モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

台風22号が来る前にキノコ狩り。ナメコ・ナラタケ・ハタケシメジ・ムキタケなどをゲット(妻女山里山通信)

2017-10-29 | アウトドア・ネイチャーフォト
 台風21号でかなり雨が降ったので22号が来る前にキノコ狩りへと出かけました。そこそこ採れましたが、やはり不作の年です。通常は9月に長雨があり、10月は秋晴れが多く、間に雨の日を挟むのですが、9月は雨が少きく10月に長雨。そのため9月に出るウラベニホテイシメジやサクラシメジは1本も採れませんでした。3年連続で採れたマイタケもなし。今秋はシロを知らないとまず1本も採れないと思います。

(左)少しですが、もうヒラタケが出ていました。(中)ハタケシメジ。見てくれは悪いですが、味はホンシメジに匹敵するほど旨い。大袋いっぱい採れました。(右)ホコリタケ。これぐらいなら食べられます。中が真っ白なこと。味噌汁の具などに。

(左)当地ではジコボウ(時候坊)と呼ばれる人気のハナイグチ。台風前に出たものは大きくなりすぎて腐っていました。これもキノコムシの蛆虫が見えますが、裏側は食べられ尽くしていました。(中)クリタケ。キノコの出る順番が今秋はメチャクチャです。(右)天然のナメコ。誰も訪れない深い谷の奥にあります。ヌメリの凄さと味は、栽培ものとは比較になりません。

 ナラタケの群生。中にひとつだけナメコがあるのが可愛い。ナラタケも色々種類がある様ですが、ここのはわりと白っぽいですね。写真の3倍ぐらい採れました。深い谷なので、ここに下りてくるのはニホンカモシカとイノシシぐらいです。ムキタケも少し採れました。

(左)ナラタケ。地方によって色々な呼び方があるキノコです。(中)ハサミで切り落として採取します。(右)根本が80センチぐらいある赤松が倒れていました。台風の時でしょう。もの凄い音がしたでしょう。こうしてギャップができると、すぐにニッチの攻めぎあいが始まるのです。植物同士の生存競争です。強風の時は落枝や倒木が発生するので、山に入ってはいけません。私も以前、目の前に25mぐらいの落葉松が突然倒れてきたことがありました。

(左)小一時間歩いて今は亡き友人のログハウスに到着。ここでお昼にしました。(中)近くの蟹沢(がんざわ)の泉。枯れることのない豊富な泉で、上杉謙信の陣用水と伝わっています。(右)ログハウスの軒下に雀の遺骸。何があったのでしょう。襲われたのなら食べられているはずなので、そうではない様です。しかし、すぐに発見されて食べられてしまうと思います。

 ログハウスから観る鹿島槍ヶ岳と眼下に千曲川。この景色をボーッと見ているのが好きです。時間を忘れます。

(左)妻女山へ戻ります。今年は最低気温が高いので、紅葉もなかなか進みません。(中)まだ9月の様な森の色です。(右)色づいているのは山桜。

 妻女山展望台から観る白馬三山。一番右の白馬岳手前は、茶臼山の南峰。中腹にレッサーパンダで有名になった茶臼山動物園があります。その手前は篠ノ井の街並み。

 同じく北方には、左に戸隠連峰と戸隠富士と呼ばれる高妻山。右に飯縄山。飯縄神社の祭神の飯綱権現は、東京の高尾山の薬王院の祭神でもあります。手前に南長野運動公園総合球技場。冬季長野オリンピックの開会式閉会式が行われました。右にAC長野パルセイロのホームスタジアム。先日、なでしこジャパンの試合が行われました。ここまで。チャントが聞こえます。

 東方には、松代の街並み。大河ドラマ『真田丸』の時は本当に賑わいました。ここ妻女山や斎場山も。奥の根子岳と四阿山も初冠雪しましたが、溶けた様ですね。久しぶりに見る雲一つない青空です。

 今日29日(日)は、本来なら松代夢空間主催の「妻女山 紅葉と歴史のハイキング」のインタープリターをするはずでした。昨日どうしましょうと電話があったのですが、もちろん中止にしてくださいと。この記事のキノコ狩りでも台風21号の大雨で、林道はもちろん登山道も獣道も酷い泥濘状態で、とてもハイキングできる状態ではありません。個人的には雨中のトレッキングも好きで、在京中はわざわざ雨の日に息子たちと神奈川や山梨の山に登ったこともあるのですが、今回はかなりの急斜面の獣道をトラバースする場所があったり急登もあって、危険すぎます。そんなわけで長野市長選挙と議員補欠選挙に行って、帰りに温泉に入ってきました。千曲川はまだそれほど増水していませんが、前の記事の様に洪水になるのか非常に気がかりです。とにかく累積雨量がかなり多いので、土砂災害には要注意です。

信州の秋はジコボウはじめキノコ三昧。キノコ料理のレシピ。放射能除染方法も(妻女山里山通信)

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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台風21号で千曲川が洪水し土手外の畑が冠水。虹も! 東電小田切ダム(妻女山里山通信)

2017-10-23 | アウトドア・ネイチャーフォト
 台風21号で千曲川が増水し、堤防から堤防までの間が冠水しました。2013年の9月以来4年ぶりのことです。この時は、畑の様子を見に行った老人が取り残され大騒ぎになりました。幸い今回はそういうことはなかった様ですが、堤防にはたくさんの人が様子を見に来ていました。今回もオリンパスのタフの最新モデル、TG-5で全て撮影しています。
 先日訪れた新宿のオリンパスのショールームでも言ったのですが、最近のデジカメは機能が多すぎて複雑で使いこなすまで時間がかかるんですよ。アートディレクター時代は岩合光昭さんや有名な写真家とも仕事して、要望を出したり選ぶ側だったのですが、やはり撮れないと意見も言えませんしね。しかし、当時はフィルムカメラで、最初はオリンパスのOM-1から入り、カールツァイスの雑誌の表紙撮影を撮るプロカメラマンがこれ!と言ったあのレンズを付けたコンタックスを使っていました。サブカメラは、アラーキーが絶賛したコニカのコンパクトカメラ。リバーサルは、エマルジョンナンバーがどうたらこうたらとか、それはそれで面倒でしたが、なんかもっと人間臭くて面白かったですね。
 今のデジカメは凄いですが、なんかどこかで撮っているというよりカメラに撮らせれていると思ったりするのですよ。プロにはアートフィルターとか要らないんです。それに最初の設定が彩度が高すぎます。特に家電メーカー系のものは、元出版のアートディレクターとしては度し難い色です。自然にあんな色はありませんてば。出版が衰えてRGBで観るのが当たり前になって、酷くなりましたね。テレビの色も酷いです。

 千曲市の土口水門の少し南から西方の茶臼山方面のカットです。茶臼山の上に虹が出ていました。パトカーが巡回したり、撮影クルーが来たり、消防団員が来たりと賑やかでした。一番左の橋は国道18号。その向こうにしなの鉄道と北陸新幹線の橋がありますが、影響はないようです。もう少し彩度を落とした方が現実の色っぽいかな。

 空ではなく山にかかっていたので気づかなかった人もいた様です。う〜むなんか望遠の画像がいまいちですね。撮影モードが違うのかな。風景モードで撮った方がいいのかな。今度色々試して見ましょう。フィッシュアイはいいですね。

 虹は少しずつ北へ移動していき、やがて消えました。妻女山展望台下の赤坂橋からのカットです。それにしても面白い虹ですね。気象の専門家にどうしたらこういう虹が出るのか聞いてみたいですね。

 同じく赤坂橋から松代方面。眼下は長芋畑ですが、成長はほぼ止まっているので収穫には問題ないだろうと聞きました。ただ畑によっては、流れ着いた大量のゴミが引っかかっていて処理が大変でしょう。本当にありとあらゆるゴミが日本海に流れて行くのです。

 同じく赤坂橋から松代方面。下流側になります。本流は一番左の方。

 同じく赤坂橋の上から西方、篠ノ井方面。上流側です。昔は洪水の後で水が引き始めると、亡父は投網を打ちに川の水たまりに行きました。避難した魚が取り残されたのを捕りに行くのです。鮒、鯉、ウグイ(ハヤ)、当地では人絹(ジンケン)と呼んだオイカワ(注:大正天皇が好物だったためにカワヒガイをジンケンと呼んだ説もあり、父に聞いた話しではこちらでした。そのため皇魚ともいいます。子供の頃によく釣って食べました。中国の皇魚はチョウザメの一種「ダウリアチョウザメ」のことらしいです。他にはドジョウ、鯰(ナマズ)、季節ならば鮎も。ときにはスッポンも。

 妻女山展望台から。堤防と堤防の間は約1キロ。本来の本流は幅70mぐらいで向こう側の堤防に近いところにあります。長芋やゴボウ、里芋などの根菜類は大丈夫でしょうが、リンゴなどの果樹は大きな被害が出たと思います。駐車場奥の仲間とやっている椎茸の原木栽培を見に行きましたが大丈夫でした。

 買い物帰りに岩野橋左岸から斎場山や妻女山方面のカットです。ここは逆に右岸に近い方に本流があります。雨は上がったので早く水が引くといいなと思います。と思っていたら午後はまた曇って雨がぱらつきました。濁流は刺激臭があります。下水や農薬や色々なものが流れてくるからです。長居は無用です。

『2017年10月23日の千曲川洪水』 風が強かったのでブレてしまいました。三脚を持っていけばよかったと反省。



そして、これは後日「妻女山里山デザイン・プロジェクト」のメンバーから送られてきた、犀川の東京電力の小田切ダムの画像。上中セギ土地改良区の建物から。彼は総代なので入れるのだそうです。犀川にはこの上流にいくつもの古いダムがありますが、ほとんどが東京電力のものです。そのため電力は全て東京に送られ、長野県民は1ワットも使っていません。小学校の時に、卒業サイクリングで突然訪れ、守衛さんに見学させてくださいと頼んだら係に電話してくれて、東電のおじさんがダムや地下の発電施設を案内してくれました。もちろん原発など一基もなかった頃です。

信州『松代里めぐり 清野』発刊と戌の満水など千曲川洪水の歴史(妻女山里山通信)1742年(寛保2年)8月に起きた未曾有の大洪水「戌の満水」で、松代藩は幕府に一万両を借りて千曲川の流れを変えました。そのため松代藩の財政は困窮しました。そこへ更に追い打ちをかけたのが1847年5月8日(弘化4年3月24日)に起きた「善光寺地震」です。再び藩は困窮し、混乱の幕末へと向かいます。

岩野村の伊勢講と仏恩講(ぶっとんこう)。戌の満水と廃仏毀釈。明治政府の愚挙(妻女山里山通信)明治政府は欧米傀儡のクーデター政権だというのがよく分かります。まさに日本の文化大革命で、薩長の田舎侍によって、それまでの日本文化が否定され多くの美術品や仏具が破壊され海外にも売り飛ばされました。岩野村の仏恩講は、そんな時代に必死の想いで地蔵堂を守り続けたのです。

長野市洪水ハザードマップ

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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キノコ三昧の信州その二。天然ナメコにチャナメツムタケ。ザトウムシウゴウゴルーガ(妻女山里山通信)

2017-10-21 | アウトドア・ネイチャーフォト
 台風21号が来る前にキノコ狩りと、某山系へ向かいました。今回は標高800〜1000mぐらいで、妻女山山系よりかなり高いところです。完全に月輪熊の生息地なので熊鈴をつけました。

(左)登り始めて足元にスッポンタケが二本。グレバが相当臭いです。ハエがたくさんたかっています。グレバをとった軸は中華料理のスープの具材として使われます。味は特にありません。(中)登山道を30分ほどかけて登ります。標高が高いので紅葉も進んでいます。(右)大きなキノコ。なんでしょうね。ニオウシメジの様な風にも見えます。南方系のキノコで、20種ぐらいあるそうです。以前この近くでニオウシメジを採ったことがあるのですが、今回は確実な同定に至らなかったので食しませんでした。

 登山道から外れて道の全く無い森へ入っていきます。左下が真っ暗ですが、そこが目的の場所です。知らなければとても足を踏み入れることはできないでしょう。

(左)スギゴケの仲間。雨後で艶々しています。(中)倒木に天然のナメコを発見。ヌメリが栽培種の市販のものとは段違いです。まだ小さめでしたが、100本以上採れました。(右)ニカワハリタケ。別名を猫の舌といいます。言い得て妙。特に美味しいキノコではありませんが、茹でて黒蜜や蜂蜜をかけて食べるといいデザートになります。食感はプニプニしています。

(左)今回の一番のお目当てがありました。チャナメツムタケです。当地ではジナメコとかジナメといいます。地面から生えるナメコという意味です。やはりヌメリがあり美味しいキノコですが、菌根菌なので放射能汚染されやすく、汚染地のものは食べるべきではありません。(中)こんな森です。ヒノキの植林地。360度見渡しても同じ風景なので、知っていないと必ず迷います。(右)ひとつ見つけると、あちこちに群生を発見できます。

 こんな風に大量に生えている場所も。この近くにも群生があり、100本以上採れました。止まって採っていると熊鈴が鳴らないので、鳴らしたりホイッスルを吹いたりします。この山系では三度ほど遭遇したりニアミスしています。

(左)またまた群生地を見つけました。(中)これは大きくて綺麗です。(右)一見チャナメツムタケに見えますが、噛んでみると猛毒のニガクリタケでした。死亡例もあります。両横の小さな赤みがかったキノコは、チャナメツムタケです。こんな風に混生していることもあるので要注意です。袋がいっぱいになったので下山します。

 中央に脚の長い虫がいます。節足動物門鋏角亜門クモ綱ザトウムシ目のザトウムシ(座頭虫)です。日本には80種類ぐらいいます。アメリカでは足長伯父さん(Daddy Longlegs)と呼ばれています。「千と千尋の神隠し」の釜爺(かまじい)のモデルであり、また「新世紀エヴァンゲリオン」のマトリエルのモデルとなっています。どこかSF的なプロポーションの不思議な虫です。日本で80種類以上、世界では4000種類もいるそうです。森の掃除屋さん。座頭虫と書きますが、目がないわけではなく、ちゃんとあります。小さな昆虫やミミズなどを食べます。タフTG-5の顕微鏡モードはいいですね。神レンズには到底及びませんが。座頭虫が若干ブレているのは、動きがもの凄く速いからなんです。止まる瞬間もあるので連射したのですが、微妙にタイミングがずれましたね。オオナミザトウムシかな。
 タイトルのウゴウゴルーガには特に意味はありません。1992年10月5日から1994年3月25日にかけて放送されたフジテレビの子供番組なんですけどね。アバンギャルドで大人の鑑賞にも耐えうる高度な内容で、好きで息子たちと観ていました。子供の頃の安室奈美恵が出ていました。座頭虫ってその番組に出ていた様なそんなキャラなんです。長男が行っていたスイミングスクールに、元フジテレビの女子アナの娘さんがいました。わが家にも遊びに来てくれました。プロデューサーの奥さんの娘さんもいましたね。私がいた事務所にはフジテレビでタイムキーパーをやっていた女性もいましたし。村上春樹さんのノーベル文学賞の件で取材も受けていますし、縁があるのですが、今のフジテレビの惨状を見ると言葉をなくします。

 車に戻って、そこからの風景。少しずつですが確実に秋めいて来ています。2時間ほどのキノコ狩りでした。この後、近くの温泉に行きます。信州はそこら中に温泉があるので、温泉天国です。今回行くところは150円。回数券を買うと137円です! 家で風呂を沸かすより安いのです。

(左)タイアザミ。基本的にアザミは全て食べられます。アザミの葉の佃煮は美味です。(中)標高1000mぐらいは、かなり色付いています。(右)マムシグサの赤い実。有毒で、誤って口にすると酷くただれます。さて、台風21号ですが、被害が少ないといいのですが。佐久などの上流で大量に降ると、千曲川が氾濫してしまいます。心配です。明日は選挙に行ってから家で牡蠣のアヒージョを作って、ボルドーの蔵出し熟成ワインを呑みながらグダグダしようと思っています。どうせ雨ですから。改憲しまた愚かな戦争をする国にしたいですか? 200万人も死んだのですよ。それが嫌なら選挙に行ってください。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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信州はキノコ三昧の季節。ウスヒラタケ、クリタケなど。大鹿の角を発見!(妻女山里山通信)

2017-10-19 | アウトドア・ネイチャーフォト
 銀座のお洒落なイタリアンレストランで舌鼓の四日後は、信州の今では誰も行かなくなった里山の奥山でキノコ狩り。このギャップがいいのです。この秋は気候がおかしくて、例年の9月の長雨がなく、10月に入って雨ばかり。地温が高いのでウラベニホテイシメジやサクラシメジは全く出ずじまいで終わりそうです。もちろん舞茸も。

(左)妻女山駐車場奥の斎場山への登山口。上はわが家の山で仲間と椎茸の原木栽培をしているのですが、上京中ずっと雨だったのでえらいことになっている気がしますが、帰りに見ましょう。(中)長坂峠から天城山(てしろやま)。あのずっと奥まで行きます。もちろん林道も登山道も外れます。(右)天城さんと堂平大塚古墳の分岐。この左手は謙信の陣城跡と伝わる陣馬平。

 大きなコナラの倒木にウスヒラタケ。美しい! これぐらいの株が三つほどあり、袋がいっぱいになりました。冬のヒラタケより薄く柔らかく、いい出汁が出ます。炒めても煮ても美味しい。

(左)ハタケシメジ。見てくれは悪いのですが、味はホンシメジに匹敵。匂い松茸味占地というように、旨味成分は松茸の二倍以上。(中)全草が猛毒のヤマトリカブト。(右)コナラの倒木にクリタケ。死に到る猛毒のニガクリタケと間違えないように、必ず噛んでみます。クリタケは無味ですが、ニガクリタケは猛烈な嫌な苦味があります。

 さらに奥山でクリタケの群生を発見。まさにクリタケ城。キノコはただ山を歩いていても見つかりません。出る場所(シロ)と、出る時期を知らないとまず一本も採れません。今回も知っているシロを効率的に最短距離で回っています。もちろん登山道などありません。ここは昨年も大量に発生した場所です。小さなものは残しておきます。

(左・中・右)ひと目でクリタケと分かるのですが、念のため噛んでみます。

 戻ろうとして芝草の脇にこんなものを発見しました。鹿の角です。帰って測ったら52センチもありました。こんな大きな角を持つ鹿がいるのは初めて知りました。陣馬平で子鹿を、鞍骨城跡で二頭の雌鹿を目撃したことがありますが、こんな立派な角を持った雄鹿に出会ったことはありません。大きくてずっしりと重い。ぜひ一度出会ってみたいものです。山の神のプレゼントは、有難く持ち帰りました。

(左)森のギャップ。紅葉はまだです。二週間ほど先でしょう。こんな風に誰もいない森のなかで佇んでいると、自分も野生動物に、風になれるのです。孤独ではありません。周りの自然と言葉を必要としない会話ができるのです。五感だけでなく、全ての感性が開放されるのです。(中)樹間から望む善光寺平。下界からは選挙カーの声が。極右には絶対に入れません。あれは保守とはいわない。金持ちと自分たちの利益しか考えない米軍産複合体に魂も国民も売り飛ばした売国奴です。(右)ナツヅタは色付いています。オオスズメバチが脇を通りました。秋のスズメバチは子育てでストレスが溜まっています。刺激しないことです。月輪熊はこの季節は下りて来ないので熊鈴は付けません。来れば通る道筋も分かっています。最近ニホンカモシカに出会えないので寂しい。以前は行動パターンを全部把握していたのですが、塒(ねぐら)を替えてしまったのと代替わりして行動パターンも変化してしまったのです。

(左)林道脇にたった一本のハナイグチ。信州では時候坊と呼んで親しまれているキノコ。(中)深い谷へ下りて天然のナメコを探しに行きました。まだ出始めでした。栽培ものとは味の濃さが全く違います。(右)純白の花びらがひときわ目立つノコンギク。

 薄紫のノコンギクで吸蜜するイカリモンガ。オレンジ色の文様がイカリの形をしています。拙書のコラムで、「イカリモンガってなにもんだ?」というエッセイを載せています。面白いのでぜひ読んでみてください。

(左)ヌメリスギタケモドキ。食菌です。これが土から生えているとツチスギタケで毒キノコ。間違えたら大変。キノコの同定は持ち帰ってではなく現場でという理由がこれです。(中)帰りに妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーとやっている椎茸の原木栽培を見に行きました。傘の直径が15センチ以上のものが何本も。(右)今回の収穫。手前のクリタケは、写真の四倍ぐらい採れました。で、この大量のキノコの処理が大変なんです。それについては、秋になるとアクセスが殺到する下記の記事をお読みください。
信州の秋はジコボウはじめキノコ三昧。キノコ料理のレシピ。放射能除染方法も(妻女山里山通信)

 妻女山展望台からの眺めも少しずつ黄色や赤が増えてきています。右奥が長野の中心街で山裾に善光寺があります。明日はまた雨になるそうで、週明けには台風21号が日本を直撃しそうです。撮影に出られません。干し椎茸が乾きません。ヤレヤレです。

 で天然キノコをたっぷりと使ってキノコほうとうを作りました。ウスヒラタケ、クリタケ、ハナイグチ、ムキタケ、ナメコが入っています。野菜はカボチャ、里芋、人参、長ネギ。ここに牡蠣とスギヨの竹輪、カニカマが入ります。出汁は干し椎茸と日高昆布と鰹出汁。馬鹿旨です。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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武蔵野美術大学の同窓会で10年ぶりの東京。新宿秋葉原御徒町京橋銀座。センチメンタル・ジャーニー(妻女山里山通信)

2017-10-17 | 50's60's70's グラフィティ
 週末は、銀座で行われる大学の同窓会のために上京しました。雨の二日でしたが、逆に放射能汚染された粉塵が舞い上がらなかったのは幸いだったかもしれません。本当に充実した二日間でした。こんな素晴らしいセンチメンタル・ジャーニーもないかもしれません。

(左)アルピコの高速バスです。碓氷サービスエリアで15分休憩。三列独立フルリクライニングシートで快適です。私は最後尾の左の窓側。(中)そこの釜飯で有名な「おぎのや」の一角にある列車の席。湯田中-上野って書いてありますね。昔、信越線と長野電鉄河東線を使って志賀高原までスキー列車が走っていました。子供の頃に目にして、わざわざ東京からスキーに来ると聞いて不思議に思いました。普通に妻女山で今で言うクロスカントリーや自分たちで小さなジャンプ台を作ったり、木落しの沢でそりで下るのが子供の肝試しぐらいの恐怖だったり。満月の夜に7時過ぎまで滑っていて、父に捜索願いを出そうかと思ったぞなどと叱られたり。でも父は知っていたのですよ。自転車で遠くへ行きすぎて帰れなくなって友人の母の実家に泊まったり、親戚に泊まった時も、一応怒られましたが、いつもの様に殴られはしませんでした。やんちゃな男の子らしいことは認めていたんです。でも、私が仕事を止めて南米に旅立つという時には、母に「あいつは何を考えているか分からん」と言ったそうです。でも最後は分かってくれた様ですが。男は子供を産めないですしね、レーゾン・デートルを考えると攻めるしかないのですよ。(右)関所の跡を復活。おぎのやの釜飯ですが好きなんですけど、よく考えると近くのおぎのやでいつでも買えるんですよね…。

(左)バスタ新宿は初めてだったのでここはどこだ?でしたが、甲州街道へ出ると10年のブランクが一気に消えました。そりゃあそうです、38年も学び働き尽くし遊び尽くした街ですから。GAPの前の広場に大群衆が。どうやら立憲民主党の枝野代表が応援演説に来るようです。今の自民党は昔のそれではありません。世界中から危険視される極右です。希望の党もそう。外国のニュースをグーグルで翻訳すれば分かります。これだけの大群衆が集まっているのも、自民や公明の様に組織的な動員でないことは、見ていればはっきりと分かりました。いつまで日本は米の植民地、奴隷で居続けるのか。一部の金持ちや大企業だけが優遇される政治でいいのか。若者を再び戦地に送っていいのか。それがこの選挙の本当の争点です。聞きたかったのですが、彼らの主張は分かっているので、先を急ぐので。ここから北へ行くのが難関。
(中)てなわけで私は思い出横丁へ。中通りの四つ角にある「カブト」。十数年ぶりです。30年前から数え切れないほど通いました。満席がほとんどなんですが、左にひとつ空いています。まるで私を待っていてくれたかの様に。(右)うなぎ専門店のこの店には流儀があります。まず「ひと通り」を頼みます。それと飲み物。「ひと通り」は、えり2本・ひれ2本・きも・一口蒲焼き・レバ焼きで1610円。私は恵比寿の黒ビールを。先代の写真も飾ってあります。脚が悪くなって引退したそうです。

(左)現在は娘さんとその息子さんがやっているようです。引き継がれてきたタレと炭火焼きは昔のままです。(中)えり2本かな。(右)ひれ2本ときもかな。間違ってたらごめんなさいね。空きっ腹に黒ビールが効いてきました。客層は昔から中高年がメインですが、この日も若者や女性も来ていました。

 こんな感じで炭火焼きは昔と全く変わりません。肝焼きは仕上げに細い腸をクルクルっと巻いて焼き上げます。私の大好物です。住んでいた仙川にもうなぎの肝焼きの美味しい店があって、よく帰宅時に買ったものです。焼いている彼は、手が熱くなると後ろのビールを冷やしてある氷水に入れてましたが、先代も同じことをしてた様な記憶が蘇りました。写真は彼に許可をもらって撮っています。

(左)隣の席、角に常連のおじさんがいて歓談。そこは後ろに柱があるので寄りかかれるんですよ。色々な話をしましたが、彼があの電球撮らなきゃと。そうなんですよ。もうねうなぎの脂の塊です。(中)一口蒲焼き。(右)レバ焼きでいいのかな。レバ焼きは切れることもままあるので、白子だったりするのですかね。まあどうでもいいです、旨いから。私は肝焼きを一本追加しました。焼くのに時間がかかるので、追加注文は早めがいいです。隣の常連さんは「ひと通り」を二回注文していました。いやあ懐かしくて美味しくて涙が出そうでした。ごちそうさまでした。

(左)その向かいにある蕎麦屋さん。蕎麦は自家製、天ぷらも揚げたて。ここは飲んだ後の締めによく使いました。(中)ネットで調べてくるのでしょうね、外国人観光客が大勢訪れていました。もちろん他の店にも行ったことがあります。(右)ソイ丼で有名な「つるかめ」はよく行きました。ソイ丼はまあいいです。といいながら何度も食べてますが。鯨の竜田揚げ定食の店があったり、同僚と呑みに来たりと、歌舞伎町やゴールデン街、二丁目の「その二」、渋谷の小便横丁の業界人が集まった「野川」などと共に、本当にお世話になりました。「野川」の半月はわが家の定番料理になりました。ナンシー関さん御一行と出会って歓談したのもいい思い出です。渋谷は老舗のカクテルバー「門」。若者が行くような店ではないかもしれませんが、最上級のカクテルが頂けます。昔、メニューにはないけどあるカクテルが呑みたいなと呟いたら、年配のバーテンさんがさっと作ってくれて感激したことがありました。渋谷では、「珉珉羊肉館(ミンミンヤンローカン):閉店」「ムルギー」、「ホワイト」、ディスコだと青山の「ウィスキーアゴーゴー」、六本木の「ネペンタ」、「フーフー」、分かりますかね。今回調べて新宿西口の「ぼるが」や「バカボンド」がまだやっていることを知り、胸熱になりました。住んでいた南麻布やしょっちゅう呑みに行った六本木や青山、赤坂、渋谷にも行けませんでしたが、まあいずれ行く機会もあるやも知れません。

 そうそう酔っ払っているわけにもいかないので、中央線と総武線を使って秋葉原へ。時間があればメイドカフェなんぞにも行きたかったのですが、横目にハロプロのショップへ。しかし、お目当てのグッズが売り切れで再入荷の予定も分かりませんと可愛いお姉さんに言われて撃沈。まあいいんですよ、人生ってそんなもんです。あっ、でも私はアイドルのキモオタでもロリコンでもありませんよ。私のブログ記事の『[BABYMETAL] 矢沢もヒッキーも成し得なかった世界へのハードルを軽々と超えてしまった美少女達』や、『春だからハロプロとかさくら学院とかベビメタとかアイドルネタをやってみようか(妻女山里山通信)』を読んだ方は分かると思います。リンク切れの動画は検索してください。若い頃はアイドル雑誌のデザインをしたり、アイドルやアイドル志望の娘や若いモデルの撮影のディレクションもしていました。表参道でロケもしましたし青山のスタジオで朝から夜まで撮影をしたことも。懐かしい思い出です。女性起業家と知り合って、女子高生や女子大生を集めてシンクタンクをやったこともありました。芸能界や政財界に関しては知っていることを全部喋ったらその筋から消されるぐらい知っていますが、話してもどうにもなることでもないので、元妻にも息子たちにも友人にもあまり話したことはないですね。でも、我慢ならぬ不正についてはツイッターで呟いたりリツしています。怒りを忘れたら生きている意味がありません。ただ、当時はもう仕事大好き人間だったので、毎日が本当に充実していました。

(左)で、御徒町まで歩いてロンドン・スポーツへ。翌日が雨で低温と分かっていたので、パーカーを探しにきました。イタリアのミッテンテのお洒落な撥水防風パーカー18000円が、なんと3000円。即買いました。色はイタリア代表の鮮やかなアズーリ。ここは在京時代も息子たち共々本当にお世話になりました。今回は買えないけどマグロの目玉や鯨を買った吉池にも行きました。懐かしい中田商店やガード下の商店街へも。(中)山手線で有楽町へ。働く女性たちが反核、反原発、反米、反自民のデモをしていました。日本がなぜこんなに貧困になってしまったか。金持ち大企業のみ優遇と米の奴隷で世界中に金を安倍が勝手にばらまいているからです。その額はなんと70兆円。これだけあったら、保育園から大学まで全部無料にしても、とんでもないおつりが来ます。介護保険も要らないし破綻した年金も救えます。彼は血税を自分のポケットマネーと思っているのでしょう。その売国奴の原点は小泉竹中。JAL123便の陰謀、プラザ合意、仕組まれた円高、仕組まれたバブルとその崩壊、30年に及ぶ不況。いい加減に騙され続けていることに気付くべきです。
 なくなってしまいましたが、近くにあったプランタン銀座で元奥さんがエコール・プランタンでカフェメニュー教室を開いていました。仕掛けたのは私です。そのメニューや画像はこちらの「マリングルメ」で見られます。かなりディープでお洒落です。(右)銀座通りへ。Appleのショールーム。外国人だらけです。仕事柄、Macしか使って来ませんでしたが、立ち寄る理由はないのでスルー。iPhoneだけでなくパソコンにももっと力を入れて欲しいです。

 週末なので銀座通りは午後6時まで歩行者天国です。ルイヴィトンのビルから四丁目の交差点方向を見た風景です。仕事でもプライベートでも数え切れないくらい歩いたところ。この裏手の通りの方が、飲んだり食べたりと訪れています。今は長野県のアンテナショップ「銀座NAGANO」もあります。昔は外国の有名ブランドの店はほとんどなく、外国人も少なく、雰囲気が異なりました。なくなった老舗もあります。

(左)ブルガリ。(中)シャネル。(右)ルイヴィトン。今はこんな風に外国のブランドショップが並んでいます。私が盛んに働いていた頃にはなかった店ばかりです。息子たちと煉瓦亭に行ったり、仲間とみゆき通り裏の店で飲んだり、接待でクラブに行ったり、ガード下のメチャクチャ臭いタイ料理屋「あろいなたべた aroyna tabeta(移転)」に行ったりと銀座の裏表を楽しみました。若い頃は電通で仕事をしていたし、南米から帰国後は朝日新聞の本社にも通いました。そんな訳で東銀座や築地もよく知っています。旺文社や凸版印刷にもよく行ったので、神楽坂や秋葉原、御徒町もよく行きました。息子たちの七五三やイベントは、当時の家庭の事情でいつもホテル・オークラやその系列のレストランでした。そのオークラも建て替えですね。次々と想い出の場所が消えていきます。

(左)マネキンの顔も昔とはかなり変化しましたね。(中)文具の伊東屋。ここで買った万年筆は今も持っていますが、使う機会がなくなったのは寂しいことです。手紙を書く相手がいない。メールで済んでしまいますからね。スカイプでテレビ電話もできますし。返事がいつ来るかななんてドキドキしながら待つ日々も、もう過去のものです。(右)ティファニー。オードリー・ヘップバーンの『ティファニーで朝食を』に関しては、私の村上春樹さんがやっていた70年代の国分寺ピーター・キャットのエピソードを綴った『国分寺・国立70Sグラフィティ』 の『秋に似合うジャズ。ピーター・キャットでかかっていたあの名曲【枯葉】』 の記事をお読みください。なんで宝石店で朝食?という謎が分かるかもしれません。

(左)ホテルにチェックインして入浴し着替えて(デジタルプリントのシックなハイネックシャツにバッファローの黒のスタンドカラーのライダースジャケット、スキニージーンズにナイキのクリムゾンレーキのエアフォースのど派手なスニーカー)、会場の銀座のイタリアンレストラン『バラババオ』へ。既に同窓生が大勢集まっていました。この同窓会は、武蔵野美術大学造形学部工芸工業デザイン学科のものなんです。今は全国各地に美大や美術学部がありますが、当時は上京するしかなかったのです。そのため倍率は十数倍でした。ですから私を含め浪人が多かったし、そこを勝ち抜いてきた、言わばエリートなんです。ですから皆それなりのものを持っている人達です。今回再会して改めてそう思いました。(中)何十年ぶりに会う懐かしい顔。よく会っている人はともかく、疎遠な人は顔はなんとなく覚えているんですがお互い名前が出てこない。でも少しずつ記憶が蘇ってきます。(右)ひとりずつ卒業後の人生や近況を報告。本当に色々な人生があります。しかし、色々な事情で来られなかった人や亡くなった人もいます。これは高校の同窓会でも思いましたが、人は平等には年をとらないのです(中国の諺)。努力したから報われるものでもないですが、努力しないで報われるほど世間は甘くない。幸運もあるし、不運もあるけれど、それを乗り越えた人は美しい。そう感じました。数十年ぶりの再会は、本当に感動的でした。嬉しかったのは会った瞬間に女性たちから、「アッ!林く〜ん」て言われたことですね。普段は林さんか林〜いですからね。こんな風に言ってくれるのは同窓生の女子ならではですよ。本当に嬉しかった。愛してるよみんな。
 実は私がいた専攻はテキスタイルで、同学年は3人だけ。専攻全体では短大や専攻科含めて120人ぐらいましたが、男性は教授、助手含めても10人しかいませんでした。毎日が花園でした。皆で行った研修旅行とか、今思えばもう天国ですよ。その後の編集プロダクションでも仕事で関わる人は、圧倒的に女性が多かったので、そのいいシミュレーションになりましたね。今ももっと女性に活躍して欲しいと思っています。

(左)拙書を紹介してURLカードを配ったのですが、大学時代の私を知っている皆が、私がこういう方向に行くと思った人はいなかった様です。まあそれは私自身が一番意外だと思っていますが。ただメチャクチャ凝り性でただ者ではないと感じていた仲間はいた様です。デザインはプロですし写真も分かるけど、文才があったとは驚いたとも。ワーカホリックで2度ほど死にかかったことのある私ですが、生きていてよかったなと沁沁と思った夜でした。(中)美大生なのでね皆それなりにダンディーでスタイリッシュなのですよ。なんていうか、深みを感じます。そして今なお何かを探し続けている好奇心と貪欲さを感じました。(右)もちろん人生はいいことばかりではありません。私も若い頃に仕事では自分の限界を感じ、村上春樹さん夫妻のアドバイスを思い出して南米へ200日の放浪に出ました。マフィアに襲われそうになったり、詐欺に遭ったり、旅客機が落ちそうになったり、数え切れないほどのもの凄いトラブルにも巻き込まれました。結婚生活と子育ては大変でしたが充実していました。大手広告代理店をライバルに某金融機関の依頼で十数億円のプレゼンに参加し、幾多の大手広告代理店を相手に勝ったこともありました。グルメの仕事で増えた体重を落とすためブックス・ダイエットで20キロの減量も経験しました。その後、色々あって協議離婚も経験しました。しかし、これからです。リタイアしたこれからが本当にやりたいことを突き詰められる時間なんです。ボケてなんかいられません。攻めますよ。

(左)課題提出の際には本当にお世話になりました。いやまさかここでお会い出来るとは。(中)食べて飲んで話すのに夢中で、料理の写真がほとんどありませんが、さすがイタリア大使館も認めるレストランです。美味しかったですよ。生ハムはもちろんパルマハム。ラザニアや挽肉のコロッケなど。テラミスなどのデザートも秀逸。私はビールの後、赤ワインを呑み続けましたが、詳しくは見ませんでしたがトスカーナの赤ワインですかね。たぶんボトル1本以上飲んでると思います。私は日本ではあまり紹介されていないカラブリア地方のオリジナルレシピもアップしています。(右)最後に記念撮影です。

(左)次回はもっと集まるといいですね。(中)学生時代のころに戻ってしまいますよ。戻れないですけどね。(右)お開きです。その後、10人ぐらいで近くの店で二次会。私もホテルに戻るだけなので参加。黒ビールをいただきました。そこでも、秘話が暴露されたりと楽しい時間が過ぎました。

(左)皆と分かれて私は京橋のホテルへと。ポーラ化粧品のビルの照明が綺麗でした。私は某化粧品メーカーのPR誌のアートディレクションを10年やりましたし、女優やタレント、モデルの撮影のディレクションのためにヘアメークの指示もしていたので、化粧品にもちょっと詳しいのです。(中)ウェディングドレス。こんなドレスを着た新婦の隣にタキシードを着て立っていた時も確かにありましたとさ。(右)黄花の向こうにアウトドアのモンベルのショップ。私も全部ではありませんがお世話になっています。高速下の韃靼そばの「恵み屋」まだあるかなと覗いたらありました。ホテルに帰還してお風呂に入って就寝。

(左)翌日は風呂に入ってからチェックアウト。雨の朝の銀座を有楽町まで歩いて、10時に東京在住の次男とヨドバシカメラ本店の前で待ち合わせ。久しぶりのデートです。昔は彼と横浜中華街デートとかしました。横浜中華街の情報は、私のオリジナルレシピの中華料理の一番下にリンク集があります。(中)カメラ館とか色々見て歩いてコーヒーを飲みたいと。スタバとかチェーン店はいやだと言ったら彼が案内したのが本店裏のここ。行ったことはないそうだ。「コロラド バウンド」。(右)いやあ凄く怪しくて心惹かれる。店名がまずおかしい。看板がおかしい。自家焙煎が怪しいがこれが肝。

(左)地下に下りる階段がヤバイ。なんだこの変なイルミネーションは。貼ってあるポスターとか置物にも一貫性が全く無い。気に入った。(中)で、店内はこんな。年季の入ったおばちゃんがタバコ吸いますか?ってお客は誰もいないのに。吸いませんと言ったら、じゃあどこでもいいですと言われて案内された席がここ。次男はアイスコーヒーを、私はそれしか飲まないモカを。次男がなんでニヤニヤしているかというと…。この店は基本アメリカン・グラフィティの世界なんですけど。壁に変な油絵があったりなんかグチャグチャなんですよ。でなんで店名が「コロラド バウンド」なんだと二人で考えたんですけど分からない。笑うしかないです。デコラのテーブルは割れて盛り上がっているし、メニューはどう見ても十年以上前のものだし。
 で帰って調べました。「Townes Van Zandt - Colorado Bound」。直訳すると「コロラド縛り」となります。コロラドに閉じ込められてとかいう意味ですかね。ロッキー山脈の麓で海がないし標高が高く、なんだかアメリカの信州って感じですね。州都はデンバー。カントリーウェスタンのメッカですね。私も子供の頃あの山(北アルプス)の向こうに行きたいと思い続け上京しましたから。前記の歌詞を見ると、やはりコロラドに魅了されてどこへも行きたくないという歌ですね。信州にも魅了されてもうどこへも行かないという人がたくさんいます。帰郷してスーパーの入り口の大きなガラス窓から鹿島槍ヶ岳がどかんと見えた時に私もそう思いました。
(右)私のモカが出てきたんですけどね。味は確かにモカ。でもねと思っていると、おばちゃんが「なんか薄くない?アメリカンみたいじゃない?作り直すわ」と。500円ですからね。作り直してくれたモカは美味しゅうございました。しかし、このカップ何気にロイヤル・コペンハーゲンだったりして。私も職業柄というかコペンとかウェッジウッドとか有田焼とか備前焼とかお店をやれるほど高級食器をたくさん持っているのですが、倉庫の中。毎日100均のマグカップでコーヒーを飲んでいます。
 で、話はこれで終わらないのです。は?客が来た。若い女性が来ました。タバコ吸いますかで吸いますで奥の席へ。すぐ若い男性が彼氏かと私も息子も思いましたが、そうではない様でタバコ吸いますか?ですぐ隣のテーブルへ案内。もうね息子と苦笑ですよ。なんで他人なのにがら空きなのに隣にするんだよって。逆に変な風景です(笑)。でもこれが縁で愛が生まれるかも。ええ私たちはタバコの煙が嫌いなのですぐ出ましたけどね。いやあ面白い店でした。聞いたら開店から35年だそうです。これだから東京は面白いんですよ。チェーン店なんか行ってる人はもったいないですよ。あれはただの工業製品です。本当に面白い店があるのが東京。食べログなんかじゃ分からない、いい店が隠れています。冒険しましょう。

(左)ハラ減ったなと行ったのが東口の回転寿司『沼津港』。ここは店の場所は違いますが私が在京中に何度も行ったことがあり、店舗数も少ないし回転寿司の中では旨いので。いくらでも食べていいよと言える数少ない店でもあります。中国人や外国人が多かったですね。二人で18皿食べましたが、一番美味しかったのは生のボタンエビ。1貫520円だったかな。高いけど身の握りに味噌が入った頭が付いてきます。これは絶品でした。個人的に気に入ったのは大鰯のにぎり。鮮度がよくて馬鹿旨でした。他にはあん肝や鱈の白子、サヨリ、甘エビ、真つぶ貝やアオリイカなど。
 回転寿司で私が絶対食べないのはマグロとマヨのかかったもの。回転寿司やスーパーの寿司のマグロを食べると、本当にいいマグロの味を忘れてしまうからなんです。「久兵衛」のマグロで一番好きなのは赤身。大トロの味が食べたければ中トロ。大トロはそもそも選択肢にありません。で、二人でお腹いっぱいで7000円弱。いいと思いますよ。産地が表示されているのもいいですね。庶民的なのにレベルが高いのがいいです。
(中)伊勢丹本館。いいですね。息子によると耐震工事も終わったそうで、こういう建物は残して欲しいですね。(右)地下街を通って西口へ。次男にメンズノンノみたいな写真撮ってやるわと言ったけどコンデジではこれが精一杯か。いやこれ背景に照明もってきちゃだめでしょ。でもフラッシュは嫌いなんでね。親の私が言うのもなんだが、背は高いしイケメンだし、性格もいいし、構造計算できる建築士だし、今彼女がいないので推薦してくだされ。さくら学院とBABYMETALが好きなアイドルオタクだが、自転車と山登りが好きなリア充の側面もあります。長男と共にサッカー小僧。小さい頃からペーパークラフトが得意で、日テレのスッキリ!!や朝日新聞、東京新聞などの取材も受け、展覧会も何度もしています。彼らのサイト「T&T SUTUDIO」。最近の作品は、長男がブログにアップしています。二人のブログへは、このブログの左のブックマークから飛べます。
 私は外国放浪を何度もしていたのもあって、息子たちとは10歳ぐらいまで出掛ける時は必ずハグしてキスをしていました。もちろん奥さんともね。スキンシップを大事にしていたのです。長男の低学年のときの担任の女性教師が、「帰ってきたら宿題はとかではなくて、抱きしめてください」と言ってくれて、彼女は分かっているなと思いました。子育てでスキンシップは大事なんです。私は息子たちに問題が起きた時にこうしろと指図したことは一度もありません。どうすればいいと思う?どうしたい?といつも考えさせるようにしました。勉強しろと言ったことも一度もありません。むしろ宿題なんかいいから遊びに行こうと言って息子に怒られたことがあるほどです。ホイジンガーの『ホモ・ルーデンス』を読んだことがあるでしょうか。人は遊んでこそ人なのです。どんなにいい大学出ようが社畜の人生などまっぴらごめんです。アートディレクター時代には東大卒や六大学卒の人達を相手に仕事をしましたが、敵わないと思ったことはありません。確かに頭はよく出来たものに対する評価は実に的確です。しかし、想像力と創造力が全く無い。これが日本の教育の最大の欠点です。

(左)で、西口広場を歩いたらいつもの怪しげな露天街の前でアイヌの人達のイベントが。これはいいねと。(中)一番ちっちゃい娘が可愛い。眼力があって、魅了されました。この娘は将来が楽しみです。アイヌと沖縄人は別民族に思われていた歴史があって差別もされていたが、DNA的には本土の人とそう変わりはない。むしろ今の半島の人達との方が遠いということは証明されている。伝統的な模様は、縄文を想起させます。興味あればアラハバキやミシャグジで検索すると、古代倭人の歴史が分かります。古代科野国の大陸との関係は、郷土史研究家の私の最も興味ある分野で研究を続けています。人類はアフリカに生まれて南米の先端まで行ったほど活動的で精力的なんです。理由は好奇心。放浪癖がありアマゾンまで行った私がまさにその体現です(笑)。今もその想いを胸に里山の藪山を歩いているのです。あなたの人生はあなたのもので一度しかないのです。好きなことをやりましょう。(右)次男が連れて行ってくれたのはオリンパスのショールーム。長男も次男もスバリストでオリンパスユーザーなんですが、実は私がオリジナルなんです。学生時代に初めて買った一眼レフがオリンパスのOM-1。息子たちに買い与えたコンデジもオリンパスでした。そんなでここに立ち寄ったのですが、ここでスタッフの皆さんとそんなことを話して、拙書を紹介してブログを紹介したら早速見てくださって。おまけにRAWデータがいじれないという問題にも色々応えていただき、有意義な時間が過ごせました。お姉さま二人が、次男が持っていたオリンパスのカバンに並々ならぬ関心を持たれていたのですが、無理はありません。70年代のオリンパスOM-1のバッグなんです。このカメラは次男にあげたんですが、その縁でこのバッグを探して買ったんですよ。私が一緒に仕事をした岩合光昭さんの話などやオリンパスの開発の話なども聞けて本当に楽しく有意義な時間を過ごさせて頂きました。今回の写真は全て最近買った新製品のオリンパスタフTG-5で撮影したものです。彩度と色味がやはりコンデジなのでフォトショップで補正していますが、もうコンデジとしては最高峰のレベルです。

 信州に戻る時間が近づいてきました。バスタ新宿からガラス越しじゃなくて撮れるとこがあるよと次男に教わった場所から。代々木方向です。左の高島屋の向こうにあった紀伊國屋書店はなくなってしまったとか。ビブリオマニアだった私としては、本当に哀しい限りです。発車を待つ成田エクスプレス。若い頃はカルチャーショックを求めて欧州やアマゾン、アンデスなど海外を放浪しまくりました。成田エクスプレスや空港バスを見ると、その頃の旅立つ高揚感が蘇ってきます。で、東京土産に買ったのがサザンテラスの宮崎県のアンテナショップの炭火焼き鶏と液状柚子胡椒。東京土産に宮崎県産かよと次男に笑われましたが、昔から好きなんです(笑)。チキン南蛮と冷汁は。自分でもっと美味しいのが作れれるのでパス。
 今回新宿ゴールデン街や事務所があった一番馴染み深い原宿には行きませんでした。原宿は昔から入れ替わりが激しく面影がないのです。事務所の建物もないし、当時はデザイナーズブランドのものを職業柄着ていたのですが、その店もほとんどありません。あるのはビームスぐらいですかね。スーツはほとんど着る機会がなかったのですが、お気に入りはヨージ・ヤマモトの Ys' for menでした。冠婚葬祭にはイタリアのあるブランドのブラックスーツを。コートはステンカラーのビームスインターナショナルのライトベージュのダスターコート。カーキ色のキルティングのも持っています。ニットはミッソーニとかはビートたけしが着ていましたが、なんだかなあでミカエルロスとかを。当時着ていたフレンチカジュアルのショッキンググリーンのロングパーカーは長男に、ロンドンで買ったロンドンコートは次男に譲りました。それにしてもビームスと同じビルで友人がやっていた宝石店もないし。同潤会アパートもないですしね。仕事柄アンテナショップのアパレル店舗やレストランができると必ず行きました。でもある時期からパターン化してつまらなくなりました。それにしても原宿は変化が激しすぎます。

(左)信州に帰ります。バスは三列ですが右だけ独立シートです。私は最後尾。反対の窓際にひとり可愛い女の子。面白い娘でしたが、おじさんはちょっと心配にもなりました。(中)雨がそぼ降る新宿バスタ。真ん中は成田空港へのバス。大きなバスターミナルですが、サンパウロのは120もプラットホームがあり比較できないほど大きなものでした。ブラジル放浪のフォトエッセイ「ーここから全てが始まった<アマゾンひとり旅>」。(右)いやあ楽しかった。けれど次の上京はあるのだろうかとも思いました。それは私のツイッターをずっと見ている人は分かっているだろうと思います。東京は25年経って健康な子供が5%しかいないウクライナよりも放射能汚染が酷いのです。米エネルギー省国家核安全保障局(NNSA)のデータ。東京初め首都圏にどれほどの放射性物質が降ったかこれを見れば一目瞭然。終わりの始まりはすでに始まっているのです。都が一人あたり3600ベクレル内部被曝している(希ガスを除く)の発表からも分かるはず。それを知らないなら情報弱者。私はチェルノブイリの事故の3年後にノルウェイの友人(母娘)を訪れて、汚染の酷さを知りました。2000キロも離れているのに川魚とキノコは食べては駄目と言われました。詳しくは『ノルウェーの森・センチメンタルジャーニー』をお読みください。福島と東京の距離は? 東京を汚した東電と自民党を私は絶対に許しません。

