モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

センニンソウ、ミズヒキ、ヌスビトハギ、シラヤマギク、オニノゲシ。幻のマンネンタケ。晩夏の妻女山山系(妻女山里山通信)

2021-08-28 | アウトドア・ネイチャーフォト
 8月上旬の猛暑の後、約2週間の長雨が続いたため妻女山山系の山歩きがまったくできませんでした。やっと晴れたらまた猛暑。加えて突然の豪雨でなかなか登れませんでした。週末の午前中にやっと登れましたが、クロメマトイが大量にまとわりついて厄介なこと。

 今回の最大の目的はセンニンソウ。センニンソウ(仙人草)は、キンポウゲ科センニンソウ属に分類されるつる性の半低木(木質の多年草)の1種です。別名をウマクワズという様に毒草です。茎や葉の汁は皮膚炎を引き起こすことがあります。ただその香りは非常によく、たくさん咲くとブライダルブーケの様に華やかです。

(左)登山口から見る妻女山駐車場。(右)登山口に登山ノートがあります。読むと倒木があって処理したことが書かれていました。

(左)長坂峠へ向かう6つ目の最後のカーブの先に倒木がありました。木屑がないのでチェーンソーではなくノコギリですね。Sさんです。高齢の方なのに綺麗に処理してあります。有り難いです。真っ直ぐ立っている木は上で掛り木になっていて引っ張っても抜けませんでした。車が通れる様に道の端に移しました。(右)20分ぐらいかかってやっと長坂峠へ。今回の出で立ち。本当はマスクも付いているのですが、息苦しいのでウレタンマスクを。ポリカーボネートのゴーグルも必須。虫除けスプレーもしてますが、クロメマトイには全く効きません。

(左)折れた赤松の根本にツガサルノコシカケ(栂猿の腰掛け)。まだ幼菌です。心材腐朽菌で、成長すると黒くなります。(右)玉切りされた赤松にヒメカバイロタケ。不食です。

 ヌスビトハギ(盗人萩)。マメ科ヌスビトハギ属の多年草。ひっつき虫のひとつです。

(左)ミズヒキ(水引)。タデ科イヌタデ属の多年草。あまりに花が小さくてかなりアップにしないと分かりません。まだつぼみですが、開くと紅白の4つの花びら(萼)に。(右)ゲンノショウコ(現の証拠)。フウロソウ科フウロソウ属の多年草。ドクダミとともに代表的な薬草で、便秘や下痢に効きます。

(左)ツユクサ(露草、鴨跖草、鴨跖)。ツユクサ科ツユクサ属の一年草。朝咲いて午後にはしぼんでしまう半日花です。おひたしなどで食べられます。水で色落ちするので友禅の下絵に使われます。
 万葉集には9首詠まれています。儚い命や移ろいやすい心の例えに使われた様です。
「月草の うつろひやすく 思へかも 我が思ふ人の 言も告げ来ぬ」大伴坂上大嬢
「月草に  衣色どり 摺らめども うつろふ色と 言ふが苦しさ」詠人知らず

(右)ヒメウラナミジャノメ(姫裏波蛇目)。幼虫の食草は、イネ科のチヂミザサ、ススキ、カヤツリグサなど。他に見かけたのは、ルリタテハ、オナガアゲハかクロアゲハ、コミスジ、ヒョウモンチョウの仲間、シオカラトンボなど。

 久しぶりにバイモ(貝母)の群生地がある陣場平へ。ミンミンゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシの鳴き声がもの凄い。バイモの群生地にはミズヒキが咲いています。

 乱れ咲くミズヒキの花。水引は、信州飯田の伝統工芸で、全国の70%を生産しています。秋を知らせる代表的な花ですが、なぜか万葉集や和歌には詠われていません。

(左)セリバオウレンも葉がつやつやです。花期は3月中旬から下旬です。(右)シナノガキ(信濃柿)。今年もたくさん実りました。渋柿ですが、木になったまま甘い干し柿になります。

 シラヤマギク(白山菊)。キク科シオン属の多年草。花びらが少ないのが特徴。ヨメナ(嫁菜)に対して若葉が食用になることからムコナ(婿菜)という別名もあります。

(左)ヒヨドリバナ(鵯花)。アサギマダラが吸蜜する姿も見られます。(右)イチモンジチョウ。

 暑さで歩き疲れたので堂平大塚古墳の横のKさんのログハウスで休憩。オオムラサキは姿を消しました。

 Kさんが植えたサルスベリ(百日紅、猿滑、紫薇)が満開でした。

(左)スベリヒユ。当地ではスベリンショといって畑の雑草ですが、世界的には野菜です。地中海ではサラダに、中国では馬歯莧(ばしけん)という消炎解毒作用のある薬草として用いられます。と書きましたがまだ食べたことがありません。食べてみましょう。(右)葉はアザミ、花はタンポポみたい。なんだったかなと思いながら帰宅。オニノゲシ(鬼野芥子)でした。明治中期にヨーロッパから入った帰化植物です。若葉は茹でたり炒めたりして食べられます。これもまだ食べたことがないので試してみたい。

(左)ログハウスからの眺め。今日は北アルプスは見えません。(右)戻る途中に見つけた幻のマンネンタケ(万年茸)。霊芝(レイシ)と呼ばれる貴重なキノコ。βグルカンとトリテルペンが豊富で、免疫力の調整作用があります。漢方薬やサプリメントで売られていますが、高価です。私はこれにコフキサルノコシカケ、カワラタケ、マタタビ、アマドコロの根(黄精)、イカリソウの根(淫羊霍)、キハダの樹皮、ドクダミを入れて自家製の薬酒を作って飲んでいます。

(左)戻って陣場平の入り口。セミの大合唱。(右)マムシグサ(蝮草)の実。誤って食べると口内が酷く荒れます。毒草ですが、「天南星」という、去痰、鎮痛に効く薬草でもあります。

(左)サンショウ(山椒)の実が赤く色づいてきました。(右)大きさからするとヒグラシの抜け殻かな。

 妻女山展望台の下のクマノミズキ(熊野水木)。実がついている小枝が赤くなってきました。晩秋には珊瑚のように真っ赤になります。

 妻女山展望台から茶臼山、虫倉山、陣場平山方面の眺め。眼下の濃い緑は長芋畑。まだまだ真夏の風景です。思ったほど汗はかきませんでしたが、ルイボスティーが1リットルなくなりました。いつもの温泉へ。産直売り場でゴーヤ2本60円、信州丸茄子6個100円、大きなピーマン9個100円を買いました。プランターで丸オクラとゴーヤは作っています。ゴーヤは花が咲いたところ。ゴーヤチャンプルはもちろん、アンチョビーとオイルサーディンかツナとのパスタも美味。ひき肉詰めて塩麹虫、いや蒸しもとんでもなく美味しい。ひき肉に豆腐と卵を混ぜて塩麹をのせて蒸して、食べるときに花鰹を散らします。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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北斎「神奈川沖浪裏」についての疑問を検証。波の伊八と葛飾北斎(妻女山里山通信)

2021-08-20 | 歴史・地理・雑学
「神奈川沖浪裏」(かながわおきなみうら)は、葛飾北斎の名所浮世絵揃物『富嶽三十六景』の中の一作品。製作年は、1831-33年(天保2-4年)70歳過ぎといわれています。1999年に、アメリカ合衆国の雑誌『ライフ』の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位にランクインしたことでも有名ですが、この作品は北斎の最も有名な一枚といえるでしょう。しかし、私は以前からこの作品と題名に疑問をいだいていました。映画「HOKUSAI」を観ていっそうその思いが強くなり検証をはじめました。

 まず思うのは「神奈川沖浪裏」の沖という文字。マリンスポーツをやったことのある方なら分かると思いますが、こういうチューブができる波は通常、沖では発生しません。波打ち際です。若い頃にスキンダイビングや430級のディンギーやブラジルでボディーサーフィンなどをしていたので、余計あり得ないと思うのです。しかも下の波の写真で分かる様に海岸から観たらこんな感じで、北斎の波は横から見たものだと分かります。更にこの船は当時、活魚輸送などに使われた押送船だそうですが、こんな大波がある時に船を出すなんてあり得ません。神奈川沖というのは、50歳過ぎに描いた『賀奈川沖本杢之図』があるように、横浜市神奈川区の本牧の沖合でしょう。押送船は、本牧から沖合に出て翌朝に日本橋に着いたそうですから。シチュエーションも含めて北斎のディフォルメがなされた作品と考えてよさそうです。

 では彼はどこでこの様な波を見たのでしょうか。そこで想起されるのが、安房国長狭郡下打墨村生まれの宮彫師「波の伊八」こと、武志伊八郎信由(1751-1824)です。関西の宮彫り師から、「関東に行ったら波を彫るな」と言わしめた宮彫り師。北斎(1760~1849)ですから9歳年上。ほぼ同時代の人です。

 北斎の「神奈川沖浪裏」に影響を与えたといわれるのは、行元寺の欄間彫刻「波に宝珠」といわれていますが、そうではなく、1803年に『賀奈川沖本杢之図(かながわおきほんもくのず)』(右)、1805年に『おしおくりはとうつうせんのづ(押送波頭通船之図)』(左)で、この様な波を描いているので、影響を受けたのはこの作品だと思われます。同時代の二人ですが、親交があったという確かな事実は確認されていません。しかし、北斎は千葉県を訪れており、伊八の作品や外房の大波を見たことは間違いないでしょう。ただこの波はまだ北斎の波にはなっていません。
 下の絵を観ると、これを描いた当時は北斎が船に関してほとんど知識がなかったことが分かります。左の絵では、後ろの波がブレイクしたら船は上を向いて沈没します。右の絵では、横から大波を受けたら簡単にひっくり返ります。大波に向かうときは、船の後部に全体重を掛けて波を船底で受け流しますが、チューブの壁面に突っ込んだら先端が潜り込んでひっくり返ります。バウ沈といいます。ディンギーは船に浮力があるのでひっくり返っても起こせますが(何度もやりました)、押送船ではかなり困難だろうと思われます。20年後作の「神奈川沖浪裏」では、そんな知識も得たのでしょうか、かなりディフォルメはされていますが、それなりに合理的な描写になっていると思います。

「神奈川沖浪裏」は、晩年に北斎が伊八の波を超えるべく想像力と創造力を働かせて作り上げた傑作だと思います。この作品がよく言われるように、伊八の波の模倣というのは全く間違いです。北斎の伝えられている性格や言動を考慮すると模倣はあり得ません。「神奈川沖浪裏」が世に出た頃の北斎の名声は伊八とは比べ物になりません。よく観ると伊八の波とは波頭や飛び散る海水の粒などが違います。おそらく房総や神奈川の海に何度もでかけ、高速度撮影した一瞬の一コマの様な瞬間を発見したのでしょう。もの凄い観察力です。
 この作品は、後の宮彫り師、諏訪立川流の立川和四郎富昌や北村喜代松らに多大な影響を与えただけでなく、1870年代にヨーロッパに渡り、ゴッホが絶賛するなど特に印象派の芸術家に多大な影響を与えたのです。北斎の絵は、時に外連味たっぷりであり得ない大胆不敵な構図や題材を描いています。常人では計り知れない感性と創造力の持ち主なのです。

 千曲市興正寺山門の子持ち龍。諏訪大社秋宮を造った諏訪立川流の富昌の傑作です。毎年春、杏が満開の時期に必ず訪れブログにアップしています。波は北斎以前から宮彫り師達は彫っていたので、渦の表現とか水流の表現とかは確立されていたのですが、鯉の滝登りなど渓流ですね。そこに海の波の彫刻を確立したのが、「波の伊八」です。二人は後の宮彫り師や浮世絵師に多大な影響を与えたと思います。

 富山県朝日町の鹿島神宮の北村喜代松の宮彫り。彼の作品を求めて、野沢温泉から上越市、糸魚川市、富山県まで撮影に訪れブログにアップしています。宮彫りは、漆塗りの綺羅びやかなものから欅のむくを使ったものに変化して行きました。結果、より厳しい造形性が求められることになりました。私も美大生時代に木彫をしたことがありますが、木目を読む難しさに閉口した思い出があります。北村喜代松は、そんな欅の限界に挑戦しています。水流の渦というのは、縄文式土器にもあるように、火炎とともに古代から生命の息吹を象徴するものなのです。
 ただ、宮彫り師はあくまで職人なのです。仏像を彫る仏師の様な社会的地位はありません。経済的にも裕福だったとはいえません。浮世絵師は、美人絵や役者絵がヒットすると、それはもうスターです。ただ北斎は金には無頓着だった様ですね。着るものや食べるものにも無頓着だった様です。結婚して娘を二人授かっています。特に応為は北斎の右腕として、数々の傑作を残しています。吉原を女性の目で描いた作品や見事な春画も。世界的に有名な北斎ブルーは、日本には延享4(1747)年に初めて輸入されたと伝えられます。「プルシアンブルー」とも呼ばれるこの青色絵具は、発見された地名をとって「ベルリン藍」、省略して「ベロ藍」と呼ばれました。高校時代に油絵を描いていた頃、このプルシアンブルーに魅了されましたが、扱いが非常に難しい。下手に使うと他の色を全て食ってしまうのです。それ以外にもトルコブルーやラピスラズリなど絵の具の多くは高価な輸入品でした。そういうものには糸目をつけなかったのでしょう。根っからの「画狂人北斎」だったのです。

圧巻の葛飾北斎。北斎館で「旅する浮世絵」を堪能(妻女山里山通信):鳥瞰図「東海道名所一覧」。後世の大正広重といわれた吉田初三郎にも影響を与えたと思われる鳥瞰図など。おそらく見たことがないと思います。肉筆画も必見です。

世界で最も有名な日本人 葛飾北斎の「北斎vs北斎」を観に小布施へ。圧巻の展覧会でした(妻女山里山通信):特筆すべきは肉筆画。北斎が描いた生の線と彩色が観られる。秦の始皇帝の命で不老長寿の薬を探して村人3000人と来訪し、裏切って帰らなかった大和王権の祖ともいわれる徐福の絵も貴重。


前述した、若い頃にブラジルを放浪してバイーア州のサルバドールの海岸でボディーサーフィンをした時のエッセイです。北斎には関係ないので読み飛ばしてください。
----また、別の日には、やはり早稲田のS君とバスで郊外のビーチまででかけた。ほとんど人のいない長い砂浜を見つけ降りていくと、15歳ぐらいの少年がいた。彼は、浜辺で十字を切ると3メートルはある大西洋の荒波にむかって飛び込んでいった。そして、うち寄せる高波に身を任せると、波の斜面を斜めに滑り落ちてきた。ボディーサーフィンだ。面白そうだね、とS君が言う。
 少年のやり方、波への入り方、乗り方を注意深く見て頭にたたき込んだ。入り方は、高波がブレイクする前に、高波の壁に自分から突っ込んで裏側に抜ける。浮きながら後ろからくるうねりを見て、思い切り海岸へ泳いで波に乗る。自分の体をサーフィンボードにしなければならないのだから結構タイミングが難しそうだ。少年も度々乗り遅れたりしていた。
 やってみることにする。押し寄せる波の壁に飛び込み少し沖に泳ぎ、波を待つ。大きなうねりが来たら、岸に向かって一気に泳ぎ出す。なかなか上手く乗れない。何度もトライしてやっと波に乗る。波のピークから、生身で一気に滑るというより落ちていく感覚は恐怖心もあるが、何とも言えない快感だ。そしてそのままだと波のブレイクにのまれてものすごい海水の渦にまきこまれてしまう。それを回避するには、落ちながら右腕を伸ばして最後に手のひらを波の裏側に出るように傾けるのだ。後は次の大波が来る前に海岸げ駆け上がる。
 コツをつかむと面白い。しかし、ものすごく疲れる。ヘトヘトになって浜辺にやっとの思いであがろうとすると真後でブレイクした高波にのまれる。高速回転の洗濯機の中に入った気分だ。浜で見ていた少年とS君が大爆笑で迎えてくれる。彼らも代わる代わる同じ目にあった。
 サーフィンボードを買えない彼らは工夫して遊んでいる。サッカーもそうだ。手縫いの布のボールを大事に蹴っている。そういう中から、ロナウドやリバウドが生まれた。ブラジルの子供たちもまた遊びの天才だった。


 20日、約2週間ぶりの青空です。前の記事の一枚目のカットとほぼ同じアングルです。堤防から堤防まであった水も引きました。昨日まで降り続いた雨で水は濁っています。

 北の飯縄山方面。これ以上水害が起きないことを願うのみです。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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2021年8月15日の氾濫警戒情報が出た千曲川。土口水門と岩野橋の状況(妻女山里山通信)

2021-08-15 | アウトドア・ネイチャーフォト
 全国で災害をもたらした秋雨前線は梅雨の終わりの様な状況になっています。信州でも全県で大雨警報や土砂災害警報が出ています。買い物や温泉に行くためには403号を使うのですが、千曲川の脇を通ります。8月15日正午頃の状況を撮影しました。

 千曲市土口水門から上流のカット。奥に見える橋は国道18号。台風19号の時は、この堤防を越水しました。もう駄目かという時に長沼が決壊して救われたのです。大被害を出した長沼地区は堤防の補強工事をして大丈夫でしょう。次はその次に弱いところが決壊します。

 土口水門から上流のカット。見えているのは岩野橋。増水で流れ込む支流の水門は逆流を防ぐために閉じられています。ポンプで排水しているところもありますが、できない水門もあります。内水面氾濫が心配です。

 1キロほど下流の岩野橋のすぐ下流。畑が浸水しています。台風19号の時は、私がいるこの堤防の50センチまで水が来ました。今回は、これ以上の豪雨がなければ大丈夫でしょう。あと2日豪雨がなければ水位は1mは下がります。

 同じ場所から下流部。消防車が来ていました。ご覧の様に長芋畑が水につかっています。でもギリギリ大丈夫です。葉物野菜は駄目ですが根菜類や果樹は水が引けば大丈夫です。今回の洪水ではたぶん大丈夫かと思いますが、台風19号の時の様な大洪水になると、ありとあらゆる汚染物質が流れてきます。目が痛くなるほどです。現代人が、いかに有害な物質に囲まれて食して吸収しているのかを実感できます。それらが現代人の病気にすべて関わっているのです。原因も知らずに病気になり死んでいくのです。
 コロナウィルスですが、感染症というのは、軍事案件なんです。度重なる大戦で命を落とした人は、戦で命を落とした人より感染症で死んだ人の方が何倍も多いのです。ですから軍事大国、米英仏中の軍事大国の感染症研究所はすべて軍の傘下にあります。世界にはメガ医産複合体がありますが、それを牛耳っているのは軍産複合体です。米の感染症研究所はペンタゴンの傘下にあります。なんと武漢ウィルス研究所には米も関与していたのです。ここにコロナウィルスの深い闇があります。
 インドで効果が証明され、インドネシア政府も公認したイベルメクチンがなぜ日本で承認されないか。製薬メーカーは命より利益を優先しているからです。テレビに出ている医師(医師は科学者ではない)や自称専門家がイベルメクチンに言及しないのは、ワクチンシンジケートの一員だからです。ワクチンの成分のすべてを応えられる医師がいますか。ワクチンには中絶された胎児の細胞を培養したものや水銀が含まれています。なぜでしょう。そもそもワクチンが誰の手によってなぜ生まれたかを調べると分かります。更にコロナワクチンに関しては、そのすべての治験が終わっていないのに接種するのは人体実験です。あなたは人体実験に喜んで参加しますか。政府が嘘を言うはずがない、テレビは嘘を言わない。そうですか? アジア・太平洋戦争の過ちをまた繰り返すのですか。陸軍と天皇は広島に原爆が落とされるのを知っていながら何もしなかった。御巣鷹山で中曽根は自衛隊機が誤って誤射したのを隠し、自衛隊の特殊部隊が生存者を火炎放射器で焼き殺した事実を墓場まで持って行った。憲法より上位にある日米地位協定がある限り、日本はいまだ米の植民地です。この30年で、日本はなぜこんなに貧困になってしまったか。中曽根で首根っこを掴まれプラザ合意から仕組まれたバブルと崩壊。そして売国奴小泉の郵政民営化。安倍のジャパンハンドラーズに媚びた400兆円バラマキ。左翼とか右翼とかのイデオロギーの問題ではない。惑わされてはいけない。真実に向き合わないと日本は本当に滅びると思います。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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歴史ある倉科の三滝へ。マタタビ、オオキツネノカミソリ、ソバナ、シデシャジン(妻女山里山通信)

2021-08-08 | アウトドア・ネイチャーフォト
 長野市の最高気温が37.3度の6日金曜日。温泉に行く前に千曲市倉科の三滝へ行きました。長野市南部は35度ぐらい。三滝は、明治の埴科郡誌に、「三瀧川は倉科村の三瀧山船ケ入に発源し御姫山より発する草山沢を合わせ倉科村を流るること一里三町にして沢山川に合す 三瀧一の瀧二の瀧三の瀧三階瀑布あり又南沢に樽瀧あり」とあります。鏡台山を水源とする三滝(みたき)は、一の滝・二の滝・三の滝で構成され、延長20mで、848mの周回遊歩道があります。ファミリー向けとなっていますが、高度差があり転落防止の柵もないので、幼児や老人は要注意です。また、単独や少人数のときは、冬季以外熊鈴必携。

 一の滝。ここのところ夕立がないので水量は少なめ。拙書の写真はこの十倍ぐらいの水量です。ここまで車で来られます。気温は29度。過ごしやすいですけど、クロメマトイとアブが凄い。蚊は35度以上になると発生しません。ハチもいません。クロメマトイはポリカーボネートの透明グラスで防げますが、アブは刺されるとえらいことになるのでタオルで振り払います。拙書の鏡台山のページでは、貴重な一の滝の氷爆を紹介しています。

(左)山菜のアイコ(ミヤマイラクサ)。東北では人気の山菜ですが、信州人は食べないですね。癖がなく美味です。棘があるので採取にはゴム手袋が必須。(右)ソバナ(岨菜)キキョウ科ツリガネニンジン属の多年草。 撮影してたら小さな虫が写っていました。調べるとアリヤドリバチ亜科の一種の可能性が。このグループに含まれる全種がアリに捕食寄生すると考えられています。

(左)渓流の縁にハナイカダ(花筏)。葉の上にあるに花が咲き、実がなります。(右)ヤマアジサイ(サワアジサイ)。すでに残花ですね。

(左)ヤマゼリ(山芹)。山菜ですがドクゼリとそっくりなので素人は採らない方が賢明です。(右)なんでしょう。蕾なのか全開なのかも分かりません。ハート型の葉も初めて見ました。調査中ですが同定できていません。

 二の滝です。明治の倉科村誌には、「二の滝、高四丈三尺、幅一丈七尺、是に龍の劍摺石と唱うる石ありて、自然の穴七ツあり、俗に摺鉢と称す」とあります。川底に落ちた小石が川の流れで回転しながら川底に穴を開けた甌穴(おうけつ)があったのでしょう。今は不明ですが、二の滝へのすぐ下に平らな場所があり、そこだと思われますが現在は遊歩道建設で爆破された岩が積み重なっています。現存していたら県の天然記念物になっていたでしょう。
「三瀧山 岩の苔間に住ながら 思ひくらせし 瀧の水かな」(西行) 此歌里俗の口碑にして、確乎たらず。(倉科村誌)
倉科三滝の知られざる歴史(妻女山里山通信):甌穴(おうけつ)て知ってますか? 三滝にまつわる幻の県道の話も。地元の方も殆ど知らない話です。

(左)ミズ(ウワバミソウ)。春から秋まで採れる山菜です。東北では有名ですが信州では無名です。秋口になると、茎と葉の付け根に小さな丸いムカゴ状の実がつき、秋田では「ミズのコブコ」と呼んで珍重します。栄養価が高く、ビタミンB1、B2、Cやミネラルが多く含まれ、かぜ、がん予防、抗酸化作用、解毒作用があるそうです。(右)カワラタケ。制癌作用、抗癌作用があるというキノコです。私は後述のマタタビなどと焼酎漬けにして愛飲しています。

 拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』の扉に使った三の滝。真夏でも水温は10度ぐらい。扉のカットは真夏で水量も多く緑濃い風景です。遊歩道もありますが、整備されているとはいい難く、倒木もあり岩もゴロゴロしているのでトレッキングシューズが必要です。また昨年は友人が子熊を目撃しているので熊鈴も必須です。

(左)ウマノアシガタ(馬の足形)でしょうか。キンポウゲ科の黄色い花はなかなか同定が難しい。毒草です。(右)「ナニコレ珍百景」に出そうなブナに食べられた山火事注意の看板。

 大ブナ。昔には何度も枝を伐採されて利用されてきた歴史が伺えます。こういう広葉樹を山親爺といいます。ブナは多くの漢字があります。山毛欅、橅、椈、桕、橿など。橅は近年作られた和製漢字で木ではないという極めて失礼な漢字です。水分が多く製材が大変で建築用材に向かないとされましたが、我が家の廊下は年月をかけて製材された貴重なブナです。ブナの大木には、約4000種類の生物が共生しているといわれます。

(左)林道倉科線のじぶたれた看板。味がありますが、谷は倒木で埋め尽くされています。(右)シデシャジン(四手沙参)キキョウ科シデシャジン属の多年草。希少な野草です。

(左)マタタビ(木天蓼)。別名ネコナブリという様に猫やライオンに与えるととんでもないことになります。拙書では「猫にマタタビ、ツキノワグマに石油」というエッセイを載せています。(右)マタタビの実。虫こぶがついてこの様になります。マタタビ酒は滋養強壮に。私はマタタビやアマドコロの根(黄精)、イカリソウの根(淫羊霍)、制癌効果のあるカワラタケ、マンネンタケ、コフキサルノコシカケなどを焼酎漬けにして愛飲しています。

 美しい大きな蛾がまとわりついてきて止まりました。蛾は南極から標高5000mまで生息します。拙書のコラムで書いて言いますが、蝶と蛾の明確な区別はありません。エダシャクの仲間だろうとは思うのですが。この蛾の同定については、時間を掛けて調べます。

 オオキツネノカミソリ(大狐の剃刀)。ヒガンバナ科の多年生草本球根植物。クロンキスト体系ではユリ科に分類されます。

(左)キツネノカミソリの変種で雄しべが花冠から出ているのが特徴です。(右)クサギ(臭木)の残花。葉を折るとピーナッツバターの香り、花は白粉(おしろい)の香りがします。

 倉科の最奥部から望む林檎畑の向こうに鞍骨城跡のある鞍骨山。いつもは北側から見ているので、南側からの眺めは新鮮です。左の高圧線鉄塔のところに二条の空堀があり、その右からが城内です。もちろん拙書でも載せていますが、ハイカーだけでなく、全国から山城マニアや歴女が訪れます。土豪清野氏の山城ですが、上杉景勝が布陣したと伝わる山城です。郭や石垣が残っています。妻女山駐車場から約90分。オススメの山城です。

 下って水田の向こうに手前から茶臼山の峰。向こうには陣場平山から富士ノ塔山への峰。右奥に戸隠富士と呼ばれる高妻山。気温は33度。温泉に入って帰ります。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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幻のハナビラタケ発見!何もいない樹液バー。妻女山から茶臼山へ。粘菌と猛毒のドクツルタケ。希少なマスタケも発見(妻女山里山通信)

2021-08-03 | アウトドア・ネイチャーフォト
 妻女山から陣場平への林道(実は農道)の倒木をログハウスのKさん達が処理してくれたので、撮影機材と山仕事の道具を積んで車で登ってみました。しかし、長野市の職員の方達を案内して徒歩で登った時に、あちこちで深くえぐれた箇所があり、かなり危険なのは分かっています。タイヤの置所を考えながら慎重に登りましたが、タイヤが空転したり大変でした。やっと登った樹液バーには、全く昆虫がいないのに愕然としました。猛暑で標高の高いところに移動したのならいいのですが。

 少し遅いかなと思いつつ毎年ハナビラタケが出る場所へ。ありました。左右が40センチほどあります。左は老菌になりつつあったので、右の若いところを採取しました。ハナビラタケは、担子菌門ハラタケ綱タマチョレイタケ目に属し、ハナビラタケ科のハナビラタケ属に分類されるキノコの一種です。標高1000m以上の針葉樹林に発生しますが、当地では500mぐらいでも見られます。βグルカンが豊富で制癌作用、抗癌作用があるといわれ、研究もされ人工栽培もされていますが、天然物は採れる時期が短く幻のキノコといわれています。

 陣場平へ戻りましたが何もいません。ナツアカネ(夏茜)の未熟がわずかですがいました。アキアカネ(秋茜:赤とんぼ)は暑さに弱いので、真夏は高地に移動して10月頃涼しくなると下りてきます。アキアカネを含むほとんどのトンボは1年1世代といって1年でその一生を終えます。

 貝母(編笠百合)の群生地のある陣場平。妻女山里山デザイン・プロジェクトで保護活動をしていますが、来春まではお休みです。ヒグラシの鳴き声が物凄い。ログハウスでオオムラサキを一頭見ただけでした。カメムシすらいません。煩いクロメマトイがいるだけです。猛暑の影響でしょう。

(左)ミズヒキ(水引)が咲き始めました。これも秋を感じさせます。(右)貝母はほとんどが消えましたが、わずかに残っているものもありました。セリバオウレンは緑の葉が艶々しています。

 妻女山(赤坂山)展望台から見る茶臼山。右奥に虫倉山。標高が730mと陣場平より200m以上高いので翌日行ってみることにしました。中腹には自然植物園や動物園、下には恐竜公園があります。

(左)最高気温が35度の中登ります。最初に見つけた粘菌のクダホコリの子実体。すでに胞子を飛ばしていてスカスカになっています。(右)まだ胞子が残っているものに触れると、胞子が舞い上がりました。下の黄色い粉粒がそれです。

(左)登っていくと足元から羽化したばかりのヒグラシが次々に飛び立ちます。なんとなれば手で捕まえられるほどです。(右)ヒグラシの抜け殻。圧倒的にヒグラシの鳴き声ですが、ツクツクボウシも少し、ミンミンゼミも聞かれました。物凄い蝉の鳴き声で耳が痛くなるほどです(笑)。

 山頂下の北アルプス展望台からの虫倉山。あそこまでが長野市です。里山の原風景を見ながら休憩。とんでもない山奥に見えるかもしれませんが、長野市の中心街への通勤圏です。水田を守るのは高齢者達。耕作放棄地も増えています。空き家も増えて都会からの移住者もいます。山の中に美味しいパン屋とか蕎麦屋があったりします。民宿やゲストハウスもあります。友人のフランス人はこの山中の集落の古民家に住んでいました。今はパリ在住ですが。

(左)ジョウカイボン(浄海坊)の仲間。亜種が多く細かな同定は非常に困難です。(右)虫倉山が見える棚田に下りてみました。以前は休耕田だったのですが、何か植えられていました。水田があった頃にはいたマツモムシは見られませんでしたが、シオカラトンボがたくさん舞っていました。

 戻る途中に登山道で蛾を発見。触ると動きません。絶命していました。ベニシタバでしょうか。お尻から伸びているのは産卵管でしょうか。

(左)ウバユリ(姥百合)の蕾(つぼみ)。真横に折れて慎ましい百合の花を咲かせます。オオウバユリは高さ2mほどになります。(右)コバギボウシ(小葉擬宝珠)。リュウゼツラン亜科ギボウシ属の多年草。オオバギボウシと共に夏の湿原を彩る植物。若葉は山菜で食べられますが、ニホンカモシカも大好物で食痕が見られます。

 翅頂が丸いのでウラギンスジヒョウモン(裏銀筋豹紋)だろうとは思うのですが。翅の表や翅裏も鮮明なカットが撮れなかったので、正確な同定は難しい。あちこちで準絶滅危惧種に認定されています。

(左)猛毒のドクツルタケ。欧米では死の天使と呼ばれます。これ一本で7〜8人分の致死量。猛毒ですが、これをぽっとんトイレに5、6本入れておくとひと夏蠅が発生しません。しかも自然分解するので殺虫剤の様に環境を汚しません。(右)ノアザミ(野薊)。この後咲き出すノハラアザミ(野原薊)と似ていますが、花の下の総苞が粘ることで区別できます。この総苞に小さな昆虫やザトウムシが捕らえられているのをよく見ます。アザミは日本だけでも145種類もあります。実は美味しい山菜で、天ぷら、炒めもの、味噌汁などで。おやきにしても美味しい。長野「いろは堂」のアザミのおやきはオススメです。道の駅や産直で売られているヤマゴボウは、モリアザミ、オニアザミ、オヤマボクチなどの根っこです。おにぎりや海苔巻きにすると美味です。

 ジャノメチョウ(蛇目蝶)。明るい林道にたくさん舞っていました。人の気配に敏感というか落ち着きがないのでなかなか撮影させてくれません。葉の陰で休んでいるのを撮影。 都市郊外から高原まで、分布が広く個体数も多い種です。食草は多くのイネ科植物、カヤツリグサ科植物など。それにしてもオオヒカゲを見なくなりました。スミナガシも。

(左)針葉樹の枯れ木にマスタケ(鱒茸)を発見。小菅村の牛ノ寝通りの谷で採取して以来の発見です。その時はフライにしましたが、鶏のフライの様でした。今回はガーリックバターソテーにしてみようと思います。広葉樹に出るのはアイカワタケでやや黄色味がかっています。どちらも食菌です。(右)登山道にこれはギンリョウソウ(銀竜草)でしょうか。腐生植物で、葉緑素が全くなく全体が白色です。
「マスタケのフライ」:希少なオリジナルレシピです。生だと中毒するので、よく加熱して。

(左)「夏野菜の塩麹蒸し」。塩麹は手作りです。夏野菜の上に豚ひき肉をのせて塩麹をのせて蒸すだけの簡単料理ですが美味い。信州丸茄子にはのせず辛子醤油でいただきます。野菜の旨味を発酵食品で味わうシンプルな料理です。(右)「ハナビラタケのバターソテーとからすみ(ボッタルガ)のパスタ」。ハナビラタケは天ぷらや中華炒めにしていましたが、洋風にしてみました。これがビンゴ。バターとハナビラタケの相性がすごくいいことに気付きました。これに味をしめて、まだ半分あるので、バターソテーしてクラムチャウダーと合わせてスープパスタにしてみようと思います。それにしても暑い!信州には珍しい熱帯夜でしたが、窓を開けていたら朝方ヒヤリとする風が入ってきて目覚め、カーテンを閉めました。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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