モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

風林火山と毘沙門天 妻女山の真実【妻女山里山通信】

2007-08-31 | 歴史・地理・雑学
風林火山のブームで、この夏川中島は大賑わい。海津城、八幡原、妻女山と、どこへ行っても観光客ばかり。さすがに猛暑で、36度の日中には人影もまばらでしたが、そこは信州、夕方になると涼風が吹き、人も戻ってきます。毘と龍の旗がはためく妻女山(赤坂山)展望台には、オオムラサキが舞い、観光客がひきもきらずに訪れていました。

確かに現在の妻女山は、国土地理院の地図にもあるように、標高411mの招魂社と展望台の有る場所ですが、これは明治以降に命名されたところです。本当の妻女山は、斎場山古墳にその起源を持ち、標高512mの斎場山こそが妻女山なのです。それ故、第四次川中島合戦を語るときに、赤坂山を妻女山として始めると、謙信の布陣図や別働隊の動きなどの考証がおかしくなり、全てが間違いになってしまうのです。今までに出版された多くの川中島合戦に関する本が、この間違いを犯しています。

但し、無理もない理由もあります。この妻女山山塊では、清野側にも岩野側にも、妻女山、妻女とつく字や小字が何カ所もあるからです。思うに、江戸時代に上杉謙信が布陣した辺りを、里俗伝に従い岩野も清野も勝手に妻女山、或いは妻女と命名したからにに違いありません。

しかし、妻女山が斎場山を起源とすることは明らかであり、よって本当の妻女山は斎場山古墳のある頂きしかないのです。

今回の「風林火山」ブームの中で、再び「天と地と」の時のような間違った通説が広まることを危惧するものです。また、妻女山は戦国時代の山だけではなく、古代科濃国の斎場であり、重要な場所であったということ広く知って欲しいと思うわけです。そういうことから一念発起して、「妻女山の位置と名称について」の研究をしてきました。

興味のある方は、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。古文書が多く読みにくいでしょうが、次男が作った3Dによる妻女山地図や武田別働隊の進軍経路図、古地図、古い写真などもあり盛りだくさん。地元でしか分からない事実もあり、歴史好きには楽しんでいただけるページだと思います。
また、今回のトレッキングのフォトレポは、モリモリキッズでアップしました。

それにしても戦国時代の遺恨は今に受け継がれているんですね。謙信の陣地妻女山に風林火山の旗が無いのは当然として(麓にはたくさんあります)、上田ではしつこいくらいに立ち並んでいた風林火山の旗が、村上義清の里、坂城に入ったとたんに一本も無いというのも、当たり前とはいえ驚きです。もっとも小学校の校歌にまで、「名将村上義清」と歌われているくらいですからね。市町村合併流行りの昨今ですが、上田と坂城の合併だけは、未来永劫無いだろうなと思った次第です。

「赤々と日はつれなくも秋の風」芭蕉 妻女山会津比売神社参道入口芭蕉句碑
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏休み

2007-08-18 | アウトドア・ネイチャーフォト
水ノ塔山から東篭ノ塔山、西篭ノ塔山への縦走往復から始まったわが家の夏休み。下界は猛暑でしたが、赤ゾレの気温は18度。吹き上げる爽涼な冷風に、家族一同山を下りたくないの大合唱。コキンレイカ、マツムシソウ、ヤマハハコ、グンバイマイヅル、ウスユキソウ、マルバダケブキ、ハクサンシャジン、ハクサンフウロに、なぜかコマクサまでがお出迎え。花を堪能の山歩きでした。

早朝5時半、妻女山、斎場山を望みながらの畑仕事。長芋畑はハッカの香り。見上げれば毘の旗がはためく妻女山(赤坂山)。連日大河ドラマの影響で観光客が訪れていました。たまたま展望台に寄った折りには、調度居合わせた観光客に、本当の妻女山と斎場山、陣場平などの説明をボランティアでしたりして。

それよりも驚いたのは、国蝶オオムラサキの乱舞、オス同士の壮絶な戦いが見られたことでした。まさに平成の川中島妻女山の合戦。この山にオオムラサキがいるのは知っていましたが、これほどの大群を見たのは初めて。早春のヒオドシチョウのバトルも激しいのですが、それに勝るとも劣らず。勢い余って自分より遙かに大きいツバメまで追いかける始末。しかも、二日ほどおいて再訪すると影も形もありませんでした。あれはまさに謙信と信玄の亡霊か。

ある夜は、息子を連れて父が世話人をする清水庵地蔵堂へ。801年、坂上田村麻呂が建立したとされる正法寺が起源のこの草庵には、行基作といわれる石像が二体あり、集落の心の拠り所となっています。また、ある夜みんなで夕涼みに千曲川の土手を歩いているときには、遠花火とたった数個ですがペルセウス座流星群見ることができました。

その、第四次川中島合戦で有名な、妻女山ですが、現在妻女山と云われているところは、赤坂山で本当の妻女山ではない。真実の妻女山はここだという私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」が、ほぼできあがりました。古文書が多く読みにくいでしょうが、次男が作った3Dによる妻女山地図や武田別働隊の進軍経路図、古地図、古い写真などもあり盛りだくさん。地元でしか分からない事実もあり、歴史好きには楽しんでいただけるページだと思います。ご高覧ください。

また、今回のトレッキングのフォトレポは、モリモリキッズでアップしました。信州の高原の爽涼な風を少しでも感じていただけたら幸いです。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボサノバ「サウージ!サウダージ」

2007-08-02 | BABYMETAL・LOVEBITES・ジャズ・宮本佳林・クラシック
夏、信州の高原を走るときに必ずかけるのが、小野リサのアルバム「CATUPIRY」。爽涼な空気の高原ドライブには最適。もう30年以上前になるけれども、リオのコパカバーナの、とある高層アパートのドミトリーに滞在していた時の気だるい日々を思い出します。カルナヴァルの直前で、街はやがて訪れる祭の興奮を待ちきれないかのように熱気をはらんでうずうずとしていました。

昨夜はたまたま、彼女の番組をやっていたので観ました。やはりいいですね。ナベサダとのセッションもよかった。ボサノバを初めて意識して聴いたのは、学生時代バイトしていたピーターキャットで、ジョアン・ジルベルトがアメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツと共演したボサノバアルバムだったと思います。「イパネマの娘」は、あまりにも有名。もっともそれは本来のボサノバではなく、アメリカナイズされたボサノバ風ジャズなんですけれど。

それから、御大アントニオ・カルロス・ジョビンを聴くようになって、ボサノバの魅力に惹かれていったというわけです。ハードバップやビッグバンド、フリージャズも大好きなんですが、時には心のしわ伸ばしにボサノバもいいものです。それはまさにブラジル人がよく言う「サウージ!サウダージ」そのもの。健康に!そして郷愁(失われしもの)。

ブラジルというと、賑やかなサンバを思い浮かべる人が多いでしょうけれど、ブラジル人が大好きな「ショーロ(ショリーニョ)」なんていう音楽もあるのです。停電した漆黒のアマゾンの街に大音量で流れていたショリーニョの調べ(どろぼう除けなんですけどね)は、最高でした。50年ぐらいしか歴史がないのに、どうもブラジルでは、ボサノバは昔の音楽というイメージがあるようで、若い世代はあまり聴かないとか。でも、いずれまた戻ってくるような気がします。

個人的には他に、ナラ・レオン、イヴァン・リンス、ジャヴァンなども好きですね。ジャズでは、デイヴ・ブルーベックなども。そういえば、結婚前につれとブルーノートにアストラッド・ジルベルトを聴きにいったこともありました。リオの有閑階級のサロン音楽なんて揶揄された時代もありましたが、退廃的とはちょっと違うボサノバのゆとりともいえる大人の魅力には、やはり代え難いものがあります。ボサノバをゆったりと聴ける時間は失いたくないなと思いますね…。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする