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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

諏訪立川流の諏訪大社秋宮と大隅流の春宮の宮彫探訪(妻女山里山通信)

2017-03-20 | 歴史・地理・雑学
 当ブログでは、諏訪立川流や大隅流の宮彫がある神社を紹介してきましたが、その代表作ともいえる諏訪大社下社の春宮と秋宮を載せていないということに気付き撮影にでかけました。三連休で参拝者も多いと思い9時半頃には秋宮に到着。参拝と撮影に勤しみました。諏訪大社下社は、春宮と秋宮の2社があり、秋と春に祭神を秋宮、春宮へ遷座することが通例となっています。
「諏訪藩主は大隈、立川の両者をよび、腕を競わせることになった。諏訪大社の下社を同じ規模、同じ期間で同時に二つの社を作るよう命じた。どちらも全力を注ぎ見事に完成した。大隅流の作った社を「春宮」、立川流の作った社を「秋宮」といい、現在もその当時の姿で下諏訪町に存在している。結果は立川流の評判が勝り、立川和四郎富棟の出世作となり、以後立川流は大隅流を圧倒し発展していった。」:立川流彫刻のサイトより引用。

(左)秋宮の鳥居前の手水舎。皆さんちゃんと作法を知っているのですね。彼女が彼氏にこうやるのよと教えているのも微笑ましい光景でした。「諏訪大社下社秋宮 境内ガイド」。(中)石造りの神橋を渡り境内へ。(右)神楽殿からは御祈祷(おはらい)の太鼓が。諏訪立川流の木彫が施された幣拝殿はこの後ろにあります。

 諏訪立川流和四郎富棟の名声を世に広めた幣拝殿。1781年(安永10年)建立。屋根が大きく下が小さな逆三角形の構図は、空(宇宙)に向かって飛び立つかの様な軽快感を覚えます。

 木彫は全体に施されていますが、目を引くのは幣拝殿最前部の柱に施された獅子と像の木彫です。立川流の特徴が凝縮された造作ともいえるものです。後に息子の富昌へとその技法は進化してゆき更に洗練されてゆきます。

 獅子のアップ。眼は翡翠がはめられているのでしょう。諏訪大社の祭神、建御名方命(たけみなかたのみこと)の母神である高志沼河姫の象徴。
『『万葉集』に詠まれた「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」(巻十三 三二四七 作者未詳) の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられ、沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王であるとみられる[1]。天沼矛の名に見られるように古語の「ぬ」には宝玉の意味があり、「ぬなかわ」とは「玉の川」となる。』by ウィキペディア
 と書いたのですが、友人の宮彫研究家から、あれは銅板ですとのメールが来ました。緑色は緑青の様です。残念ですね。翡翠なら古代へのロマンへと繋がったのですが。

 獅子と対をなす象の木彫。獅子が怒りの象徴であるとすれば、象は喜びや笑いの象徴だったのでしょうか。象は貘である場合もあります。貘は鼻が同じ様に長いのですが、耳が立っていて体毛があります。

 同時代の葛飾北斎に影響されたという波の木彫。激流をものともせず遡る鯉が彫られている見事な木彫です。

 幣拝殿内部の両脇障子は竹に鶴。その上部にも鶴。両脇には獅子。ため息が出るような素晴らしい木彫です。

(左)家紋の五根梶。諏訪大社の神紋は、上社では四根の諏訪梶・下社は五根の「明神梶」とされているのですが、例外があり混在している様です。理由は武士が台頭した時代にありそうです。「諏訪氏 梶の葉紋」で検索を。(中)巫女さんがお守りを販売したり御祈祷の案内をしています。(右)数あるお守りで私が買い求めたのは、薙鎌守(なぎがままもり)。大国主命の「福俵」、母神沼河姫の翡翠、諏訪特産の黒曜石を組み合わせたお守りです。

 下諏訪を散策しながら春宮へ。(左)道路の真ん中にある春宮に神橋。(中)駐車場が狭く観光バスも来ないので静かな春宮。(右)高島藩御用の宮大工村田長左衛門矩重(ともしげ)作(大隅流)の幣拝殿。

 木鼻の唐獅子。その上部を飾る持送り牡丹。秋宮の獅子と象と波の木彫と見比べると、その違いが際立って興味深く観られます。当時の庶民には秋宮の立川流の方が評判が良かった様です。しかし、大隅流が常に劣っていたということではありません。このブログの二つ前の記事「名宮大工棟梁・大隅流柴宮長左衛門矩重の木彫が圧巻! 千曲市戸倉の水上布奈山神社」にある様に、ある程度抽象化された木彫は、現代美術にも通じる様なセンスとコンセプトを感じます。

 両社とも人のいないカットを撮影するのは非常に困難ですが、早朝から訪れることをお勧めします。凛とした空気の中で参拝や散策ができます。しかし、両社とも杉の大木に囲まれていて、花粉症でグズグズになりながらの撮影でした(涙)。

(左)春宮からはすぐに有名な万治の石仏へ浮島神社を経て行くことが出来ます。画家の岡本太郎氏が絶賛したことで有名になった石仏です。(中)正面の写真は溢れていますが後ろ姿は初めてではないでしょうか。こんなです。(右)ノミを突き刺して血が出たという痕。なんだかなあです。岡本太郎氏の発見がなければ世に出ることはなかったでしょう。

(左)撮影は午前中で終えたので下社下の山猫亭はなれへ。11時過ぎで一番乗りでした。かけ蕎麦とデザートのそばちちを注文。蕎麦はしっかり締まったもので汁はあっさりめ。(中)実は一日五食限定のデザートのそばちちが目当て。美味しかったです。鳥居前の本店よりはなれがお勧めかな。(右)花粉症が酷くなって松本へ。モンベルで買い物をして一路19号を長野へ。長男の所で次男の大学卒業祝いと就職祝いの宴会。メインは牡蠣とナメコと椎茸とネギの味噌鍋。これは絶品。後にスープを足して中華出汁を加え煮込み味噌ラーメンに。これも絶品。奄美黒糖焼酎のれんとのお湯割りを呑みながら色々な話に興じたのでした。

 最後に諏訪大社秋宮の近くの山王ホテルの脇にある春霞に煙る展望台からの諏訪湖。古代科野国の始まりがここで生まれたことを想像しながら花粉症の涙目で色々と想いをめぐらしたのでした。
諏訪大社上社の探訪記事は、『藤森照信氏の神長官守矢史料館・高過庵・空飛ぶ泥舟と、諏訪大社上社前宮と本宮へ(妻女山里山通信)』をご覧ください。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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武田典厩信繁の墓と全国随一の大きさの閻魔大王像がある典厩寺探訪(妻女山里山通信)

2017-03-12 | 歴史・地理・雑学
 週末の午前中は、用事や買い物を済ませて武田の副将で、信玄の実弟・典厩信繁の墓と全国随一の大きさの閻魔大王像がある典厩寺(てんきゅうじ)へ。千曲川堤防の脇にあるため晴れていましたが寒風が厳しく春弥生というのに凍えながらの参拝と見学でした。

