばかりで、未来を見るということがついぞない。
海外がひたすら発展・未来化をつづけてきた三十年間において、この国はなにも変わることがなかった(ものすごく長い長い好景気らしいのになあ、政府発表)。
平成も終わろうかというこの時代になってもなお、景気にテコ入れをしよう!で考えるのが、公共事業に、オリンピックに、万博だって、ふわあ・・・
電気は、なんと原子力だってよ、ぷぷ・・・
車はハイブリッドだって、それっていつの文明?
そしていよいよ、日本はグローバル社会に向けて国を開こうとしてるわけである!
・・・世界中が、グローバル社会を過去のものとするパラダイムシフトでそのひずみを正していこう(荒らす方向だが)、って時代に至り、ついに。
ほんとにトラック一周ですんでるのか?日本のこの遅れっぷりときたら。
日本は先端技術を持ってるから大丈夫、って?
いやいやいや、今日びの日本なんて、なにひとつ持ってないよ。
それは昭和の先端技術(すなわち、いろんなテレビ番組がこぞって鼻高々に自慢してる「職人技」っての?)であって、そんなものは瞬く間に絶滅する。
「最」先端技術分野で、日本が世界に太刀打ちできるものなんて、絶無と言っていい。
躍進著しい中国や韓国が(いろんな側面はあるが)うらやましい・・・とは、日本国民は決して言うまいが、じつは、そう感じるべきなのだ。
彼らは、実にうまく立ち回った。
考えに考え、実行し、そして成功した。
そこには、きちんとした戦略があった。
対して、日本のこの手遅れ感は、全部自民党の頭の悪さのせいと言っていい。
ああ、それでも我が国は、自民党の方針に従うのだなあ。
残念だー。
なにが起ころうと、なにも起こるまいと、わが国民は、そんな党に支持を与える。
まるで考えもなしに。
ま、野党がもっと残念、ってことの裏返しだが。
この国は救われない。

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今日も言う。明日も言う。

2018年12月18日 09時22分19秒 | Weblog
ネット(こんなブログとかSNSとか)で、社会的、政治的、対個人的に、余計な発言をしてるぼくです。
言わなきゃいいのに、と思うでしょ?
ぼく自身もそう思います。
その方が楽ちん。
それに、この情報収拾にビッグデータ、プロファイリングの時代。
当局からチェックされ、監視を受けるかもしれませんね。
だけど、口をつぐもうとは思わないのですよ。
プチ運動家でいいよ、もう。
発言したいことは、発言すると決めてます。
窮屈な目に遭いたくないために、自由業を選んだんだもの。
逆に驚くべきは、発言しない人々の姿勢。
特に同業種の連中には言いたい。
いやしくもものをつくってる身でありながら、なにを躊躇するのか。
出るクイになりたくないとな?
ヘタレもいい加減にしろ。
そんなやつはものつくりをやめて、体制側の公務員になれ、わんわん。
発言を控えてる人間がつくり出すものは、この世界の真っ暗な将来そのもの。
あの軽蔑するべき政治家たちに、あなたたちはフリーハンドを与えてるわけだ。
こうまで彼らが横暴になったのはね、あなたたちの黙認のせいなんですよ。
声を出せ、勇気を出せ、と言いたい。
気に入らないことには、いちいち悶着を起こしていいのです。
そうすれば、多少は彼らも手こずると思うのですよ。
あきらめてます?
あきらめた先に、どんな世界が待ってるか、知ってます?
発言するの、怖いです?
本当に怖いのは、発言をしないで済ます世界と、その将来だとは理解できません?
というわけで、今日も余計なことを言ってるぼくなのです。

