モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

長野市南部の保科に鎮座する牡丹と紅葉で有名な阿弥陀山清水寺へ(妻女山里山通信)

2019-11-30 | 歴史・地理・雑学
 金曜日の午前中は雪もちらついた長野市南部。最高気温が6度と寒い日でした。紅葉はもう終わっているかなと思いましたが。確かに終わっているものもありましたが、見頃やまだ緑色の葉もありました。今年は冷え込みが浅いのでここに限らず里山の紅葉は鮮やかさに欠けますね。
 清水寺(せいすいじ)は、真言宗智山派の寺で、山号は阿弥陀山。信濃三十三番札所の十六番札所です。

 鐘楼の脇の紅葉。白い壁や青空に映えます。お昼頃だったのですが、次々に車がやってきました。

 清水寺の御由緒。国指定重要文化財の説明。
 寺伝によれば天平14年(742年) - 行基が千手観音像・脇侍聖観音像・不動明王像を造像し寺を創建したといい、大同元年に坂上田村麻呂により堂宇が再建されたという。
木造聖観音立像(平安時代末期、寄木造)
木造千手観音坐像及び脇侍地蔵菩薩立像(千手観音は平安時代中期、一木造、地蔵菩薩は平安時代末期、寄木造)
木造阿弥陀如来立像(平安時代末期、寄木造漆箔)
木造薬師如来坐像(平安時代中期、一木造)
木造広目天立像・多聞天立像(平安時代末期、寄木造)
絹本著色両界曼荼羅図
鉄鍬形 金銅雲竜紋象嵌

(左)本堂。(右)本堂左手から奥の院の観音堂への石段が始まります。私は山を登りなれているので13分で着きましたが、普通は20〜30分かかると思います。

(左)登り始めの紅葉は水分が抜けて縮れていました。(右)三重塔跡。1916年(大正5年)の保科大火で消失。大日堂や仁王門、数々の仏像なども消失しました。参道は、豪雨で石段が壊れたり、えぐれていて歩きにくいです。できればトレッキングシューズで。観音堂までは、本堂の右手から車道がありますが、軽トラや四駆の軽がいいでしょうね。

 手水と不動明王か。清水寺観音堂が見えました。

 懸崖づくりの観音堂。京都の清水寺を連想させます。

 重要文化財の千手観音。真言は、おん ばざら だらま ぎりく そわか(唵 斡嚩囉 塔囉痲 紇哩 蘇婆訶)。密教における仏菩薩(ぶつぼさつ)などの本誓(ほんぜい)(人々を救済しようとするもとの願い)を表す秘密語、密呪(みつじゅ)。サンスクリット語のマントラmantraの訳。呪(しゅ)、神呪(しんしゅ)などともいわれる様です。

 観音堂の脇に立つ見事な枝垂れ桜。春はそれは見事でしょう。

 逆光の紅葉。赤い色が少ないのは、冷え込みが浅いのでアントシアニンが増えないためです。まだ緑色の葉さえ見られます。しかし、空気は冬の匂いがします。

 大正の大火で消失した堂宇の説明。三重塔は、裳階(もこし)がありませんね。上田市の塩田平にある国宝の大法寺三重塔と同じ造りでしょうか。だとしたら本当に重要なものが失われてしまったということです。
その美しさから「見返りの塔」と呼ばれる大法寺の国宝三重塔へ(妻女山里山通信)

 羅漢像の向こうに鐘楼と紅葉。暖かい格好をしてきましたが冷えました。温泉に入る前にお昼を。

 篠ノ井の石川亭へ。おしぼりうどんをいただきました。辛味大根(ねずみ大根や信州地大根など)の絞り汁に信州糀味噌、鰹節、長ネギを溶いていただきます。信州でも旧埴科郡と更級郡でしか食べることができない、醤油がなかったころからある相当古い伝統食です。辛くて甘いその味を「あまもっくら」といいます。篠ノ井や戸倉上山田温泉、坂城には名店があります。うどん好きならぜひ召し上がってみてください。我が家では昔から長く太く生きるという意味を込めて、元旦の朝は毎年これをいただくのが伝統です。
おしぼりうどんのオリジナルレシピ

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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錦秋の茶臼山へ。ガマズミ、モミジ、ススキ、サンふじ。冬の装いの北アルプス(妻女山里山通信)

2019-11-26 | アウトドア・ネイチャーフォト
 週末は、季節外れの暖かさで最高気温がなんと20度になりました。買い物ついでに茶臼山自然植物園と拙書でも紹介の茶臼山山頂近くの北アルプス展望台に登りました。