 雨の碓氷サービスエリア。信州では、電車や列車で移動することがほとんどないのです。バスも稀。近くのコンビニやレストランさえ自家用車です。なので全て自分の主体性に任されるのです。今回久しぶりに上京して、その違いに愕然としました。田舎は自由です。だからアバウトなんです。でも東京の人は本当によく歩く。でも平らなところなのでダメージが大きい。インナーマッスル(体幹)を強化にするには階段の一段抜かしとかスクワットをしないとだめです。電車では吊革につかまって少しつま先立ちエスカレーターは絶対に使わない。そうやって鍛えていました。逆に田舎だと相当自覚しないと鍛えられないのです。
 普通カメラマンならこういうぶれた写真は使いません。私はアートディレクターをしていたので、時にはブレていても露出がおかしくても琴線に触れれば使うのです。その方が感情や情緒を表現するのに適している場合があるからです。涙で滲んでしまうそんな風景もあります。今回は動画は撮りませんでしたが、もう少し感性を磨いて次回は動画も撮りたいなと思います。とにかく最高なセンチメンタル・ジャーニーでした。
 さて、帰郷後は仲間と里山保全や黒大豆で味噌の仕込みもしないといけないし、何より撮影にあちこちの山に登らないと。錦秋はアッという間に過ぎて長い冬になってしまう信州です。

それから私がガイドしたBS-TBS「諸説あり!」川中島の戦い(仮)の放送時間です。
11月11日(土)夜10:00〜10:54 興味があったら観てください。私も少し映るかもしれません。
BS-TBSの歴史番組のガイドで鞍骨城跡へ。秋めいてきた妻女山山系(妻女山里山通信)

 今回都内を電車で移動している時にふと思い浮かんだ曲があります。名曲だと思います。今は遠いある女性を想い出します。初めて出会った時、彼女は大学出たての編集初心者で赤いダッフルコートを着ていたので、私の事務所では赤ずきんちゃんと呼んでいました。「赤毛のアン」が大好きな知的で可愛い女性でした。付き合ったこともあるのですが、当時の私は忙しすぎて。家の事情でか、突然彼女は帰郷してしまい、今ならメールもスカイプもありますが、当時はなかなか連絡もとれずにやがて疎遠になりました。私が帰郷した後でなんとなく思い出し調べてみると、再び上京して某出版社のファッション雑誌の編集長をしていることが分かりました。分かったのは彼女が独身で名字が変わっていなかったからです。少しショックでした。今はリタイアしたのでしょうか。元気でいるといいのですが…。尊敬できる女性でした。
 私は今までの人生で結婚したいと思った女性が三人いました。最初の人は村上春樹さんのことを書いたブログにも記している今は英国在住のピアニストの女性。スクリャービンの演奏で有名。米の大学で教えたりアルバムもいくつか出しています。イースターの休みに二人でパリに旅行しましたが、パリジェンヌが振り返るほどの華がある美人で、才能豊かな女性でした。二人目がこの編集者の女性。三人目が実際結婚して息子二人を育ててくれた女性。年齢は一回り年下でした。12歳違いましたが、私は成人したら年の差は関係ないと思っていました。大人ならいくつでも対等に付き合えるはずです。そうですね、スレンダーで小顔で、頑張りやさんだけど甘え下手でしたかね。水彩画の才能があったのでそこを最大限に伸ばしてあげました。よく頑張ったと思います。料理は何も出来ない人だったのですが、家庭環境で非常に高いベースがあったので、基本を教えると伸びてプロレベルになりプランタン銀座で料理教室をするまでになりました。結婚する前に、彼女に想いを伝える方法として私が選んだのは、馬鹿でかい花束を突然送るというものでした。仕事の打ち合わせの後で原宿駅まで送る途中に「今日誕生日なの」と言われて、待っててといってコープ・オリンピアにあった高級生花店に入って真紅の薔薇の凄く大きな花束を作ってもらい「おめでとう」と渡したのです。彼女とは協議離婚しましたが、結婚生活に後悔はありません。人生は色々です。彼女は今も頑張って仕事をしています。
駅 竹内まりや


国分寺・国立70Sグラフィティ』 村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティック「見てもらうと分かるのですが、ムサビ時代の同窓生の写真を勝手に使っています。今回それをごめんねと事後承諾をもらえた?のも良かったなと思いました」とさ。 #村上春樹 #HARUKI-MURAKAMI

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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29日の「妻女山 紅葉と歴史のハイキング」のコースチェック再び。ジコボウの初物も(妻女山里山通信)

2017-10-12 | アウトドア・ネイチャーフォト
 前回に引き続き、10月29日(日)のハイキングコースのチェックです。それと週末に雨が降ったので、キノコの様子も気になります。今回のコースは、昨年とほぼ同じですが、その日の状況や時間で変更することもあります。
◉妻女山駐車場---長坂峠---斎場山---陣場平---堂平大塚古墳---獣道を通って十人平の積石塚古墳群---キノコ狩り---林道から天城山へ---時間があれば清野古墳---林道で長坂峠---妻女山駐車場
 今回は「はなや」での昼食がないので、おにぎりなどは各自用意してください。妻女山松代招魂社境内などで召し上がるといいでしょう。参加のお申込みは、松代夢空間(026-278-1277)へ。

(左)陣場平の分岐から堂平大塚古墳へ下る林道。300mほどで古墳です。(中)堂平大塚古墳。私有地ですが、今回も持ち主のご厚意で見学させていただきます。千曲市がネオニコチノイド農薬の空中散布を行った頃は、この山から全ての昆虫が消えたのですが、中止したら2年目でかなり戻ってきました。この日は温かかったためカメムシが大発生。(右)そこから獣道を辿って十人平の積石塚古墳群へ。ご覧のように道らしきものは全く見当たりません。ガイドなしに来ることは不可能です。ありのままの里山を体験することができます。イノシシのヌタ場(泥浴び場)があったり、突然ヤマドリが飛び立ったり、リスが横切ったりするかも。

(左)初物のジコボウ(時候坊・ハナイグチ)。(中)これは大きなものでしたが、ハナイグチは小さなものの方が食べやすく美味です。(右)虫が入っていないきれいなハナイグチ。

(左・中)カラカサタケ。食菌ですが、特に美味しくもないので私は採りません。ハラタケ科のキノコは、猛毒のものもあるので同定は確実に。(右)仲間と栽培している原木椎茸も出始めました。昨年は9月末にはウラベニホテイシメジが出ていたのですが、今年は全く出ていません。雨が少ないのと、まだ地温が高いからでしょう。サクラシメジも全く出ていません。ハタケシメジはポツポツ出始めたようです。

 長坂峠近くの森。色付き始めているのは山桜。コナラはまだ濃い緑です。この日の最高気温は、29度の予想でしたが、実際は27度ぐらいでした。麓は暑かった様ですが、山の上は風が抜けて快適でした。今はスズメバチが攻撃的になる季節なので、威嚇されたら速やかに立ち去ること。黒い服や黒髪は厳禁です。甘い匂いのキャンディや香水もハチを引き寄せます。ポイズンリムーバを持参しましょう。1000円で助かる命もあるのです。インターネットやアウトドアショップで買えます。

(左)妻女山松代招魂社のソメイヨシノも色付いてきました。(中)妻女山展望台の裏手。(右)ヤクシソウ。ノコンギクやミズヒキは、ほぼ咲き終わりです。

 妻女山展望台から川中島の眺め。眼下の長芋畑も色付き、支柱の引き抜き作業が始まっています。乾燥させてから野焼きするのですが、大量の煙が高速道路のトンネルの中に入って大変なことになることもあります。千曲市の水田では刈り取った稲の藁を燃やしていましたが、煙の中を通過する時は窓を閉めないとえらい目に遭います。
 前の記事で黒大豆の収穫の様子を書きましたが、この2月に仕込んだ味噌がいい塩梅に熟成してきました。採ってきたジコボウでみそ汁を作りましたが、本当に美味です。これで焼きおにぎりを作ったり、味噌煮込みうどんやおやきを作ってみようと思います。寒くなったら味噌仕立ての鍋もいいですね。その前に、選別作業もしないといけないのですが。
手作り信州味噌の仕込み。挽いて丸めて投げつけて叩いて仕込む。(妻女山里山通信)

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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一反の畑で黒大豆とブラジル豆の収穫に勤しんだ連休最終日。信州の秋は少しずつ(妻女山里山通信)

2017-10-10 | 男の料理・グルメ
 三連休の最終日に、仲間と黒大豆とブラジル豆(フェジョン・プレット)の収穫と脱粒をしました。集まったのは5人。だれも専業農家ではなく、それぞれ各専門分野で活躍してきた仲間です。ですが、農作業や里山保全なども何年も続けてきたので、かなり熟練してきました。

(左)農家でもないと一反といわれても感覚がつかめないかもしれませんが、10a(1,000㎡)のことです。けっこう広いです。まずオオバサミで根本を切ります。(中)それでは捗らないので、草刈り機の出番です。(右)K氏が農協で借りてきた脱粒マシンに刈り取った黒大豆を入れます。かなり煩いです。振動もホコリも凄い。周囲に民家がないから大丈夫ですが、これを都市部の住宅地の真ん中の畑でやったら苦情だらけでしょうね。

 天気が良く湿度もまあ低かったので作業は順調に進みました。時折北陸新幹線やしなの鉄道が通過していきます。連休なので、小さい子を連れたサイクリングの家族や、散歩の人も見かけます。ヤマトシジミやヒョウモンチョウも舞っています。長閑です。

(左)まとめておいた黒大豆の処理を終えると、次の場所へ移動します。(中)茎や枯葉などは、あとでまとめて焼却します。(右)休憩タイム。A氏が作ったシナノスイートと秋映を持ってきて剥いてくれました。私が持ってきた幸水の梨も。秋の信州は、これに葡萄や柿、イチジクなど果物の宝庫です。リンゴなどは大箱でもらうので、ぼけないうちに食べるのが大変です。東京の人はぼけるほど大量のリンゴを買わないので、ぼけるという言葉は知らないと思います。イチジクは、マイヤーズラムに漬け込もうと思っています。

(左)K氏とN氏が脱粒している間、私とS氏はブラジル豆の収穫をしました。山になったブラジル豆。その向こうの緑は、落花生です。収穫はもう少し先。(中)昼はキノコ汁とおにぎり。キノコは私が持参したハナイグチ(じこぼう)とムキタケ、ウラベニホテイシメジとサクラシメジにK氏が持ってきた長ネギ、ナス、S氏が作った豆腐、昨年皆で仕込んだ味噌。買ったものは白出汁ぐらいです。K氏が自作の米で作ってきたおにぎりで昼飯。馬鹿旨です。そして安全。(右)農作業の後の昼飯は最高です。食べている周りにツマグロヒョウモンのメスが舞ってきました。

 午後の作業開始。ラストスパートをかけます。遠くに拙書でも紹介の根子岳と四阿山が見えます。右手前は、これも紹介の松代の東にそびえる奇妙山。乗鞍にサイクリングで登った長男によると、山頂近くはもう紅葉は終わったとか。中腹が盛りの様です。里山は、桜とヌルデが色付き始めたばかりです。錦秋を迎えるのは、10月下旬から11月上旬でしょう。

(左)黒大豆の作業は2時頃に終了。その後、ブラジル豆の脱粒をして農作業は2時半頃終了しました。(中)黒大豆は、約240キロ、ブラジル豆は20キロほど収穫できました。これをK氏の倉庫に運び込んで広げて乾燥させます。それで作業は終了。黒大豆で昨年の様に味噌を仕込みます。昨年より収量が多いので、豆腐や油揚げ、湯葉なども作ろうと計画中です。(右)N氏が皆に作ってきてくれた豆腐の型です。これで豆腐が、5〜6丁分ぐらい作れますかね。楽しみです。
 長野市の最高気温は27度。室温は30度。明日は28.9度の予想。熱中症に要注意!

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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29日の「妻女山 紅葉と歴史のハイキング」の下見に妻女山山系へ。小さな秋(妻女山里山通信)

2017-10-06 | アウトドア・ネイチャーフォト
 10月29日(日)に松代夢空間主催の「妻女山 紅葉と歴史のハイキング」のイベントがあるのですが、私はインタープリターをします。今回はその下見に歩いてみました。今回は昨年の様に下草を刈ったり、コースの整備を一切していません。ありのままの里山を見て感じて欲しいと思っています。
 9時に妻女山駐車場に集合で、9時半出発。帰還は12時半頃となります。今回は「はなや」さんでの昼食はないので、各自おにぎりなどを用意してください。詳細や参加費などは、松代夢空間(026-278-1277)へお問い合わせください。
 また、当日は私の『信州の里山トレッキング 東北信編』の販売もあります。1700円ですので書店で買うより少しお得です。

(左)ミツバアケビ(三葉木通)の果実。もう落果しているものが多く見られました。中の甘い種は子供の頃のおやつでした。外の果肉は苦味がありますが、上手く調理すると絶品の料理になります。オリジナルレシピ「アケビのブルーチーズ入りミソバーグ」。味噌風味にブルーチーズを合わせたところが、まさにミソです。ミソとブルーチーズのはんなりとしたコクのある香りが漂ってきて食欲をそそります。鹿や鴨などジビエを使うともっと野趣豊かになります。(中)帰化植物のマルバフジバカマ。アサギマダラが吸蜜していたりします。(右)ナギナタコウジュ。以前、イカリモンガが吸蜜するのを撮影したことがあるのですが、今回は見られませんでした。

(左)山桜の立ち枯れにツガサルノコシカケ。制癌作用があるともいわれていて煮出して飲んだりします。(中)道もない山奥にひっそりと佇む積石塚古墳。何基も見られますが、多くが壊されています。(右)全草が猛毒のヤマトリカブトも多くは結実していました。

(左)獣道やそれすらない藪山を歩いて、昼頃に堂平大塚古墳へ。隣接する今は亡き山仲間のKさんのログハウスでひと休み。北アルプスを眺めながら作ってきた明太子・数の子酒粕漬け・辛子ナスのおにぎりで昼食。辛子ナスは私のお手製です。(中)セイタカアワダチソウ(背高泡立草)。アレロパシー(フィトンチッド)を持ち、他の植物の成長を抑制する物質を出し寡占状態を作り出します(時には昆虫や動物に対しても)。北アメリカでは州花だったり、ハーブとして利用される植物です。薬効成分も多く、解毒作用もあるので、エッセンシャルオイルなどに利用されます。花をオリーブ油に漬けて作ります。新芽や花の天ぷらも美味とかで、花を天ぷらにしてみました。薬草の様な感じです。(右)Kさんが植えたマユミ(真弓)も結実。やがて割れて真っ赤な実が顔を覗かせます。

 堂平大塚古墳から見る千曲川と鹿島槍ヶ岳。手前の橋は国道18号。その向こうは北陸新幹線。さらに向こうに広がる田んぼでは稲刈りの最盛期を迎えています。蝉の声も消えて静かになった山で、美しい風景を見ながらまったりとした時間を過ごしました。色々な想いが交錯する小さな秋の午後です。

(左)羽つきの羽根のようなクサギ(臭木)の実。(中)ノコンギクとミズヒキ。秋の微風に揺れるミズヒキは、地味ですが琴線に触れる何かがあります。ワレモコウ(吾亦紅)とかも。(右)山椒の実も色付いてきました。

 上杉謙信が陣城を構えたと伝わる陣馬平。赤とんぼが群舞しています。キノコの季節到来なんですが、雨が降っていないので毒キノコさえ見られませんでした。

(左)陣馬平の真ん中にあるクマノミズキの実も色付いています。まるで森の珊瑚。冬の小鳥たちの大切な食料です。(中)アオツヅラフジの青い実。有毒ですが薬効もあります。(右)赤とんぼ(アキアカネ)。

(左)ヨウシュヤマゴボウの実。有毒です。これも帰化植物。(中)葉の繊維が飯山の富倉蕎麦のつなぎに使われるオヤマボクチの残花。(右)上杉謙信が最初に本陣としたと伝わる斎場山(旧妻女山)。512.8mで、山頂は古代科野国の斎場山古墳(円墳)です。

 妻女山展望台(旧赤坂山)からの川中島。今回は魚眼レンズで撮ってみました。遠くに戸隠連峰と飯縄山。手前のソメイヨシノが色付き始めました。次はヌルデが色付きます。眼下の長芋畑も少しづつ色付いています。風物詩のつる焼きの煙が充満するのも間近。

 次は望遠レンズで撮影した三枚をフォトショップでつなげてみました。今回は全て買ったばかりのオリンパスTG-5で撮影しています。右に飯縄山、左に戸隠連峰。一番高いのは戸隠富士と呼ばれる高妻山。手前に南長野運動公園総合球技場が見えます。一番右奥が長野市中心街と善光寺方面。

 西を見ると白馬三山。白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳。今が一番積雪が少ないときです。今夜は雨ですが、白馬連峰は初冠雪になるかもしれません。手前は茶臼山。右奥に虫倉山。いずれも拙書で詳しく紹介しています。

 東を見ると松代城下。左に奇妙山。右に保基谷岳。中央奥には拙書でも紹介の根子岳と四阿山が見えています。紅葉の進み具合はどんなでしょうか。

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