モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

お八幡(はちまん)さんと親しまれる稲荷山宿の武水別神社へ諏訪立川流の宮彫の撮影に(妻女山里山通信)

2018-02-24 | 歴史・地理・雑学
 信州は千曲市の八幡(やわた)にある武水別神社へ諏訪立川流の木彫の撮影に出かけました。帰郷後何度も参拝はしたことがあるのですが、木彫の撮影をしていないことに気が付きました。最高気温8度の予想の中、用事を三件ほど済ませて10時過ぎに着きました。
◉武水別神社御由緒
 社伝によれば、武水別大神は人皇第八代孝元天皇(紀元前二一四~一五六)の御代に御鎮斎と伝えられております。
 その後安和年間(九六八~九七〇)に京都の石清水八幡宮より、誉田別命・息長足比売命・比咩大神が勧請され、相殿に奉斎されました。
当社は延喜式(平安初期の年中儀式や制度などを記した書物)に名神大社として記載されており、三代実録(延喜元年に編纂された歴史書)によると貞観二年(八六〇)に従五位下、同八年に従二位の神階を受け、同九年に官社に列したと有り、上古よりの大社であったことを窺い知ることが出来ます。
  戦国時代から江戸時代にかけてはこの地方随一の八幡宮として諸武将の尊崇が篤く、慶安元年(一六四八)には幕府から朱印地二百石を与えられました。明治時代に入ると郷社に列せられ、明治四十一年に県社に昇格、現在は神社本庁別表神社に指定されております。(神社サイトより)
 祭神は、武水別大神(たけみずわけのおおかみ)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)、比咩大神(ひめおおかみ)。上杉謙信が願文を奉納したことでも有名です。

(左)神社の最南端、県道77号を跨いで立つ大鳥居。左手には松屋旅館があるのですが、もうかなり前から営業していない様です。(中)神橋。車は左手から入り、右手の参拝者駐車場に。(右)入ってすぐ左手にある神輿休所。江戸後期の神仏混淆時代の神宮寺の行事に関わる貴重な建造物。

(左)天保の火災から免れた室町後期の作といわれる高良社(こうらしゃ)。覆屋の中にあります。(中)昭和50年に長野県宝に指定。扉に描かれているのは白い牡丹。(右)名物うずらまんじゅうの茶店。400円で抹茶とふたつのうずらまんじゅうがいただけます。お持ち帰りも。

(左)18,896平方メートルの社地には、社叢としてケヤキ・スギを主として20数種が生育し、その数は400本を超える。老木も多く、「武水別神社社叢」として長野県指定天然記念物に指定されています。シナノキもありました。合祀令により数多くの神社がなくなりましたが、鎮守の森は大切な自然の宝庫だったのです。(中)大鳥居方面を見たところ。右に御神木の大欅があります。内部は大きな虚(うろ)ができて空洞となっています。(右)手水舎。身を清めて本殿へ向かいます。

(左)木製の鳥居は修繕中で寄付を募る張り紙が。拝殿の手前に勅使殿。(中・右)阿吽の狛犬。阿吽を左右どちらに置くかは色々説があります。本来は獅子と狛犬だとか。

 拝殿。立川和四郎の後見の下に、水内の峰村弥五郎の手により安政三年(1856)に完成。瓦葺の屋根はのちに昭和57年本殿と同様に銅板で葺き替えられました。

(左)拝殿前の勅使殿。勅使とは、天皇・皇帝・王など国の元首が出す使者のことですが、勅使を迎える特別な建物ということでしょうか。(中)拝殿中央の太平鰭(おおひらびれ)。牡丹の浮き彫り。(右)二代目 立川和四郎富昌(1782~1856)の獅子。典型的な諏訪立川流の木彫です。
諏訪立川流 概論 - 立川流彫刻 研究所
----寛政の改革で有名な松平定信は富昌の評判を聞き、富昌を大いに可愛がった。実力に加え、こうした後押しもあり、江戸幕府からは「内匠(たくみ)」の称号が与えられ、江戸幕府御用となり名実ともに日本一の彫刻師となった。
 この当時、富昌は一般大衆からは「幕末の甚五郎」とよばれていた。 ----(サイトより)

(左・右)両サイドの木鼻の獅子と象。必ずしも完璧に左右対称ではないのは、よく見ると分かります。

 拝殿後背の本殿。本殿は諏訪出身の工匠立川和四郎富昌(二代目)によって嘉永三年(1850)に完成しました。建坪三十一坪余と規模が広大な上に、内外の彫刻は繊細を極め、見事と言う他はありません。当初、柿(こけら)葺きの屋根は年と共に千木・鰹木が取り付けられました。(神社サイトより)まず作法通りに参拝してから撮影をはじめました。

 立川和四郎富昌による子持ち龍。千曲市森の興正寺山門の子持ち龍とは、また違った趣があります。
佐久間象山大砲試射地から諏訪立川流山門の興正寺。象山の定宿だった伴月楼へ。象山神社と松代城(妻女山里山通信)

 そのアップ。沢山の釘は鳩の糞害防止のものです。見て分かるように木彫に直接打ち込まれているわけではありませんが、やはり異様な感じがします。金網ではなく透明なテグスの網を張るとか、なにか有効な対策はないものでしょうか。調べると超強力なネオジウム磁石が有効な様です。

(左)木鼻の獅子と象。(右)脇障子の鳳凰。富昌の傑作といえる作品かもしれません。間近で見られないのが残念です。

(左)亀に乗った仙人。おやこれは浦島太郎でしょうか。浦嶋神社(京都府与謝郡伊根町)は、天長2年(825年)に創建といわれています。(中)牡丹の浮彫り。(右)力神。足が梁に食い込み外に出ているのがいいですね。

 木鼻から右側側面の造形。

(左)左側面の力神。西面は鳩の糞害が酷い。木部の劣化は避けられないでしょう。根本的な対策を考えるべきだと思います。確かに 鳩は、「八幡神」という農業神、仏教保護の神、護国の神、源氏の氏神として信仰されている神様の使いとされており、追い出すようなことはしなかったそうですが、問題ですね。鳩は戦勝の象徴でもあったので、武将達にも好まれました。寺社にいる鳩はドバトで、野生の鳩ではありません。駆除するのはいけませんが、せめて境内にいても堂宇には止まらない様にするべきでしょう。(中)八剱社(はっけんしゃ / やつるぎじんじゃ)。(右)小さな木鼻の獅子と象ではなくて、耳が立ち毛が逆立っているので、これは貘。

(左)本殿後背の十二神社。天神社も。(中)子安社。安産祈願の神社。(右)その神社の小さな木鼻の象と獅子。右の木鼻の象はなくなっていました。

(左)明治の南方熊楠が猛反対した明治の愚策、合祀令で集められたものでしょうか。沢山の神様が。(中)木曽義仲にまつわる伝説の滝壺の石。(右)拝殿と後背の本殿。地元の人が時折参拝に訪れていましたが、ほとんどひと気もなく閑寂としていました。武水別神社で行われる、祈年祭(3月15日)、例大祭(9月15日)、大頭祭(新嘗祭、12月10日-14日)の3祭は「三大祭」といわれます。

(左)酒造租社。(中)木鼻の獅子と象。(右)松と仙人? 酒中の仙人といえば、玄宗皇帝のお気に入りでもあった「詩仙」と称えられた中国唐代の天才詩人、李白を思い出しますが。李白、杜甫、白楽天と言えば中国唐代の三大詩人。いずれも大酒飲みだったとか。あるいは酒呑童子か。いすれにせよ親近感を覚えるのは私だけではないでしょう。

(左)神社西の77号を渡って小路を進むと、武水別神社神主松田家館。残念ながら昨年の9月6日に、蜂の巣駆除の火で多くが焼けてしまいました。無常。(中)焼け崩れた跡が傷ましい。木造の家屋で蜂の巣駆除に火器を使うなど信じられない愚行です。斎館再建の寄付を募っています。(右)武水別神社の裏手から南方の眺め。左手奥の山は冠着山(姨捨山)。この川は、姨捨駅の上の大池から流れてきて千曲川に合流します。
武水別神社神主松田家館跡:明治時代の屋敷の俯瞰図や焼けてしまった屋敷の写真が見られます。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松代藩の祖 真田信之の御霊屋と墓所のある長国寺へ。真田宝物館へも(妻女山里山通信)

2018-02-18 | 歴史・地理・雑学
 松代藩の祖、真田信之の御霊屋と墓所のある長國寺(長国寺)を取材で訪れました。到着直後から雪が振り始め、雪中の撮影となりましたが、趣がありそれは素晴らしいものでした。『真田丸』放映の年は、全国から拝観者が大勢訪れたそうです。
「天文16(1547)年、信濃国の在地領主であった真田幸隆が、畏敬する伝為晃運(でんいこううん)禅師を開山第一世に招き、一族の菩提寺として松尾(現・)城内に「真田山長谷寺(しんでんざんちょうこくじ)」を建立しました。その後、永禄7(1564)年に松尾城外へと移され、本格的な禅寺として諸施設を整えました。江戸幕府が開かれると、幸隆の孫にあたる真田信之は上田藩主となりますが、元和8(1622)年の松代移封にともなって現在の場所へと移転し、寺号も「長國寺」(國は国の旧字体)と改めて、今日にいたっています。」(長国寺サイトより)

(左)山門の前にある「長国寺の鶴」の民話。(中)総門。(右)長国寺本堂。六文銭が。

(左・中)本堂の左右の木鼻の振り向き獅子。友人の宮彫り研究家によると、長国寺本堂の木鼻の木彫と向拝部の彫物は、北村喜代松、直次郎(四海)親子のものとか。正面蟇股の裏に刻銘があるそうです。また、本堂の内部には彼らの作った寺額、欄間があるそうです。私が持っている北村喜代松の本で確認しました。彼の木彫は、諏訪立川流や大隅流の様式化が完成されたものと比べると荒削りな感じがしますが、実はそうではないのです。より先鋭的で細く深く欅の特性を知り尽くし、その限界の造形を追求したといえます。諏訪立川流や大隅流に比べると非常に動的でダイナミック。個性的です。(右)山号として真田山(しんでんざん)の文字。

 本殿と境内の風景。雪がちらつき始めました。拝観料は300円。ですが、受付の入り口に「しばらくお待ち下さい」の表示が。しかたなく一人で御霊屋へ。黒い木製の塀で囲まれているので中に入れません。

(左)坐禅堂。修行の根本道場。(中)宝冠文殊菩薩。(右)昭和35年建立の戦没者慰霊堂の放光殿。

(左)恩田木工の墓所。松代藩六代藩主・真田幸弘の時代に藩政改革を行い、宝暦12(1762)年に46歳で没しました。彼の業績については過大評価であるとか色々評価が別れるようです。(中)元々は三代真田幸道公のために享保12(1727)年に建てられた御霊屋です。明治5年(1872)に同寺が伽藍諸堂を焼失したため、同19年(1886)本堂再建の際、この霊屋を現在の場所に移築して開山堂としたものです。(長国寺サイトより)(右)松代藩初代藩主真田信之の御霊屋の門。一般の人はここからは入れません。撮影していると男性が一人出てきました。そして受付に連れて行ってくれました。案内のお爺さんがいました。う〜むこの木札は問題ですね。他にも途中で帰ってしまった拝観者がいましたから。拝観料は300円。参拝者は無料です。

 それで案内された雪の舞う真田信之公の御霊屋。黒い建物は、松代藩の流儀なのだそうです。
「万治3(1660)年に建立された、松代藩祖・真田信之の御霊屋(おたまや)です。桁行3間、梁間4間の入母屋造り平入り、屋根は柿葺き(こけらぶき)の壮麗な建築です。いたるところに透かし彫りや丸彫りが施され、なかでも正面の唐破風の雌雄の鶴は左甚五郎作と伝えられています。内部の格天井には狩野探幽筆と伝わる天井画、奥に禅宗様仏壇を据え、現在は信之公と小松姫御夫妻の位碑を安置しています。国指定重要文化財に指定されています。」(長国寺サイトより)

(左)左甚五郎作と伝わる二羽の鶴。あくまでも里俗伝ですが。どうなんでしょう。(中)正面の左右の木鼻の木彫。左は唐獅子。右はおそらく麒麟でしょう。(右)軒下の鮮やかな木彫。松に椿でしょうか。

(左)御霊屋の拝観料は、500円です。案内のお爺さんが開けようとするのですが、何度やっても開きません。しかたなく真田家の墓所へ。(中)御霊屋裏手の真田家十二代までの墓所。(右)初代信之公の墓所。大明神の位を授かっているので鳥居があります。墓は何度か修復した痕跡が見られます。