 茶臼山動物園の南口から入り口を右に見て道路を進むと自然植物園に出ます。左手に広い駐車場があります。近くのログハウス風の展望台から根子岳、四阿山方面の眺め。まだ積雪はありません。手前は松代東条の奇妙山。山頂は古い山城の跡があり、拙書でも色々なコースを紹介していますが、人気の里山です。
 台風19号で大きな被害が出た松代ですが、21日にやっとツルヤも開店し少しずつ普通の日常が戻ってきました。しかし、大被害の穂保やマスコミでは紹介されない小さな地区では、まだ爪痕が残り復旧できていないところもあります。畑から煙が立ち上っています。
茶臼山恐竜公園・自然植物園
茶臼山動物園

 自然植物園のガマズミの赤い実。抗酸化作用が強く酸味の効いた果実酒は透明なルビー色で美しく美味です。ホワイトリカーなどに漬け込みますが、ザラメは入れません。飲むときに蜂蜜を好みで入れます。

 車で上り信里小を右へ。登山口の駐車場から川中島の戦いの武田信玄の石碑がある道を登ります。コナラのオレンジ色の枯れ葉が秋の陽を浴びて輝いています。

 駐車場から南の眺望。富士山型の山は蓼科山。手前は、上田市塩田平の里山。拙書でも紹介している独鈷山など。清少納言や武田信玄が好んだという別所温泉はおすすめです。左手前の大きな山は五里ヶ峯。その麓は、あんずの里の森。

 そこから15分ほど茶臼山方面に登ると、北アルプス展望台。仁科三山の爺ヶ岳(左)と鹿島槍ヶ岳(右)。冬の装いの始まりです。手前は山布施の集落。中央の布施神社には立派な木彫があります。
山布施の布施神社と石川流山嵜儀作の木彫。布施氏の須立之城探訪。陣馬平のカモシカの親子(妻女山里山通信)

 右に目を向けると、左奥に白馬岳。右手前は、神話の山虫倉山。神城断層地震で山頂が4割崩壊してしまいました。拙書でも紹介していますが、もっとも面白いサルスベリコースの現在はどうなっているのでしょう。登ったという方にも数人出会いましたが。
虫倉山。神城断層地震で崩壊した山頂へ。無常と360度の大展望と。登山情報(妻女山里山通信)
北アルプスの絶景を求めて茶臼山へ。仁科三山、白馬三山の絶景を堪能(妻女山里山通信)

 眼下には故郷の原風景のような景色。右手には、ハイキングの様子を記事にしましたが、夜交(よまぜ)という不思議な名前の歴史ある集落があります。私は高社山麓の夜間瀬氏との関係があるのではと考えています。豊臣秀吉の上杉景勝会津転封が原因の可能性があります。国替えの命令はそれは厳しいものでした。それを逃れるために移住したくない人たちが山奥に隠れ住んだのではないかと考えています。

 今秋は冷え込みが浅いので紅葉はあまり鮮やかではありませんが、それでもこんな紅葉を見つけました。このあたりの里山でよく見られるヤマモミジでしょう。茶臼山では十数種類の楓が見られます。

 下る途中で鈴なりのサンふじ。一日一個のりんごで医者いらずといいます。台風で大きな被害が出ましたが、大丈夫だったものもあります。ぜひ信州りんごをお求めください。保育園児の頃は、林檎畑もあったので祖母が皮ごとすりおろしたものをよく作ってくれました。
 パリで泊まった小さなホテルの朝食が、すりおろしたリンゴを蜂蜜で練ったもので、石窯で焼きたてのフランスパンに塗っていただきましたが、それはもう絶品でした。毎朝大量に食べるのでマダムに、そんなに美味しい?と聞かれた思い出。軽井沢や長野市などにあるツルヤのオリジナル紅玉のジュースはもの凄く美味しい。冬は湯煎で少し温めるのがおすすめです。

 茶臼山動物園の北口へ。恐竜公園の最上部にある銀杏の黄葉。小さな子を連れた家族が大勢訪れていました。

 戸倉上山田温泉の万葉超音波温泉に向かいます。林檎畑の向こうに篠ノ井の市街。

 その市街地と菅平方面の山が見える場所から撮影。上杉謙信が本陣とした斎場山(旧妻女山)と展望台のある妻女山(旧赤坂山)。

 美しい落葉松の黄葉の彼方に根子岳と四阿山。手前に奇妙山。それにしても暖かい日でした。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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キノコ狩りに錦秋の里山へ。思い出の詰まる藪山へ。森の貴婦人ムラサキシメジ、美味いムキタケ、幻のシロシメジ(妻女山里山通信)

2019-11-17 | アウトドア・ネイチャーフォト
 本当に久しぶりに妻女山へ。台風19号の影響も気になりましたが、倒木は処理されていました。週末にトレランの大会があるのでしょう。標識やテープがあちこちにありました。

