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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

上杉謙信の城跡が残る花の山、髻山。読めないですよね(妻女山里山通信)

2015-04-26 | アウトドア・ネイチャーフォト
 前回の子檀嶺岳に続いて、また普通は読めない山に取材で登りました。もとどりやまと読みます。長野市北部の北国街道脇にあるリンゴ畑の中の里山。今回は単独です。

 オオイヌノフグリとホトケノザ(これ間違いです。ヒメオドリコソウ。両方共シソ科ですが)の野原から髻山を撮影してみました。このロケーションを探すのにもっと苦労すると思いましたが、予め山頂から目星をつけておいたので、そう苦労せずにここに来られました。周囲がリンゴ畑なので、ここも昔はそうだったのかもしれません。所謂、耕作放棄地なのでしょうか。
 髻というのは、ぴょこんと縦に伸びたちょんまげのことですが、本来はお釈迦様の頭に盛り上がった肉髻(にくけい)のことです。あの盛り上がった塊は、髪の毛ではなく、悟りを得た者だけにできる頭の上のたんこぶの様なものなのです。

 リンゴ畑に囲まれています。標高は744.4mとそこそこあるのですが、登山口の標高が高いので、比高は170mぐらいとわずかです。このリンゴ畑の中の農道をゆるゆると登っていくのです。ゴールデンウィーク明けには、リンゴの白い花が咲き乱れるのですが、それは綺麗でしょう。

 この山は、カタクリの山として有名です。南面を除く全ての面にカタクリの群生地があります。カタクリは、日本に200種類以上あるアリ散布植物のひとつ。アリがカタクリの胡麻より小さな種の先についているエライオソームという物質を餌とするため、種を巣に持ち帰ることが種蒔きになるわけです。
 真ん中は、ウバユリとイノデでしょうか。ウバユリは山菜ですが、花を咲かせるまでに、6~7年かかります。決して全草を採ってはいけません。一株から葉を一枚ずつ採取するようにしましょう。それほど美味しい物でもないので私は採りませんが。カタクリも山菜です。春になると都内のスーパーなどにも並びますが、食べ過ぎると下します。便秘の人にはいいかもしれませんが。
 山頂近くの登山道は、道の上にまでカタクリが咲いています。踏まないように注意して歩きましたが。それほど弱い植物でもありません。春だけ咲いて消えてしまう、所謂スプリング・エフェメラル、春の妖精、春の儚い命ですが、実は根が深くて球根の下にひげ根があり、傷めずに掘り出すのは結構大変。カタクリを盗掘しようなどと考えるのは愚か者。

 山頂は、上杉謙信が築いた髻城跡。周囲は土塁で囲まれています。南面が伐採されて、善光寺平の展望が見事です。山頂には、長野県にはここにしかないという貴重な天文観測に使われた天測点があります。そして一等三角点も。山頂の西の端には、四角い穴が開いた石がふたつありました。城跡の門の跡でしょうか。

 山頂から善光寺平を俯瞰したところ。長野市の中心街越しに、左から奇妙山、その奥に鏡台山から右へ妻女山、薬師山まで長い戸神山脈。奥は美ヶ原でしょうか。右へ大林山冠着山聖山が霞んでいました。

 山の周囲には、たくさんの溜池があります。杉林を映す溜池には、誰が放したのか金魚が泳ぎ、アメンボがたくさんスイスイと滑っていました。周りには、猛毒のヤマトリカブトの群生地も。

 原っぱに出ると、黒姫と妙高をバックに、数万本の土筆がニョキニョキと。子供の頃、祖母にこれを入れた玉子焼きを作ってもらって保育園に行った思い出があります。

 原っぱの縁に、コブシの大木があり咲き誇っていました。コブシは、花の下に小さな葉があり、タムシバと区別がつきます。それで、タムシバの方が純白が映えるのですが、やや緑が入ったコブシも、これはこれで美しいものです。

 林道の出口で振り返ると、残雪の飯縄山が見えました。手前はリンゴ畑です。あちこちの畑に農作業の人が出ていました。

 帰りに撮影した、桜と髻山。カタクリの他には、フクジュソウやセリバオウレン、アズマイチゲやシャガも咲きます。髻山は、その歴史と共に地元の人が大切にしている花の山です。

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どこからどうやって登るんだ?という信州の鎌倉にある霊峰、子檀嶺岳に登った(妻女山里山通信)

