モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

妻女山・陣馬平の貝母(編笠百合)が満開。山菜の季節到来!(妻女山里山通信)

2017-04-22 | アウトドア・ネイチャーフォト

 前回紹介した妻女山陣馬平の貝母が予想通り満開になりました。10日に満開と異常に早かった昨年と比べるとほぼ平年並みといえます。今日は曇りがちで北風が強く、最高気温も12度でした。貝母は丸まった葉先で互いを結び合いながら強風に揺れていました。見頃は今月いっぱいですが、天候が良ければゴールデン・ウィークの中頃まで見られるかもしれません。現在は自然写真家ですが、若い頃はアイドル雑誌のデザインをしたり撮影のディレクションもしていました。貝母と美女の撮影もしてみたいですね。あんずの花には童女が似合いますが、貝母には三十代以上の女性が似合うと思います。そんな慎ましやかな美しい趣のある花です。

 貝母の和名は編笠百合ですが、下から花の中を除くとその理由が分かります。4月の茶花で慎ましやかな美しい花ですが、呼吸器や中枢神経に麻痺を起こすかなり強い毒草です。決して持ち帰らないでください。
 満開と書きましたが、実際は天頂部がまだつぼみのものもあります。ゴールデン・ウィーク突入の29日、30日は完全に開いて見頃でしょう。

「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集)
 これが貝母のことであるという説があります。薬用に持ち込まれたのが江戸時代なのでしょうか。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。
 意味は、季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は咲かないのだろうか(咲くのだったら摘み取って共に行くのに)。防人というのは、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。

 貝母の群生地のある陣馬平。第四次川中島の戦いの際に、上杉謙信が陣城を建てたと伝わる場所です。行き方は拙書に地図を載せています。群生地は、陣馬平の南半分にあるのですが、手前にヨシとノイバラの群生地ができ貝母を侵食し始めたため、昨年、妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーを中心に何度も通って根の除去作業をしました。そして、その後に貝母の種や球根を蒔いたり植えたりしたのですが、それらが芽を出しました。上手く行けば数年後には群生地が二倍ぐらいに拡大するかもしれません。

(左)オオヤマザクラ(ベニヤマザクラ)も開花。(中)ズミも満開です。(右)林道沿いにはキブシ。

(左)ウスバシロチョウの食草であるシロバナケマン。(中)エゾスミレに続いてタチツボスミレも咲き始めました。(右)さらに20分ほど登ってカタクリの群生地へ。盛りは過ぎていましたが、これから咲くものもありました。タチツボスミレもそうですが、アリが種に付いているエライオソーム(脂肪酸や高級炭水化物などが大量に含まれる)を求めて酢に運び食べた後に種を外に蒔くことで増えるアリ散布植物です。日本には200種以上あります。アリさんは偉い。

「もののふの 八十(やそ)乙女らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子(かたかご)の花」大伴家持(万葉集)
 当維持29歳の大伴家持が、赴任先の越中国府の伏木(現在の富山県高岡市伏木に5年間赴任)で、寺井の井戸(井泉の跡と歌碑がある)の周りにたくさん咲くカタクリを宮中の乙女になぞらえ、都を懐かしんで詠んだ歌だといいます。そう思うと写真のカタクリが、美しい乙女に見えてくるから不思議です。

 キブシの玉暖簾。木々の芽吹きも一斉に始まりました。

 妻女山松代招魂社のソメイヨシノは散り始めています。山桜が咲きだすのはこれからです。

 妻女山展望台から松代方面。松代城のソメイヨシノも散り始めているでしょう。強風で花吹雪が見られたかもしれません。

 展望台からの下り。ヒノキの芽吹きで春紅葉が見られます。道路上は散った桜の花びらの絨毯。

(左)山上はまだ蕾でしたが、麓の山吹は満開でした。(中)妻女山里山デザイン・プロジェクトの面々とやっている椎茸の原木栽培。このところの雨で大きく成長していました。大きな袋いっぱい採って干し椎茸にします。(右)山菜の季節が到来。左から時計回りにコゴミ、タラの芽、椎茸、コシアブラ、ハリギリ。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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妻女山・陣馬平の貝母(編笠百合)が開花。あんずの里は満開!(妻女山里山通信)

2017-04-16 | アウトドア・ネイチャーフォト

 前回紹介した妻女山陣馬平の貝母が開花し始めました。異常に早かった昨年とは異なり平年並みです。満開は20日頃からゴールデン・ウィーク前半まででしょう。昨年は信濃毎日新聞の斜面でも紹介していただいたので、訪れる人が激増しました。すでに県外から開花情報の問い合わせもありました。
 左奥は昨年、妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーや協力者によってヨシとノイバラの根を除去し、貝母の種や球根を植えたところなのですが、たくさん発芽しています。

 貝母の和名は編笠百合ですが、このカットを見ると納得がいくと思います。茶道を嗜む人はご存知でしょう。4月の茶花です。喉の薬になる薬草ですが、同時にかなり強い毒草です。持ち帰って庭に植えたいという方もいますが、危険なのでお断りしています。野草や山菜での事故が毎年ありまから。

 森のあんずが満開というので長男と出かけました。拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林でも載せている私が好きな撮影ポイントです。まだ9時なので花見客もまばらです。早朝に農薬散布をしているので、農薬の臭いがします。

 ツクシ(土筆)の群生。保育園の頃、祖母がこれの卵焼きを作ってくれてお弁当に入れて行きました。血糖値を下げたり、むくみ解消の効能があるそうですが、今ツクシを食べる人はほとんどいないでしょうね。アルカロイドを含むので大量摂取はいけません。ビタミンEは野菜ではトップクラスだとか。ビタミンCやカロテンも豊富。

 満開のあんずの木の向こうに白馬三山。葛飾北斎の様な外連味のある構図を意識して撮ってみました。あんずの枝の踊り具合がいいですね。

 樹齢が250年以上というあんずの巨樹。森のアンズは、天和年間(1681~1683年)元禄時代、伊予宇和島藩主伊達宗利侯の息女豊姫が、松代藩主真田幸道侯に興し入れの際、故郷の春を忘れじとして国許よりアンズの苗木を取り寄せ、松代東条地区に植え付けたのが始まりとされるのですが、それ以前にも少しはあった可能性はあります。安永年間(1772~1780年)松代藩は、森村・倉科村・生萱村・石川村などへ苗木を配布し、栽培を奨励しました。

 その巨樹の花のアップ。花びらが白く、雄しべの黄色が目立つため、遠くから見るとやや黄色みを帯びたコーラルピンクに見えます。私が高校生の頃に教室の窓から見えたあんずの里は桃色ではなくこの色でした。

 花見客やカメラマンがまず訪れない山際のあんず畑には巨岩がゴロゴロしています。樹下にはホトケノザ、ヒメオドリコソウ、オオイヌノフグリ、タネツケバナ、ミヤマハコベ、カキドウシなどが咲いています。

 毎年ついつい撮影してしまうあんず畑のスバルサンバートラックの廃車。今回は長男にいつ頃のどういうモデルかを詳しく教えてもらいました。普通のカメラマンはあんずを撮影に来ているので、こんなカットは撮りませんが、私はこういうところにも感性の琴線が震えるのです。

 長男が八十二銀行のカレンダーにありそうなベタなシチュエーションだねと言ったカット。レンギョウの向こうに菜の花。その向こうにあんず。アートディレクター時代の私なら、なにか特別な意図がない限り絶対に使わないだろうカットですが、今回はあえてアップしてみました。

 禅透院の鐘楼の周りに咲くサンシュユ(山茱萸)と在来種のあんずの花。

(左)どれでも四つ1000円の売店は人気でした。干しあんず、あんずの焼酎漬け、シロップ漬け、セロリの粕漬けなど。(中・右)昼食はおもてなし食堂で郷土料理の「おしぼりうどん」。美味でした。その隣にあったスバルサンバーの消防車。これはミニカーでも販売されているそうです。

 母方の祖母が眠る興正寺へ。山門の脇に咲く枝垂れ桜。

 興正寺山門の「子持龍」は、天才・立川和四郎富昌の作。一見の価値があります。和四郎富昌は八幡の武水別神社の再建中でした。そこで、森出身の弟子・宮尾八百重を案内役に住職、世話人、名主らが建築現場に赴き建築を依頼。引き受けた富昌は三月頃から、父富棟が寛政二年(1789)に建築した善光寺大勧進の表御門形式を参考に絵図面を制作。四月には八百重の家に投宿し近くの薬師山に登って酒宴を催し、満開の杏花を愛でたといわれています。夜は篝火の下で鼓を鳴らし謡曲の「鞍馬天狗」を吟じ、見事な龍を描き上げ、村人や近郷近在の話題をさらい、村では日本一の宮大工が来たと喜んだそうです。興正寺は、浄土宗西京大谷知恩院の末派で、創立年は不詳。
 彼の木彫は、京都御所の建春門の「蟇股(かえるまた)の龍」、遠州の「秋葉神社」、諏訪の「諏訪大社下社拝殿」、善光寺大勧進御用門「江梁の龍」、松代町西条の白鳥神社の「神馬」などがあります。また、同市屋代の須々岐水神社、土口の古大穴神社にも富昌の作があります。左右にある波の彫刻は、葛飾北斎の影響を受けたものともいわれていますが見事です。

 帰りに妻女山展望台へ立ち寄り、松代城へ行きました。『真田丸』効果が冷めやらぬか観光客が大勢訪れていました。(左)太鼓門への橋から尼厳山と奇妙山。いずれも拙書で詳しく紹介しています。(中)武者姿の人が二人いて観光客と記念撮影に応じていました。(右)松代城の櫓台越しに見る上杉謙信が本陣としたと伝わる斎場山(旧妻女山)。私の本やブログを見て訪れる人も増えました。現在の妻女山は往古は赤坂山といい、謙信の本陣と伝わる場所ではありません。そのことも拙書では詳しく記しています。

YouTubeに各年のあんずの里のスライドショーをアップしています。ぜひご覧ください。

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妻女山・陣馬平の貝母(編笠百合)の群生地へ。千曲市あんずの里の開花状況(妻女山里山通信)

2017-04-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
 4月に入って一気に春めいてきた北信濃です。3月はまだ冬でした。5月になると一気に初夏へ。信州の春はたったひと月しかないのです。3月に残雪の中から芽吹いた貝母の群生地の様子を見に行きました。

 耕作放棄地に咲くホトケノザ。その向こうにナズナの群生地。その向こうには菜の花。更に奥には妻女山が見えます。紅梅が満開です。

 拙書で満開のカットを載せている貝母の群生地。咲いているものは一輪もありませんが、たくさんの蕾が風に揺れています。

(左)蕾の感じでは次の週末からぽつぽつ咲き始めると思います。満開になるのは20日頃でしょう。ゴールデン・ウィークの前半頃まで楽しめると思います。(右)貝母の群生地には蕗もたくさん自生しています。山の蕗は一味違います。今回は長男のアドバイスで鶏のひき肉入りの蕗味噌にしてみました。馬鹿旨です。

 左前方は、昨年に妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーと、何度も通ってヨシとノイバラの根を除去した場所。種や球根を植えたのですが、そこからも発芽していました。ひょっとしたら数年後には貝母の群生地が2倍ぐらいになるかもしれません。しかし、広がるのは昔畑だったところのみで、土質が異なるところへは増えては行きません。
 まだ小さなものも多く、これからもっと壮観な光景になります。4月の茶花でもあるので茶道を嗜む女性にはおなじみの野草です。元々は中国原産の薬草ですが、誤って食べると呼吸麻痺や中枢神経麻痺などを起こすかなり強い毒草です。美しいからといって決して持ち帰らないでください。山野草の誤食による事故が毎年起きています。

(左)シロバナケマン。氷河期の生き残りといわれるウスバシロチョウの食草ですが、これも毒草です。(中)春一番真っ先に咲くスミレ。アオイスミレですが、葉先が尖っているのでエゾアオイスミレでしょうか。小さく可憐なスミレです。(右)今は亡き山仲間のKさんのログハウスに咲く紅梅。

 陣馬平から403号を千曲市のあんずの里へと向かいました。咲いているのは北風が当たらず、日当たりのよいところの杏。多くの杏はまだつぼみか三分咲き、五分咲き程度でした。予報では13日の木曜日が満開とか。15日(土)と16日(日)は多くの花見客で賑わうでしょう。

 五分咲きぐらいですね。観光客もまばらです。火曜日は雨ですが、水曜日から天候が回復するので花見客やカメラマンが訪れるでしょう。いいアングルを見つけるには、とにかく歩くことです。在来種は集落の中にも残っているのでおすすめです。一般の人があまり行かない山際の高いところや、少し離れた岡地集落や倉科もおすすめ。

 この辺りは北風が吹き付けるからでしょうか三分咲き。菜の花も咲き始めです。ホトケノザやカキドウシ、水仙も咲いていました。

 あんずの花三種。在来種にも何種類もあり、栽培種も色々あります。スケッチパークでそれらが見られるので訪れることをおすすめします。

 在来種の大木も咲き始めです。この大木の満開のカットは拙書に載せています。私が高校生の頃に校舎の窓から見えた杏の里は在来種が多く、手前にあるような濃いピンクの花ではなく、やや黄色みを帯びたコーラルピンクに染まっていました。あんずの里の風景も時代とともに随分と変わりました。
YouTubeに各年のあんずの里のスライドショーをアップしています。ぜひご覧ください

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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村上春樹さんのジャズ喫茶 - 『国分寺・国立70sグラフィティ』目次 [CONTENTS]
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その美しさから「見返りの塔」と呼ばれる大法寺の国宝三重塔へ(妻女山里山通信)

2017-04-02 | 歴史・地理・雑学
 昨年の5月に妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーと子檀嶺岳に登った帰りに参拝した天台宗一乗山大法寺の国宝三重塔を訪ねました。ちょうど三重塔の裏手の梅園が咲いているのではと思ったからです。塩田平は平安時代までに新田開発が進み、鎌倉時代には米と麦の二毛作が行われ、相当に豊かだったようです。そして、北条氏の庇護を得てたくさんの寺院や塔が建立されました。今回訪れた「国宝大法寺三重塔」は、そんな鎌倉時代の栄華を残す名塔です。そのあまりの美しさに、誰もが思わず振り返ることから「見返りの塔」と呼ばれています。

 その前にまず妻女山奥の拙書でも満開の写真を紹介している上杉謙信の陣城跡と伝わる陣馬平へ。女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーと保護活動を行っている貝母(編笠百合)の生育状況を見に行きました。2週間も早かった昨年とは違い、今年は平年並み。蕾もたくさん見られます。ヨシやノイバラの根を除去した場所に、種や球根を植えたのですが、それも芽生えていました。昔畑だったところは周囲と土質が異なるので、そのエリアにだけ増えていくのです。数年後には今の倍ぐらいに群生地が広がると思われます。満開は20日頃からゴールデン・ウィークの前半まででしょう。4月の茶花であり慎ましやかな美しい花ですが、かなり強い毒草です。決して持ち帰らないようにお願いします。

 「信州の鎌倉」といわれる塩田平は、平安時代までに新田開発が進み、鎌倉時代には米と麦の二毛作が行われ、相当に豊かでした。そして、北条氏の庇護を得てたくさんの寺院や塔が建立されました。子檀嶺岳の山麓にある国保大法寺三重塔は、そんな鎌倉時代の栄華を残す名塔であり、地元の宝です。
 塔は、大正9年の解体修理の際に発見された墨書により、鎌倉幕府滅亡の年である1333年(正慶二年)に建立されたことが分かっています。塔のある大法寺は、大宝年間(701~704)藤原鎌足の子上恵が開基し大宝寺と称したといわれ、平安初期の大同年間(801~810)に坂上田村麻呂の祈願で僧義真(初代天台座主)により再興されたと伝わっています。
 ここにこのような壮麗な塔が建ったのは、北条氏の庇護とともに、この麓を東山道が通り、浦野駅(うらのうまや)(古代に30里毎に置かれた人馬の施設)があったからなのです。大法寺はその駅寺(うまやでら)でした。
 三重塔の構造は、天王寺から来た工匠により造営が行われたということで、当時の都の洗練された美しさを今に伝えています。三層の屋根は桧皮葺で、高さは18.56m。相輪を備え、天頂部には美しい水煙があります。初重の組物は二手先とし、裳階【もこし】(ひさしようなもの。あると四重の塔のように見える)がありません。裳階をつけずに初重内部を広くとるためだそうですが、そのため初層が大きく非常に安定感があり荘重、重厚な感じがあります。また、裳階がないためシルエットがシンプルで軽快感もあります。この造りは、他に奈良の興福寺三重塔(鎌倉時代初期)と石川県の那谷寺(なたでら)三重塔(江戸時代)だけといいます。内部には、金剛界大日如来坐像を安置しています。また、文化庁の調査の結果、国宝大法寺三重塔の一層内壁に壁画が描かれていたことが判明したそうです。これは興福寺の三重塔と同じです。

(左)大法寺の駐車場から望む夫神岳。初夏の妻女山SDPのトレッキングで登る予定です。(中)三重塔の初層にある「庭照」の額。「庭を照らす」という意。「我々は仏の子であり、皆仏の庭で遊んでいる。その庭を照らしているのが仏の慈悲である」というようなことなのでしょうか。この額は後世にかけられたものの様です。
(右)大正9年の解体修理の際には、これらの複雑な木組みを全て解体して元に戻したのでしょう。今現在その様なことができる宮大工はどれほどいるのでしょうか。

 三重塔後背の梅園は咲き始めでした。4月の中旬過ぎからは桜も咲くでしょう。

 美しいシルエットの屋根の向こうにそびえる夫神岳。遠い鎌倉時代の北条氏の栄華が想い起こされます。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)です。檜の樹皮を何層にも竹釘で止めていく非常に重厚で耐久性のある屋根です。檜皮を採取する技術者を『原皮師(もとかわし)』といい、樹齢50~60年の檜の樹皮を剥いで使います。その樹木を枯らさないように剥ぐのが高度な技術です。剥がれた樹皮は、8~10年で再生します。

(左)軒を支える肘木(ひじき)には 丹塗(にぬり)の赤い顔料が残っています。いずれも創建当時のものです(右上に見える)。つまり往時は、朱色の壮麗豪華な三重塔だったわけです。(中)塔の九輪とその上にある水煙。合わせて相輪といいます。釈迦が荼毘に付された際に残された仏舎利を納めた塚であるストゥーパの上に重ねられた傘が起源とされます。(右)軒下には地塗りに用いられた白い胡粉(ごふん)の顔料が見られます。

 独特の鋭い曲線を描く屋根のライン。この反りについて、『日本美の特質』(鹿島出版会)の書の中で吉村卓司氏は、日本刀の反りと共通する日本人の独特な美意識について非常に深い洞察を述べておられる。

(左)大正9年の解体修理の大正9年の解体修理の石碑。(中)満開の白梅。(右)路傍の水仙。

 参道にある羅漢石像。(左)酒を酌み交わす二人。(中)赤子をあやす母。(右)誰かな口の中にお賽銭入れたのは。他にもたくさん並んでいます。

(左・中)根元から株立ちした大きな榧(カヤ)の巨樹。古名はカエで、転訛してカヤとなったとか。榧の実は灰汁抜きして炒って食べられます。寺社に植えられているのも飢饉の備えという意味があったのかもしれません。また、碁盤や将棋盤といえば、榧材といわれるほど珍重されます。(右)桜が満開の頃や紅葉の秋にも訪れたいと思います。

 「道の駅あおき」へ。拙書の表紙は、ここから撮影したものです。子檀嶺岳という山名は、ルビがふってなければ読めないでしょう。その山名の由来も拙書では紹介しています。山頂は真田関連の山城で、空堀なども見られます。
大法寺ホームページ
青木村の国宝大法寺三重塔のページ
大法寺ウィキペディア