 妻女山展望台からの西の仁科三山の鹿島槍ヶ岳。左に爺ヶ岳、右に隠れて五竜岳。古代の縄文人や弥生人もこの風景を見ていたのです。もちろん上杉謙信や武田信玄もこの景色を見たことでしょう。真田の殿様らや佐久間象山も見ていたに違いありません。

 その右に白馬三山。右手前に茶臼山。対岸の河原では、台風19号で堆積した土砂を削除しています。手前の町並みは篠ノ井。高句麗から渡来した豪族の篠井氏が名の由来です。高句麗の王族、前部秋足(ぜんぶのあきたり)が延暦18年(799)に篠井性を下賜(かし)されています。それが現在の篠ノ井の名称の元でしょう。この時、多くの高句麗の豪族が帰化しています。高句麗人はツングース系で馬産と石の文化を持ち、現在の半島の人とは異なります。長野市には高句麗式積石塚古墳として大室古墳群が、多くが破壊されましたが妻女山にもあります。千曲市には堂平積石塚古墳群があります。

 東の松代方面。霧がかかっています。奥の根子岳や四阿山は白くはないですが、初冠雪はありました。左手前の大きな山は、拙書でも紹介している奇妙山。母校の松代中学も水害に遭いましたが、なんとか復旧したようです。スーパーのツルヤは21日開店のようです。洪水の爪痕はあちこちに見られます。善光寺平の初雪は、毎年11月下旬か12月上旬です。明日はスタッドレスタイヤに交換しましょう。インパクトレンチがあるとはいえ、3ナンバーでタイヤが重いので重労働です。

(左)普通のひとは全く入ることのない藪山へ。なにこれ!シロシメジかシロノハイイロシメジか。前者ならホンシメジ以上の賜物。後者ならスカンクの臭いの毒キノコ。似ていて同定が本当に難しい。違いは、傘の中央の色が薄茶ならシロシメジ、薄灰褐色ならシロノハイイロシメジ。難しいです。シロシメジでした。実はもっと大きな群生地を見つけたのですが、増やすために採りませんでした。苦味があると書かれていますが、当地のものは全く苦味はありません。ボリュームが有り非常に美味しいキノコですが、同定して採る人はいないと思います。(右)台風19号でしょうか。コナラやヤマザクラが10本以上倒れています。2、3年後にはウスヒラタケ、ムキタケ、クリタケ、ナラタケ、ナメコなどがでるでしょう。

(左)倒木にビョウタケかモエギビョウタケか。菌類の同定は難しい。(右)ムキタケ。優秀な食菌です。袋いっぱい採れました。鍋に、煮込みうどんに。

 知っているシロを巡ってやっと森の貴婦人ムラサキシメジを見つけました。フランスでは、ピエブルー(pied bleu)と呼ばれる高級キノコ。バターやクリームと相性がいいのですが、日本では豆腐とすまし汁にするのが最も風味を味わえる食べ方かもしれません。その他に鍋やおやき、炒めもの、炊き込みご飯などに。30本ほど採れました。今年のキノコは不作です。天然舞茸は採れましたが。ムラサキシメジは、一日で150本採ったこともありました。キノコは気まぐれです。

 昼は友人のログハウスへ。北アルプス仁科三山の鹿島槍ヶ岳。すっかり冬の装いです。眼下は千曲川。台風19号で、1m以上の土砂が堆積。重機が何台も入って土砂を取り除きました。どこへ持っていったのでしょう。熱々のカニの味噌汁で手巻き寿司で昼食。ゆっくりと時間が流れていきます。サウージ・サウダージ(SAUDE! SAUDADE)が浮かびました。ブラジル人が大事にする想いです。健康と懐かしさ。英語の I miss you.に近いかも。逢いたいのに今それはかなわない。失われた懐かしい日々。

(左)来月にはここを借りて妻女山里山デザイン・プロジェクトの納会をしようと思います。(右)脇にある堂平大塚古墳。古墳時代後期の横穴式円墳です。

(左)コシアブラの黄葉。脂分が多いので、透けて見える葉もあります。(右)ナツヅタの紅葉。フユヅタ(アイビー)は、緑のままです。

(左)落葉松の黄葉も少しずつ進んでいます。12月になるとチリチリと音を立てて葉の雨が降ります。(右)上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる陣馬平の大きなクマノミズキの実。森の珊瑚と私は呼んでいますが、冬の小鳥たちの大事な食料になります。

 妻女山松代招魂社。戊辰戦争以降の戦没者を祀った神社です。真田の六文銭が見られます。春は桜の名所で、近隣の小学生がたくさん遠足に訪れます。BBQをする人もいますが、絶対に直火はしないでください。

 千曲川の堤防から見る斎場山(旧妻女山)。左の高みが斎場山古墳山頂。右は御龍願平(ごりょうがんだいら)。転訛して竜願平ともいいます。古代科野国の聖地です。拙書では、その名前の由来や歴史を詳しく紹介しています。この日も拙書を持った夫婦が、斎場山へ登っていきました。拙書やブログを見て、斎場山や陣馬平、堂平大塚古墳や鞍骨城へ訪れる人が増えています。これから迎える落葉期は、見通しがよくなるのでおすすめです。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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上杉景虎が自害した御館の乱の鮫ヶ尾城跡。倭国大乱の斐太遺跡。ナウマンゾウ博物館。錦秋の苗名滝(妻女山里山通信)

2019-11-12 | 歴史・地理・雑学
 妻女山里山デザイン・プロジェクトの恒例の秋のトレッキングは、私が9月中旬にひとりで訪れた上杉謙信が信州からの攻めの備えとして築城した鮫ヶ尾城跡へ。ここは、謙信亡き後跡目相続で、上杉景勝と上杉景虎が争い。景虎が自害した山城として有名です。しかし今回私は、魏志倭人伝に載る卑弥呼の倭国平定(邪馬台国)の前に起きた倭国大乱に興味を持って訪れました。

(左)道の駅あらいから近くの鮫ヶ尾城へ。御館の乱の説明を読みます。向こうは案内所。お茶と柿、漬物を頂きました。(右)斐太遺跡群の説明と自然。

(左)鮫ヶ尾城の図(上越マイスターと呼ばれた大塚直吉氏作)。(右)御館の乱の説明。独身の謙信には子供がなかったため、景勝、景虎共養子です。謙信は跡目相続のことを考えていなかったのでしょうか。

 鮫ヶ尾城跡の縄張り。ちなみに南が虎口になります。最近、熊が目撃されたとか。

(左)斐太遺跡群の説明です。倭国大乱の時に現れた東日本最大級の住居跡。その後も使われたようですが。倭国大乱とは何か。倭国大乱で軍事的緊張が高まった時期に、短期間に使われた一過性の集落だそうです。その後、人々はどこへ行ったのでしょうか。信州へ逃れた人もいるのではないでしょうか。春秋時代の紀元前480年頃に越により滅びた呉のエリートが渡来。紀元前330年頃に滅びた越が渡来とすると、日本全体で60万人といえども渡来した地域は近かったはずで、倭国大乱が起きても不思議はないと考えます。5月に鳥取で弥生時代の110体におよぶ人骨が発掘されましたが、皆頭や体に襲われた大きな穴が開いていました。倭国大乱の証拠かもしれません。先に渡来した呉の民が越の民を襲ったのか。逃れた越の人々が斐太遺跡に隠れ住んだとかもあったかもしれません。越後の地名がその名残かもしれません。(右)残る弥生式土器。縄文末期の日本の人口は8万人ともいわれます。弥生時代に大量の移民があったことが分かります。そして、古墳時代には400万人に。日本は移民の国なのです。
 その後秦の始皇帝の時代に失われた古代ユダヤの一族といわれる徐福を長とした集団が渡来し大和王権の祖となったといわれます。その徐福が連れてきたのが高度な技術者集団の物部氏という説。伊勢神宮の内宮や外宮を裏で支えているのは伊雑宮(いざわのみや)という物部系の伊勢神宮であり、京都においても天皇を守っていた下鴨神社と上賀茂神社を支えているのは物部系の河合神社。伊勢神宮は現在地に鎮座するまで、90年かけて候補地を転々とした。それを元伊勢(もといせ)というが、その元伊勢の中でも最重要な存在が籠神社(このじんじゃ)。これは、特別に本伊勢(ほんいせ)とも呼ばれている。籠神社の裏社紋がユダヤのシンボルであるダビデの星であるという事実。安曇族と徐福。飯縄権現が白狐に乗った烏天狗。これも古代ユダヤとの関連性。諏訪大社にイスラエル人を連れて行ったら、これは古代ユダヤの神殿と同じと。守屋山とか古代ユダヤ語が伝わっているとか、ダイナミックな古代史があったことが分かります。

(左)池の畔を巡って山城へ。太公望がへらぶな釣りをしていました。(右)つづら折れで登るとすぐに広い尾根に乗ります。ここに弥生時代の住居跡があります。

(左)アキノギンリョウソウ(ギンリョウソウモドキ:銀竜草擬)が結実していました。葉緑素を持たない植物です。(右)オオイワカガミの葉。群生地があります。5月に満開の頃はさぞ美しいでしょうね。

(左)足元にグランドカバーの様に赤い実をつけたヤブコウジが広がっています。(右)長く深い空堀。

(左)本郭の手前にある通称東一の丸。(右)少し下って小道を進むと本丸の四阿が見えてきます。

(左)本郭の下にある水場。サイフォンの原理で湧き出しているようです。水場のない山は、山城として機能しません。兵糧攻めに遭ったら生き残れません。春日山城跡もそうです。(右)そこに咲くノコンギク。

(左)山頂です。風もなく穏やかです。(右)上越の平野。遠く米山が見えます。

(左)国指定史跡鮫ヶ尾城の案内。(右)道の駅あらいで買ってきた寿司やあんこうの唐揚げ、ノドグロのさつま揚げ、海老と蓮根の落とし揚げ、メンバーが作ってきたピーマンと長ネギの煮浸し、柿などで昼食。

 赤とんぼが舞う穏やかな山頂。遠く日本海も見えます。山に囲まれた信州と違って開放感があります。気持ちがいい。信州の中信、東信、北信の人たちは、上越や糸魚川の海は自分たちのものと思っています。谷浜には信州の海の家があるし、週末は長野、松本ナンバーの車ばかりです。海釣りに来たり海水浴に来たり。道の駅のパンフレットも新潟と長野を同時掲載したものが多く、長野と新潟は愛し合っているのです(笑)。逆に野沢温泉などに行くと長岡ナンバーばかりだったりします。

(左)まったりと昼餉を楽しんだ山頂の四阿。(右)記念撮影。実はメンバーに、台風19号で水害に遭った者がいます。農機具倉庫が40センチほど水没し、農業機械に被害が出たとか。我が家も河川敷の畑が水没し、長芋の収穫に影響が出ています。それでもこんな風に日帰りの山行に来られるだけいい方なのです。妻女山里山デザイン・プロジェクトも妻女山山系の被害をまだ完全には把握できていません。

(左)コムラサキの鮮やかな実。(右)ホツツジが一輪咲いていました。

(左)弥生時代の竪穴式住居の再現。(右)アミタケがありました。

(左)野尻湖畔にあるナウマンゾウ博物館へ。フォッサマグナの命名者であるナウマン博士。(右)ナウマンゾウの臼歯。石器人はこんな大きなナウマンゾウを石槍でしとめていたのです。大量の肉をどうやって保存したのでしょう。干し肉や塩漬けでしょうか。美味しかったのでしょうね。狩りすぎて、ナウマンゾウは滅亡へと向かいました。

(左)石器人が作ったナウマンゾウの牙とオオツノシカの角で作られた月と星と思われる祈りのオブジェ。(右)和田峠で産出し全国に流通した黒曜石。刃物として使われました。

 次に苗名滝へ。観光客でいっぱい。中国からの団体客も。紅葉の季節です。有名な観光地で軽装の人が多いのですが、トレッキングシューズをおすすめします。

(左)滝口。(右)滝壺の水煙。

 轟音が響きます。この後、冷えた体を温めに苗名の湯に入ってから信州に帰郷。

(左)慰労会は、篠ノ井消防署隣の長崎亭。クロソイの刺し身。生牡蠣のフライに酢牡蠣。赤イカの刺し身などを堪能。(右)締めは長崎ちゃんぽん。いい山行でした。

上杉謙信が築城し、景勝と景虎が争った「御館の乱」で有名な鮫ヶ尾城へ。「倭国大乱」の頃からの斐太遺跡。秋桜(妻女山里山通信)

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マリンドリーム能生の朝。彫刻公園。上越市立水族博物館「うみがたり」。道の駅あらい(妻女山里山通信)

2019-11-10 | アウトドア・ネイチャーフォト

 三日目の朝。心が洗われるような清々しい日本海の風景。石器時代、縄文時代、弥生時代の人々も同じ風景を見ていたのでしょう。

(左)マリンドリーム能生の公園には、数々の彫刻作品があります。鑑賞する人はほとんどいませんが。鉄筋で作られたアーチ。(右)石の彫刻の穴から見る日本海。

(左)歓喜の踊りをする男女。丸い輪は世界でしょうか。(右)テトラポッド越しの日本海。消波ブロックは日本の海岸の原風景である白砂青松を破壊するものとして、批判が強いのですが、これがないと海岸がどんどん侵食されてしまう場所もあるのも事実です。ただし不必要な場所にもあるのも事実です。自然は変化するものですが、それを阻止しようという人間の業。利権もあるのでしょう。

(左)生地(いくじ)の北洋の館で買い求めたホタルイカのストラップ。お店のお姉さんが作っているようです。可愛いので買いました。(右)上越市立水族博物館「うみがたり」へ。冬季は10時開館です。会館前から60人ぐらいの人が並んでいました。

(左)エントランスから見る日本海。(右)メバルとか数種類の魚がいる水槽。

 トンネルから見上げるイワシの群れ。鰯と書くように弱いから群れるのです。見飽きない美しい命の群舞です。

(左)ニッコウイワナ。昔、渓流釣りでフライフィッシングをしていました。最初の一匹は手が震えます。開高健氏の著書で書かれていた有名な中国の古諺に、「一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。」「三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。」「八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。」「永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。」というものがあります。結婚の幸せが三日間というのは自虐的に過ぎますが(笑)。「釣りとは絶対矛盾的、自己統一である。」 という言質も残しています。(右)ミズダコ。タコはとても知能が高い生物です。

(左)マゼランペンギン。寄ってきますが可愛いといっても絶対に触れてはいけません。餌やりイベントが行われていました。(右)見ているだけだと癒やされるクラゲ。優雅で美しい。でも刺されたら大悲劇。

 道の駅あらい。鮮魚が充実しています。信州からわざわざ買いに来る人もいるほどのクオリティ。安くて新鮮です。

(左)このマダラでタラ汁を作りたいですね。(右)鮮魚センター。

(左)昼は向かいの麺屋吉祥で。(右)牡蠣ラーメン。炒り粉と海老の出汁のスープに、プリプリの牡蠣が6つ。牡蠣の香りがぷんぷん。美味でした。長野に帰ります。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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マリンドリーム能生から親不知へ。黒部峡谷の入り口の宇奈月ダムへ。富山湾へ。魚の駅「生地(いくじ)」と北洋の館(妻女山里山通信)

2019-11-08 | 歴史・地理・雑学
 二日目の朝。信州に比べれば随分と温かい朝です。宇奈月温泉の奥にある黒部峡谷の入り口にある宇奈月ダムを訪れました。そして道の駅宇奈月から西へ。富山湾を望む黒部市の生地(いくじ)の道の駅へ。案内所ですすめられた街のカフェ北洋の館へ。今回もいい出会いがありました。

 朝7時のマリンドリーム能生。夜中に物凄い雨が降りました。曇っていますが昼頃には晴れそうです。釣り人が何人かいます。チヌ(クロダイ)やメジナ、キジハタ、真鯛のシーズンです。アオリイカも。

 道の駅親不知ピアパークへ。海岸には10人ほどの人がいました。皆さん翡翠を探しています。日本海にしては結構波が荒いです。波には一発波という突然来る大波があるので、翡翠探しに夢中になっていると危険です。私も探しましたが、そうそう簡単に見つかるものではありません。それに、どれが翡翠かも分かりません。糸魚川のフォッサマグナミュージアムでは、石や化石の無料鑑定を行っています。詳しくはHPで。

 8号を西へ向かいます。途中で左折して宇奈月へ。9時半頃宇奈月ダムに着きました。元長野県知事の田中康夫氏の脱ダム宣言には私も賛成でした。ダムはゼネコンの利権の塊でしたから。ただ本当に必要なダムもあるのも事実です。この宇奈月ダムもそのひとつだと思います。後で訪れた黒部市歴史民俗資料館では、黒部川の氾濫と戦った人々の歴史を知ることができました。少し面白い形をしたダムですが、それには理由があります。

(左)大夢来館から見るダム。(右)。ダム関係の資料だけではなく、昆虫や自然の展示もあります。

 ダム湖のうなづき湖畔にある欧州の古城のような新柳河原発電所。トロッコ電車が走っています。欅平までは約80分。

 エメラルドグリーンのうなづき湖。奥は黒部峡谷。この右手にはとちの湯があります。冬季は閉鎖になります。

(左)道の駅うなづき。(右)宇奈月ビールと写真のタペストリーを買いました。「日本三霊山越中立山の絵図」。鉄道の線路が絵が描かれているので、明治時代後期か大正時代のものらしいです。なぜかハワイアングッズが豊富な道の駅です。

(左)道の駅の隣りにある黒部市歴史民俗資料館へ。「十二貫野用水ー開削の記憶ー」の特別展を開催中でした。まず案内の女性が、「黒部の流れと宇奈月」のムービーを上映してくれました。非常にいい映画でした。(右)愛本刎(はね)橋の復元模型。山口県岩国市の錦帯橋、山梨県大月市の猿橋とともに「日本三奇橋」といわれます。

(左)黒部川扇状地の絵図。(右)縄文時代の石器。男性器を模したもので、土偶の女性と対と考えられています。

(左)14号を西へ走り富山湾へ。お昼に魚の駅「生地(いくじ)に着きました。(右)紅ズワイガニ。鮮度といい大きさといい抜群です。紅ズワイガニを食べるならここですね。

(左)巨大なそでいか24000円にはたまげました。その他山国信州人なら初めて見たという様な地魚がたくさん。凄い品揃えです。(右)活魚も。ひらめ9800円。魚の駅を名乗るだけあります。今まで訪れた道の駅では最強です。今度は大きなクーラーバッグを持ってきます。

(左)お昼は併設のレストランへ。(右)刺し身は結構食べているので、しろえびかき揚げ丼を。右の味噌汁の具は鯛です。満足です。

(左)生地は名水の里。街中に清水が湧き出しています。地元の方は清水(しょうず)といいます。(右)殿様の清水。僅かに塩気があります。清水によって味が異なるそうです。