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チラシ配り

2018年12月14日 08時16分00秒 | Weblog
新しいチラシの出来をあまりに気に入ってしまい、うれしくてたまらないんで、駅前でちょくちょくと配ってるのだが。
結局、誰がこれを手にしてくれるのか?という問題なのだよなあ。
つまり、ここにおいてすでに、人柄のいいひとだけが受け取ってくれる、という構造になってるわけだ。(昨日のブログのつづき気味)
「陶芸教室のご案内ですよ〜」かなんかとのどを枯らしてると、それに反応して足を止めてくれるのは、たいがい穏やかで、心優しく、そこそこ知的で、そこそこ可愛らしいお嬢さんたちだ。(それと、なんでもかんでも受け取ってみるという習性を持つおばちゃんたちと)
中には、わざわざ通り過ぎてしまったのちに振り返り、戻ってきて受け取ってくれるひとも少なくない。
その誰もが、目をキラキラさせてて、手渡すこっちとしても自然と気分よろしくなってしまう。
一方で、こうして駅前配布をしてると、絶対にこの人物は受け取ってくれまい、と相手の拒否反応まで察知できるようになる。
ここに例を挙げれば、

1、ものすごくおしゃれなひと
せっかく長く整えた爪を汚したくないのかもなあ。
2、ひどく威張って肩をいからせたひと
教えられる、という立場にそもそも興味がないようだ。
3、耳にイヤホンで歩きスマホのひと
こちらにも(車両にも)気づかないから仕方ない。
4、タバココーナーに急いでるひと
エネルギーが切れかかってるにちがいない。
5、眉間にしわを寄せたひと
おいおい怖いぞ、なにがあったんだ?
6、ひどく落ち込んで生気を失ってるひと
チラシどころじゃないのだなあ。

そんなわけで、激しい性格だったり、心がささくれ立ってたり、とてつもなく高い位に就いてたり、絶世の美女だったりする人物は、チラシを受け取らないようになってるんだった。
こうして無事にチラシは、人柄よろしき隣人たちに届けられる。
チラシは、受け取ってもらい、きちんと目を通してもらい、そして手元に残してもらう、という三拍子が必要なのだが、わが新作は、美しい配色をチラつかせて手に取るように誘導し、手にした以上はマンガで読まざるをえなくし、割り引きの半券に輝きを放たせて捨てることをためらうように、上手につくられてるのだ。
まったく、素晴らしいチラシができたものだとホレボレする。
ああ、あのときのきみよ、早く工房にきたらいいのに。
ま、いつでもその気になったらおいでくださいな。
チラシ配りは、希望の種をまくのと同じ。
けっこう好きな作業だなあ。





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陶芸

2018年12月13日 10時40分37秒 | Weblog
みんなお待ちかねの窯出し・・・だけど、いちばん楽しみにしてるのは、実際に作業をするオレなのかも。
なんたって、面白いんだから。
十六時間焼いて、まる二日間冷まし、ついに扉を開けられる。
ほんとに待ちかねるよ。
そして、一点一点を鑑賞しながらの取り出し。
これが、大興奮。
みんなが悩み、苦しみ、汗をかきかき、そして楽しんでつくってくれた作品を、ついに焼き上がったホカホカの状態で手に取ることができるなんて。
こんなこと、ひとりきりでやらせてもらって、バチが当たんねーかな。
この上なく楽しい時間だ。
まったく、なんて素晴らしい仕事を選んでしまったんだろう、と本気で感じる。
あと、それに輪をかけてうれしいことがある。
陶芸教室をやっててしあわせなのは、人柄のよろしい人物しか集まらない、ってところ。
性格の悪いやつ、意地悪なやつ、横柄なやつ、「うぜー」「めんどくせー」「だせー」「きたねー」を口にするやつは、決して陶芸に手をつけようとはしない。
陶芸は、穏やかで質のいい人間だけがやりたがる、という魔法のような遊びなのだ。
「テロリストになるかわりに、芸術家になった」ってのはニキ・ド・サンファールの言だけど、「お寺にいくかわりに、陶芸をしてみた」ってのが工房生の心持ちなのかもしれない。
すげえなあ、陶芸。
これを見つけて、飛び込んでみて、しみじみと、よかった。

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