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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春の妖精、春の儚い命の節分草に会いに千曲市倉科の群生地へ。妻女山のダンコウバイも開花(妻女山里山通信)

2017-03-26 | アウトドア・ネイチャーフォト
 千曲市倉科の杉山にあるセツブンソウ(節分草)が開花という情報をネットで得たので訪れました。昨年は春の訪れが2週間も早く、月末に訪れた時にはほぼ咲き終わっていました。今年は例年並みです。群生地は、「倉科の自然を守る会」の方々が管理や保護活動を行っています。

 早春に咲き、2、3ヵ月でその年の生活サイクルを終え消えてしまう植物は、スプリング・エフェメラル(Spring Ephemeral、春の妖精、春の儚い命)と呼ばれます。セツブンソウの種は、アリが巣に運んで発芽する虫媒花。アリ散布植物です。石灰質の土壌を好み、晩秋から冬の間に、地中深くにある黒褐色の塊茎から発芽します。種子から開花まで3年以上かかるわけですから、林床の環境が良い状態で続かないと生育できません。昔は雑木林に入って草刈りや灌木の除伐や薪拾いをしたので、明るい林床にセツブンソウがたくさん咲いたのだとか。カタクリと同様、人の暮らしと密接な関係にある植物だったのです。ですから、盗掘や自生地の環境が破壊されると真っ先に消える植物です。(絶滅危惧植物II類)

 セツブンソウはキンポウゲ科セツブンソウ属で、本州の関東地方以西に分布する高さ5〜10センチほどの小さな多年生草本。花の直径は約2センチ。花びらに見えるのは萼です。先が黄色く見えるのが退化して蜜腺になった花びらです。東京調布市の野川自然公園観察園では、毎年1月末から節分の頃に咲いていましたが、信州では3月中旬から下旬に咲く花です。この倉科の群生地は信州の北限といわれていますが、私は実は全く知られていない群生地があるのではと思っています。

 この日は、夜間に降雪があり里山は真っ白になったので、2011年の様に雪を纏ったセツブンソウが撮れるかなと思ったのですが、昼近くには既に溶けていました。もっと早く来ればいいのですが、群生地は西向きのため、10時を過ぎないと日が当たらないのです。
雪中の節分草(妻女山里山通信) 2011年3月28日

 千曲市の群生地は、他に戸倉のものが有名で訪れる人も多いのですが、倉科の群生地は訪れる人も少なく静かに鑑賞や撮影ができます。

 セツブンソウで蜜を舐める昆虫を発見。形態からハエの仲間でしょう。3000種類もいるので同定はなかなか困難です。盛んに花から花へと飛び移って蜜を舐めていました。

 当日は昼頃になると寒風が吹き下ろし始め、セツブンソウは細かく揺れ始めました。寒風に震えるような感じでした。ブレて撮影もなかなか難しくなったので、三滝へ行くことにしました。

(左)逆光のセツブンソウ。(中)群生地の入り口。車は林道脇に止めます。(右)倉科のMさん手作りの標識。斎場山(旧妻女山)から天城山、鞍骨城跡などでもお馴染みです。

 三滝春景。(左)一の滝と上に二の滝。(中)二の滝の下にはダイナマイトで破壊されて落ちた岩石の山が。理由は下記の「倉科三滝の知られざる歴史」をお読みください。
(右)明治の倉科村村誌には「二の滝、高四丈三尺、幅一丈七尺、是に龍の劍摺石と唱うる石ありて、自然の穴七ツあり、俗に摺鉢と称す」と書いてあるのですが、「自然の穴七ツ」とは甌穴(おうけつ)のことで、河底や河岸の岩石面上にできた円形の穴のこと。瓶穴(かめあな)ともいいます。三滝の甌穴は岩石で埋まったと思っていたのですが、今回一の滝の上の平らな岩盤に土砂で埋まった様な甌穴ではないかと思われるものをいくつか発見しました。土砂を取り除けば全容が見られるかもしれません。水温が低すぎて入れませんが、夏になったら調べてみようと思います。といっても真夏でも水温は12度ぐらいですが。
倉科三滝の知られざる歴史(妻女山里山通信)


 拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』の扉に使った三の滝。扉のカットは真夏で水量も多く緑濃い風景です。遊歩道もありますが、ご覧のように整備されているとはいい難く、岩もゴロゴロしているので、トレッキングシューズが必要です。また昨年は友人が子熊を目撃しているので熊鈴も必須です。

(左・中)セツブンソウが咲く頃に、妻女山のダンコウバイ(壇香梅)も咲くので寄ってみました。咲き始めでした。これから標高の高いところに向かって咲き上がっていきます。(右)斜面に白い花を発見。ヤマシャクヤクが今頃咲くはずはないしなんだろうと近づいて見ると、なんとクリスマスローズでした。もちろん園芸種です。困ったことですが、家で要らなくなった園芸種を捨てていく人がいるのです。以前は紫色のオダマキが咲いていました。いずれも状況を観ながら自然環境を破壊するほど繁殖することもないだろうと放置してあります。オオブタクサやヨウシュヤマゴボウ、セイヨウタンポポなどの帰化植物の方が余程大問題です。そして、それ以上に大問題なのが、放射能や農薬、排気ガスなのです。
 さて、里ではやっと白梅が咲き始めました。これから紅梅、杏、ソメイヨシノ、桃、林檎、山桜、レンギョウ、カスミザクラ、オオヤマザクラ、ウワミズザクラやズミと信州の春は駆け足でやってきます。
カタクリ、イカリソウ、クサボケ、モミジイチゴ、オオヤマザクラ、ズミが満開(妻女山里山通信)

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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諏訪立川流の諏訪大社秋宮と大隅流の春宮の宮彫探訪(妻女山里山通信)

2017-03-20 | 歴史・地理・雑学
 当ブログでは、諏訪立川流や大隅流の宮彫がある神社を紹介してきましたが、その代表作ともいえる諏訪大社下社の春宮と秋宮を載せていないということに気付き撮影にでかけました。三連休で参拝者も多いと思い9時半頃には秋宮に到着。参拝と撮影に勤しみました。諏訪大社下社は、春宮と秋宮の2社があり、秋と春に祭神を秋宮、春宮へ遷座することが通例となっています。
「諏訪藩主は大隈、立川の両者をよび、腕を競わせることになった。諏訪大社の下社を同じ規模、同じ期間で同時に二つの社を作るよう命じた。どちらも全力を注ぎ見事に完成した。大隅流の作った社を「春宮」、立川流の作った社を「秋宮」といい、現在もその当時の姿で下諏訪町に存在している。結果は立川流の評判が勝り、立川和四郎富棟の出世作となり、以後立川流は大隅流を圧倒し発展していった。」:立川流彫刻のサイトより引用。

(左)秋宮の鳥居前の手水舎。皆さんちゃんと作法を知っているのですね。彼女が彼氏にこうやるのよと教えているのも微笑ましい光景でした。「諏訪大社下社秋宮 境内ガイド」。(中)石造りの神橋を渡り境内へ。(右)神楽殿からは御祈祷(おはらい)の太鼓が。諏訪立川流の木彫が施された幣拝殿はこの後ろにあります。

 諏訪立川流和四郎富棟の名声を世に広めた幣拝殿。1781年(安永10年)建立。屋根が大きく下が小さな逆三角形の構図は、空(宇宙)に向かって飛び立つかの様な軽快感を覚えます。

 木彫は全体に施されていますが、目を引くのは幣拝殿最前部の柱に施された獅子と像の木彫です。立川流の特徴が凝縮された造作ともいえるものです。後に息子の富昌へとその技法は進化してゆき更に洗練されてゆきます。

 獅子のアップ。眼は翡翠がはめられているのでしょう。諏訪大社の祭神、建御名方命(たけみなかたのみこと)の母神である高志沼河姫の象徴。
『『万葉集』に詠まれた「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」(巻十三 三二四七 作者未詳) の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられ、沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王であるとみられる[1]。天沼矛の名に見られるように古語の「ぬ」には宝玉の意味があり、「ぬなかわ」とは「玉の川」となる。』by ウィキペディア
 と書いたのですが、友人の宮彫研究家から、あれは銅板ですとのメールが来ました。緑色は緑青の様です。残念ですね。翡翠なら古代へのロマンへと繋がったのですが。

 獅子と対をなす象の木彫。獅子が怒りの象徴であるとすれば、象は喜びや笑いの象徴だったのでしょうか。象は貘である場合もあります。貘は鼻が同じ様に長いのですが、耳が立っていて体毛があります。

 同時代の葛飾北斎に影響されたという波の木彫。激流をものともせず遡る鯉が彫られている見事な木彫です。

 幣拝殿内部の両脇障子は竹に鶴。その上部にも鶴。両脇には獅子。ため息が出るような素晴らしい木彫です。

(左)家紋の五根梶。諏訪大社の神紋は、上社では四根の諏訪梶・下社は五根の「明神梶」とされているのですが、例外があり混在している様です。理由は武士が台頭した時代にありそうです。「諏訪氏 梶の葉紋」で検索を。(中)巫女さんがお守りを販売したり御祈祷の案内をしています。(右)数あるお守りで私が買い求めたのは、薙鎌守(なぎがままもり)。大国主命の「福俵」、母神沼河姫の翡翠、諏訪特産の黒曜石を組み合わせたお守りです。

 下諏訪を散策しながら春宮へ。(左)道路の真ん中にある春宮に神橋。(中)駐車場が狭く観光バスも来ないので静かな春宮。(右)高島藩御用の宮大工村田長左衛門矩重(ともしげ)作(大隅流)の幣拝殿。

 木鼻の唐獅子。その上部を飾る持送り牡丹。秋宮の獅子と象と波の木彫と見比べると、その違いが際立って興味深く観られます。当時の庶民には秋宮の立川流の方が評判が良かった様です。しかし、大隅流が常に劣っていたということではありません。このブログの二つ前の記事「名宮大工棟梁・大隅流柴宮長左衛門矩重の木彫が圧巻! 千曲市戸倉の水上布奈山神社」にある様に、ある程度抽象化された木彫は、現代美術にも通じる様なセンスとコンセプトを感じます。

 両社とも人のいないカットを撮影するのは非常に困難ですが、早朝から訪れることをお勧めします。凛とした空気の中で参拝や散策ができます。しかし、両社とも杉の大木に囲まれていて、花粉症でグズグズになりながらの撮影でした(涙)。

(左)春宮からはすぐに有名な万治の石仏へ浮島神社を経て行くことが出来ます。画家の岡本太郎氏が絶賛したことで有名になった石仏です。(中)正面の写真は溢れていますが後ろ姿は初めてではないでしょうか。こんなです。(右)ノミを突き刺して血が出たという痕。なんだかなあです。岡本太郎氏の発見がなければ世に出ることはなかったでしょう。

(左)撮影は午前中で終えたので下社下の山猫亭はなれへ。11時過ぎで一番乗りでした。かけ蕎麦とデザートのそばちちを注文。蕎麦はしっかり締まったもので汁はあっさりめ。(中)実は一日五食限定のデザートのそばちちが目当て。美味しかったです。鳥居前の本店よりはなれがお勧めかな。(右)花粉症が酷くなって松本へ。モンベルで買い物をして一路19号を長野へ。長男の所で次男の大学卒業祝いと就職祝いの宴会。メインは牡蠣とナメコと椎茸とネギの味噌鍋。これは絶品。後にスープを足して中華出汁を加え煮込み味噌ラーメンに。これも絶品。奄美黒糖焼酎のれんとのお湯割りを呑みながら色々な話に興じたのでした。

 最後に諏訪大社秋宮の近くの山王ホテルの脇にある春霞に煙る展望台からの諏訪湖。古代科野国の始まりがここで生まれたことを想像しながら花粉症の涙目で色々と想いをめぐらしたのでした。
諏訪大社上社の探訪記事は、『藤森照信氏の神長官守矢史料館・高過庵・空飛ぶ泥舟と、諏訪大社上社前宮と本宮へ(妻女山里山通信)』をご覧ください。

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武田典厩信繁の墓と全国随一の大きさの閻魔大王像がある典厩寺探訪(妻女山里山通信)

2017-03-12 | 歴史・地理・雑学
 週末の午前中は、用事や買い物を済ませて武田の副将で、信玄の実弟・典厩信繁の墓と全国随一の大きさの閻魔大王像がある典厩寺(てんきゅうじ)へ。千曲川堤防の脇にあるため晴れていましたが寒風が厳しく春弥生というのに凍えながらの参拝と見学でした。

(左)松操山(しょうぞうさん)典厩寺山門と閻魔堂。(中)山門の額。拝観料200円を受付が無人なので皿に置いて中へ。(右)すぐ左手に閻魔堂。小学校低学年の遠足で訪れた時以来の訪問です。遠足の際は、そのあまりの大きさと怖さに泣き出した女子がいた記憶があります。
 頭部のみ千曲市稲荷山出身で後藤流の流れをくむ宮彫師・小林五藤(正名:小林佐太郎藤原茂高)の作。頭部のみという理由はこのの像を製作中に急逝したため。体は漆喰で、質感が異なります。また、造作も稚拙です。八代真田幸貫(ゆきつら)が川中島の戦いの8000人ともいわれる戦没者の供養のために建立したものです。宮彫師・小林五藤については、『北信濃寺社彫刻と宮彫師』の記事をお読みください。

 小林五藤制作の閻魔大王の頭部。子供が夜泣きしそうな迫力があります。閻魔は仏教、ヒンドゥー教における地獄、冥界の君主。冥界の王として十王とともに死者の生前の罪を裁く神。昔の子供たちは、嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるといわれたものです。悪いことをすると死んでから地獄に落とされるとも。

(左)左右から見るとそれぞれ表情に微妙な違いがあります。(右)天井には数多くの観音の絵。

(左)本堂。創建当時(1500年頃)は鶴巣寺(かくそうじ)と称し、合戦から60年後の承応3年(1654)に松代藩主の真田信之が武田典厩の名をとって寺号を典厩寺と改め、信繁の菩提と武田・上杉両軍の戦死者を弔ったといわれています。(中)信繁の首を洗ったという「首清め井戸」。(右)信繁の墓。真田昌幸は信繁の名を次男(真田幸村)に名付けました。

(左)枝垂れ桜のある境内。満開の際に訪れたいものです。奥に見えるのは奇妙山。(中)川中島合戦記念館。(右)入ってまず目を惹いたのは、狩野祐清の『大龍』。狩野祐清(狩野邦信)は、中橋狩野家十四代目。江戸生れ。初号は探秀のち祐清。狩野探牧守邦(鍛冶橋狩野六代目)の次男。のちに中橋狩野家十三代目永賢泰信の養子となる。天明7年12月13日生まれ。天保11年2月20日死去。54歳。号は探芳、祐清。朝鮮への贈呈屏風や江戸城西の丸の障壁画の制作などに参加。
 現在、日光東照宮の平成の大修理が行われていますが、宝暦の修理(1749~1753)に際して、それまであった牡丹唐草の絵を、狩野祐清が描き直した絵画が215年ぶりに公開されました。一般公開は未定。
日光東照宮「陽明門の壁面に宝暦年間の絵画出現」

 狩野祐清『大龍』部分図。

(左)信繁の着用した鎧の下着。(中)戦闘中に折れたという信繁の刀。(右)武田不動尊。

(左・中)信繁の鉄扇やら烏帽子やら。(右)上杉謙信の鉄扇。

(左)『甲陽軍鑑』大写とあるので木版本ではなく写本の様ですが、原本はなんなのでしょう。『甲陽軍鑑』の写本では、小幡勘兵衛が元和七年に筆写したという、「元和写本」が最も有名です。国語学者の酒井憲二氏がその研究の成果を『甲陽軍鑑大成』全七巻、汲古書院にしたためています。第四次川中島合戦の記述がある本文篇上と研究篇は、なかなか深く読み応えがあります。史料としての価値は低いという評価をくだされていたものは、主に何度も改変された江戸時代の木版本です。(中)山本勘助の宮(東福寺の小森地籍)とあります。ここは現在の南長野運動公園です。たしか敷地のどこかに現存するはずなので今度探してみましょう。(右)武田の火縄銃。長さ175センチ、重さ16キロとあります。

『永禄年間川中島大合戦之図』長野縣埴科郡松代町 調製者 佐藤袈裟治とあるのですが、いつ頃のどういう人か不明です。長野縣埴科郡は、1879年(明治12年)発足なので、それ以降のものでしょう。絵図では、武田別働隊が海津城から西条の入集落から唐木堂越を上り、鞍骨城の南を巻いて天城山方面から妻女山を攻撃した様子が描かれています。灰色が明治時代の千曲川の流路で、水色が戦国時代の推定流路です。結構的を得ていると思います。

 その妻女山の部分。右上が海津城。歴史的資料価値が高いものではありませんが、セロテープで貼り合わせて木ネジで板に止めてあるのはどうかと思います。民俗学的価値は高いので。他の展示品も玉石混交で随分と怪しいものもありますが、なにより保存状態が酷いのが気になります。真田宝物館とか歴史館とか専門の機関に移譲した方がいいのではないでしょうか。

 千曲川の堤防上から見る典厩寺全景。右奥に謙信、信玄ともに尊崇した飯綱権現の飯縄山。拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林でもそのことを記しています。上杉謙信の兜の前立は飯縄権現の白虎に乗った烏天狗です。

 千曲川の堤防上から海津城(松代城)、謙信の陣所といわれる陣馬平。本陣といわれる斎場山、妻女山(旧赤坂山)方面のパノラマ写真。

(左)その陣馬平の貝母(編笠百合)も大きくなってきました。4月の中旬には咲き出すでしょう。薬草ですが毒草です。(中)林道にヌルデの虫こぶが落ちていました(左)。葉や葉軸にある種のアブラムシが寄生し、ヌルデミミフシやヌルデハイボケフシなどの虫癭(ちゅうえい)ができます。このコブを「五倍子(ふし)」といい、タンニンを多く含み、黒色染料の原料になります。お歯黒にも使われました。白く粉を吹いていますが、酸塩味があるため、信州ではこれを煮詰めて塩の代わりにした地域があるそうです。
「足柄の 吾を可鶏山(かけやま)の かづの木の 吾をかつさねも かづさかずとも」(万葉集:詠人知らず)
 かづの木(ヌルデ)を男性にたとえ、私を誘ってくださいという歌。信州の春も少しずつ訪れ始めました。

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名宮大工棟梁・大隅流柴宮長左衛門矩重の木彫が圧巻! 千曲市戸倉の水上布奈山神社(妻女山里山通信)

2017-03-05 | 歴史・地理・雑学
 最高気温が10度を超えてやっと春めいた土曜日。千曲市戸倉にある水上布奈山神社(みずかみふなやまじんじゃ)を訪れました。きっかけは、友人の宮彫研究家のブログ「北信濃寺社彫刻と宮彫師ー天賦の才でケヤキに命を吹き込んだ名人がいたー」の2017年1月30日の記事を見たことにあります。ぜひ現物をこの目で見たいと思ったわけです。買い物ついでに車を走らせました。本殿は国の重要文化財であり、諏訪大隅流柴宮長左衛門矩重 (しばみやちょうざえもんのりしげ)の見事な木彫が施されています。

 正午ちょうどに神社へ。朱塗りの鳥居越しに見る本殿が収納された覆屋。鳥居との間に神橋があります。
 その歴史ですが、1603年(慶長8年)北国街道の整備により下戸倉宿が置かれた。これに伴い、諏訪大社から建御名方神(たけみなかたのかみ:大国主命の子)を勧請し、諏訪社として創建された。1789年(寛政元年)現在の本殿が建立。1835年(天保6年)水上布奈山神社に改称。1839年(天保10年)境内に飯盛女52名による燈籠が奉納される。(by wikipedia)布奈山は、万葉仮名で現在は船山で残っており、戦後聞く時代に名を馳せた舟山氏(船山氏)と深い関係にあります。以前、妻女山展望台で福島の船山氏と知り合ったことがありますが、先祖を調べていったら信州の船山と布奈山神社に辿り着いたと言っていました。

(左)本殿への右手、稲荷大明神の前にある燈籠は、下戸倉宿に働く飯盛女52名と旅籠屋主人が奉納したもので、台座に名前が刻まれています。飯盛女(食売女)とは宿場の宿で給仕や雑用をすると共に私娼として売春をも行っていた女性たち。(中)拝殿に参拝して裏の本殿へ向かいます。本殿は覆屋の中にあり、普段は施錠されていますが、隙間から見ることはできます。(右)本殿から拝殿方向。朱塗りの塀に囲まれています。

 覆屋の中に鎮座する一間社流造の本殿。見事な木彫が目を惹きます。

 両脇障子の上の見事な龍。(左)左の『下り龍』。(右)右の『上り龍』。諏訪立川流と比べると、堀が深く鋭く豪壮な感じで、写実性や具象性を残した立川流よりデザイン化されている意匠です。どちらも私は好きです。しかし、このインカ文明の遺物にも似たデザイン化、便化はどこでどうやって会得。あるいは創造したのでしょう。非常に興味があります。

 左右にある『海老虹梁』。非常にダイナミックな造形です。

 木鼻『獅子と獏』。獏は象だと思っていたのですが、最近これらには明確な違いがあることを知りました。鼻は双方とも長いのですが、目は象は三日月形で貘は丸く、象には体毛がなく貘にはカールした体毛があります。象の耳は垂れて大きく貘の耳は小さい。ただ当時ではどちらもほぼ想像の動物でしかなく、確実に分かって作り分けていたかは微妙なところです。

 本殿の正面。上には鳳凰。その下に二羽の鶴。

(左)左扉脇羽目の『拾得』。(右)右扉脇羽目の『寒山』。中国,唐代の隠者,詩人である寒山と拾得(じっとく)のことで、中国江蘇省蘇州市楓橋鎮にある臨済宗の寺・寒山寺に伝わる。
松岡正剛の千夜千冊『寒山拾得』久須本文雄寒山拾得は、日本人の琴線に触れるものがあるのでしょう。様々な絵師が描いています。
   一たび寒山に住みて 万事休す
   更に雑念の心頭に掛かることなし
   閑(しず)かに石壁に於いて詩句を題し
   任運なること還(ま)た 繋がざる舟に同じ(寒山)

 暖かな日で、境内では幼女が遊んでいました。二本の御柱が目を惹きます。後ろ髪を引かれつつ境内をあとにしました。

 翌日曜日は待ちに待った啓蟄(けいちつ)。土中や木の中の虫たちが這い出してくる季節の到来です。貝母の様子を見るために妻女山と天城山の中間にある陣馬平へ。(左)陣馬平の残雪もみな消えていました。(中)貝母(編笠百合)は平年並みの成長。昨年は2週間も早くゴールデン・ウィーク前に散ってしまいましたが、今年は4月20日頃に満開になると思います。(右)蕗もやっと出てきました。スギヨのビタミン竹輪とかき揚げにしましょう。

(左)陣馬平から下ろうとすると前方にニホンカモシカのシロがいました。拙書の85ページに彼女の夏毛の写真を載せていますが、まだ冬毛のままですね。最高気温が10度を越えるようになると冬毛がゴソッと抜けるので、今年は中旬頃でしょうか。(右)妻女山松代招魂社。ソメイヨシノの花芽がずいぶんと膨らんできました。黄色いダンコウバイが咲き始めると本格的な春の始まりです。

 妻女山展望台から望む善光寺平。曇っているのではなく春霞です。

 展望台から東の松代方面。確かひな祭りの人形の展示が街のあちこちで行われているはずです。あとひと月もすれば正面の奇妙山山麓の杏が咲き出します。そしてゴールデン・ウィーク頃にはあっという間に初夏へ。信州の春は短く駆け足で通り過ぎていきます。

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茶臼山からのパノラマ写真。妻女山陣馬平の貝母の芽吹き。春は名のみの 風の寒さや『早春賦』(妻女山里山通信)

2017-02-26 | アウトドア・ネイチャーフォト
 週末の土曜日はよく晴れました。買い物や用事のついでに茶臼山へ。しかし時間がなかったのでトレッキングはせずにいくつかのポイントでパノラマ写真や望遠写真を撮影しました。昨年は春の訪れが2週間も早く、残雪もなく蕗も出ていましたが、今年は例年並みで残雪もあちこちに見られます。地球規模的にいうと温暖化どころか小氷河期に向かっているとNASAも発表しています。

 信里小学校の近くの茶臼山登山口の駐車場から西方の眺め。一番奥に蓼科山。手前に塩田平の独鈷山や大林山の支脈にある岩井堂山(自在山)。麓の盆地は坂城町と手前に千曲市。左手前の里山は有明山。左手前の中腹に古代科野国の大王の眠るという森将軍塚古墳が見えます。

 同じ場所から引きのカット。中央の山は拙書でも紹介の五里ヶ峰。寒風もなくうららかですが気温は5度。手前の畑にあるのは冬越しのほうれん草でしょうか。甘みがのって美味しいでしょう。おひたしや胡麻汚しも美味ですが、ほうれん草のキッシュもいいですね。英国では紳士の食べるものではないといわれていますが、私は好きです。

 下ってレッサーパンダで有名な茶臼山動物園の脇からの善光寺平のカット。白いのは根子岳。右奥に深田久弥氏の個人的な百名山の四阿山。右に平成の大合併の前は長野市の最高峰だった保基谷岳。一番手前の薄灰色の木はリンゴです。共和の林檎は美味しいことで有名です。

 同じ場所から望遠カット。麓の中央には信州松代ロイヤルホテルの白いビルが。その右奥はあんずの里の東条。4月の上旬から中旬にかけては、桃源郷ならぬ杏源郷になります。

 更にアップ。今年の積雪は少なめですね。手前は奇妙山と東條氏の山城がある尼厳山。根子岳、四阿山と共に拙書で詳しく紹介している魅力的な里山です。『真田丸』など歴史ファンにもぜひ登って欲しい山なのです。

 右を見ると浅間山が噴煙を盛んにあげていました。白いのでこれは水蒸気ですね。噴火の前触れではない様ですが、東北沖大地震以降、日本は貞観仁和の地震多発期に入った様なので注意が必要です。兵器としての人工地震も既に開発されている様で、気が抜けませんね。

 茶臼山登山口の駐車場からのパノラマ写真です。8枚の望遠カットをフォトショップで合成しました。左に根子岳と四阿山。右へ保基谷岳や大松山。中央少し右に鏡台山。右へ沢山峠を挟んで五里ヶ峰。下に上信越自動車道の五里ヶ峰トンネルがあります。その手前の直線は北陸新幹線。一番右は冠着山(姨捨山)。善光寺平に広がる街は手前が篠ノ井。奥が松代方面。右が千曲市の屋代方面です。

 翌日曜日もよく晴れました。久しぶりに妻女山の奥へ。招魂社のある妻女山展望台までは車で行けますが、斎場山へはカーブが凍結してアイスバーン状態なので四駆スタッドレスでも登れません。(左)第四次川中島の戦いで上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたという陣馬平へ。(中・右)残雪もある中、貝母(編笠百合)が芽吹いていました。例年並みなので満開は4月の20日から下旬になると思われます。拙書でも紹介していますが、松代夢空間主催で私がインタープリターをしたハイキングが信信濃毎日新聞の記事になり、一面下の斜面で論説委員の方が紹介してくれたお陰で訪問者が激増しました。昨年や一昨年の私の4月のブログをご覧ください。それは見事です。4月の茶花でもあるので茶道を嗜むご婦人にも人気の花です。ただ薬草ですが、かなり強い毒草でもあるので持ち帰りは禁止です。

 その後、堂平大塚古墳へ。(左)日当たりの良い斜面に咲くオオイヌノフグリで吸蜜するハナバチ。オオイヌノフグリは花が小さく蜜も少ないのでハチもせわしなく飛び回り、同定できるカットが撮影できませんでした。でも確実に小さな春ですね。(中)アブラナ科のタネツケバナの一種。本当に小さく草高は4センチ位でしょうか。花はオオイヌノフグリよりもずっと小さい。個体による変異が激しく同定が難しい植物です。(右)シソ科のヒメオドリコソウも咲き始めていました。同じシソ科のホトケノザは花が上に立つので区別がつくのですが、拙書の髻山の写真のキャプションでは不覚にも間違えてしまいました。

(左)水仙も芽吹いていました。これをニラと間違えて誤食し死亡した例もあります。山野草の採取にはご注意を。(中)コナラのドングリが根を張って実生になりました。ここから大木になれるかは神のみぞ知る厳しい道程です。(右)だんご3兄弟ならぬ福寿草三兄弟。

 最後に妻女山展望台から松代方面のカット。少しずつですが短い信州の春も確実に訪れつつあります。啓蟄を過ぎると山蕗が顔を出し、ダンコウバイも咲き始めます。節分草は3月下旬でしょう。信州の春は短く、あっという間に初夏になるのですが、梅、杏、桜、レンギョウ、山桜、林檎と咲き抜ける賑やかな春はもうそこまで来ています。

~早春賦~ 倍賞千恵子 『尋常小学唱歌』の作詞委員会代表であった吉丸一昌が、長野県大町市、安曇野あたりの早春の情景をうたった歌とされる。


『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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2ヶ月ぶりに謙信と貝母の群生地の陣場平へ。福寿草の咲く堂平大塚古墳へも。ウスタビガの繭のストラップ(妻女山里山通信)

2017-02-18 | アウトドア・ネイチャーフォト
 週末の土曜日、午前中はどんよりとした寒い曇り空でしたが、昼ごろから晴れてきたので久しぶりに妻女山奥の陣場平と堂平大塚古墳に行ってきました。妻女山への舗装路は、高速をくぐった上杉謙信槍尻の泉のカーブが凍結しています。毎年このカーブで立ち往生してレッカー車のお世話になる観光客がいます。それも真冬でなく、3月が多いのです。

(左)妻女山の駐車場の上にある妻女山里山デザイン・プロジェクトの仲間とやっている椎茸栽培。採り残した小さなものは凍っています。(中)林道のカーブは、こんな感じで凍結してつるつるです。轍の跡が特に危険です。(右)やっと長坂峠。正面には斎場山(旧妻女山)。謙信の本陣跡と伝わる山で、山頂は円墳なので円形で平らです。現在の妻女山は、本来は赤坂山といいます。

(左)長坂峠から見る善光寺平。平地の日向には雪はありませんが、日陰には残っています。戸隠連峰や飯縄山は雪雲に隠れて見えません。(右)長坂峠から陣場平に向かいます。尾根の南面や西面には残雪がありません。

 上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたという陣場平。落葉松林の影になるため残雪があります。2014年の豪雪の年はもっと残雪がありました。2015,2016年は残雪がなく、蕗の薹がもう出ていました。今年は遅そうです。貝母(編笠百合)の芽が出るのも遅いかもしれません。4月中旬過ぎの満開の光景が待ち遠しい。

(左)ヤマコウバシの枯れ葉が残る林道を、堂平大塚古墳に向けて下っていきます。(中)横穴式の堂平大塚古墳。(右)その隣りにある今は亡き山仲間のKさんのログハウスへ。アールグレイティーを入れて午後の紅茶タイム。BGMは小鳥のさえずり。

 ログハウスから見る千曲川と西山の風景。千曲川に掛かる橋は手前から国道18号、しなの鉄道、北陸新幹線。手前は上信越自動車道。千曲川に冬の渡り鳥の鴨が全く見られないのが不気味です。

(左)古墳に咲く福寿草。春を告げる可愛い花ですが毒草です。昨年は出ていた山蕗はまだ出ていません。(中)陣場平へ戻ります。(右)帰路は林道ではなく昔の山道へ。イノシシが掘り起こした跡。そんなに大きな個体ではない様です。

 妻女山の駐車場に戻って、林道倉科坂線から見る松代方面。拙書でも載せている尼厳山や奇妙山の残雪も随分と少なくなりましたが、まだまだ寒い日が続きます。信州の本格的な春はもう少し待たなければ訪れて来ません。そして春は短く、あっという間に初夏になります。

 以前、妻女山で出会った信州出身で横浜在住の男性からウスタビガの繭のストラップがたくさん送られてきました。最初に出会った時に、天蚕の繭を集めて布を織っている話や、ウスタビガの繭を集めてフクロウのストラップを作っているという話を聞いたので、ウスタビガの繭を集めておきました。昨年の12月のある日に妻女山で再開したのですが、用事があって帰らなければならず、繭を見つけに行くという彼とは別れたのですが、家に帰って集めておいたウスタビガの繭を彼の車のバックミラーに下げておいたのです。
 後日お礼の手紙が来て、今回大量のストラップが届いたのです。これは可愛いですね。感激しました。色々な人に配ってくださいということなので、友人や職場の女性たちなどにプレゼントしようと思います。フクロウは、日本では「福来郎」「不苦労」などといって幸福の象徴ですが、欧州では知恵や賢者の象徴として愛されています。英国では、「森の守り神」として知性の象徴とされています。映画「ハリーポッター」シリーズには毎回ふくろうの郵便が来ましたね。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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