(左)道の駅の案内所ですすめられた海岸沿いの漁具倉庫ギャラリー「北洋の館」へ。(右)魚群探知機でしょうか。古い潜水用具もありました。

(左)昔の漁の写真。非常に活気があったことが分かります。(右)帆船の模型。

(左)カフェの店内です。非常に癒やされる空間です。薪ストーブも。(右)カプチーノを頼みました。キューブ状のチョコとクッキーがついてきます。ブラック派なので砂糖もミルクも入れませんが、とても美味しいカプチーノでした。お店の女性に生地の名前の由来を聞いたり、色々お話できて楽しい時間を過ごしました。今度行くときはクーラーボックス持参で、秋刀魚のへしこと丸干しを買いたいと思います。
北洋の館ホームページ:中水産の古い木造倉庫を利用したギャラリーカフェと、地元名産品を取り扱うお店です。

(左)カフェの前にある生地鼻灯台。(右)すぐ先にあるお台場の大砲。黒船襲来で加賀藩が造ったものだそうですが。こんな可愛い大砲で撃退できたでしょうか。蜃気楼は、4月からGWの頃がいいとか。また来ましょう。

(左)そこで教わった菅原道真由来の前名寺天満宮へ。(右)庭園内にある清水。クセのない美味しい軟水でした。

 親不知に戻って公共施設まるたん坊で入浴。親不知ピアパークの信号を山に登るとあるのですが、以外に知られていません。お風呂からは日本海が見渡せます。入浴料300円。宿泊もできます。おすすめ。 
親不知交流センターまるたん坊

 名立のドライブイン名立食堂で夕食をいただいてマリンドリーム能生に帰還。夕焼けを愛でながらワインを。この夜は時々車が小刻みに揺れるほどの西風が吹き荒れました。見上げるとオリオン座。癒やしと鎮魂の旅は続きます。

 今日は千曲市にある長野県立歴史館に特別企画の「土偶展」を観に行きました。駐車場は満車です。なにせ国宝の土偶が5体も展示されるのですから。東京でやったら1時間以上待ちとか、人の肩越しでないと見られないという状況になりそうです。土偶はそれは素晴らしいものでした。縄文人の心の豊かさや技術の高さ、祈りの深さを感じました。10日(日)までの開催です。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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癒やしと鎮魂の旅。道の駅あらい。マリンドリーム能生。糸魚川一ノ宮の天津神社・奴奈川神社。クラシックカー(妻女山里山通信)

2019-11-06 | 歴史・地理・雑学
 車中泊の旅。今回の目当ては宇奈月ダムと黒部市の生地(いくじ)です。早朝に出発。さすがにいきなり高速では危険なので須坂インターからのりました。道の駅あらいのスマートインターでおりました。

(左)道の駅あらいの鮮魚センターで、朝食用に買ったウニ・イクラ丼。朝から贅沢かなと思いましたが、昼になると売り切れるのも知っていたので買いました。ご飯が少なめで朝食向き。(右)前回春日山城跡に訪れた時は閉まっていた上越市埋蔵文化センターへ。謙信公の展示を観に行きました。変な頭の宇宙人?いえいえこの日はこの後お祭りがあるのです。

(左)上杉景勝の書状。(右)川中島合戦の上杉謙信の軍配と太刀。展示品の多くはレプリカです。お祭りなので武士の装束のお姉さんとお話しました。拙書でも紹介の本当の妻女山、本名は斎場山の話も。武士になりきっているので、そうでござるとか言うので笑いを堪えるのに必死でした。でも謙信愛がひしひしと伝わってきます。祭りも見たかったのですが、後ろ髪惹かれつつ能生へ。春日山城跡も必見ですよ。以前の記事を御覧ください。
新潟/上越・糸魚川・妙高、富山/魚津、長野/信濃町への三泊四日の車中泊ぶらり旅 その1。春日山城跡へ。地震にも遭遇(妻女山里山通信

 マリンドリーム能生。三連休なので駐車場は満車。次々に入ってきます。たくさんの人が何をしているかというと、ベニズワイガニを食べているのです。寒風もなく穏やかな日です。

(左)浜焼きにも行列が。(右)昼食はベニズワイガニ。これでほぼお腹いっぱいになります。カニ三昧。

(左)350円のカニパイ。カニがぎっしり詰まっています。これおすすめです。(右)ケニアからのミュージシャン。あちこちで演奏をするみたいです。楽しいリズムに一番反応するのは小さな子供達。昔、セネガルのパーカショニスト、ドゥドゥ・ニジャエ・ローズのコンサートに行ったことがあります。動画もたくさんアップされているので観てください。一緒に行った結婚前の妻が、本当に楽しそうに踊っていたのを思い出しました、

(左)糸魚川市へ。糸魚川一ノ宮の天津神社・奴奈川神社へ。拝殿です。七五三ですが、初宮の可愛い幼子を連れて家族が訪れていました。(右)奴奈川姫の本社。奴奈川姫は、糸魚川の土豪の妻で翡翠を象徴とする巫女だったらしいのですが、大国主命に見初められ夫を殺され略奪婚をしたと伝えられています。建御名方命は、信州一宮の諏訪大社の祭神です。その孫が妻女山麓にある上杉謙信も尊崇した会津比売神社の会津比売命です。出雲系。夫は崇神天皇に初代信濃國造に任命された武五百建命(たけいおたつのみこと)[古事記]と伝わっています。武五百建命は大和系。出雲系の後に入ってきた越のエリート達。つまり三国志で滅亡に追い込まれた国の高度な技術を持ったエリート達が来訪したと考えられます。弥生時代にはすでに製鉄技術があったのです。拙書ではそれを「みすずかる信濃の国の鉄バクテリアがずくを出す」というエッセイで紹介しています。
 歴史人口学の研究者、鬼頭宏氏の推計によると、縄文時代の人口は約10万人~約26万人、弥生時代は約60万人。(古墳時代は400万人)奈良時代は約450万人。この急激な人口増は、生物学的には証明できません。大量の移民があったと考えるべきです。それが、呉越、徐福伝説、高句麗からの移民を意味するのではと考えます。日本史を世界史と分けて学んではいけないのです。三国志にそのヒントは隠されています。

(左)前から気になっていた天津神社のこの石組み。どういう建物があったのでしょう。(右)そして今回気がついた柱の穴。回廊があったのでしょうか。

(左)次にフォッサマグナミュージアムへ。なんとクラシックカー・フェスティバルが行われていました。フランスの名車シトロエンの2CV( ドゥーシーボー)。30年以上前にパリへ行った時に、このタクシーに乗りました。隣には彼女、助手席には犬が乗っていました。石畳のパリに合わせてサスペンションはフワフワです。(右)スバルの名車アルシオーネ。美しい車です。ちなみにアルシオーネはブラジルの女性の名前で、国民的に有名な歌手がいます。「愛のサンバは永遠に」は名曲で私はブラジルで買ったLPを持っています。素晴らしい歌手です。
◉Alcione - Não deixe o samba morrer



(左)その隣になんとスバル・ジャスティ!。持ち主は若い男性でしたが、取り巻きが多くて話を聞けませんでした。実は長男がこれに乗っているのです。帰って聞いたらフォロワーさんの一人だとか。変わりもんですわな(笑)。(右)ダッシュボード。当時私が乗っていたスバル・レオーネツーリングワゴンと似ていますね。ボタンを押すと車高が4センチ上がるという、パワーボタンがあったり、子供達も大好きないいクルマでした。

 なんかこんなペーパーバッグやゲームがあったのですかね。驚きました。

(左)ジャスティのミニカー。こんなのあったのですね。そしてモーターファン。(右)ジャガーEタイプ。いや美しい。

(左)ダッシュボードとステリアリング。なんて美しいのでしょう。(右)ため息が出ます。このまま空も飛べそうです。この車を作った人の愛を感じます。

 フォッサマグナミュージアムへ。初期の勾玉は色々な形をしています。それが仏教伝来とともに突然消えてしまいます。実は仏教伝来とともに消えたものは、これだけではないのです。それを研究しています。

(左)翡翠の巨岩。(右)プラセンセラスの化石。美しく輝いています。

(左)登山家を魅了した高き峰々。なぜ人は山に登るのか。(右)黄鉄鉱の結晶は、人工とはなんなのか、人為とはなんなのかを問いてきます。お前たちの知っていることは宇宙のほんの一部に過ぎないのだよと言われている気がします。

(左)帰りに参拝者が多くて寄れなかった天津神社の子聖社へ。恋愛御籤を引きました。大吉でした(笑)。(右)その左手にある石碑。見当はつくのですが、説明が欲しいですね。

 夕食は名立のドライブイン名立食堂へ。何度も前を通っていたのですが、初訪問です。

(左)店の後ろでカモメが。(中)店の主人が餌をあげていました。これをしないと店の屋根が糞だらけになるとか。秋が深まると北海道や秋田から大きなカモメが飛来するそうです。(右)いただいたのがミニ甘海老丼と天ぷら蕎麦のセット。テツandトモも絶賛の甘海老丼をおすすめします。たら汁定食も。近所の人やトラックドライバーも訪れるいいお店です。

 美しい夕焼け。信州の北アルプスに沈む夕陽とはまた違った趣があり染み染みとします。車中泊のマリンドリーム能生に戻ります。夜半には物凄い雨が降りました。明日は富山へ。癒やしと鎮魂の旅は続きます。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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