2015-04-22 | アウトドア・ネイチャーフォト
 子檀嶺岳ってルビがふってないと読めないですよね。こまゆみだけと読みます。信州の鎌倉と呼ばれる塩田平にある霊峰です。別所温泉に行く途中に、右側に見えるプリン型の台形の山なので、訪れたことのある方は、あああれかと分かると思います。
 古代よりこの地は信濃十六牧の一つ塩原牧(しおばらのまき)に属する馬の産地で、「駒斎(こまい)み」が転訛したという説があります。斎は、「ものいみ」で神仏を祀る時に身を清めることです。子檀嶺神社の祭神は、木俣神(きのまたのかみ)とされていますが、『日本三代実録』では駒弓神(こまゆみのかみ)と記されているので、やはり、牧場の守護神が名の由来なのでしょう。他には胡麻忌みという伝説も残っており、青木村では胡麻を作らないというのですが、今でもそうなのでしょうか。

 143号線の「道の駅あおき」から見上げた子檀嶺岳なんですが、どこからどうやって登るのって思いますよね。手前側の南面は、100m以上の崖です。しかもこの山頂は、冠者岳城跡(別名を子檀嶺岳城、火車ヶ岳城、烏帽子形城)の本郭なんです。アンビリーバブル。取材登山に同行した編集者がヒエ~っ!と絶句していました。

 当郷管社地区の子檀嶺神社(現在は廃社で下の阿鳥神社に合祀)から見上げた子檀嶺岳。中は少し登って子檀嶺岳登山者休憩所からの子檀嶺岳。裏手にはサフォークやウサギの小さな牧場があります。往路は当郷管社コースを。右は登り始め。思いの外緩やかな登山道が続きます。実は、登山道は、あの山の裏側に緩やかに回って登って行くのです。

 最後の登りは急坂ですが、つづら折れで登るので、そう大変ではありません。山頂の主尾根に乗った所は、城跡の堀切の様な所。手前に見張り台の様な小ピークがあります。東側がスパッと切れ落ちていて(最初のカットの右側)、四阿山方面が望めます。戻ってヤセ尾根をひと登りすると山頂。
 山頂のベンチで越冬したヒオドシチョウが日向ぼっこをしていました。一番右が山頂なんですが、狭いです。実は、これは団体さんが去った後で、この少し前までは大賑わいでした。山頂には、青木村の田沢、村松、当郷の里宮の奥社があります。

 山頂から南には、塩田平のもう一つの霊峰である夫神岳が見えます。左奥には蓼科山、右奥には美ヶ原が見えます。まだかなり残雪があります。実はこの日は黄砂が舞っていて、眺望はもうひとつクリアではありませんでした。上の写真は、コントラストと彩度を補正してあります。

 帰路は村松西洞コースへ。こちらは厳しいです。もの凄い急斜面を木に掴まりながら下りました。振り返って山頂を見上げたところ。険しい溶岩の崖です。中は仏岩からの展望。遠くに独鈷山が見えます。これも険しい山で、冬に敗退したことがあります。右は、わずかに咲いていたキジムシロ。

 下山後は、麓にある国宝の大法寺三重塔を訪れました。子檀嶺岳登山と必ずといっていいほどセットになる古刹です。「信州の鎌倉」といわれる塩田平は、平安時代までに新田開発が進み、鎌倉時代には米と麦の二毛作が行われ、相当に豊かでした。そして、北条氏の庇護を得てたくさんの寺院や塔が建立されました。子檀嶺岳の山麓にある国保大法寺三重塔は、そんな鎌倉時代の栄華を残す名塔であり、地元の宝です。
 塔は、大正9年の解体修理の際に発見された墨書により、鎌倉幕府滅亡の年である1333年(正慶二年)に建立されたことが分かっています。塔のある大法寺は、大宝年間(701~704)藤原鎌足の子上恵が開基し大宝寺と称したといわれ、平安初期の大同年間(801~810)に坂上田村麻呂の祈願で僧義真(初代天台座主)により再興されたと伝わっています。
 ここにこのような壮麗な塔が建ったのは、北条氏の庇護とともに、この麓を東山道が通り、浦野駅(うらのうまや)(古代に30里毎に置かれた人馬の施設)があったからなのです。大法寺はその駅寺(うまやでら)でした。

 初層には裳階(もこし)(ひさしようなもの。あると四重の塔のように見える)がなく二手先という構造で、初層が大きく安定感があります。軒下には地塗りに用いられた白い胡粉(ごふん)の顔料が、軒を支える肘木(ひじき)には 丹塗(にぬり)の赤い顔料が残っています。いずれも創建当時のものです。つまり往時は、朱色の壮麗豪華な三重塔だったわけです。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)です。檜の樹皮を何層にも竹釘で止めていく非常に重厚で耐久性のある屋根です。檜皮を採取する技術者を『原皮師(もとかわし)』といい、樹齢50~60年の檜の樹皮を剥いで使います。その樹木を枯らさないように剥ぐのが高度な技術です。剥がれた樹皮は、8~10年で再生します。
 この塔は、いつしかその余りの美しさに誰もが思わず振り返ることから「見返りの塔」と呼ばれるようになりました。
 鎌倉時代にこの地で隆盛を誇った塩田北条氏は、鎌倉幕府の滅亡に際し、鎌倉に挙兵し、新田義貞の軍勢に攻略され滅亡しました。そして、時代は南北朝から室町時代、戦国時代へと慌ただしく変貌していきました。この塔がその頃どういう状態であったのかは知る術もありませんが、上田原の合戦などもあった戦国の世を兵火に焼け落ちることもなく残ったというのは、奇跡としかいいようがありません。三十年に一度の檜皮葺の屋根の葺き替えが終わり、さらに美しい姿になりました。

 そして、帰路に上田の半過岩鼻の崖地にある絶滅危惧種のモイワナズナの撮影に向かいました。古代には千曲川を塞いでいたという岩鼻。大きな穴は、千曲川の流れが削ったもの。この崖地に咲くのがモイワナズナ。サハリンと北海道、そして本州ではこの上田の半過岩鼻と対岸の下塩尻岩鼻にしか棲息しないという大変貴重な植物なのです。
 ただ、この撮影は大変でした。崖上にあるために、落石防止のフェンスを5mほどよじ登り、左手で体を支えて右手で撮影するというもの。これを30分以上繰り返しました。下をバイパスへ向かう車が通るのですが、何をやっているんだ?と思ったことでしょう。普通のナズナより大きく、株立って咲くので目立ちます。絶滅危惧種なので、もちろん採取は禁止です。最後は左手の感覚が無くなるほどでしたが、いいカットが撮れました。

 その崖の近くにある半過公園から撮影した太郎山山脈。左の岩鼻から虚空蔵山、上田市民の山・太郎山と続きます。虚空蔵山は、里山とは思えないほど崖だらけの険しい山ですが、地元の人が登山道を整備して、駐車場や標識も整っています。太郎山の様に気軽に登れる山ではありませんが、非常に面白い山です。太郎山からの縦走もできます。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。子檀嶺岳への行き方や写真も載せています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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葛飾北斎と栗と花で有名な小布施の雁田山トレッキング(妻女山里山通信)

2015-04-16 | アウトドア・ネイチャーフォト
 小布施の町から鳥が羽を広げているように見える山が雁田山。葛飾北斎を師と仰いだ高井鴻山の雅号の元になった山です。春の好日に取材トレッキングをしてきました。思いの外厳しい山で、花粉症で鼻呼吸が満足にできない私は、終始あえいでいました。早く花粉の季節が終わらないですかね。

 現在は、写真の一番右の峰を雁田山といっていますが、地元では電波反射板跡としか表記されていません。御多分にもれず、一等三角点を設置した際に国土地理院が記したものが定着したと思われます。こういった事例は、しばしば見られます。地元で雁田山という場合は、特定のピークでなく、この鳥が羽を広げているように見える山脈全体を、そう呼んでいたのでしょう。
 生坂村の大城は、地元の人がそう呼ぶ山頂から北へ600mも離れています。妻女山も600m離れた赤坂山に三角点があり、妻女山の名前が移ってしまいました。屋代の一重山も、本来の一重山から屋代城跡のあるところへ名称が移ってしまいました。これは、その事実を知らないと歴史検証などに結構混乱を引き起こします。国土地理院も、もう少し配慮して欲しいものです。
 写真で分かるように、赤松の緑は尾根筋にしかありません。結構自然林が残っているいい山です。谷筋の緑は植林された杉林です。峰の尾根筋の高いところには、シラカバの群生が見られます。稜線にはチャボガヤも自生していました。低いところにはエノキも散見されたので、オオムラサキも少なからず発生するのでしょう。この広葉樹林帯は守ってほしい。

