箕面の森の小さなできごと&四季の風景 *みのおハイキングガイド 

明治の森・箕面国定公園の散策日誌から
みのおの山々を歩き始めて三千余回、季節の小さな風景を綴ってます 頑爺<肇&K>

箕面川ダム湖---清水谷---東海自然歩道---自然四号路へ

2015-05-28 | 箕面・春のハイキングガイド

 

‘15-5-27  

 

 

まだ5月なのに朝から暑く、お昼には31℃とか・・・

 

箕面ビジターセンターに着き一休みです

ここはどの季節に来てもいい癒しの空間です

      

 

 

 

 

 

            

 

 

 

箕面川ダム湖から周遊路へ

        

 

 

 

            

 

 

                

            

 

 

 

 

 

         

                

 

  

箕面林道口から清水谷林道へ

台風で心配したケヤキの大木もまだしっかりと岩に

根を下ろしてます

 

         

   

 

 

続く自然8号路を上ります

小さな谷川の流れが心地いい響きです

        

 

 

 

 

 

            

 

 

尾根の東海自然歩道に出ると最勝ヶ峰(538.5m)で一休み

耳を澄ませ沢山の野鳥のコンサートを聴きます

            

 

 

山頂の「開成皇子の墓」を参拝

        

 

 

東海自然歩道から脇道に入り自然四号路へ

カラフルな山ガールと挨拶・・・

         

 

 

 

 

 

 

  

        

 

 

 

 

 

 

自然4号路や東海自然歩道は、四季折々 

私に感動を与えてくれる癒しの散策路です。

 

  小さな写真は画面をクリックすると拡大します)

 

 

 


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みのおの森の楽画記! ‘15-5月

2015-05-28 | *みのおの森の小さな楽画記 !

 スケッチ画 ‘15-5月

 <みのお・鉢伏山 山頂から>

‘15-5-1   (342)

ウグイスの谷間に響く春の風

 鉢伏山頂に着くと、ウグイスが二羽鳴き合っていて、それが谷間によく響いている。小さな体でよくこの通る美声が出せるものだと恐れいる。暖かい春風が心地いい。

 

 <教学の森・松騒コースから>

‘15-5-8   (343)

太陽をさえぎる谷間 若葉萌え

 「望海の丘」から谷間に下ると少しヒンヤリする。太陽をさえぎる若葉でいっぱいだが、下から見上げると葉が透き通って更に緑を増し美しい光景が広がる。

 

 <箕面渓流とタニウツギの花>

‘15-5-10   (344)

渓流に優雅に揺らぐタニウツギ

 箕面大瀧上の渓流沿いを歩くと今 タニウツギの花が美しい。谷川のダイナミックな流れと、優雅に風に揺らぐ花とが調和的で面白い。

 

 <こもれびの森から箕面川ダム湖を望む>

‘15-5-15   (345)

古参より若さ勢いみのお森

 全てが緑色だ。しかしよく見ると濃い色した古参の常緑樹と、新緑で淡い色した落葉樹が混在しているものの、今は新緑が勢いづいて力強い。

 

 <新緑の西江寺南口>

‘15-5-20   (346)

美しきモミジ若葉に未来あり

 階段下からふっと見上げるとモミジの若葉が萌えあふれている。風に揺らぐその若々しい美しさに見とれる。5月の風はさわやかだ。

 

 <勝尾寺境内から>

‘15-5-22   (347)

新緑にシャクナゲの色 飛び跳ねる

 シャクナゲの花越しに多宝塔を望む。新緑の反対色のシャクナゲの色が対比的で、躍動的な季節を感じさせる。


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田植えの終わった高山

2015-05-26 | 箕面・春のハイキングガイド

 

15-5-22  

 

 

幼児期の原風景は、古稀を過ぎても忘れられないものですね。

大都会の生活にに浸りながらも、田舎の風景が近くにあるのは

嬉しいものです。

 

 

        

 

 

 

         

         

 

 

少しだけ故郷 安曇野を想いおこします

 

 

 

 

        

 

 

箕面川の源流 高山川の始まりです

   

 

 

穏やかな楽しい一日を過ごしました。

 

 


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勝尾寺 周辺巡り!

2015-05-21 | 箕面・春のハイキングガイド

 

‘15-5-20  

 

 

勝尾寺園地から自然8号路を上り、東海自然歩道へ

帰路 勝尾寺裏山から境内の入り、いま盛りの

石楠花の花を見ます。

 

勝尾寺園地に着くと、何組かの方々がピックニックランチを

広げています

 

           

 

 

 

 

自然8号路を上ります

            

         

 

        

        

 

 

尾根道に出て東側を見ると、樹間から 箕面・彩都 の

街を遠望

     

 

 

 

 

東海自然歩道に出ると、北側に25000基が眠る 

北摂霊園 が広がる

    

 

 

 

証如峰(604.2m)から <F-5> 地点の裏山から

勝尾寺へ

        

        

 

 

勝尾寺 二階堂の裏から境内へ

            

        

 

 

        

 

 

         

 

   

 

石楠花の花が美しい境内です

 

 

 

 

 

        

 

 

 

 

 

          

 

 

 

         

 

       

     

 

 

 

 

 

 

 

 

箕面の山の奥に位置する勝尾寺は、

いつ来てもその美しい景観に見とれ心静かに浸れる空間です。

 

 


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稲葉 和裕 ブルーグラスキャンプ

2015-05-19 | 箕面の森のあれこれ話し!

‘15-5-16  

 

 

箕面市立青少年野外活動センターの施設で行われる

「第4回 稲葉 和裕 ブルーグラスキャンプ」 が

2日間に渡り開催される。

 多くのブルーグラスファンが箕面の森に響くブルーグラス音楽の

生演奏 38バンドに酔いしれます。

 多くの人が泊まれる森のロッジ(一泊600円と安い)があるのも、

ファンや演奏家達にとっても楽しいキャンプです。

 

 

        

 

 

 

 

 

         

   

 

 

 

私は毎朝、6時から1時間 (土・日は2時間) 

「タッキー816みのおFM局」から流れるDJ藤井崇志氏選曲の

ブルーグラスランブルを楽しみに聴いてますが、

毎日1~2時間もブルーグラス音楽を聴けるのは、

日本広しといえどもこの地元箕面の 「みのおFM局」 しか

ないのも嬉しい限りです。

 

 


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ブルーグラス懐古店  (1)

2015-05-19 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

みのおの森の小さな物語 (創作ものがたり) 

 

 

ブルーグラス懐古店  (1)

 

 

そぼ降る小雨の中、桜井駅近くの路地を入った所にその店はあった。

蔦の絡まるレンガ造りの古い館だ。

玄関口には年代物のカントリーランプが灯り、その下には鉄製の

アーリーアメリカンタイプの傘立てが置かれていた。

  

  ・・・やっと見つけたよ・・・ こんな所にあったのか・・・

 

有田 豊彦はもう小一時間ほど周辺をウロウロと探し回っていたので

正直ホッとした。

  「近くに朝から晩までブルーグラス音楽だけをかけているという小さな

   喫茶店がある・・・」 と小耳に挟んでいた。

  「今日は雨だし、ちょっと探しに出かけてみるか・・・」 と 豊彦は

傘をさして家から歩いてきたのだった。

 

箕面自由学園の校門前を通りかかると、チェアーリーデイング部が

<7年連続 日本一> になったとかで、その大きな大横幕が

雨に濡れながらはためいていた。 

 それに今朝の新聞には地元 府立箕面高校ダンス部が

何やらアメリカでの世界大会に優勝したとか書いてあったな・・・ と

少しわけもなく元気を貰ったような気がしていたが、初めての店探しには

少々疲れた。

 

豊彦は口ヒゲについた雨滴を右手で拭いた・・・ 

ヒゲは退職後、中近東へ旅行に行く前に、息子から 

「日本人は幼顔だからヒゲでも生やして行けよ」 と言われ

伸ばして出かけたものの、帰国後も元来の無精者でそのままに

しているだけだった。

 

カントリースタイルの木の扉を開け、豊彦はそっと伺うように店に入った。

いきなり軽快なパンジョーのリズムが聞こえてくる・・・

    うん Rocky  top    かな?

 

  「いらっしゃい!」

カウンターの中からアゴヒゲを生やし、カーボーイハットをかぶった

マスターらしき人が声をかけた。

 客は一人・・・ 

カウンター前に小柄でメガネをかけた同年輩の男が一人いる

だけだった。

 

豊彦は二つしかない四人掛けのテーブルに腰を下ろし、店内を見渡した。

10数坪の狭い店内だが、壁から天井までカントリースタイルのポスターや

歌手の写真が所狭しと貼ってある。

そして所々にブルーグラスを奏でる楽器が置かれている。

五弦バンジョー、フラットマンドリン、ヴァイオリン(フィドル)、リゾネットギター

(ドブロ)、ウッドベース、などなど・・・

 

   「レーコー 一つ!」

   「はい!」

 

梅雨の季節に入り、少し蒸し蒸ししていて暑い日だ・・・

豊彦はこの場所を探し回って汗ばんでいた体を冷やすため、出された

冷たいコーヒーを一気に飲み干しノドを潤した。

東京じゃ レーコー では全く通じなかったな・・・ アイスコーヒーと言う

まで 「何ですか それは?」 って何度も聞かれた事を思い出して

クスッと笑った。

マスターはカウンター客と何やら昔話しをしているらしい・・・

 

アップテンポの曲が次々と流れ、豊彦は体が勝手に動きだすかのように

そのリズムに酔った・・・ 久しぶりにワクワクする気分に浸っていた。

 

   「お客さん  よかったらこっちへ来て座りませんか」

 

突然 マスターが声を掛けてきた。

豊彦は言われるままに腰を上げ、カウンター席に移った。

   「ようこそ! ここは初めてのお客さんですね  

    私はマスターのビルです

    こちらは私の友人のマサさんです。」

   「ボクは有田です。 どうぞよろしく!」

   「有田さんはブルーグラスがお好きなんですか?」

カウンターに並んだお客のマサさんが、親しげに話しかけてきた。

どこかで見たような顔をしている・・・

 

   「ええ まあ・・・ と言ってもまだ3年ほど前からの事でして・・・」

   「そうなんですか  どんなきっかけだったんですか?}

   「それが・・・」 と、豊彦は訪ねられるままにそのきっかけを

話し始めた。

 

  「いつもの山歩きの帰り道、箕面駅前の商店街を歩いていると・・・

   街頭スピーカーからいつも流れている音楽に うん? と立ち止まり

   ましてね  どこかで聞いたような懐かしい曲?

   それが ふっと思い出しましてね  もう50年も前の昔々の古い話し

   なんですが、若き学生時代に一回だけ聞いたことのあるメロデーで、

   それが印象的でずっと心に残っていたんですよ  でもそれっきりで

   どこの誰のどんなジャンルの曲かさえ分からないままでした

   それをその時に急に思い出したんですよ あの時の歌だ! ってね

 

   後で知ったんですがね  その商店街ではいつも地元のFM局の

   番組を流しているとのこと・・・ それで <みのおFM・タッキー816>

   局と言うのを知りました 

   でも何で七面鳥なのかと思っていたら、箕面の瀧のタッキーかも? 

   と言われましたよ・・・」

 

二人とも笑って豊彦の話を聞いている。

  「それで駅前の観光案内所に置いてあった<みのおFM>の番組表を

   もらって見て見ると、これが毎日やっているブルーグラスという音楽番組

   だと知りました  

   それで早速 翌朝から聞くようになり、特にDJの藤井 崇志さんの

   番組は素人の私にも分かりやすく、もうすぐファンになりましたよ」 と

一気にいきさつを話した。

 

   「藤井さんは何人もの世界的ブルーグラスアーチストを日本に招聘され

   た方で、ご自分でも演奏されるし、それは詳しい方ですよ」 と

マスターが言う。

   「それに 日本広しと言えども、毎日 ブルーグラス音楽を流している

   FM局はこの<みのおFM>しかないよね 」 と

マサさんが言う。

 

  「ああ ここに今年の番組表があるよ・・・ 何年か前よりこれでも3割以上

   時間が減ったようだけどね・・・

   

   <みのおFM・タッキー816局>

     ・ ブルーグラス ランブル

       (月)~(金)     毎朝 6時~ 55分間

       (土)  (日)         6時~ 116分間

 

     ・ ブルーグラス タイム  (DJ 藤井 崇志)

        (土)         10時30分~ 30分間

                    19時   ~ 30分間

        (日)         18時30分 ~ 30分間

 

 

   「ところでその50年前に聞いたという曲は何ていうんです?」

  「それは学生バンドが面白く歌っていた ”ヨーカンいかがです!” 

 

   「ハハハ  ハハハ よく分かりますよ  私も好きですよ 

   ところでそれをどこで最初に耳にされたんですか?」 と

マスターが問う。

 

豊彦は再び昔話しを続けた。 

  「あれは確か、新入生歓迎音楽会とかで、いろんな大学の新入生が

  集まり、中ノ島の中央公会堂で開かれた時の事だと思います」

   「ああ そう言えばオレ達も行ったような・・・?」 と

マサさんがマスターに言うと、マスターの思い出すかのように頷いている。

 

  「ところで有田さんは何年生まれですか?」

   「私は1945年です」

  「ああ 私らと同じ年代ですね  実はブルーグラスも同じ1945年に

   ケンタッキーで生まれた音楽でしてね・・・ 日本では1960年代から

   はやったんで、ちょうど私らの学生時代にあったんですね」

 

マスターが話を続ける・・・

  「元々はね アメリカのケンタッキー テネシー ノースキャロライナや 

   バージニアなどのいわゆるアパラチア地方に入植したアイルランド系、

   スコットランド系移民の伝承音楽をベースにしたものなんですよ

   それを1945年にビルモンローがブルーグラスボーイズを結成し、

   アール&スクラッグズなどが加わって発展してきたアコーステック音楽の

   ジャンルなんですよ」

   「そう言われてもボクにはよく分からないんですがね・・・」 と

豊彦は頭をかいた。

 

  「ブルーグラスとはビルモンローの故郷の地名にちなんで付けられた名で

   ブルーグラススタイルの音楽をそう呼ぶようになったんです

   日本では箱根や滋賀で毎年大きなイベントもありますよ

   この近くだと <宝塚ブルーグラス フェステイバル>が1972年から

   毎年8月の第一土曜を含む週末に、宝塚近郊の山の中で開かれて

   いるので、一度行ってみて下さい。 すごい熱気ですよ

   これはアメリカ・インデイアナ州で1967年以来続いている

   <ビルモンロー記念ビーン・ブロッサム ブルーグラスフェステイバル>

   に次いで、世界で2番目に古い歴史をもっているんですよ

   私もこれらの大会にはいつも参加して演奏していますから、是非一度

   いらしてください・・・」

 

豊彦はマスターのそんな話を心弾ませながら聞いていたが・・・

  「そう言えば先日・・・5月18日だったか  いつもの山歩きからの帰りに

   箕面の教学の森のキャンプ場に下りてきたら、森の中から懐かしい

   メロデーが聞こえてきたんですよ 

   それでどこかと探してみると、野外活動センターの館に沢山の人たちが

   いてビックリで・・・ 入り口に <稲葉 和裕ブルーグラスキャンプ> と

   看板があって、多くのプレーヤーもいて大いに盛り上がっていました」

 

  「ああ あそこに私もいたんですよ  偶然ですね!

   夜はみんな隣接する一泊600円とかの森のコテージに集まってね

   遅くまで仲間と楽しみました・・・ 来年はご一緒にいかがです?」

 

外は雨が本降りとなり、窓辺の木々の葉を激しく打ち始めた。

こんな日は、好きな音楽に浸りながら、初めて出会う人ながら、

趣味や感性の合う人たちとお喋りできることが、何より至福のひと時だ。

そしてその時はまだ、さらに大きな至福のひと時が待っているとは

想像がつかなかった。

 

 

(2) へ続く・・・

 

 


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ブルーグラス懐古店  (2)

2015-05-19 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

 

ブルーグラス懐古店  (2)

 

 

外は相変わらず雨が降り続いている・・・

豊彦はエスプレッソを一杯追加注文しつつ、もう少しこの店で浸って

いたかった。

  「ボクは学生の頃、ザ・ナターシャセブンの高石ともや や 諸口あきら

   のコンサートなんかよく行きましたよ」 

   「懐かしい名前だね・・・ 彼らも一時ブルーグラスをやってましたよ」 と

マスターが言う。 

 

するとマサさんが続けた・・・

  「あの頃、アメリカの音楽は何でも新鮮だったよね。 自由の香りが

   したり、未来が開けるように希望に満ち溢れていた感じだったよ

   フォークソングもブームだったしな・・・ オレはPPMやジョーンバエズ

   なんかよく聴いたり歌ったな~

   日本じゃ 森山 良子 なんかがデビューした頃だな・・・

   それに梅田やなんばの歌声喫茶なんかで、みんなでよく合唱したな~

   まだ若かった 浜村 淳 なんかもいたわ・・・

   学生運動も盛んで、オレはたまにデモなんか参加して発散したり、

   あの頃 世界一周無銭旅行なんかはやってて、オレも友達と計画した

   もんだわ・・・」  マスターも豊彦も同じだ! とうなずいた。

 

マスターが続けた・・・

  「私なんか田舎から大阪へ出てきて、最初は見るもの聴くもの 全てが

   感激と感動で珍しく大変でしたよ ハハハ しかし 一年もすると

   あれほど嫌だった牧歌的な故郷が恋しくなってきてね・・・ 

   郷愁というかね  その頃 夢見るアメリカの広大な田舎の風景や

   音楽に憧れてね・・・

   そのカントリーソングのリズム感にはまったもんですよ」

 

  「マスターは女の子追いかけてアメリカまで行ってしまったんだからね」

とマサさんが付け加えた。

 

  「ハハハ  ハハハ  あれは私の人生の転換点だったな

   日本に留学していたアメリカの女の子に一目ぼれしてね・・・

   その彼女が帰国するって言うんで、そのままついて行っちゃったん

   ですよ・・・ それが偶然にもケンタッキーのブルーグラスの街でね

   それから皿洗いのバイトしながら、よくライブにいったもんです

   やがてどうしても楽器がやりたくなり、中古のバンジョーを手に入れて

   必死で覚えたもんです  そしていろいろあってブルーグラスのプロに

   なって全米を回りましたよ  いい時代でした・・・」

 

  「そうでしたか・・・それはそうと、その追いかけていった女の子とは

   どうなったんですか?」  と豊彦が問う。

   「ああ あっさりと振られましたよ  ハハハ・・・」

  「それで いつ日本に帰ってきたんですか?」

   「50歳になる少し前かな  やっぱり年になると日本が恋しくてね

    この箕面の街は小さいけれど、落ち着いてていい所ですよ

    この桜井に小さな店を手に入れ、こうして好きな音楽だけを流して

    いるというわけですよ  実は帰国後に偶然 石橋のライブバーで

    このマサさんと再会しましてね・・・ 30年ぶりだったかな?」

 

マサさんが続ける・・・  

  「こいつは突然アメリカへ行ってしまうし、オレは同じ2年のとき、急に

   田舎の親父が倒れ、すぐに飛んで帰ったまま戻らなかったんですわ

   家が旅館やってて、一人息子なんで仕方なかったんやな・・・

   実は友達と計画してた日本縦断歩き旅とか、さっきの世界一周とか

   いろんな夢が全て消えてしもうてガッカリでしたわ・・・

   結局 家の旅館は潰れ、一家で大阪へ出てきて、今は近くの会社で

   働いてます・・・ と言っても後半年で退職なんでね

   時々 こうして昔を懐かしみここに来てますねん・・・」

 

豊彦も続ける・・・

  「皆さんの話を聞いてると、まるで自分の事のようです

   ボクは貧乏学生で、三食の食事、下宿代、授業料や本代など自分で

   稼がないかんかったんで、昼夜問わずバイトに明け暮れてました

   でも、何とかギリギリで卒業してサラリーマンになり、養子に行って

   結婚し、義父の会社を継いで60歳で息子に渡しました

   今は楽隠居させてもらいながら、箕面の山歩きを楽しんでます

   しかし、学生時代の遣り残し症候群とでも言うのか? 欲が消えずに

   しょちゅう夢を抱いては妻に怒られてます・・・ ハハハ 」

 

お互い3人の様子が分かり合えた頃だった・・・

  「そうだ もう昼も近いことですから、何か作りましょう  有田さんも

   一緒に食べていってください  ご馳走しますから・・・」

マスターはそう言いながら厨房に入っていった。

 

  「マスターのチャーハンは絶品なんですよ  昔、大学の前にあった中華

   食堂の味と同じでね  帰りによく仲間と食べました  大盛りをね

   私らの青春の味なんですわ  マスターが帰国してからまだ開いていた

   懐かしのその店の老店主に頼んで、何とかその味を教えてもらった

   ようですよ・・・」 とマサさんがエピソードを話す。

 

やがて美味しそうな大盛りのチャーハンがでてきた。

  「この玉子スープもついてたんですわ  相性バツグンでね」 と

マサさんが匂いをかぎながらうっとりするので皆で笑った。

 

  「さあ さあ 有田さんも食べてください  その前にちょっとだけ私らの

   懐かしい儀式? をさせてください  お客さんの前ですいませんが  

   ・・・ ハハハハ 」

  「昔、仲間らとよくそうやって唱えてから食べてたんで、二人になると

   いつも習慣みたいになってね・・・ ハハハハ」

二人が笑いながら何かを言おうとした時だった・・・

 

出されたチャーハンと玉子スープを見つめながら、静かに二人の話を

聞いていた豊彦が突然立ち上がった。

そして、マスターとマサさんの顔を交互にしみじみと見つめていたかと思うと、

おもむろにチャーハンを頭上に持ち上げた・・・

目には涙があふれ、むせび泣くように大きな声を張り上げた。

 

   「真っ赤な太陽!  ボクらのハリマ王!」

 

マスターとマサさんはビックリした・・・

 

  「なんで? 

