裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

被害者そっちのけ

2018年05月24日 09時50分16秒 | Weblog
日大のセンス、想像以上ですね!
いやー、おもしろい!
よめはんの肩の落としようと完全に反比例して、ものすごくおもしろいです!
いろんなキャラがふんだんに用意されてて、こんなに豊かな舞台芝居ってありませんよね。
言ってることはスカスカなのに妙に胸を張ってる支配者に、ボキャブラリーが貧困すぎる筋肉脳の取り巻き。
二週間も雲隠れしてたんだから、もう少し策を練っとけよ〜(アメフトの戦略って、バカでもできるんだなあ)。
それに暴虐極まる進行役の配置まで、ほとんど吉本新喜劇かと見まがいます。
そんなひどいありさまの権威側に対比して、ひとりものすごく健気な自己犠牲の勇者。
この図式は、日本人が昔から好む勧善懲悪ものの典型。
報道が食いつくのもわかります。
だけどこれ、また政権による目線の誘導じゃないですよね?
都合の悪いことが出てくるたびに、世間の目を引く大事件が起きる、ってのは不思議。
それにしても、日大はどうなっていくのかな・・・
立ち上がらなきゃ、OB。
・・・だけど、穴があったら入りたいその気持ちもわかる。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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高潔、不潔

2018年05月22日 12時43分25秒 | Weblog
よめはんが日大卒、よめはんの父ちゃんは日大の教授、って日大(芸術学部)一家なんで、みんなで頭を抱えてます。
そういえば、日芸って、日大だったんだなあ。
「反則タックル」って記事が並んでるけど、ありゃ厳密に言えば、タックルじゃないですね。
審判が時計を止めた後の意図的な激突は、どつき倒すのと同じ「暴力」。
相手に怪我を負わせようとしてのその行為なら、犯罪として取り扱う他はありません。
それを指導者が「生徒」に指示してたんだとしたら、そこにはスポーツに対する愛も、教え子に対する愛も、絶無。
人間のクズってことになります。
この洗脳教育は、特攻とそっくり同じ構図。
戦中世代はやはり、教育に関わっちゃダメ。
それにしても立派な会見でしたね、ナントカ選手。
こんな高潔な人物が、まじないひとつで、悪業に手を染めてしまうんだなあ・・・
しかし、その後の清廉な振る舞いで、立場を大逆転させたと言っていいでしょう。
言葉って、誠意ですね。
それに比べて、日大の後処置の陳腐さときたら、目も当てられません。
監督の謝罪がなんであんなに胸を張って威張った感じになるのかもわからないし、忖度極まる広報部の、言い訳で逃げ通そうって態度も理解不能。
バカで、不潔で、どうしようもない。
現在の安倍政権の末期の姿に瓜二つに見えます。
身内がそれをやってんだから、我が家(よめはん家)の気恥ずかしさ、面目のなさがわかってもらえますかね?
だけどまあ、ここまできたら、どこまでも落ちるのがいいでしょうね、日大。
至学館大学同様、上の人間がこうだと、学生から卒業生まで、全員が恥をかかされます。
とっととやめろ。
そういえば、至学館の女学長と、日大アメフト部監督、きょうだいみたいに似てるなあ・・・

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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コピー問題

2018年05月09日 21時52分35秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
・・・というわけで、思考実験で生命機械をつくってるわけ。
系の独立と、動的平衡の問題は、難しいにしても、古典的な化学の応用でなんとなくクリアできそうな予感はある。
だけど、自己複製に関しては、ハードルがはるかに高い。
生命の仕事として、ただ生きて動ける、ってだけじゃなく、自分が生きて動ける間に、次の世代を・・・すなわち、自分と同様に生きて動ける分身を、つくらなきゃならない。
これが自己複製問題。
地球上における生命体はみんな、DNAってやつを用いて、この難題を解決してる。
が、一体どうして、我々よりもはるかに下等な原始的生物がこんな高度な発想に至ったのか・・・それがまったくわからない。
自分と同じ形状を再現する、ってんなら、現代には3Dプリンターがある。
そこで考えてみる。
3Dプリンターが、自らの機能を使って自己複製をする(新たに3Dプリンターをつくる)とどうなるか?
これは、生命体が自分を複製するのとまるで同じと言える。
なぜなら、生命体が複製した次世代の生命機械はその中に、そのまた次世代の生命機械を複製できる3Dプリンターを組み込まなきゃいけないんだから。
つまり生命体は、自分をもう一個つくる機能を備えたもう一個の自分をつくる必要がある、ってことだ。
そこで、3Dプリンターで3Dプリンターをつくりあげてみる。
複製には、素材もきっちりとそのものが使えると仮定しよう。
ところがこれが、とてつもなく難しい。
形状を・・・つまり一個一個の部品を正確に複製するのは簡単だ。
しかし、こいつを組み立てないと、次世代の・・・つまりもう一台の3Dプリンターをつくり上げたことにはならない。
それをするには、その部品を組み立てる別の機械が必要になってくるので、その機械も3Dプリンターでつくる。
さらには、その機械もまた組み立てる必要があるので・・・こいつは堂々巡りとなる。
その点をクリアしてついに3Dプリンターを組み上げたとしても、今度はそいつを動かすプログラムもまた複製しなきゃならない。
プログラムなんて形のないもの・・・いわば「ものを動かす」という概念を、言語もなしにどう複製するのか?
また、機械が組み上がってプログラミングも終えたとして、その動力源も複製する必要がある。
3Dプリンターで言えば、電気だ。
というわけで、エネルギーを生み出すメカニズムもまた複製しなきゃならない。
まったく、奥底が知れない・・・
複製とは、形の設計図だけの問題じゃなく、その目的という観念自体を伝えていく作業も含まれるので、こいつを「魂」抜きに物質だけで進めようとすると、なんともどこからどう手をつけたらいいのかわからないんだった。
自分向けの備忘録につき、文脈が無茶苦茶、失礼。

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神様を垣間見てる

2018年05月06日 23時36分46秒 | Weblog
ここ数年も「場の量子論」を勉強してて、ようやくおぼろに理解できてきたぞと感じてたとこなのだ。
だけどそろそろもういいや、って感じになってきたんで、切り替えて、まったく新たに興味を持った「生命の発生」なんてことをこれまた茫洋と追っかけだしたところ。
ところが、それらがなんと実はひとつながりになってて、これまで追っかけてきたやつは完全にこれからやるやつの基礎にすぎなくて、次こそが応用であり本体である、ってことに気づかされて、今さらながらに衝撃を受けてるとこ。
今までやってきたことは全部、これからやることのための準備だった!
まるで、彫刻をやって高校教師をやってマンガ家をやったなんの気なしの前半生が、後半生に見出した「陶芸教室の先生」って天職に全部収れんした、ってあの流れみたいだよ。
自分にとって今や基礎知識に過ぎない存在となった量子力学が、生命科学に組み込まれた化学や生物学の実用面でさんざんに使い倒されてるのを見るにつけ、逆説だけどようやく量子ってものが理解できて、その振る舞いと構造が腑に落ちて、本のページをめくるたびに蒙が啓かれてく気分。
神様を信じるひとの気持ちが少しわかってきたよ。
あの信仰の深さと熱意を、オレは論理と計算の方に向けてるに過ぎない。
そこに真実(自分なりの)を見てる、って点は、まったくおんなじだー。



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