 小布施といえばやはり岩松院が有名ですね。桜が咲く山門と仁王門のちょっとユーモラスな仁王像。そして仁王門の裏に鎮座する三面大黒天の像。仁王像は、明治の廃仏毀釈の煽りを受けて戸隠の中社から移譲されたもの。移譲の際には、戸隠の人々が涙を流して見送ったとか。英仏の傀儡クーデター政権の明治政府がなぜ文化否定の廃仏毀釈までして天皇制を制定維持しなけらばならなかったのかは、田布施システムで検索を。
 大黒天は、元々はヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラですが、日本では神道の大国主命と神仏習合した日本独自の神へと変容しています。七福神の一柱としても知られていますね。
 「八方睨み鳳凰図」は、葛飾北斎作の肉筆画と紹介されていますが、美術史の専門家でそれを押す人はいないでしょう。北斎が下絵と色見本を作って、高井鴻山か北斎の娘が着彩した。あるいは両人が、というのが定説です。昭和50年の『小布施町誌』にも、それが通説であると書かれています。天井絵を拡大すると板の継ぎ目で色が変わっていたり、線がずれていたりします。
 下で描いたにせよ、天井を設置してから描いたにせよ、大きな一枚だったら修正できたはずなので、これはバラバラか、ブロック毎に描いて後で合わせたのでしょう。しかも、その時に修復していない。けっこう詰めが甘いです。
 2005年に東京国立博物館で北斎展を観た方なら分かるでしょうが、北斎の肉筆画はそれは凄いものです。世界では『富嶽三十六景』の「神奈川沖波裏」などは、The Great Wave off Kanagawaとして超有名ですが、そういう理由からか、さほど注目はされていないのが現状です。しかし、だからといって価値がないとか、偽物とかいうことではないのです。これはこれで素晴らしい作品です。

 登山口は、岩松院の左手の尾根の先端から始まります。すぐに石積みのある小城跡。板状節理の大岩をガシガシ登って行くと、大城跡。二つを合わせて苅田(雁田)城跡といいます。起源など詳細は不明だそうですが、この地を収めた高梨氏との関わりが深いそうです。堀切含め、城跡の遺構はかなりはっきりと残っています。この登りは特に危険箇所はありませんが、きついです。

 急登をこなして千僧坊のピーク。一番上の写真の左のピークです。明治の頃は、苅位山と呼ばれていたピーク。千僧坊というのは、むしろ俗称でしょう。実はそのすぐ裏にこの山脈の最高峰、滝ノ入城跡があった屠屋場山(とやばやま)があります。今回はパスして、雁田山脈を右へ辿りました。大きな姥石を過ぎて登って行くと、四阿のある展望園地。一番上のカットでは真ん中のピークです。ご覧の様にここの眺めは最高です。明治時代頃までは、不動山といわれていたピークです。まあこれが正名なんでしょうけど。
 北アルプスから北信五岳(斑尾・妙高・黒姫・戸隠・飯綱)、高社山までの大パノラマが堪能できます。向こうの麓に横一直線に延びるのは、新しく開通した北陸新幹線。手前に千曲川の流れ。眼下に小布施の里。

 右に目をやると、別名を高井富士、地元では親しみと尊崇を込めて「たかやしろ」と呼ぶ高社山。まだまだ残雪があります。中腹から下は果樹園です。その手前の崖地には、貴重なチョウゲンボウの繁殖地があります。高社山を境に豪雪地帯の飯山盆地と長野盆地が分かれ、気候や植生、生態系の大きな違いを生み出している重要な山脈なのです。

 花はまだ多くなく、山ではダンコウバイが散り始め。カタクリの群生地ではパラパラと咲いていました。スミレ類もこれからでしょうか。下りは、雁田山から辷り山へ下り、せせらぎ緑道を戻りました。途中の国指定の薬師堂がある浄光寺では、枝垂れ桜が満開でした。

 そして小布施町が大切にしているミスミソウの群生地へ。もっと南へ行けば普通に大きな群生地はあるのですが、この町では非常に貴重な植物です。なかなか見つけられず、同行したK医師の案内で、やっと数輪咲いているのを発見しました。一番右のカットでは、もう花後のものも見られます。
 標高差が450mもないのに、なかなか厳しい山で、久しぶりに膝裏の筋が痛くなりましたが、いい山行でした。信州山の日までには、自然と歴史を含めた写真満載のトレッキング・ガイドブックとして発刊される予定ですので、お楽しみに。

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妻女山の梅は落花、杏は散り始め、桜は満開、貝母が開花。花天国(妻女山里山通信)

2015-04-11 | アウトドア・ネイチャーフォト
 スカッと晴れる日がない今年の信州の春。花冷えもあって杏の花もなんとか週末まで持ちました。染井吉野もほぼ満開。山桜はが咲くのはゴールデンウィークです。庭のツツジが咲き始めました。シャクナゲの蕾も膨らんで来ました。

 妻女山では木々の芽吹きが始まっています。陣場平も緑が差してきました。貝母(編笠百合)が咲き始めました。満開になるのはゴールデンウィークの初め頃。丸まった葉の先で、お互いスクラムを組んで、この時期発生する爆弾低気圧の突風から守っています。下から撮影すると、編笠百合といわれる理由が分かります。茶花としても有名なので、茶道をしている方にはお馴染みの花です。中国原産の帰化植物で、喉の薬となる薬草として普及しました。

 ミヤマウグイスカグラの小花が咲き始めました。意外と花期は長いです。夏に甘い赤い実を付けます。オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)とヨモギ。オオイヌノフグリは帰化植物ですが、こんな可愛らしい花なのに、こんな名前はないですよね(笑)。この時期の蓬(ヨモギ)は、天ぷらにすると最高です。右はニワトコの新芽。これも山菜として食べる人もいるようですが、毒性があります。

 ミツバの若葉。栽培種より味が濃いという感じ。おひたしや鍋の具材に。真ん中はウバユリ。ここには群生地があり、数十株も見られました。これも山菜で、葉をおひたしで頂きます。ただし、芽吹いてから花が咲くまで6,7年かかるので、全草を採るのはタブーです。4,5枚出た葉の一枚を、それぞれの株からいただくのが正解。カタクリもそうです。全草を採らないこと。右はマユミの若葉。これも天ぷらやおひたしで。リョウブやウツギもそうですが、あえて好んで食べるほどのものではありませんが、飢饉になったら食べられるぐらいは覚えておきましょう。

 妻女山山系で春真っ先に咲くアオイスミレ。小さなスミレです。スミレは、日本に200種類以上あるアリ散布植物のひとつ。種についたエライオソームという物質をアリが食料とするため巣に持ち帰ることで、それが種まきとなり増えるのです。
 日溜りで日向ぼっこしていたヒオドシチョウ。越冬したので翅がボロボロですが、元気です。右は山菜になるアマドコロの新芽。ただし、似た毒草も多いので、群生地を知らなければ採るべきではありません。

 妻女山展望台から西方を見たところ。北アルプスは花曇りで霞んでいました。千曲川畔のヤナギやニセアカシアの緑が生き生きとしてきました。月末には桃の花や林檎の花が咲き始めます。土手の菜の花も咲いて、桃源郷になるのです。来週は長野マラソン。咲き誇る花の中を走る大会になるでしょう。

 満開の桜と遠くに戸隠連峰と、右に飯縄山。まだ残雪が見えます。里山はほぼ溶けました。畑では耕耘機の音が聞こえるようになりました。執筆や作図、画像加工、講師の準備で忙しいのですが、私も耕耘をしなければと焦っています。畑ではのらぼう菜を初め、野沢菜、白菜、ケールのとう立ちが続々出ていて、これが美味しいんです。和洋中華、何にでも使えます。それぞれ味も微妙に違います。タラノメやコシアブラの新芽も膨らみ始めました。ただ、山菜はセシウムと結合しやすいので、県のサイトの情報を確認することが大事です。
 10日以降、福島を初め首都圏や東海地方でも、放射能の空間線量が異常な数値を示しています。福一で何かとんでもない異常事態が起きた可能性も否定できません。マスゴミは一切報道しません。
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あんずの花の種類の多さに驚愕。千曲市森、あんずの里は満開。今週末見頃です(妻女山里山通信)

2015-04-07 | アウトドア・ネイチャーフォト
 昨年(2014年)より一週間も早く満開になってしまった千曲市森のあんずなんですが、その後の花冷えでなんとか持ちこたえているようです。花ちらしの豪雨や突風がなければ、なんとか今週末まで持つでしょう。やっとテレビのニュースでも紹介されたので、観光客も増えたようです。今年はずっと花曇りか小雨模様なので、写真の抜けが悪いですが、それも一興。趣があるのです。しかし、日曜は晴れるようです。混むでしょうね。あんずの里の見方? それは、とにかく歩くことです。山の上から集落の中まで。とにかく歩くことです。感性のアンテナをマックスにしておけば、必ず素敵な出合いがあります。それはあなた次第。あんずの里マップは、観光会館(案内所)などでもらえます。

 特に今や希少となった在来種は、山際や集落の民家の庭や畑にあることが多いのです。樹高があるので分かります。最初のカットは、あんず畑の最上部です。熊出没注意の看板さえある所です。この最上部までは、あまり観光客も来ません。静かに観賞や撮影ができます。

 禅透院の在来種のあんずとサンシュユの黄色い花。鐘楼の赤い欄干と松の緑との色合いが美しく、縦に延びた杉の幹の直線と共に面白い構図を作り出しています。

 あんず畑の道を歩いて、あんずの里スケッチパークを訪ねました。旧家の門構えを修復して、昔のあんずの里の原風景を再現しています。写真の左のあんずは、在来種が多く植えられています。右は、現在栽培されている品種の見本園です。その幾つかを紹介します。

「楊貴妃」原産地は中国。かなり甘いあんずでジューシーな様です。楊貴妃は若さと美貌を保つために、全身に杏仁油を塗っていましたが、杏仁にはシアン化合物が含まれているんです。現在はそれを取り除く技術があるそうですが、楊貴妃の頃はどうしていたのでしょう。シアン化合物は青酸に変化しますから身体に毒です。保湿抗菌清浄作用があるそうなので果実を食べるだけでなく杏仁油も利用したのでしょうが、楊貴妃からはいつも杏仁の香りがしたのでしょうね。楊貴妃の体臭は杏仁豆腐の香りだったのでしょうか…。
「信州大実」名前の通り身が大きく酸味が少なく生食用に向いています。有名な品種です。
「稲玉丸」古くから栽培されている、干し杏に適している小粒で酸味の強い品種です。干しあんずはつまみにもなります。あんずおこわも美味。

 在来種。ピンク色の筋が美しい品種で、種名は不明ですが、このあんずの木は毎年撮影に行きます。
「平和」主な品種のひとつで、花も美しく生食でも加工しても美味しいので、よく栽培されている品種。栽培にも手がかからないようです・
「フェルプス」有名なハーコットを生み出したアメリカ生まれの品種。

「ハーコット」カナダ生まれ。酸味が少なく大実で生食すると美味しいあんず。在京時代に森の伯父がいつもこれと、酸味の強い在来種あんずの組み合わせを送ってくれました。生食用では、これが一番人気ですかね。花も美しい。
「小笠原」青森県産。やはり赤い筋が美しい花。果実の味は分かりません。
「紅浅間」信州の小諸産。平和の自然交雑実生だそうです。果実が紅色なのが特徴。酸味と甘味がマッチした果肉ということです。この紅いあんずは食べたことがありますね。
 まあ、こんな感じであんずと一口に言っても、花の色も違うし、味も異なるのです。それぞれの用途があるということですね。昨年も紹介しましたが、まだまだ色々な種類があるんです。あんずの里の森だけでなく、倉科や松城の東条も有名ですが、松代藩の地域にはどこにもあんずの木があります。我が家にも大木がありました。残念ながら伐採してしまいましたが。それでも窓からは他の家のあんずの木が何本も見えます。今年は、梅とあんずと桜が少ない時間差で同時に咲いています。梅雨明け頃の果実が熟れる頃には、道路に落下したあんずの実が匂って、凄いんです。
 スケッチパークの方と話したら、干しあんずは梅雨時に天日干しするので、大実は向いていないということです。それに、干しあんずは酸味があった方が美味しく感じます。干しあんずでおこわも美味しいです。他にはシロップ漬け、焼酎漬け、紫蘇巻きあんず、杏ジャムなど。現在の杏仁豆腐は、アーモンドエッセンスですけどね。本来は薬用なので。かなり成分が強いので、あんずの種の使用には注意が必要です。前記の様に毒成分もありますし。
 自分で作るならあんずタルトなんかがお勧めですが、アマレットを使うといいですね。ラム酒もいいです。未熟果を果実酒漬けにしたものは、大好きなんですが、残留農薬の問題があるので商品化はされていません。個人が作ったものが少量売られています。在来種の農薬無散布かを確かめて買ってください。

 観龍寺の、これはあんずではなく桜です。妻女山の桜も週末は満開でしょう。真ん中は興正寺山門の枝垂れ桜。そして諏訪立川流の天才和四郎富昌作の「子持ち竜」。

 森のあんずの里の観光コースから外れた岡地地区の天満宮。枝垂れ桜とあんず、紅梅が満開でした。そして、幻の善光寺五重塔建立のための試作品とされる名工・立川和四郎富棟作の「惣金厨子」。結局、善光寺五重塔は、江戸幕府の許可が降りずに建てられることはありませんでした。枝垂れ桜越しに見る戸神山脈。

 興正寺の上から俯瞰したあんずの里。レンギョウ、ユキヤナギも満開です。里の庭では白木蓮も開いていました。あんずの花の下では、菜の花やカキドウシ、ホトケノザ、スイセンが咲いています。稲荷の大ケヤキの下ではトウダイグサが満開でした。信州の短い春は、気ぜわしく過ぎていきます。

 なんと、今朝は雪模様です。あんずの花と雪。椿と雪。なんともシュールな組み合わせです。

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千曲市森のあんずが昨年より一週間も早く満開に!(妻女山里山通信)

2015-04-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
 どういうことなんでしょうね。昨年より一週間も早くあんずの花が満開になってしまいました。朝晩はまだストーブが必要な信州ですが、最高気温もそう高くないし晴天の日も例年より少ないぐらいなんですが。2012年は満開が21日でしたから。あんずの花は、なんて気まぐれなんでしょう。そんなわけで、朝食もそこそこに早朝から撮影にでかけました。現在ある本の執筆中で、毎日デスクワークばかりで運動不足なので、4時間歩きまわりました。山歩きは得意なのですが、平地は車かMTBなので歩き慣れていないせいか、最後は脛が筋肉痛でつってしまい、千曲市健康プラザの湯につかりに行きました。

 森のあんずは、天和年間(1681~1683年)元禄時代、伊予宇和島藩主伊達宗利侯の息女豊姫が、松代藩主真田幸道侯に興し入れの際、故郷の春を忘れじとして国許よりアンズの苗木を取り寄せ、松代東条地区に植え付けたのが始まりとされるのですが、この左の大木は最も古いといわれているもので、樹齢200年を越えるそうです。

 一番右が、その古木の花なんですが、その左ふたつも在来種です。果樹園のあんずは、生食用が多く実が大きく酸味が少なく甘いのが特徴ですが、在来種の実は小ぶりで酸味も強いのです。干しあんずには、こちらの方が向いています。収穫が梅雨の頃なので、実が厚いと天日干しに時間が掛かってダメなんだそうです。

 これは果樹園のあんずの木ですが、けっこう年代物です。接ぎ木もするそうで、同じ木から違う色の花が咲いていたりします。どんな香りだろうと、花の匂いを嗅ぐ女性がいますが、果樹園のあんずは農薬の臭いしかしません。特にこの時期は、観光客が来る前に消毒をするので、快晴だとすぐ蒸発するか乾燥するのですが、小雨模様だったので農薬の臭いが充満していました。嗅ぐなら農薬をかけていないと思われる在来種の花を。

 手前の上を剪定で止めてあるものは果樹用です。その奥の背の高いあんずは在来種でしょう。左に思わず辿ってみたくなるような畑道がありますが、少し歩いてみると、農家の方が耕耘をしていました。今日はキジの鳴き声はしませんでしたが、ウグイスがさえずっていました。時折小雨が降る天気で、観光客もカメラマンも少なめ。ツアー客は皆無でした。

 天気予報を見ると、今週はぐずつく日が多そうです。気温が低めなので、突風さえ吹かなければ、来週末まで花はなんとか持つかもしれません。観光ツアーも組まれてるでしょうから、なんとか持って欲しいものです。次の記事では、何種類もあるあんずの花を紹介します。
 【信州の里山】森のあんず2014 Apricot blossoms at Mori in Nagano
 1920×1080のハイビジョンなので、最高画質フルスクリーンでご覧ください。


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