 さて戻って御霊屋ですが、鍵が開きません。まあ江戸時代の鍵の構造なんてたかが知れていますし構造も想像できたので、「あのう、私がやってみましょうか」といってやると一発で開きました。やれやれです。
 御霊屋内部は畳敷きで荘厳豪華です。許可を得て撮影しました。これらの文様や木彫には全て意味があります。単なる思いつきのデザインではありません。ひとつひとつに全てメッセージが込められているのです。欄間に彫られているのは、孔雀でしょうか。御霊屋は、元々は五棟あったそうです。色々事情があり移譲されたとか。

(左)格天井。狩野探幽の作と伝わるものですが、里俗伝です。(中・右)左右の絵は、松代藩の御用絵師の作といわれています。

 上は梁を支える肘木ですが、描かれている文様が非常に不思議です。モールス信号の様な破線は何を意味するのでしょう。易経の八卦とも違いますし。肘木の下に掛かっている金属製の透かし彫りも初めて見ました。左右の花は菊でしょう。下には武田の四つ菱かと思われる様な文様もあり、興味深いところです。あるいは亀甲に花菱? 真田家の家紋は「六文銭(ろくもんせん)」「結び雁金(かりがね)」「州浜(すはま)」です。ちなみにモーニング娘。18の羽賀朱音ちゃんと世界的アコーディオン奏者のcobaと私の母校の松代中学の校章は結び雁金です。

 その下の欄間の木彫。孔雀かな。孔雀は仏教では鳩摩羅天という天部の乗り物です。中国で、聖徳をそなえた天子の兆しとして現れるとされた、孔雀(くじゃく)に似た想像上の瑞鳥(ずいちょう)。つまり鳳凰(ほうおう)かもしれません。麒麟・亀・竜とともに四霊(四瑞)と呼ばれました。白い枠からはみ出た頭や羽など、構図感覚も秀逸です。いったい誰の作なのでしょう。これらも左甚五郎でしょうか。

 雪が激しくなってきました。案内のお爺さんはちょっと体調が良くないそうで、そんな中色々お話を聞けて有難うございました。真田宝物館へ向かいます。

(左)善光寺地震の図。中央が山体崩壊した虫倉山。(中)松代城の周囲。左は妻女山山系。上の茶色は土石流に襲われた所。作者不明。(右)松代藩の御用絵師、青木雪卿(せっけい)重明(1803享和3年から1903明治36年)。雪卿は、松代藩が壊滅的な被害を受けた弘化4年(1847)に起きた善光寺地震から3年後の嘉永3年(1850)、藩主真田幸貫公(感応公)の藩内巡視に同行し、120日間をかけて「伊折(よーり)村太田組震災山崩れ跡の図」(真田宝物館蔵)を描き上げました。伊折村太田組とは、現在の長野市中条太田地区のことです。地震当時、虫倉山が大崩壊して太田組11戸54人が犠牲になりました。
『龍馬伝』にも出た老中松平乗全の掛け軸から推測する幕末松代藩の人間模様(松代歴史通信):コメント欄で青木雪卿重明のことが分かると思います。名主をしていたわが家の祖先と幼馴染で親友でした。
善光寺地震

(左)太田組11戸54人が犠牲となった山崩れの図です。現在も林内には大きな岩が残っていますが、下の斜面は段々畑の水田となっています。(右)雪に煙る松代城。本当の春が待ちどうしい信州です。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信州の千曲市のあんずの里倉科にある三滝へ氷瀑の撮影に(妻女山里山通信)

2018-02-11 | アウトドア・ネイチャーフォト
 信州は千曲市のあんずの里倉科の最深部に、水源を姨捨山(冠着山)からの観月で有名な鏡台山手前の三滝山にもつ三滝川上流に三滝はあります。拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林の扉の写真がそれですが、厳冬の時には滝が氷結するのです。この冬は諏訪湖が5年ぶりの御神渡りができたということで三滝に訪れてみました。

(左)林道芝平樽滝線は冬季閉鎖です。左の空き地に駐車して徒歩で向かいます。(中)左へ林道芝平樽滝線。崩落で全面通行止めの表示。右の三滝へ。(右)副帝がないのでニホンカモシカの足跡。あればイノシシです。