(左)松操山(しょうぞうさん)典厩寺山門と閻魔堂。(中)山門の額。拝観料200円を受付が無人なので皿に置いて中へ。(右)すぐ左手に閻魔堂。小学校低学年の遠足で訪れた時以来の訪問です。遠足の際は、そのあまりの大きさと怖さに泣き出した女子がいた記憶があります。
 頭部のみ千曲市稲荷山出身で後藤流の流れをくむ宮彫師・小林五藤(正名:小林佐太郎藤原茂高)の作。頭部のみという理由はこのの像を製作中に急逝したため。体は漆喰で、質感が異なります。また、造作も稚拙です。八代真田幸貫(ゆきつら)が川中島の戦いの8000人ともいわれる戦没者の供養のために建立したものです。宮彫師・小林五藤については、『北信濃寺社彫刻と宮彫師』の記事をお読みください。

 小林五藤制作の閻魔大王の頭部。子供が夜泣きしそうな迫力があります。閻魔は仏教、ヒンドゥー教における地獄、冥界の君主。冥界の王として十王とともに死者の生前の罪を裁く神。昔の子供たちは、嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるといわれたものです。悪いことをすると死んでから地獄に落とされるとも。

(左)左右から見るとそれぞれ表情に微妙な違いがあります。(右)天井には数多くの観音の絵。

(左)本堂。創建当時(1500年頃)は鶴巣寺(かくそうじ)と称し、合戦から60年後の承応3年(1654)に松代藩主の真田信之が武田典厩の名をとって寺号を典厩寺と改め、信繁の菩提と武田・上杉両軍の戦死者を弔ったといわれています。(中)信繁の首を洗ったという「首清め井戸」。(右)信繁の墓。真田昌幸は信繁の名を次男(真田幸村)に名付けました。

(左)枝垂れ桜のある境内。満開の際に訪れたいものです。奥に見えるのは奇妙山。(中)川中島合戦記念館。(右)入ってまず目を惹いたのは、狩野祐清の『大龍』。狩野祐清(狩野邦信)は、中橋狩野家十四代目。江戸生れ。初号は探秀のち祐清。狩野探牧守邦(鍛冶橋狩野六代目)の次男。のちに中橋狩野家十三代目永賢泰信の養子となる。天明7年12月13日生まれ。天保11年2月20日死去。54歳。号は探芳、祐清。朝鮮への贈呈屏風や江戸城西の丸の障壁画の制作などに参加。
 現在、日光東照宮の平成の大修理が行われていますが、宝暦の修理(1749~1753)に際して、それまであった牡丹唐草の絵を、狩野祐清が描き直した絵画が215年ぶりに公開されました。一般公開は未定。
日光東照宮「陽明門の壁面に宝暦年間の絵画出現」

 狩野祐清『大龍』部分図。

(左)信繁の着用した鎧の下着。(中)戦闘中に折れたという信繁の刀。(右)武田不動尊。

(左・中)信繁の鉄扇やら烏帽子やら。(右)上杉謙信の鉄扇。

(左)『甲陽軍鑑』大写とあるので木版本ではなく写本の様ですが、原本はなんなのでしょう。『甲陽軍鑑』の写本では、小幡勘兵衛が元和七年に筆写したという、「元和写本」が最も有名です。国語学者の酒井憲二氏がその研究の成果を『甲陽軍鑑大成』全七巻、汲古書院にしたためています。第四次川中島合戦の記述がある本文篇上と研究篇は、なかなか深く読み応えがあります。史料としての価値は低いという評価をくだされていたものは、主に何度も改変された江戸時代の木版本です。(中)山本勘助の宮(東福寺の小森地籍)とあります。ここは現在の南長野運動公園です。たしか敷地のどこかに現存するはずなので今度探してみましょう。(右)武田の火縄銃。長さ175センチ、重さ16キロとあります。

『永禄年間川中島大合戦之図』長野縣埴科郡松代町 調製者 佐藤袈裟治とあるのですが、いつ頃のどういう人か不明です。長野縣埴科郡は、1879年(明治12年)発足なので、それ以降のものでしょう。絵図では、武田別働隊が海津城から西条の入集落から唐木堂越を上り、鞍骨城の南を巻いて天城山方面から妻女山を攻撃した様子が描かれています。灰色が明治時代の千曲川の流路で、水色が戦国時代の推定流路です。結構的を得ていると思います。

 その妻女山の部分。右上が海津城。歴史的資料価値が高いものではありませんが、セロテープで貼り合わせて木ネジで板に止めてあるのはどうかと思います。民俗学的価値は高いので。他の展示品も玉石混交で随分と怪しいものもありますが、なにより保存状態が酷いのが気になります。真田宝物館とか歴史館とか専門の機関に移譲した方がいいのではないでしょうか。

 千曲川の堤防上から見る典厩寺全景。右奥に謙信、信玄ともに尊崇した飯綱権現の飯縄山。拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林でもそのことを記しています。上杉謙信の兜の前立は飯縄権現の白虎に乗った烏天狗です。

 千曲川の堤防上から海津城(松代城)、謙信の陣所といわれる陣馬平。本陣といわれる斎場山、妻女山(旧赤坂山)方面のパノラマ写真。

(左)その陣馬平の貝母(編笠百合)も大きくなってきました。4月の中旬には咲き出すでしょう。薬草ですが毒草です。(中)林道にヌルデの虫こぶが落ちていました(左)。葉や葉軸にある種のアブラムシが寄生し、ヌルデミミフシやヌルデハイボケフシなどの虫癭(ちゅうえい)ができます。このコブを「五倍子(ふし)」といい、タンニンを多く含み、黒色染料の原料になります。お歯黒にも使われました。白く粉を吹いていますが、酸塩味があるため、信州ではこれを煮詰めて塩の代わりにした地域があるそうです。
「足柄の 吾を可鶏山(かけやま)の かづの木の 吾をかつさねも かづさかずとも」(万葉集:詠人知らず)
 かづの木(ヌルデ)を男性にたとえ、私を誘ってくださいという歌。信州の春も少しずつ訪れ始めました。

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名宮大工棟梁・大隅流柴宮長左衛門矩重の木彫が圧巻! 千曲市戸倉の水上布奈山神社(妻女山里山通信)

2017-03-05 | 歴史・地理・雑学
 最高気温が10度を超えてやっと春めいた土曜日。千曲市戸倉にある水上布奈山神社(みずかみふなやまじんじゃ)を訪れました。きっかけは、友人の宮彫研究家のブログ「北信濃寺社彫刻と宮彫師ー天賦の才でケヤキに命を吹き込んだ名人がいたー」の2017年1月30日の記事を見たことにあります。ぜひ現物をこの目で見たいと思ったわけです。買い物ついでに車を走らせました。本殿は国の重要文化財であり、諏訪大隅流柴宮長左衛門矩重 (しばみやちょうざえもんのりしげ)の見事な木彫が施されています。

 正午ちょうどに神社へ。朱塗りの鳥居越しに見る本殿が収納された覆屋。鳥居との間に神橋があります。
 その歴史ですが、1603年(慶長8年)北国街道の整備により下戸倉宿が置かれた。これに伴い、諏訪大社から建御名方神(たけみなかたのかみ:大国主命の子)を勧請し、諏訪社として創建された。1789年(寛政元年)現在の本殿が建立。1835年(天保6年)水上布奈山神社に改称。1839年(天保10年)境内に飯盛女52名による燈籠が奉納される。(by wikipedia)布奈山は、万葉仮名で現在は船山で残っており、戦後聞く時代に名を馳せた舟山氏(船山氏)と深い関係にあります。以前、妻女山展望台で福島の船山氏と知り合ったことがありますが、先祖を調べていったら信州の船山と布奈山神社に辿り着いたと言っていました。

(左)本殿への右手、稲荷大明神の前にある燈籠は、下戸倉宿に働く飯盛女52名と旅籠屋主人が奉納したもので、台座に名前が刻まれています。飯盛女(食売女)とは宿場の宿で給仕や雑用をすると共に私娼として売春をも行っていた女性たち。(中)拝殿に参拝して裏の本殿へ向かいます。本殿は覆屋の中にあり、普段は施錠されていますが、隙間から見ることはできます。(右)本殿から拝殿方向。朱塗りの塀に囲まれています。

 覆屋の中に鎮座する一間社流造の本殿。見事な木彫が目を惹きます。

 両脇障子の上の見事な龍。(左)左の『下り龍』。(右)右の『上り龍』。諏訪立川流と比べると、堀が深く鋭く豪壮な感じで、写実性や具象性を残した立川流よりデザイン化されている意匠です。どちらも私は好きです。しかし、このインカ文明の遺物にも似たデザイン化、便化はどこでどうやって会得。あるいは創造したのでしょう。非常に興味があります。

 左右にある『海老虹梁』。非常にダイナミックな造形です。

 木鼻『獅子と獏』。獏は象だと思っていたのですが、最近これらには明確な違いがあることを知りました。鼻は双方とも長いのですが、目は象は三日月形で貘は丸く、象には体毛がなく貘にはカールした体毛があります。象の耳は垂れて大きく貘の耳は小さい。ただ当時ではどちらもほぼ想像の動物でしかなく、確実に分かって作り分けていたかは微妙なところです。

 本殿の正面。上には鳳凰。その下に二羽の鶴。

(左)左扉脇羽目の『拾得』。(右)右扉脇羽目の『寒山』。中国,唐代の隠者,詩人である寒山と拾得(じっとく)のことで、中国江蘇省蘇州市楓橋鎮にある臨済宗の寺・寒山寺に伝わる。
松岡正剛の千夜千冊『寒山拾得』久須本文雄寒山拾得は、日本人の琴線に触れるものがあるのでしょう。様々な絵師が描いています。
   一たび寒山に住みて 万事休す
   更に雑念の心頭に掛かることなし
   閑(しず)かに石壁に於いて詩句を題し
   任運なること還(ま)た 繋がざる舟に同じ(寒山)

 暖かな日で、境内では幼女が遊んでいました。二本の御柱が目を惹きます。後ろ髪を引かれつつ境内をあとにしました。

 翌日曜日は待ちに待った啓蟄(けいちつ)。土中や木の中の虫たちが這い出してくる季節の到来です。貝母の様子を見るために妻女山と天城山の中間にある陣馬平へ。(左)陣馬平の残雪もみな消えていました。(中)貝母(編笠百合)は平年並みの成長。昨年は2週間も早くゴールデン・ウィーク前に散ってしまいましたが、今年は4月20日頃に満開になると思います。(右)蕗もやっと出てきました。スギヨのビタミン竹輪とかき揚げにしましょう。

(左)陣馬平から下ろうとすると前方にニホンカモシカのシロがいました。拙書の85ページに彼女の夏毛の写真を載せていますが、まだ冬毛のままですね。最高気温が10度を越えるようになると冬毛がゴソッと抜けるので、今年は中旬頃でしょうか。(右)妻女山松代招魂社。ソメイヨシノの花芽がずいぶんと膨らんできました。黄色いダンコウバイが咲き始めると本格的な春の始まりです。

 妻女山展望台から望む善光寺平。曇っているのではなく春霞です。

 展望台から東の松代方面。確かひな祭りの人形の展示が街のあちこちで行われているはずです。あとひと月もすれば正面の奇妙山山麓の杏が咲き出します。そしてゴールデン・ウィーク頃にはあっという間に初夏へ。信州の春は短く駆け足で通り過ぎていきます。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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茶臼山からのパノラマ写真。妻女山陣馬平の貝母の芽吹き。春は名のみの 風の寒さや『早春賦』(妻女山里山通信)

2017-02-26 | アウトドア・ネイチャーフォト
 週末の土曜日はよく晴れました。買い物や用事のついでに茶臼山へ。しかし時間がなかったのでトレッキングはせずにいくつかのポイントでパノラマ写真や望遠写真を撮影しました。昨年は春の訪れが2週間も早く、残雪もなく蕗も出ていましたが、今年は例年並みで残雪もあちこちに見られます。地球規模的にいうと温暖化どころか小氷河期に向かっているとNASAも発表しています。

 信里小学校の近くの茶臼山登山口の駐車場から西方の眺め。一番奥に蓼科山。手前に塩田平の独鈷山や大林山の支脈にある岩井堂山(自在山)。麓の盆地は坂城町と手前に千曲市。左手前の里山は有明山。左手前の中腹に古代科野国の大王の眠るという森将軍塚古墳が見えます。

 同じ場所から引きのカット。中央の山は拙書でも紹介の五里ヶ峰。寒風もなくうららかですが気温は5度。手前の畑にあるのは冬越しのほうれん草でしょうか。甘みがのって美味しいでしょう。おひたしや胡麻汚しも美味ですが、ほうれん草のキッシュもいいですね。英国では紳士の食べるものではないといわれていますが、私は好きです。

 下ってレッサーパンダで有名な茶臼山動物園の脇からの善光寺平のカット。白いのは根子岳。右奥に深田久弥氏の個人的な百名山の四阿山。右に平成の大合併の前は長野市の最高峰だった保基谷岳。一番手前の薄灰色の木はリンゴです。共和の林檎は美味しいことで有名です。

 同じ場所から望遠カット。麓の中央には信州松代ロイヤルホテルの白いビルが。その右奥はあんずの里の東条。4月の上旬から中旬にかけては、桃源郷ならぬ杏源郷になります。

 更にアップ。今年の積雪は少なめですね。手前は奇妙山と東條氏の山城がある尼厳山。根子岳、四阿山と共に拙書で詳しく紹介している魅力的な里山です。『真田丸』など歴史ファンにもぜひ登って欲しい山なのです。

 右を見ると浅間山が噴煙を盛んにあげていました。白いのでこれは水蒸気ですね。噴火の前触れではない様ですが、東北沖大地震以降、日本は貞観仁和の地震多発期に入った様なので注意が必要です。兵器としての人工地震も既に開発されている様で、気が抜けませんね。

 茶臼山登山口の駐車場からのパノラマ写真です。8枚の望遠カットをフォトショップで合成しました。左に根子岳と四阿山。右へ保基谷岳や大松山。中央少し右に鏡台山。右へ沢山峠を挟んで五里ヶ峰。下に上信越自動車道の五里ヶ峰トンネルがあります。その手前の直線は北陸新幹線。一番右は冠着山(姨捨山)。善光寺平に広がる街は手前が篠ノ井。奥が松代方面。右が千曲市の屋代方面です。

 翌日曜日もよく晴れました。久しぶりに妻女山の奥へ。招魂社のある妻女山展望台までは車で行けますが、斎場山へはカーブが凍結してアイスバーン状態なので四駆スタッドレスでも登れません。(左)第四次川中島の戦いで上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたという陣馬平へ。(中・右)残雪もある中、貝母(編笠百合)が芽吹いていました。例年並みなので満開は4月の20日から下旬になると思われます。拙書でも紹介していますが、松代夢空間主催で私がインタープリターをしたハイキングが信信濃毎日新聞の記事になり、一面下の斜面で論説委員の方が紹介してくれたお陰で訪問者が激増しました。昨年や一昨年の私の4月のブログをご覧ください。それは見事です。4月の茶花でもあるので茶道を嗜むご婦人にも人気の花です。ただ薬草ですが、かなり強い毒草でもあるので持ち帰りは禁止です。

 その後、堂平大塚古墳へ。(左)日当たりの良い斜面に咲くオオイヌノフグリで吸蜜するハナバチ。オオイヌノフグリは花が小さく蜜も少ないのでハチもせわしなく飛び回り、同定できるカットが撮影できませんでした。でも確実に小さな春ですね。(中)アブラナ科のタネツケバナの一種。本当に小さく草高は4センチ位でしょうか。花はオオイヌノフグリよりもずっと小さい。個体による変異が激しく同定が難しい植物です。(右)シソ科のヒメオドリコソウも咲き始めていました。同じシソ科のホトケノザは花が上に立つので区別がつくのですが、拙書の髻山の写真のキャプションでは不覚にも間違えてしまいました。

(左)水仙も芽吹いていました。これをニラと間違えて誤食し死亡した例もあります。山野草の採取にはご注意を。(中)コナラのドングリが根を張って実生になりました。ここから大木になれるかは神のみぞ知る厳しい道程です。(右)だんご3兄弟ならぬ福寿草三兄弟。

 最後に妻女山展望台から松代方面のカット。少しずつですが短い信州の春も確実に訪れつつあります。啓蟄を過ぎると山蕗が顔を出し、ダンコウバイも咲き始めます。節分草は3月下旬でしょう。信州の春は短く、あっという間に初夏になるのですが、梅、杏、桜、レンギョウ、山桜、林檎と咲き抜ける賑やかな春はもうそこまで来ています。

~早春賦~ 倍賞千恵子 『尋常小学唱歌』の作詞委員会代表であった吉丸一昌が、長野県大町市、安曇野あたりの早春の情景をうたった歌とされる。


『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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村上春樹さんのジャズ喫茶 - 『国分寺・国立70sグラフィティ』目次 [CONTENTS]
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2ヶ月ぶりに謙信と貝母の群生地の陣場平へ。福寿草の咲く堂平大塚古墳へも。ウスタビガの繭のストラップ(妻女山里山通信)

2017-02-18 | アウトドア・ネイチャーフォト
 週末の土曜日、午前中はどんよりとした寒い曇り空でしたが、昼ごろから晴れてきたので久しぶりに妻女山奥の陣場平と堂平大塚古墳に行ってきました。妻女山への舗装路は、高速をくぐった上杉謙信槍尻の泉のカーブが凍結しています。毎年このカーブで立ち往生してレッカー車のお世話になる観光客がいます。それも真冬でなく、3月が多いのです。

(左)妻女山の駐車場の上にある妻女山里山デザイン・プロジェクトの仲間とやっている椎茸栽培。採り残した小さなものは凍っています。(中)林道のカーブは、こんな感じで凍結してつるつるです。轍の跡が特に危険です。(右)やっと長坂峠。正面には斎場山(旧妻女山)。謙信の本陣跡と伝わる山で、山頂は円墳なので円形で平らです。現在の妻女山は、本来は赤坂山といいます。

(左)長坂峠から見る善光寺平。平地の日向には雪はありませんが、日陰には残っています。戸隠連峰や飯縄山は雪雲に隠れて見えません。(右)長坂峠から陣場平に向かいます。尾根の南面や西面には残雪がありません。

 上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたという陣場平。落葉松林の影になるため残雪があります。2014年の豪雪の年はもっと残雪がありました。2015,2016年は残雪がなく、蕗の薹がもう出ていました。今年は遅そうです。貝母(編笠百合)の芽が出るのも遅いかもしれません。4月中旬過ぎの満開の光景が待ち遠しい。

(左)ヤマコウバシの枯れ葉が残る林道を、堂平大塚古墳に向けて下っていきます。(中)横穴式の堂平大塚古墳。(右)その隣りにある今は亡き山仲間のKさんのログハウスへ。アールグレイティーを入れて午後の紅茶タイム。BGMは小鳥のさえずり。

 ログハウスから見る千曲川と西山の風景。千曲川に掛かる橋は手前から国道18号、しなの鉄道、北陸新幹線。手前は上信越自動車道。千曲川に冬の渡り鳥の鴨が全く見られないのが不気味です。

(左)古墳に咲く福寿草。春を告げる可愛い花ですが毒草です。昨年は出ていた山蕗はまだ出ていません。(中)陣場平へ戻ります。(右)帰路は林道ではなく昔の山道へ。イノシシが掘り起こした跡。そんなに大きな個体ではない様です。

 妻女山の駐車場に戻って、林道倉科坂線から見る松代方面。拙書でも載せている尼厳山や奇妙山の残雪も随分と少なくなりましたが、まだまだ寒い日が続きます。信州の本格的な春はもう少し待たなければ訪れて来ません。そして春は短く、あっという間に初夏になります。

 以前、妻女山で出会った信州出身で横浜在住の男性からウスタビガの繭のストラップがたくさん送られてきました。最初に出会った時に、天蚕の繭を集めて布を織っている話や、ウスタビガの繭を集めてフクロウのストラップを作っているという話を聞いたので、ウスタビガの繭を集めておきました。昨年の12月のある日に妻女山で再開したのですが、用事があって帰らなければならず、繭を見つけに行くという彼とは別れたのですが、家に帰って集めておいたウスタビガの繭を彼の車のバックミラーに下げておいたのです。
 後日お礼の手紙が来て、今回大量のストラップが届いたのです。これは可愛いですね。感激しました。色々な人に配ってくださいということなので、友人や職場の女性たちなどにプレゼントしようと思います。フクロウは、日本では「福来郎」「不苦労」などといって幸福の象徴ですが、欧州では知恵や賢者の象徴として愛されています。英国では、「森の守り神」として知性の象徴とされています。映画「ハリーポッター」シリーズには毎回ふくろうの郵便が来ましたね。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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手作り信州味噌の仕込み。挽いて丸めて投げつけて叩いて仕込む。(妻女山里山通信)

2017-02-12 | 男の料理・グルメ
 雪も舞う厳寒の土曜日に待望の味噌の仕込みをしました。思えば昨年の6月に一反の畑に大豆を蒔いて、草取りしたり収穫したり脱粒したり選別したりして、やっと8ヶ月目に味噌の仕込みとなりました。薪ストーブをガンガン焚いての作業でしたが、シャッターを開けなければならず、寒いので皆重装備で。

(左・中)前日の夜に大釜でK氏とS氏とで大豆を茹でました。満月が昇っています。(右)仕込み当日の土曜は、最低気温がマイナス9度、最高気温が2度の寒い日でした。妻女山展望台から見る松代城方面。

(左)大釜の大豆は、非常に柔らかく煮上がっていました。そのまま食べても美味です。(中)それを味噌作り名人のおばあちゃんと30キロの大豆で物々交換した大豆を挽く機械で潰していきます。(右)こんな感じでモンブランの様な大豆が続々出てくるのです。シンプルですが、なかなか優れもの。

(左)バットにとった大豆に塩麹をまぶします。この麹もK氏が米から自作したものです。(中)これをまぶして練っていきます。(右)練上がったら玉にして仕込む容器に投げ入れ、押し付けて空気を抜きます。

(左)こんな作業が延々と続きます。(中)この機械で挽肉も挽けるでしょうか。なにか他にも使えそうですが。(右)塩麹が足りなくなったので作っています。

(左)メンバーの分は樽に仕込んで、その他にジップ付きのビニールパウチにも仕込んでいきます。これらはサブメンバー用や贈答用になります。(中)エタノールで殺菌します。(右)12袋できました。一応出来上がりはお盆の頃ということです。楽しみです。新味噌はコウナゴをまぶして熱々ご飯にのせて食べると超美味です。焼きおにぎりも美味そうです。

(左)昼はK氏手作りの幻の小麦イガチクオレゴンで打った手打ちうどん。具は豚バラ、鶏もも、信州人のソウルフード・スギヨのビタミン竹輪、じこぼう(ハナイグチ)、長ネギ。そこへ二人が見ていない間に大豆をお玉一杯入れました。(右)丼にうどんをよそい、私が持参した長芋をとろろにして載せ、生卵を月見に。馬鹿旨で二杯食べましたが、お腹いっぱい。体もポカポカ温まりました。来るはずだったN氏(どこに行ってたのかな)と私の長男が欠席で、うどんが余ってしまいました。結局わたしが鍋ごと持ち帰りました。
 次回は3月に豆腐作りをする予定です。湯葉や豆乳、厚揚げや油揚げも考えています。豆腐は、絹ごしの様なやわなものではなく、島豆腐の様な密度の高いしっかりしたものをと考えています。ざる豆腐もいいですね。塩麹が大量に余ったので分けました。トロトロの塩麹を仕込んで、豚バラ肉や鶏肉を漬け込み冬野菜と共に蒸し料理にすると絶品です。

 翌日曜日はうって変わって晴天。千曲川左岸から見る右の高みが斎場山(旧妻女山)。山頂は上杉謙信の本陣と伝わる古代科野国の円墳です。左の低い高速道路に削られたのが現在の妻女山(旧赤坂山)。展望台と戊辰戦争の戦没者を祀った妻女山松代招魂社があります。大きな駐車場があります。ここから鞍骨城跡や鏡台山へのルートがあり、拙書でも詳しく紹介しています。

 その妻女山展望台から見る松代城方面。上信越自動車道の松代パーキングエリアの奥辺りが松代城跡。『真田丸』で観光客やハイカーが増えた松代の向こうにそびえるのは、左から東条氏の尼厳山。右へ奇妙山。雲がなければその右奥に根子岳と四阿山が見えます。右へ大松山、保基谷岳、ノロシ山。手前に皆神山。右手前の長い尾根は象山。

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『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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長野県立屋代高等学校24回生、一応最初で最後の同窓会 in ホテルメトロポリタン長野(妻女山里山通信)

2017-02-05 | 展覧会・イベント・コンサート

 2月4日土曜日。快晴の午後にホテルメトロポリタン長野で行われた屋代高等学校24回生同窓会へ。車だと30分で行けるのですが、飲酒をするので長電バスとしなの鉄道で1時間かけて行きました。写真は長野駅と隣接する同窓会宴会場のホテルメトロポリタン長野。接続の関係で40分ほど早く着いたので、東急の別館にある平安堂書店へ。レジの横にある「信州の本のコーナー」に拙書もありました。

 会場の宴会場「浅間」へ。92名と参加者も多いので2グループに別れて記念写真。45年ぶりに会う人が大半で名札を見ても誰が誰やら思い出せません。中国のことわざに「人は平等に年を取らない」というのがあるのですが、それを実感しました。

 まず実行委員長の N氏の開会に到る大変だった経過の説明と開会の挨拶。そして恩師の K先生とM先生への記念品の贈呈が学年でたった3人しかいなかった女学生のうちの二人によって行われました。実は記念品の中には拙書も入っていました。これは私からの贈呈ではなく、同じ美術班だったK君からのものです。宴会の後で両恩師から拙書のことについて色々聞かれました。

 恩師のK先生とM先生の挨拶。K先生は3年の時の担任でした。M先生は、現役を退いてからパソコンの講師をされているそうで。第二の人生の素晴らしさを語ってくださいました。K先生からは、50週年の会もぜひとのご提案もありました。

 元美術班の仲間のA氏の音頭で乾杯。宴が始まりました。料理は中華です。酒はビールに始まり、日本酒、赤ワイン、焼酎など。

 とにかく45年ぶりに再開するクラスメイトもいるのですから。記憶を呼び起こすのに大変です。そんなだろうと私は昔のアルバムを持っていきました。皆席を立って思い思いの場所で歓談。

 話しているうちに昔の記憶が蘇ってきます。近況報告のコーナーがあり、私が最初に指名され拙書の紹介をさせていただきました。やはり同窓会ということで、一般の方とは反応が違いましたね。書店で名前を見つけて買ってくれた人や。お前頑張ってるなあとか、大活躍だなとか、トレッキング一緒に行きたいなとか、同窓生ならではの嬉しい反応でした。

 最後には実際には歌うことが少なかった「勝利の讃歌」や思い出深い「校歌」を全員で熱唱しました。最後に開催に向けて本当に尽力をつくしてくれた実行委員長と副委員長からの挨拶で閉会。我々は美術班を中心に二次会へ。更に盛り上がったのです。

 記念写真その一

 記念写真その二

 高校一年の私がいたクラスの写真です。

 高校二年の私がいたクラスの写真です。

 高校三年の私がいたクラスの写真です。

 当時の屋代高校の空撮写真。陸上のトラックの中にあるのはハンドボールのコートです。大正12年に建てられた県下で初のコンクリートの本校舎。古い木造校舎。藻が繁殖して緑色のプール。臭い部室の長屋。夏は暑くてたまらなかったプレハブ校舎。スプリングのついた畳の柔道場。あまり行った覚えのない図書館。いつもそこにいた美術室と音楽教室。美術班の部室もその端っこにありました。校門まで並木がありましたが、現在は403号まで学校の敷地です。並木沿いには老夫婦がやっている小さな店があり、夏のビニールパックに入った冷やし中華は人気でした。

 現在も持っている人は少ないと思いますが、当時の屋代高校のスクールカードです。校章は平和の象徴の二羽の鳩が向かい合っているもの。よって鳩校とも呼ばれました。

 修学旅行で京都奈良へ行った時の清水寺での記念写真。6人のバスガイドさんがいることから6台の観光バスだったことが分かります。ひとクラス40人で6組でしたから。しかし清水寺の石段で記念撮影なんて他の観光客もいたのに大胆な行為でしたね。私は二列目のど真ん中にいたのでわかりますが、最後列などは誰が誰やら全く分からない記念写真です。

 鳩祭で恒例の女装パレード。学校から屋代駅までを往復しました。今もやっているんでしょうか。度胸を鍛えるなんていわれましたが、農村には女装する祭が各地にあるので、その流れかもしれません。近隣の住民や女子高生が大勢見物に来ましたね。

 私が所属していた美術班の面々。顧問の先生を囲んで。右はサッカーゴールの中でのカット。我々の学年は、制服の着用の自由化を提案し、それを実現するなどなかなかアクティブなメンバーが揃っていました。自由で自主的な発想の持ち主が多かった様に思います。



 美術班の記念写真。ちなみに掲載の油絵は右の写真のメガネを掛けているK君の力作。右は美術教室の中。デッサンが飾ってあります。後ろ向きに油絵のキャンバスも。後ろのストーブで闇鍋を作って食べるのが美術班の伝統でした。時にとんでもないものが入っていました。ベルボトムのジーンズとかタートルネックのセーターとか懐かしいですね。天地真理や南沙織全盛の時代ですが、私たちはピンク・フロイドなどのハードロックや、ちょっと背伸びしてジャズをよく聴いていました。フォークソングも盛んでしたね。サッカーゴールにぶら下がっちゃーいけませんね。青春していました。私の70年代の美大時代のエッセイは、『国分寺・国立70Sグラフィティ【村上春樹さんの国分寺ピーター・キャット】』でお読みいただけます。
 母校の現在はスーパーサイエンスハイスクールの指定も受け、中高一貫教育も行われています。全国「知の甲子園」で優勝と準優勝を独占、国公立大学の合格者は県内トップなど、後輩たちも大活躍している様で、OBも益々頑張らないといけませんね。二次会は美術班の面々を中心に築地市場食堂へ。締めはらぁめん みそ家で(信州人は信州味噌を使った味噌ラーメンが大好きです)。実に楽しい一日でした。

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信州の鎌倉塩田平へ。真田昌幸・信之も信仰した塩野神社。戦没画学生慰霊美術館「無言館」(妻女山里山通信)

2017-01-30 | 歴史・地理・雑学
 1月最後の日曜は久しぶりによく晴れて気温も緩みました。以前から行きたいと思っていて叶わなかった信州の鎌倉と呼ばれる塩田平の拙書でも紹介している独鈷山の麓にある由緒ある寺社や美術館巡りに出かけました。

 国道403号を西へ。土口水門から千曲川越しに見る仁科三山。左から爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、右に山頂だけ見える五竜岳。千曲川の濃い青が印象的ですが、今年は鴨がほとんど見られないのが気がかりです。

(左)(中)まず最初に訪れたのは、中禅寺。仁王堂の金剛力士像。平安時代後期、平清盛の発願で作られたとか。(右)中禅寺薬師堂。中尊寺金色堂と同じ阿弥陀堂様式で、鎌倉時代初期の建造で関東中部で最古の木造建築です。本尊の薬師如来坐像、木造神将立像とともに国の重要文化財に指定されています。ということは、金剛力士像の方が古いのですね。

(左)次に向かったのは、真田昌幸・信之も信仰した塩野神社。杉並木の奥に佇む本殿。(中)神社の配置図。(右)特に名称はなかったのですが、中には昔に御神木だったと思われる欅の大木の根元部分と、花火を打ち上げるのに使われた大筒が。

(左)上諏訪社。(中)下諏訪社。(右)独鈷山から流れる清流に神橋の太鼓橋。近所から春の例祭の練習でしょうか、軽やかな太鼓の音が聞こえてきました。

 珍しい二階建ての楼閣造の拝殿と奥に流造の本殿。祭神は、素盞嗚尊(スサノオノミコト)・少名彦命(スクナヒコナ)・大己貴命(オオナムチノミコト:大国主命)。拝殿は棟札により寛保3年(1743)。本殿は寛延3年(1750)棟札。大工は上田房山の大工棟梁、末野忠兵衛。
 創立年月は不明。当初鎮座の地は独鈷山(1266m)の鷲ケ峰に祀る。現在も奥社が鎮座。白鳳元年4月出雲大社より分霊を勘請。永禄11年(1568)4月武田信玄社領十貫文。天正15年(1587)真田昌幸七貫文を寄附。元文年間(1736-41)塩野の本号に復帰。明治6年44月村社。明治28年9月郷社。明治40年神饌幣帛料供進社。

(左)(中)本殿の両妻面には天女の木彫が施され、妻の虹梁には雲の文様彫刻が見られます。風雪でかなり傷んではいますが、所々に丹塗の赤が見られます。本来は朱色の社だったのでしょう。(右)右の脇障子には竹に虎、左には牡丹に唐獅子。その上の尾垂木には竜の彫刻が施されていますが、この竜が脇障子の上の鉢木を飲み込むという珍しい意匠になっています。

(左)(中)本殿手前の右には白山社、山の神、天満宮社、竜王社などの石祠が。これは南方熊楠が猛反対した明治政府の悪政、合祀令の結果でしょうか。(右)本殿右の建物の内部。

(左)溜池の塩野池から見る拙書でも紹介の子檀嶺岳。山頂は真田の山城です。(中)その先の龍光院へ。弘安五年(1282)塩田城主北条陸奥守入道道祐(北条国時)によって父義政公の菩提を弔うために建立された古刹です。黒門の大欅は幹周り702センチで上田市の指定保存樹木となっています。(右)山門をさらに30mほど登ると、北条義政の慰霊の石塔があります。

(左)龍光院の山門右手に建つ羅漢堂。1282年塩田城主であった北条国時が父・義政の菩提を弔うために龍光院の前身・仙乗寺を開創したのに始まり、1601年龍光院と改め曹洞宗の寺院として再興されたということです。(中)本堂内部。(右)狩野永琳作の屏風。紙本花鳥人物屏風。四季の花鳥と七賢人が六曲一双の十二枚に描かれた大作で永琳の代表作です。永琳は明和4年(1767)前山の保科弥惣右ヱ門の二男として生まれ、江戸の狩野法眼永徳の門に入り類まれな才能を発揮し、師の信頼が厚かったそうです。師に代り京都御所の龍を描き、その完成間際に同門にねたまれ、文化5年(1806)に毒殺されたと伝えられています。

(左)次は独鈷山の一支脈である弘法山の北山麓にある塩田平に鎌倉文化を築いた北条義政(1242-1282)の居城といわれる塩田城跡へ。戦国期は、村上義清が福沢氏をおいて東信濃を統治させていたといいます。中世城郭としては長野県で最大級だとか。(中)発掘調査が行われた居城跡。発掘品は「塩田の館」で見ることができます。(右)三島社。

(左)未完の三重塔で有名な真言宗智山派 独鈷山(獨股山)前山寺(ぜんさんじ)。創建は、弘仁年中(810~823年)弘法大師によるといわれています。未完の三重塔は、前山寺のサイトには、「塔の建立年代は、資料がないのではっきりしないが様式上は室町時代の初期と推定されている」とあります。(中)趣のある本堂。(右)本堂内部。予約すれば名物のくるみおはぎが頂けます。

 三重塔は、国の重要文化財。和様・禅宗様の折衷様式。逆光になりますが、背景に独鈷山を借景に観るのが趣があって好きです。

(左)ちょうど正午になり、住職が鐘をつきに来ました。荘厳な鐘の音が幾度も塩田平に響いていました。(中)三重塔の双輪。(右)未完の塔といわれる理由ですが、写真の赤い矢印の箇所に何かを敷設するための切込みが見られることから。さらにその下に突き出ているのは、回廊を作るためのものだったと思われます。建造が中止になったのは、鎌倉幕府の滅亡と関係があるのではと私は考えています。

(左)そして、以前から訪れたいと思っていた戦没画学生慰霊美術館「無言館」。(中)戦没画学生の名が刻まれた記憶のパレット。左奥の山は独鈷山。(右)2008年に開館した第二展示館「傷ついた画布のドーム」。ドームの天井に貼られた習作のデッサンが印象的でした。ゆっくりと1時間ほどかけて鑑賞しました。湧いてきたのは哀しみよりも静かで強い怒りでした。己の利益しか考えない戦争屋により、夢や命を理不尽に奪われた若者たち。小4の漢字も書けないでんでん馬鹿首相が、ジャパンハンドラーズの手先となって日本を戦争に巻き込もうとしている現在は本当に危機的な状況です。どんな理由があろうが戦争で幸せになる人などいるはずもないのです。「無言館」ぜひ訪れてください。
一度だけでも見てほしい 信州上田「戦没画学生慰霊美術館 無言館」

 無言館から見る拙書でも紹介している山々。左から烏帽子岳、東篭ノ登山、西篭ノ登山、水ノ塔山、高峰山、黒斑山、浅間山。

(左)無言館第二展示館「傷ついた画布のドーム」庭の絵筆がはめ込まれたモニュメント。赤いペンキのわけ。右下にあるのは「開かないポスト」。(中)モニュメントの裏。(右)無言館から塩田平を望む。

 最後は、生島足島神社へ。月末ですが、初詣の善男善女が大勢参拝に訪れていました。
初詣は、信州の鎌倉・上田市塩田平の生島足島神社へ(妻女山里山通信)境内の詳しい説明も。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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味噌作りのために、大雪の日に大豆の選別作業に勤しむ。昼餉はおしぼりうどん(妻女山里山通信)

2017-01-15 | 男の料理・グルメ

(左)12月11日の記事「一反の畑で栽培した大豆を脱粒。雪も舞う寒い日でしたが鯛飯と天然キノコ入けんちん汁で温まる(妻女山里山通信)」で、脱粒した152キロの大豆を選別する作業のために、降りしきる雪の中をK氏の農業倉庫へ向かいます。(中)各自ザルや箕(み)を使って不良大豆やゴミを取り除いていきます。(右)良品の多いものはザルでゴミを取り除き、不良品の多いものは箕で逆にいいものを取り出していきます。

(左)なかなか根気のいる作業で、思う様に捗りません。(中)そんなこんなで昼餉の時間。私が持ってきた長芋で、 S氏が作った酒粕と私が持ってきた岩塩でまず和物。もうひとつはキムチのタレを和えて。メインは埴科更科の名物郷土料理の「おしぼりうどん」。うどんはK氏自家製の幻の小麦、イガチクオレゴン。大根はこれも手作りのねずみ大根。あまりにも美味しくて夢中で食べたため写真を撮るのを忘れてしまいました。写真やレシピはリンクを別タブで開いてご覧ください。(右)午後に入り皆コツも掴めてきて進捗状況も芳しくなりました。

(左)黙々と作業が進みます。というわけでもなく適当に世間話などをしながら。(中)外は大雪ですが、薪ストーブのある屋内は温かい。(右)用事やらで次第に帰っていき、最後の5時まで作業を続けたのは私と息子とK氏。(右)さて帰ろうと外に出ると車は雪に埋まっていました。気温はマイナス6度! ガチガチに凍ったウィンドウの雪を溶かし、まず温泉へ温まりに。ちなみに長野県では車のルーフに雪を積んだまま走るのは完全に違法行為です。スキー帰りの首都圏の車がよくやっていますが、事故ったら事故を誘発したら確実に罰せられます。ブレーキングで自分の車のフロントガラスに落ちて視界ゼロになることもあります。ルーフの雪は必ず落としましょう。

(左)次に夕食は、篠ノ井の消防署の向かいにある中華料理の「紅日香(ベニコウ)」さんへ。息子は看板メニューの排骨湯麺(中)を。私は生唐辛子ピッキーヌ仕立ての地獄辛味噌ラーメン(右)を。辛さは店主おすすめの3で。プラス餃子をいただきました。雪の夜なのにお店は賑わっていました。排骨湯麺は五香粉の香りが香ばしい排骨とよく合います。地獄辛味噌ラーメンは、地元の宮入醸造の農林水産大臣賞を受賞したマルミヤみそ。このスープが大変美味でした。ベースはグラグラ煮立てる白湯(ぱいたん)ではなく、透明な清湯(ちんたん)だとか。味噌は中島新聞店で買えます。餃子もおすすめ。担々麺や酸辣湯麺や珍しい野沢菜ラーメンも食べてみたい。

 翌日も雪。買い物や色々用事があり、午後には外出しなければなりませんでした。まず妻女山松代招魂社へ。前日の轍がありました。林道入口へ行ってみると、誰かの足跡が続いていました。斎場山へ登ったのでしょうか。晴れれば動物たちも動くのでアニマル・トラッキングも楽しいのですが。気温はマイナス4度。

 旧赤坂山の妻女山展望台へ。除雪はしてありませんがスタッドレスなら登れます。まず西の展望。茶臼山も北アルプスも見えません。眼下の国道403号は雪がない様に見えますが、シャーベット状の雪があって危険な状態です。皆さん2車線の道では40キロ、狭い道では30キロか20キロで運転しています。明朝はマイナス8度の予報なので、凍結路面必至です。安全運転を!

 北の展望。千曲川の向こうに南長野運動公園。左に長野オリンピックスタジアム、右にAC 長野パルセイロのホームスタジアム。オリンピックスタジアムの左は、第四次川中島合戦の戦場ということで合戦場という地名が残っています。

 東の展望。松代城方面です。真田幸隆に攻略された東條氏の尼厳山もその右の奇妙山も雪雲に霞んでいます。眼下の上信越自動車道と長野自動車道は、チェーン規制がかかっています。

 買い物や用事の後に温泉へ温まりに。見上げる古代科野国の初代の大王の墓といわれる森将軍塚古墳。東日本随一の巨大な石室をもつ大きな前方後円墳です。麓には石室が再現された古墳館と長野県立歴史館があります。
 雪模様は火曜日の昼まで続きそうですが、その後晴れて18日(水)の朝の最低気温がなんとマイナス19度という信じられない予報です。外れることを祈ります。

 ところで忘れていたのですが、8日に真田幸隆、昌幸の眠る真田郷の長谷寺(ちょうこくじ)に参拝した折に御屠蘇をいただいてきたのです。御屠蘇というのは、元旦に飲む日本酒のことではなく、大晦日にいただいた屠蘇散を日本酒や味醂、赤酒に浸し、元旦に飲むものです。いただいた屠蘇散の成分は、白朮(びゃくじゅつ)、肉桂、桔梗、山椒、防風、陳皮、丁子です。中国三国時代の魏の名医華陀(かだ)の処方といわれています。古代中国の薬酒ですね。日本には嵯峨天皇の時代に唐の蘇明が唐蘇白散と称する霊薬として伝え、健康を祈念する行事として広まっていったということです。後日いただきましょう。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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真田幸隆と昌幸が眠る長谷寺、信綱の信綱寺、国楽館戸倉ホテル、姨捨駅、長楽寺(妻女山里山通信)

2017-01-09 | 歴史・地理・雑学

(左)昨秋、仲間と砥石城跡に登ったのですが、その時に行けなかった寺院巡りをしました。まず腹ごしらえにと、十割手打そば処福田へ。(中)天ぷら付もり蕎麦。をいただきました。青木村産のタチアカネの玄蕎麦を石臼で自家製粉した十割蕎麦です。蕎麦湯も飲んで満足して長谷寺へ。(右)真田山種月院長谷寺(ちょうこくじ)。連休なので参拝者が次々に訪れていました。『真田丸』のブームはまだ続いています。

(左)大きな藁馬(わらうま)。絵馬が奉納されています。(中)本堂内部。可愛い招き猫のおみくじがあったので求めました。大吉でした。(右)中央が真田幸隆、右に真田昌幸、左に幸隆の正室の恭雲院の墓。

(左)墓所全体の様子。後から来た地元のご婦人が、綺麗になったと、昔はもっと荒れていたと言っていました。(中)新しく立てられた真田信繁(幸村)の慰霊碑。賽銭は皆、六文銭の形に並べて置いてありました。私も囲いの上に並べてきました。(右)右脇にある石仏。

(左)次に、真田幸隆の長男の真田信綱が眠る大柏山信綱寺(しんこうじ)へ。そこから見上げる真田本城。(中)桝形から少し登って黒門。(右)その脇にある線刻の馬頭観音。ヒンドゥー教の最高神であるビシュヌが馬の頭に変化して敵を倒したとされる神話が起源。

(左)黒門からは、村上義清の砥石城跡が見えます。(中)楼門。(右)本堂。信綱の墓所は、右へ回ってコンクリートで舗装された急な細い道を登ります。

(左)真田信綱の墓。天正2年(1574)5月に幸隆が亡くなり家督を継ぎましたが、天正3年(1575)5月21日の長篠の戦いにおいて銃撃に遭い弟の真田昌輝と共に戦死しました。そして昌幸が家督を継ぎました。(中)楼門の四隅には獅子の木彫が。(右)上田に戻り柳町の旧北国街道沿いにある天然酵母のパン屋さんのルヴァンへ。以前、調布市のつつじヶ丘に工場があった頃は、小さな息子を連れてよく買いに行きました。息子を連れていったのは、必ずおまけをたくさんくれるからです。今回は大きなカンパーニュを買いました。前日のものなので割り引いて540円でした。ここのパンは本当に美味しい。有毒の柔軟剤を使っていないので、しばらく置くとカチカチになりますが、霧を吹いて蒸すと柔らかくなります。

(左)もう少し回りたかったのですが、雨が降ってきたので早めに新年会が行われる戸倉上山田温泉の国楽館戸倉ホテルへ。(中)レトロな昭和の雰囲気が漂う和室。和みます。(右)源泉かけ流しのお風呂。露天風呂のある風呂もあり、日替わりで男湯と女湯が入れ替わります。飲用もできます。次々に仲間が訪れ、N氏は手作りの野沢菜のおやきを持ってきてくれましたが、超絶美味でした。

(左)皆揃って宴会の始まり。今回は日本酒は初めだけにして焼酎をメインに。黒霧島、二階堂、いいちこを飲みました。それとK氏とS氏が作ってきたどぶろくを2本。こういうわがままができるのも、ここの主人が高校の同級生だからなんです。(中)食事はお膳で郷土会席料理。これにさらに大きなブリのカマ焼きがつきました。ボリューム満点です。左にある信州の郷土料理の鯉こくも美味。まず右下のとろろ蕎麦でお腹を満たします。よく食べて飲みました。会話のレベルは非常に高く専門的で、いつもいい情報が得られます。(右)朝食。これで酒代も入れて15000円弱とリーズナブルです。お土産に六文銭まんぢうと干支の絵が描かれた湯飲み茶碗を頂くのも恒例です。

(左)翌朝の千曲川畔にある駐車場から見る温泉街。(中)そのまま直帰もつまらないのでスイッチバックで有名な姨捨駅へ。松本行きの普通列車が、長野行きの快速列車の通過待ちをしていました。快速列車の運転手は若い女性でした。近所に勤めている女性がいるのですが、もしかしたら彼女かな。(右)ホームのベンチは善光寺平方面を向いています。日本三大車窓の絶景が有名ですが、ガスがかかって何も見えません。ここからの夜景は、それは見事です。ぜひ映画やアニメで使ってください。駅前には駐車場はないのですが、長野方面に200mほど行った三叉路の先に姨捨駅専用駐車場があります。またホームへは無料で入れます。

 普通列車は年配の男性が運転手で、若い男性が車掌でした。列車勤務はトイレにも行けないし、変速シフトだし、必ずしも土日や祭日が休みではないので、大変だろうなと思います。人の命も預かっていますしね。2015年の時と異なり、今回は撮り鉄はいませんでした。不景気が原因ですかね。
姨捨駅の上の姨捨SAのさらに上にある403号の千曲川展望公園からの善光寺平暮色

 次に訪れたのは、駅の下にある姨岩のある長楽寺。2015年の初詣は息子達とここに参拝に来ました

 最後に妻女山展望台へ。茶臼山も北アルプスも見えません。完全に上雪(かみゆき)でこちらは雨降りだった様です。松本や飯田の方が積雪がありました。しかし、冬の本番はこれからです。酉年は、過去に天変地異が多く発生しているというデータもあるそうです。平穏な年であるといいのですが。政治的には国民の生活や命を粗末にする現政権が完全崩壊するといいなと思います。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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