   なぜ? その言葉を知っているんですか?

                 なぜ・・・? 

    まさか? まさかお前は  そうか トヨか?

    そうだったんだ  本当か? 

          奇跡だ!  知らなかったな・・・」

 

昔の親友3人は、手を取り合って50年ぶりの奇跡の再会を喜び合った。

 

店内には、今朝の みのおFM <ブルーグラス ランブル> から

あの想い出の (~ ヨーカンいかがですか ~) が流れてきた。

 

 Bill  monroe  &  Bluegrass  boy's

    「y'all  come]

 

雨の上がった窓辺のツタに太陽の光が当たり、雨の水滴をキラリ! と

輝かせた。

 

 

(完)

 

 

 


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教学の森---西尾根道---桜谷

2015-05-07 | 箕面・春のハイキングガイド

 

‘15-5-5   

 

 

今日は こどもの日 教学の森では子供たちがキャンプする

賑やかな声が森にこだましています。

 

 

スカイアリーナ(箕面市立第一総合体育館)周辺は

お花でいっぱい!

 

          

          

 

 

 

 

 

 

教学の森へ

 

 

         

         

 

 

森の中ではボーイスカウトやガールスカウトの

若い人たちの声も響きます

 

         

 

 

尾根に出て あおぞら展望所 わくわく展望所 へ

      

 

 

        

        

 

 

 ささゆりコース こもれびコースなど散策

        

 

 

 

 

望海の丘へ

            

 

 

        

 

 

桜谷から 瀧道の橋本亭前へ下る

      

 

   

 

 

今日も気持ちのいい森の散策を楽しみました。

 

 


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箕面 春の山野草展へ

2015-05-07 | 箕面・春のハイキングガイド

 

‘15-5-2~5-3  

 

 

「第52回 春の山野草展」が箕面駅前の箕面文化・交流センターで

開かれました。

毎回楽しみにしている催しで、ゆっくりと鑑賞します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                   

              

 

             

         

 

        

            

 

 

また 「箕面 秋の山野草展」 を楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

 


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みのおの森の楽画記  ‘15-4月

2015-05-07 | *みのおの森の小さな楽画記 !

 スケッチ楽画記!  ‘15-4月  

 
 
 <雲隣の森の桜>

‘15-4-3   (335)

 春告げる森にひときわエドヒガン

 今年もエドヒガンの桜が咲き始めた。猿見橋(大日駐車場前)から見る雲隣の森にも美しい桜が咲き始めた。

 

 <箕面川ダム湖周辺の桜姿>

‘15-4-10   (336)

 森の湖の暗い雨空 春灯る

エドヒガン、ヤマザクラなど森の桜が随所で見られるようになった。薄暗い雨空の下、桜の木一つ一つが春の灯火のように見える。

 

 <教学の森・さえずりコース上り口にて>

‘15-4-17   (337)

 新緑に心癒されうつらつら

 小川口からイノシシ防止柵を開いて森に入る。淡い緑色したコナラの新芽が初々しい・・・森の中ではモチツツジが咲き始め、蝶々も舞い、ヤマザクラが散る・・・

 

<新稲の森から小川口へ>

‘15-4-18   (338)

 心身で至福に浸る里の森

 新稲の里のレンタルファーム前から教学の森への道 新稲の森を背景に里にはタンポポ、ツユクサ、ハルジオンなど野草が花咲かせ、小鳥のさえずりを聴きながらノンビリとスケッチする。至福のひと時を楽しむ・・・

 

 <もうすぐ始まる箕面 川床>

‘15-4-23   (339)
 
新緑の箕面川床待ち遠し
 
 もうすぐまた瀧道の箕面川沿いに川床が始まる。この川床から瀧安寺を見ながら新緑の中、川のせせらぎを耳に美味しいお料理を味わう・・・贅沢な空間だ。
 
 
<新緑の西江寺境内>
 
‘15-4-24   (340)
 
 春さわぐ新緑萌える西江寺
 
 瀧道を一歩はずれ西江寺境内に上ると、静寂な中にも一風にオモミジ、アカモミジの若葉が気持ちよくそよぐ・・・山頭火の句碑を前に野鳥のさえずりを聴きながら・・・
 
 
<高山の棚田から見る明ヶ田尾山>
 
‘15-4-30   (341)
 
 棚田より朝に登りし明ヶ田尾
 
 高山では田に水が張られ、早くも田植えの準備が始まる。箕面で一番高い山 明ヶ田尾山 を前方に眺める。後方ではウグイスが鳴き、白いウワミズザクラやイヌザクラが咲く・・・いい季節だな~ 

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森で人生の一休み  (1)

2015-05-07 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

みのおの森の小さな物語 (創作) NO-18

 

森で人生の一休み  (1)

 

 

 

 「 辞令! 

   浜崎 啓介  4月1日より大阪業務センター 

                     第4業務室勤務を命じる。」

 

3月下旬のこと、啓介は突然 箕面・船場にある本社の専務室に呼ばれた。

 「何かあったのかな?」

当然、仕事上の指示かと思い専務室のドアをノックした。

 

入室するや否や突然に専務は激しい口調で啓介を罵り始めた。

 「ちょっと待ってください! 一体何の話ですか?」

啓介の問いにも全く耳をかさず、一方的な叱責がしばらく続いた。

 

その内容は全くの濡れ衣で自分の担当外のこと、まして責任など論外の

話だった。

 「何かおかしい?」

考える暇もなく、専務は啓介に有無を言わせずおもむろにあの辞令が

読み上げられたのだった。

 「何かの間違いだ? 夢か?」

 

それは事実上の退職勧奨追い出し部屋行きのことだった。

 「まさか? なんでこのオレが? そんなバカなことがあってたまるか」

啓介は心の中で怒り、叫びながら、呆然と専務室をでた。

 

啓介の勤務するレストランチャーン グッドスター社は同族会社で、

創業者夫婦が会長、副会長、その長男がボンクラ社長、専務の娘婿が

実質上の権限を持ち、次男が副社長、長女が常務、以下親族郎党が

全ての役員を占めていたが、なぜか3男・三郎だけは冷遇されていて

箕面業務センター勤務だった。

 しかも いつも3男は役員らから叱責ばかりされて能無し扱いにされて

いたが、人一倍勉強熱心で謙虚、それに物腰も柔らかく誠実な人柄は、

仕入先や社員から最も信頼されている不思議な存在だった。 

 啓介も15歳で入社した時から、時々声をかけられ気にかけてもらい、

どれだけ励まされてきたか分からなかった。

 それだけに専務室を呆然としながらでた啓介は、その事をその3男・三郎に

相談しようと考えたが・・・ やめた。 

同族で実力者の専務の辞令をひっくり返す事など、到底不可能な事は

分かっていた。

 

啓介は47歳になった。 箕面の中学校をでてすぐに、この外食産業の

会社に入った。 

そしてこの企業内学校にて仕事を覚えながら、通信制の高卒資格を得ていた。

啓介ら企業内学校で育った若い力は、その後の高度成長にのって

全国各地の現場責任者や店長として活躍していた。

そしてバブル景気にも支えられ、正社員1500人、店のパート、アルバイト

を含めると9000人を越える大きな会社に成長していた。

 

啓介の最初の勤務地は東京・六本木の東京研修センターに併設された

地域一番店だった。 そこで食材の調達、調理、キッチンからホール、

接客サービス、経理から店舗運営に至るまで、みっちり6年間働きながら

学んだ。

そして22歳の春、渋谷に出来た新店の副店長となった。

 

その頃の事だ・・・

ある日、賑やかな女性4人連れのお客様が来店され、啓介が席を

ご案内したときだった。

 「あれ!  もしかして・・・?」

 「あっ  貴方は・・・」

と、双方ピンとくるものがあった。

 

それは啓介が箕面の中学2年の時のことだった。

運動会で借り物競争があり、それは走ってランダムに紙切れをとり、

そこに書かれている内容のものを借りてゴールを目指すというものだった。

 「よーい ドン!」  

で啓介が取った紙には・・・

   (女性の手を借りてゴールすること・・・)  

 「まさか! 今日はオレのおかんは仕事で来てないし・・・どないしょ?」

ウロウロしていた時、目の前で友人らと笑い転げている女の子がいた。

この子なら頼めるかな?  と思い、切羽詰って紙切れを見せて頼んだ。

 「いいわよ!」  

と あっさり了解してくれ、手をつないで一緒にゴールした。

結果は2位だったが、それ以上に啓介は初めて女の子と手をつないで

走ったことが嬉しくて、恥ずかしくて顔を赤らめた。

 

あれから箕面のCDショップで偶然出会って立ち話をしたけど、どうやら

隣町の中1の子で、あの日 従兄弟の運動会に遊びに来ていたとの

ことだった。  

あれ以来の二人の出会いだった。

彼女は友達らと東京デズニーランドへ遊びに来ての帰りとのこと。

すっかり美しい女性になり、啓介の心を一瞬にして捉えてしまった。

啓介はみんなが食事を終えた後で、その子とメールを交換し、お互いに

偶然の再会を喜んだ。 

 

 それから半年後、二人は遠距離恋愛を実らせスピード結婚したのだ。

啓介22歳、新妻の恵子21歳  若い二人の幸せの秋だった。

あれからもう25年が経ち、二人は今年銀婚式を迎えていた。

長男は23歳となり、長女22歳、次女も今年で20歳となり、各々が仕事を

もち、家を離れ自立したばかりだった。

今年からは夫婦二人暮らし・・・ 少し寂しいながらも昔に戻ったような

気分で生活を始めたところだった。

 

 啓介は今まで自分の順調な仕事に誇りを持ち、自分の人生が豊かで

幸せに満ちたものであることに満足していた。

それに今 取り組んでいるのは会社の次期主力店舗の業態開発であり、

啓介が中心となってその大型企画を進めている最中だ。

 「それなのになぜ?  何があったというのだ?」

 

 あのリーマンショックや円高、株安、その他国内外の外的要因もあり

、更には食の多様化、時代ニーズの変化、他業種からの参入などで

既存の外食産業は厳しい経営に陥っているのは事実だ。

だからこそ我が社も起死回生を図らねば・・・ と頑張ってやってきたのに.

 

啓介は半ば夢遊病者のようにフラつきながら家路についた。

しかし、妻には言えなかった。

自分でさえまだ信じられなかったからだが・・・

 

 

4月1日 啓介は重い足を引きづりながら、箕面・船場の業務センター

第4業務室の戸を開けた。 

そこにはすでに10数人の社員がいたが、かつて先輩が言っていたように

全員がうつろな目をし、手持ち無沙汰な様子でウロウロとしていた。

 「なぜオレがここにいるんだ・・・ なぜなんだ・・・?」

啓介は怒りと絶望感で呟き続けた。

 

 結局あれから二ヶ月足らずで啓介は会社を辞めざるを得なかった。

どう頑張ってみたところで、この部署で先を見通すことなど出来なかった。

 「すぐに次の職場をみつけるさ~ それから妻に伝えても遅くはないし~」

啓介は自分にそう言い聞かせていた。

 

7年前、40歳になった時に、啓介は箕面・彩都の新しい街に3LDKの

マンションを買っていた。 初めて手にする自分と家族の城に満足していた。

しかし、まだローンの返済はこれからだ。 

あの頃は、定年前には無理なく完済できる予定だったのに・・・

 

 「まあ 何とかなるさ~」

半分は不安ながらも、まだこの時は気楽に考えていた。

啓介は退職した次の日から、毎日ハローワークに通った。

求人誌も手当たり次第に見ては履歴書を書き、次々と応募した。

しかし、60余件ほど応募したが、面接にこぎつけたのはうち3件だけ。

それも3件とも数分で 「うちでは難しいですね」 とか、「ちょっと無理かな」

そして 「不採用・・・」 と言われた。

啓介は焦った・・・腹も立った。 

 「このやりきれなさは何なんだろう?」

 

それから二ヶ月ほど、同じような状態が繰り返された。

 すぐに次の職を見つけるさ! との目論見はあえなく挫折し、余りにも

厳しい現実の社会に打ちのめされた。

それまでのプライドはズタズタに引き裂かれてしまった。

 「しかし・・・何とかせねば・・・」

毎朝、啓介は自分に鞭打ち、妻に見送られながら会社に行くふりをして

定時に家を出ていた。

 

 

啓介が倒れたのは、その一ヶ月後だった。

いつも通り二人で朝食後、出かける支度をして玄関に出た所で急に

崩れるようにして倒れた。 

恵子がビックリして 「すぐ救急車を・・・」 と言う言葉を制し 

 「ちょっと待ってくれ! 大丈夫だ! 少し休んだら出かける・・・」

と、ひとまずベットで横になった。

 

恵子は最近夫の状態がおかしいと感じていたが、

 「ちょっと今忙しいからだ! 大丈夫だから・・・」

と言う夫の言葉を信じ、何かあればちゃんと話してくれるだろう・・・と

わざと平然と日常生活を過ごしていたのだが・・・

 「何か会社であったのかしら・・・?」

 

昼前、落ち着いたところで恵子は嫌がる夫を連れ、近くの内科へ診て

もらいに出かけた。

先生は症状、状態を診た後・・・

 「すぐに今から紹介状を書きますから、別の先生に診てもらって下さい」 

と 言われた。

 「えっ 一体何なんだろうか  何かおかしいわ?」

恵子は少しふらつく啓介を車に乗せると、紹介された箕面市内の心療内科

へ向かった。

 

診察後、先生から・・・

 「・・・うつ病ですね。 当面この薬を飲んで体を休ませてください。

  しばらく仕事は休まれて安静にして過ごしてください・・・何か変化が

  あったらすぐに知らせてください・・・」 

恵子はうつ病という名前は知っていても、いつも他人事だった。

 「まさか主人が・・・なぜなんだろう? 何があったの?」

 

帰宅しすぐに貰った薬を飲んでベットに入った啓介は、それから二日ニ晩

眠り続けた。

心配になった恵子は、途中何度か起こして水を飲ませたり、トイレに立たせ

たりしたものの、啓介は昏々と眠り続けた。

 

三日目の朝、恵子が起きる前に啓介はもう目を覚ましていた。

 「ああ~ よお寝たな~ 腹へったわ・・・」

 

啓介は妻の作る朝食を次々と食べながら、それまでの強固な防波堤が

一気に崩れるかのように、たまり溜まった事実の山を妻へ話し始めた。

 退職した事、ハローワークに通い応募した先から次々と断られた事、

プライドも人間性も否定され辛かった事、あがいてもがいて苦しかった事、

 「もうオレはダメ人間だ  社会では受け入れられないクズ人間なんだ

  もう生きる望みも無くなってしまった・・・」

そして、何度かビルの屋上を見上げていたり、電車の踏み切りで佇んで

いたりしたこと・・・ などを素直に妻に話した。

 

黙って全てを聞いていた恵子は、涙をポロポロ流しながら静かに

立ち上がると、座っている啓介をそっと抱きしめた。

 

 

(2) へつづく・・・

 


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森で人生の一休み  (2)

2015-05-07 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

 

森で人生の一休み  (2)

 

 

 

恵子は夫を静かに抱きしめながら二人で涙を流した。

 

 「けいちゃん 辛かったのね・・・ ごめんね! 

  私 気がついてあげられなくてね  

  でももういいのよ 貴方の今までの仕事ぶりは私が一番良く知っているわ

  子供たちもみんなしっかりと自立したじゃない・・・ 私は幸せよ

  みんな貴方のお陰なのよ  本当に感謝しているわ  だから今は

  ゆっくり休んでね  これは神様からのきっと贈り物だわ  

  きっとうまくいくわよ  私はいつまでも貴方と一緒よ  いいわね

  さあ 笑って 笑って!  私ね けいちゃんの笑顔が大好きなのよ

  昔、渋谷の店で貴方を見たとき、誰よりも素敵な笑顔で接客していた

  けいちゃんに一目ぼれしたんだからね・・・

  それに私ね  実はヘソクリ上手なのよ  貴方に黙ってたけどたっぷり

  あるの  だから一年や二年収入がなくても私ヘッチャラなのよ・・・」

 

啓介はやっと笑いながら、もっと早く妻へ全てを話すべきだったと思った。

 

 「そうだわ  次の日曜日 子供たちも呼んで、昔 2 3度行った

  箕面の滝へ一緒に出かけてみない?  

  森の中を歩くのも気持ちいいんじゃないかしら・・・」

恵子は人の力より、今 大自然の力が必要だと直感したからだった。

子供たちには電話で父親の失業とうつのこと、今の状況を詳しく正直に

話し、それもあって・・・ と 一緒に箕面の滝行きを誘った。

 

日曜日の朝、三人の子供たちはそれぞれ少し心配顔をしながら

集まってきた。

しかし、表面はみんな明るくし20数年ぶりに家族5人揃って箕面駅前に

向かった。

啓介は全く気が進まなかったが、妻や子供たちに心配かけたことと、

今まで仕事ばかりで家族みんなが揃って遊びに行くことなど無かったので

渋々ながら腰をあげていた。

 

真夏の太陽が照りつける暑い日だが、瀧道から一歩森の木陰に入ると

予想外に涼しかった。

賑やかなセミの大合唱に負けじと大声で喋り、カジカ蛙の鳴き声をみんなで

真似てみたり、つるしま橋から箕面川に下り、裸足になって川遊びをしたり、

緑の森の中で恵子が作ったお弁当を広げ、昔話に花を咲かせたりした。

 

丁度、瀧安寺前広場では 「箕面の森の音楽会」 が開かれていて、

みんなで手拍子をしながら音楽を楽しんだ。

夕暮れになると、箕面川渓流に飛び交うホタルを追ったりして一日 家族

五人が楽しい一時を過ごした。

 

 「今日 来てよかったね  お父さんの笑顔を久しぶりに見たわ」

家族が一つになれたような心地よさをみんなが感じていた。

そして啓介と恵子の新しい二人の人生がスタートした。

 

 

啓介は家族揃って歩いた瀧道の光景を思い出しながら、

少なからず感動を覚えていた。

 「箕面の山や森を一人で歩いてみたいな~」

その気持ちを恵子に素直に伝えた。

 「それはいいわね  私美味しいお弁当を作ってあげるわ  貴方の

  好きなコーヒーもポットに入れてあげるわ・・・」

 

数日後、啓介は恵子が渡してくれたランチボックスを手に、

初めて箕面の山への一人歩きに出かけた。

本当は恵子も心配で一緒について行きたかったけど、事前に相談した

心療内科の医師からは・・・

 「それはいいことですよ  大自然に接する事は大切です  うつの改善に

  効果的との臨床結果もちゃんとでていますから、ぜひどんどん行かせて

  あげて下さい・・・」 と言われていた。

 それでも心配は尽きなかった。

 「一人で大丈夫かしら?」

 

啓介は恵子に箕面・外院の交差点まで車で送ってもらった。

事前に恵子は箕面の山をよく歩いている友達から、山の地図とコースを

教えてもらっていたので助かった。

 

啓介が歩いて外院の山里に入ると、すぐにのどかな田園風景が

広がっていた。

なぜか初めての山歩きなのに、今までに無いワクワク感を覚えていた。

もう何十年とこんな穏やかな風景を見たことがなかった・・・ と言うより

仕事、仕事で心も目も見て見えなかったのだろう。

 

水田には青々とした稲が育ち、畑では家庭菜園のご夫婦連れが野菜の

手入れをしている・・・ ナス、キュウリ、カボチャ、トマト、トウモロコシ・・・

いろんな作物が夏の太陽をいっぱいに浴び、元気に育っている。

生き生きとしたその実りに啓介は目を輝かせ、しばし佇みながら

そんな懐かしい田園風景を楽しんだ。

 「みんな 生きているんだな・・・」

 

外院の山里から細い山道に入った。

すぐに穏やかな登りが続く・・・ 体力がないのか? すぐに息切れる。

しかし、その都度一休みしながら深呼吸して見上げると、今まで見たことの

ないような深い緑豊かな森が広がっている・・・

そこに一筋の木漏れ日が差込み幻想的な光景が生まれ、野鳥が

飛び交いさえずっている。 

風が吹くと枝が揺れ、葉が舞い、まるで森が自分を歓迎してくれているかの

ような感動を覚える。

啓介は一歩一歩山道を踏みしめながら、大自然の営みに感動しつつ、

なぜか涙が零れ落ちた。

 

やがて丸太を組み合わせた素朴なベンチが見えてきたので一休みにした。

汗いっぱいの額をタオルで拭いながら・・・

 「この爽快感はなんなんだ?」 と、初めて歩く森の風景に感動していた。

 

水を飲みながら足元を見ると、子供の頃に図鑑で見たような昆虫が

ノシノシという感じで歩いている。

目の前を黒い大きなアゲハ蝶が飛んでいった・・・

前方の松の枯れ木のてっぺんから姿は見えないが ホーホーケキョ~ と

鶯の鳴き声が森に響いた・・・ すごい声量に感激する。

横にはピンクの見慣れない花が風に揺れている・・・ 

 「きれいだな~」

 

ボンヤリと遠くを眺めていると・・・ 何か動くものが・・・?

 「あっ あれはモノレールでは?」

いつも啓介が彩都の駅から千里中央まで通勤で乗っていた電車が

走っているのが見える・・・

 「と 言うことは、この左方が自宅マンションか?」

啓介は自分の位置関係を知り、住む家の窓からいつも見ていた山を

今自分が歩いている事に感激していた。

 

(彩都は9年前に街開きした新しい街で、箕面市と茨木市にまたがる

743ha、予定人口5万人、大阪大学・箕面キャンパスや粟生間谷住宅地に

隣接し、住宅以外に生命科学、医療、製薬などの研究施設と関連企業も

進出している国際文化公園都市だ。)

 

啓介はゆっくり腰をあげ再び山道を登った。

やがて二ヶ所目の丸太ベンチが見えてきたのでお昼にした。

啓介は妻が朝作ってくれたランチボックスを広げた。

 

 「ピクニックに来たみたいだ・・・ ハラ減ったな! おっ 美味そうだ」

好物の卵焼きとサツマイモ、マメなどと可愛いおにぎりが4個入っている。

啓介にとってこんな空気のいい森の中で、しかも自然の感動や感激を

味わった後での食事は、最高に心癒された。

 

しばらくすると食べている頭上で急に鳥がさえずり始めた。

 ツーツーピー  ツーツーピー

啓介は生まれて初めて身近で聞く野鳥の鳴き声に聞き入った。

 「いいもんだな~ そうだ!」

食べていた芋の端切れを手のひらに載せて上に掲げてみた・・・

すると何と! 二羽の野鳥がやってきてその一羽が啓介の手に乗り

その芋を口にくわえて飛び立った・・・ 

 「あっ 落とした」

それを拾ってまた手のひらに乗せているとまたやってきて親指にとまった・・・

 「すごい すごい!」

啓介は親指に野鳥の足のつめを感じながら、その感激にうろたえた。

次は上手く口にくわえ森に飛んでいった・・・その後をもう一羽が

飛んでいった。 

 「あれは恋人かな? 夫婦かな?」

今頃二羽で仲良くあの芋をついばんでいると思うと笑みがこぼれた。

 「こんなフレンドリーな野鳥に出会えるなんて・・・」

啓介はしばし自然の営みに感動し動けなかった。

 (家に帰って子供の図鑑で調べてみたらそれは ヤマガラ だった)

 

我に返りランチボックスを片付けていると、下からメッセージカードが出て

きた・・・ 妻からだ・・・

 「けいちゃん 何十年ぶりかで貴方にラヴレターを書きます。 

  少し恥ずかしいわね。 でも私が貴方をずっと愛していること、子供達も

  貴方が大好きな事を伝えたかったの・・・

  貴方が仕事をしなくとも、何もしなくても、どんな格好でいようとも、

  貴方がいてくれるだけで、私も子供達も幸せなのよ。

  そして家族はみんな希望を持って生活できるの。

  貴方は一人じゃないのよ。 3本の矢の話があるじゃない・・・

  一本では折れてしまうけど、私たちには5本の矢があるのよ。

  絶対に束ねたら折れることはないわ。

  だから安心してゆっくりと山歩きを楽しんでね。

  そんな貴方を見ているだけで、私は幸せなのよ。

  いつまでも愛しているわ・・・    恵子   」

 

啓介の目から涙があふれ止まらなかった。

その日 帰宅した啓介は、照れながらも妻のラヴレターが嬉しかった事を

素直に伝え感謝すると、一日森の中であった出来事を一気に話し続けた。

 「けいちゃんの目が生き生きしているわ これなら大丈夫だわ・・・」

恵子は心底安堵した。

 

やがて啓介は息子や娘が買ってくれた山歩き用の靴、ウエアー、ストック

にリュック、万歩計などを身に着け、毎日のように箕面の山々へ

出かけていった。

恵子はその都度、あの心療内科の先生にその日の状況を連絡し、相談して

いたが、先生は・・・

 「~どんどん行かせてあげてください。 自然の力は人間の知識や

  知恵など人知をはるかに超えた最高の治癒力をもっています。

  薬などと違い副作用もなく安心ですからね・・・」 と応援してくれた。

 

啓介のお気に入りは、箕面の山々から大パノラマの広がる大阪平野を

眺めながら、妻の作ってくれたランチボックスを開くことだった。

特に教学の森の <あおぞら展望所> は、その名の通り、木を切り開いた

だけの何もない所だが、ここからの180度見渡せる眺望はすごかった。

お天気のいい日には、西は神戸、西宮、その先の淡路島、四国の島影も

見える。 大阪湾の波間に大型タンカーの姿が見えるし、その先の関空島、

その先の和歌山の方までも見えるのだ。 南には林立する大都市・大阪の

高層ビル群がみえ、東にかけては奈良の山々、金剛山、生駒山 そして

京都の山並みまで一望できる。

 

啓介の生まれ育った箕面の家、学校、遊んだところ、勤めた会社、関係した

店舗や仕事先、それに妻と出会った中学校の校庭から家族との思い出の

場所なども上からみえる・・・ 

すぐ先にみえる大阪国際空港の滑走路から一機の大型旅客機が

飛び立っていった。

 

ここから下を眺めていると、自分の過ごした人生の大半の場所を見下ろす

ことができ、走馬灯のようにその一つ一つがよみがえってくる。

天上からみれば、こんな小さな狭い街であくせくしながら悩み、苦しんで

きたのか~ と最近の自分を省みていた。

 

ランチボックスにはいつも妻・恵子からの温かいラブレターが入って

いて、啓介はそれを涙を流しながら読んだ。

そして、いつしか心の底からじわじわと湧き出る活力を感じていた。

 こうして啓介は、箕面の山々を歩きながら妻に励まされ、大自然からの

感動や感激を味わい、いろいろと人生のパラダイムの転換を体験し、

心身ともに元気を取り戻していった。

 

 

季節はいつしか夏から秋、そして初冬に移っていた。

啓介はこの半年ほどの山歩きですっかり顔つきが変わり、健康的で柔和、

穏やかな顔に変わっていた。

話し方も、いつもせわしなかったがゆっくりと、力強い自信のある話し方に

変わっていた。

行動もバタバタとした動きから、いつしか静かで落ち着きのある動きへと

変わっていた。

あの切迫感、威圧感、焦燥感といったものや、油ギラギラの闘争心も

消えていた。

 

恵子は久しぶりに啓介を連れ、あの心療内科を訪ねた。

 「この分なら余り無理をしない程度に、ゆっくりと求職活動を

  再開されても問題ないでしょう・・・ それにしてもすごいですね」 

と 医師はその短期間での変わりように驚いていた。

 

啓介は半年ぶりにハローワークを訪れた。

 

 

(3)へつづく・・・


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森で人生の一休み  (3)

2015-05-07 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

 

森で人生の一休み  (3)

 

 

 

半年ぶりにハローワークを訪れた啓介は、それから一ヶ月ほどの間に

3社の紹介を受け、面接に望んだ。

 

AP社では、200人以上の応募者があり、午前中のペーバーテストで70人に

絞られた。 それは英語や数学、理科系の問題から一般常識など幅広く、

啓介は習った事も聞いた事もない言葉や問題に戸惑った。

しかし、それでも何とか70番目のどん尻で一次試験をパスした。

 

昼からの試験は論文形式だった。

 「自分が今最も熱中している事は何か? 

        その意義と問題点について述べよ」

啓介は迷うことなく、この半年間過ごしてきた箕面の山歩きと、自然から

受けた感動や感激、それにより自分の人生観が変わった事、それを

これからの実生活で活かしていくことの意義や問題点について、2時間の

制限時間以内に存分に書き綴った。

 

3日後、電話で 「2次試験にパスしたので、次の役員面接に・・・」 との

通知があった。

 

当日、AP社の会議室に座ったのは、二次試験にパスしたという7人だけで

啓介は少しビックリした。

居並ぶ面接役員の前で、社長から啓介に言われたのは・・・

 「仕事以外のことで、これだけ理路整然と自分の気持ちを素直に

  書いたのは貴方一人でした。 とても意欲的で感動的でした。

  全員の心に響くものがありました」 と、笑いながらのコメントがあった。

 

啓介の応募したAP社は、今まで自分の働いてきた会社とは縁のない

IT関連だったが、その豊富な資金力を使い経営の多角化を図り、

外食産業への進出を考えているからとのことで応募したのだった。

 

二次面接は仕事に対する姿勢、専門職の世界観など多岐にわたった。

しかし啓介はあの時の経験が役に立った。

それはグッドスター社に入社して10年目に、アメリカのコーネル大学で

開かれた外食産業の研修プログラムに会社から派遣され、半年間

デンバーで過ごした事があった。 

この大学には日本にないホテル・レストラン学部があり、世界中から

若い人たちが研修に訪れていた。

啓介は主に外食産業の新業態開発を勉強し、時間を見つけてはアメリカの

急成長店舗を巡り、自分なりの研究もしていた。

だからこそ、本社で今までの国内店舗での経験を携え、新たな使命感を

もって、会社の新事業企画に全力をそそいでいたのに・・・それなのに。

でも、もうそんな悔しさも徐々に薄らいでいたが、この面接に活かす事が

できた。

 

 

役員面接が終わった翌日、AP社から 「採用内定」 の連絡があった。

実はこの日、他のB社、C社からも内定通知があり、啓介は妻と共に

手を取り合って喜んだ。

そして啓介は妻と相談し、あの社長コメントが嬉しかった事と、何かピンと

くるものがあってAP社にお世話になる事を決めた。

 

ほんの半年前、あの暑い日に汗だくで何十社も訪問し、連日不採用通知を

受け取り、もう生きていくのさえ嫌になり、息たえだえになっていた

あの日々を思うと、夢のような隔世の感があった。

 

啓介はAP社に正式に採用され、本社・新規事業開発部門で外食事業担当

となった。  直属の上司は社長だった。

自分より若い社長だが、即断即決型で次々と新企画を軌道に乗せていった。

 

そして一年後、ある案件が入ってきた。

会議室でその名前を聞いて啓介は驚きのあまりのけぞった。

かつて自分が30年間働いてきたグッドスター社だった。

社長はM&Aを実施し、買収するかどうかの検討チームに啓介を

加えた。

 

次の週、AP社の社長と検討チームはグッドスター社を初めて訪問した。

啓介にとって、2年ぶりに訪れる本社ビルは懐かしくもあり、複雑な思いに

かられた。

案内された社長応接室に入るのは初めてだった。

 

グッドスター社は巨額の債務超過に陥り、もはや銀行からも見放され、

外部からの資金導入以外に生き残る道はなかった。

グットスター社全役員12名が居並ぶ中、AP社側4名が対峙した。

名刺交換をしたとき、2年ぶりに会うあの専務は 「まさか お前!?」 と

啓介を睨みつけた。

 

交渉が始まった。

先ずグッドスター社を代表し専務から、いかにこの会社が素晴らしい

会社かと延々と説明があった後、身勝手極まりない条件を提示してきた。

 

AP社の事前資料にはグッドスター社が傾いた原因の一つに、新規事業の

大失敗があった。

当時 啓介が担当していた業態開発部門の後任に、業界では名の知れた

他社の大物を破格の高給でスカウトし就けていた。

あの専務が啓介を突然 理不尽な理由をつけて退社に追い込んだ事情が

それで分かった。

しかし、そのスカウトした大物は次々と失敗を繰り返し、巨額の損失を

出していた。 

そしてそれは専務の仕組んだ新規事業計画が大失敗に終わった結末

だった。

 

初交渉から日を重ね、4回目のM&A交渉の前だった。

事前に啓介は社長から・・・

 「グッドスター社のいろんな問題点を精査し、思い切った経営改善策を

  作成するように・・・ 全責任は私が負うから、それを次の交渉で具体的に  

  示すように・・・」 

との指示を受けた。

 

啓介は中学校をでて15歳で入社し、45歳で退職するまで30年間下積みを

重ね、裏の裏まで知り尽くした前会社の経営体質、同族人事、システム上の

欠陥、仕入体制、店舗サービス、人材の育成など156もの改善策を詳細に

まとめ上げた。 

 

 当日、啓介は居並ぶ12人のグッドスター社経営陣を前に、一つ一つを

詳細に説明し、問題点を鋭く指摘し、大胆な改善策を次々と提示した。

それらの事柄全てが的確な指摘であり、全役員がグーの根もでなかった。

そして最後に啓介は強い口調で付け加えた。 

役員ではないがあの三郎氏(3男)を残し、

 「同族役職員の引退勧告、経営陣全員の退陣を求める」

とし、経営の抜本的刷新を求めた。

 

最後のその言葉を聞いた経営陣全員が青ざめた。

 「まさか そこまで・・・」

特に専務は真っ赤な顔をし、大声で怒りをあらわにした。

喧々諤々の怒り声があがり、その撤回要求があがった。

 

しばらくしてAP社の社長が静かに立ち上がった。

 「ただ今 弊社 浜崎 啓介が述べ伝えた事を100% 受け入れられない

  限り、当社は本日を持って貴社とのM&A交渉を打ち切ります」

と告げた。

 

ここで交渉を打ち切られるとグッドスター社の倒産は必至だ。

更に全役員は株主から個人的にも損害賠償請求で告訴される可能性が

高い。 そうすれば大きな借金まで個人的に背負わねばならなくなるのだ。

 

 一週間後、AP社がクッドスター社に示した条件はそのまま100%

受諾され、М&Aが正式に成立した。

しかも、当初 AP社が用意していた買収額の三分の一の額で買収が

完了したのだった。

 

 

啓介はその後、AP社の外食事業部門の責任者となり、買収した

グッドスター社を含め、子会社化した数社の社長を兼務する事になった。

 「グッドスター社の実務は副社長に就けたあの三郎氏に任せておけば

  大丈夫だ・・・」

 

日曜日・・・

あの教学の森の <あおぞら展望所> には、啓介と恵子の姿があった。

二人並んで座り、目の前に広がる大阪平野を眺めていた。

 

恵子が朝作ったランチボックスを広げると・・・

 「これは美味そうだな・・・」

啓介は早速好物の玉子焼きとサツマイモを両手につまみ口に運んだ。

恵子は啓介の肩に頭をのせ、遠くにキラキラ輝く大阪湾を眺めながら・・・

 「また私 けいちゃんにラヴレター書こうかしら? 

  それとももういらない?」 

と 笑いながら啓介の顔を見た。

 

頭上を二羽のヤマガラが仲良く飛んでいった。

 

 

 

(完)

 

 

 

 

 


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