(左)轍がありますが、猪狩りの猟師の車です。知り合いの猟師の話では、獣害駆除の鉄砲や罠猟で里山では絶滅も近いかなと。子供の頃はいませんでしたが、その頃に戻るのでしょうか。(中)30分で三滝園地の駐車場。雪がなければ15〜20分です。(右)三滝園地の案内図。遊歩道は848mの周回コースで、ファミリー向きとありますが、三の滝への道は岩がゴロゴロしていて幼児や高齢者向きではありません。また、友人がツキノワグマを目撃したことがあるので、冬季以外は熊鈴が必須です。

 三滝一の滝。氷結しています。薄雪が積もっています。

 全体はこんな感じ。

(左)一の滝の上部。(右)下部の氷柱(つらら)。

 橋を渡り登って二の滝。中央部は溶けています。

 右へ巻いて登ると三の滝。拙書の扉の写真がこれです。真夏のカットですが、水温は10度です。

(左)三の滝の上に登って谷を登ると鏡台山へ行くことができます。拙書でも紹介の非常にいいコースです。鏡台山山頂までは、三滝から約2時間半かかります。(中)逆方向へ遊歩道を辿ります。(右)木に食べられた山火事注意のプレート。

(左)途中で大きなブナの木が見られます。(中)天繭(てんさん・ヤママユ)。ヤママユガの繭です。これで織られた布は非常に美しいものです。天繭で画像検索を。(右)清野氏の山城の鞍骨城跡がある鞍骨山。南面に積雪はありません。気温は3度。『真田丸』効果で歴史好きのハイカーが増えました。倉科からも登れますが、おすすめは拙書でも紹介の、妻女山から登り、鞍骨山経由で象山へ下りるループコース。その逆でもいいです。車を2台使うか、自転車をデポしておくといいでしょう。

 2010年の1月17日の氷結です。拙書の103ページに掲載の写真をトリミングを変えて掲載して見ました。結氷の条件や撮影日の光の影響で、色や氷結の状態が全く異なるのが面白いと思います。
  三滝は、明治の埴科郡誌に、「三瀧川は倉科村の三瀧山船ケ入に発源し御姫山より発する草山沢を合わせ倉科村を流るること一里三町にして沢山川に合す 三瀧一の瀧二の瀧三の瀧三階瀑布あり又南沢に樽瀧あり」とあります。鏡台山を水源とする三滝(みたき)は、一の滝(上段)・二の滝(中段)・三の滝(下段)で構成され、延長20mで、848mの周回遊歩道があります。
 明治の倉科村誌には、「二の滝、高四丈三尺、幅一丈七尺、是に龍の劍摺石と唱うる石ありて、自然の穴七ツあり、俗に摺鉢と称す」とあります。川底に落ちた小石が川の流れで回転しながら川底に穴を開けた「おう穴」があったのでしょう。今は不明ですが、一の滝へのすぐ上に平らな場所があり、そこだと思われます。

「三瀧山岩の苔間に住ながら思ひくらせし瀧の水かな」(西行) 
 此歌里俗の口碑にして、確乎たらず。(倉科村誌)

信州の千曲市あんずの里倉科の三滝氷結 2018.2.11


【信州の里山】鏡台山 Mt.Kyodai at Kurashina in Nagano 2013年4月28日山行のスライドショー 春から初夏の花が各所で見られます。YouTubeのページではフルハイビジョンでご覧いただけます。


【信州の里山】真夏の薮こぎ鏡台山 Mt.Kyodai at Kurashina in Nagano 2009年8月12日山行のスライドショー 最初と最後の方に三滝が写っています。


『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信州の小さな春を探しに妻女山へ。ニホンカモシカと福寿草に邂逅した冬の好日(妻女山里山通信)

2018-02-04 | アウトドア・ネイチャーフォト
 信州の冬は長いです。それでも暦は立春。小さな春はないかと妻女山に登りました。昨年の秋以来のトレッキングです。何に出会えるのか非常に楽しみです。

(左)上信越自動車道のトンネルをくぐって右へ登っていくとすぐに上杉謙信槍尻之泉。このカーブが鬼門なんです。知っているので私は下に駐車して徒歩で。(中)カーブの上から見たカット。スタッドレスで登れないことはないですが、路面凍結でつるつる。下りでコントロール不能になって正面のガードレールに激突する車が毎年あります。溶けて再び凍ったアイスバーンの坂道は、どんな高いスタッドレスタイヤを履いていても無意味です。(右)アニマルトラッキングも今回の目的。これは左に副蹄が見えるのでイノシシですね。

 ニホンカモシカと邂逅。拙書でも紹介しているメスのシロでしょうか。ニホンカモシカはオスメス共に角があるので個体識別が難しいのです。ただシロは冬毛になっても白っぽいので分かるのです。彼女は母親と同様にオスメスの双子を産みました。娘は母親以上に白くて、夏毛の時はまるでヤギの様です。

(左)妻女山(旧赤坂山)の妻女山松代招魂社。戊辰戦争以降の戦没者を祀っています。木鼻には獅子の木彫があったのですが、韓国人の窃盗団によって盗まれました。現在も戻ってはいません。(中)招魂社奥の駐車場の林道入り口にある登山者ノートのボックスと斎場山(旧妻女山)と鞍骨城跡への案内図。妻女山里山デザイン・プロジェクトの仲間が作ってくれました。登山カードではありません。登るコースや出会った草花や動物や感想を自由に書いてもらうノートです。拙書のパンフレットも置いてあります。(右)斎場山へ向かう林道には轍が。イノシシ狩りのハンターのものです。轍はツルツルで歩けません。

(左)いつもの1.5倍ぐらいかかって長坂峠。見下ろす善光寺平。幹線道路には雪はありません。(中)長坂峠。正面は斎場山(旧妻女山)。私のブログや本を読んでいる方はご存知でしょう。地元で妻女山と読んできた山はここです。本名を斎場山といい、山頂は古代科野国の円墳です。上杉謙信の本陣といわれる山頂は、そのため平で円形です。(右)長坂峠の分岐を左へ250mほど歩くと正面に陣場平の丘。左へ登ります。

(左)陣場平。第四次川中島合戦の際に、上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる平地です。誰か訪れたのですね。足跡がありました。(中)野うさぎの足跡です。(右)旧建設省が地球の歪みを測るために作った菱形基線測点。在京時代からこれを探していたのですが、見つけるのに4年かかりました。帰郷してそれを探す際に見つけたのが貝母(編笠百合)の群生地でした。現在は、妻女山里山デザイン・プロジェクトで保護活動をしています。信毎などで紹介されたので、毎年何百人もの人が4月中旬からゴールデンウィーク前半までの時期に訪れてくれる様になりました。この春も松代夢空間主催のハイキングで、私がインタープリターをしてご案内する予定です。
妻女山・陣場平の貝母(編笠百合)が満開。山菜の季節到来!(妻女山里山通信)昨年の満開の様子です。
茶臼山有旅と妻女山陣場平の菱形基線測点。地理史の重要な文化財(妻女山里山通信)

 陣場平の全景。落葉期の今でしか見られない風景です。

(左)そこから下って堂平大塚古墳。左手前に大切な山の友人だったK氏の慰霊碑があります。(中)古墳の南斜面と向かいの斜面に咲く福寿草。これを見に来ました。妻女山で最初に見られる小さな春です。(右)そこから見る西方の風景。北アルプスの仁科三山は見えませんでした。

 古墳とその向かいに咲く福寿草。死亡例もある毒草なので気をつけなければいけませんが。長く厳しい信州の春を告げる嬉しい花です。といっても信州に本当の春が来るのはまだまだ先です。

(左)陣場平からの帰りは林道ではなく、私が獣道を登山道に変えた道を下ります。半分の時間で下れます。途中で見つけたタヌキの足跡。周囲は小鳥の足跡。(中)途中からU字型にえぐられた昔の山道へ。(右)そこから見た現在の林道。

 下って妻女山展望台(旧赤坂山)から西方を見たカット。左の丸い茶臼山。その右奥は神城断層地震で山頂が四割なくなってしまった神話の山、虫倉山。手前は篠ノ井の市街地。

 東方を見ると真田十万石、『真田丸』でもお馴染みの松代。右奥に根子岳と四阿山。手前左に奇妙山。いずれも拙書で歴史やコースを紹介しています。真田に興味のある方は、一度は登らなければならない山ですね。そのガイドブックには下記にある拙書をお勧めします。
 帰りにブラジル豆(フェジョン・プレット)のトマトシチューを作ったので、雨宮の「ちゅら雲」にバゲットを買いに行ったのですが、ほとんど売り切れ、なんでも新聞に載ったとかで客が激増した模様。欲しいパンはなんとか買えたので良かったのですが。北海道の小麦を使った外はカリカリ中はモチモチのフランスパンが激旨でした。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする