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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

味噌作りのために、大雪の日に大豆の選別作業に勤しむ。昼餉はおしぼりうどん(妻女山里山通信)

2017-01-15 | 男の料理・グルメ

(左)12月11日の記事「一反の畑で栽培した大豆を脱粒。雪も舞う寒い日でしたが鯛飯と天然キノコ入けんちん汁で温まる(妻女山里山通信)」で、脱粒した152キロの大豆を選別する作業のために、降りしきる雪の中をK氏の農業倉庫へ向かいます。(中)各自ザルや箕(み)を使って不良大豆やゴミを取り除いていきます。(右)良品の多いものはザルでゴミを取り除き、不良品の多いものは箕で逆にいいものを取り出していきます。

(左)なかなか根気のいる作業で、思う様に捗りません。(中)そんなこんなで昼餉の時間。私が持ってきた長芋で、 S氏が作った酒粕と私が持ってきた岩塩でまず和物。もうひとつはキムチのタレを和えて。メインは埴科更科の名物郷土料理の「おしぼりうどん」。うどんはK氏自家製の幻の小麦、イガチクオレゴン。大根はこれも手作りのねずみ大根。あまりにも美味しくて夢中で食べたため写真を撮るのを忘れてしまいました。写真やレシピはリンクを別タブで開いてご覧ください。(右)午後に入り皆コツも掴めてきて進捗状況も芳しくなりました。

(左)黙々と作業が進みます。というわけでもなく適当に世間話などをしながら。(中)外は大雪ですが、薪ストーブのある屋内は温かい。(右)用事やらで次第に帰っていき、最後の5時まで作業を続けたのは私と息子とK氏。(右)さて帰ろうと外に出ると車は雪に埋まっていました。気温はマイナス6度! ガチガチに凍ったウィンドウの雪を溶かし、まず温泉へ温まりに。ちなみに長野県では車のルーフに雪を積んだまま走るのは完全に違法行為です。スキー帰りの首都圏の車がよくやっていますが、事故ったら事故を誘発したら確実に罰せられます。ブレーキングで自分の車のフロントガラスに落ちて視界ゼロになることもあります。ルーフの雪は必ず落としましょう。

(左)次に夕食は、篠ノ井の消防署の向かいにある中華料理の「紅日香(ベニコウ)」さんへ。息子は看板メニューの排骨湯麺(中)を。私は生唐辛子ピッキーヌ仕立ての地獄辛味噌ラーメン(右)を。辛さは店主おすすめの3で。プラス餃子をいただきました。雪の夜なのにお店は賑わっていました。排骨湯麺は五香粉の香りが香ばしい排骨とよく合います。地獄辛味噌ラーメンは、地元の宮入醸造の農林水産大臣賞を受賞したマルミヤみそ。このスープが大変美味でした。ベースはグラグラ煮立てる白湯(ぱいたん)ではなく、透明な清湯(ちんたん)だとか。味噌は中島新聞店で買えます。餃子もおすすめ。担々麺や酸辣湯麺や珍しい野沢菜ラーメンも食べてみたい。

 翌日も雪。買い物や色々用事があり、午後には外出しなければなりませんでした。まず妻女山松代招魂社へ。前日の轍がありました。林道入口へ行ってみると、誰かの足跡が続いていました。斎場山へ登ったのでしょうか。晴れれば動物たちも動くのでアニマル・トラッキングも楽しいのですが。気温はマイナス4度。

 旧赤坂山の妻女山展望台へ。除雪はしてありませんがスタッドレスなら登れます。まず西の展望。茶臼山も北アルプスも見えません。眼下の国道403号は雪がない様に見えますが、シャーベット状の雪があって危険な状態です。皆さん2車線の道では40キロ、狭い道では30キロか20キロで運転しています。明朝はマイナス8度の予報なので、凍結路面必至です。安全運転を!

 北の展望。千曲川の向こうに南長野運動公園。左に長野オリンピックスタジアム、右にAC 長野パルセイロのホームスタジアム。オリンピックスタジアムの左は、第四次川中島合戦の戦場ということで合戦場という地名が残っています。

 東の展望。松代城方面です。真田幸隆に攻略された東條氏の尼厳山もその右の奇妙山も雪雲に霞んでいます。眼下の上信越自動車道と長野自動車道は、チェーン規制がかかっています。

 買い物や用事の後に温泉へ温まりに。見上げる古代科野国の初代の大王の墓といわれる森将軍塚古墳。東日本随一の巨大な石室をもつ大きな前方後円墳です。麓には石室が再現された古墳館と長野県立歴史館があります。
 雪模様は火曜日の昼まで続きそうですが、その後晴れて18日(水)の朝の最低気温がなんとマイナス19度という信じられない予報です。外れることを祈ります。

 ところで忘れていたのですが、8日に真田幸隆、昌幸の眠る真田郷の長谷寺(ちょうこくじ)に参拝した折に御屠蘇をいただいてきたのです。御屠蘇というのは、元旦に飲む日本酒のことではなく、大晦日にいただいた屠蘇散を日本酒や味醂、赤酒に浸し、元旦に飲むものです。いただいた屠蘇散の成分は、白朮(びゃくじゅつ)、肉桂、桔梗、山椒、防風、陳皮、丁子です。中国三国時代の魏の名医華陀(かだ)の処方といわれています。古代中国の薬酒ですね。日本には嵯峨天皇の時代に唐の蘇明が唐蘇白散と称する霊薬として伝え、健康を祈念する行事として広まっていったということです。後日いただきましょう。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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真田幸隆と昌幸が眠る長谷寺、信綱の信綱寺、国楽館戸倉ホテル、姨捨駅、長楽寺(妻女山里山通信)

2017-01-09 | 歴史・地理・雑学

(左)昨秋、仲間と砥石城跡に登ったのですが、その時に行けなかった寺院巡りをしました。まず腹ごしらえにと、十割手打そば処福田へ。(中)天ぷら付もり蕎麦。をいただきました。青木村産のタチアカネの玄蕎麦を石臼で自家製粉した十割蕎麦です。蕎麦湯も飲んで満足して長谷寺へ。(右)真田山種月院長谷寺(ちょうこくじ)。連休なので参拝者が次々に訪れていました。『真田丸』のブームはまだ続いています。

(左)大きな藁馬(わらうま)。絵馬が奉納されています。(中)本堂内部。可愛い招き猫のおみくじがあったので求めました。大吉でした。(右)中央が真田幸隆、右に真田昌幸、左に幸隆の正室の恭雲院の墓。

(左)墓所全体の様子。後から来た地元のご婦人が、綺麗になったと、昔はもっと荒れていたと言っていました。(中)新しく立てられた真田信繁(幸村)の慰霊碑。賽銭は皆、六文銭の形に並べて置いてありました。私も囲いの上に並べてきました。(右)右脇にある石仏。

(左)次に、真田幸隆の長男の真田信綱が眠る大柏山信綱寺(しんこうじ)へ。そこから見上げる真田本城。(中)桝形から少し登って黒門。(右)その脇にある線刻の馬頭観音。ヒンドゥー教の最高神であるビシュヌが馬の頭に変化して敵を倒したとされる神話が起源。

(左)黒門からは、村上義清の砥石城跡が見えます。(中)楼門。(右)本堂。信綱の墓所は、右へ回ってコンクリートで舗装された急な細い道を登ります。

(左)真田信綱の墓。天正2年(1574)5月に幸隆が亡くなり家督を継ぎましたが、天正3年(1575)5月21日の長篠の戦いにおいて銃撃に遭い弟の真田昌輝と共に戦死しました。そして昌幸が家督を継ぎました。(中)楼門の四隅には獅子の木彫が。(右)上田に戻り柳町の旧北国街道沿いにある天然酵母のパン屋さんのルヴァンへ。以前、調布市のつつじヶ丘に工場があった頃は、小さな息子を連れてよく買いに行きました。息子を連れていったのは、必ずおまけをたくさんくれるからです。今回は大きなカンパーニュを買いました。前日のものなので割り引いて540円でした。ここのパンは本当に美味しい。有毒の柔軟剤を使っていないので、しばらく置くとカチカチになりますが、霧を吹いて蒸すと柔らかくなります。

(左)もう少し回りたかったのですが、雨が降ってきたので早めに新年会が行われる戸倉上山田温泉の国楽館戸倉ホテルへ。(中)レトロな昭和の雰囲気が漂う和室。和みます。(右)源泉かけ流しのお風呂。露天風呂のある風呂もあり、日替わりで男湯と女湯が入れ替わります。飲用もできます。次々に仲間が訪れ、N氏は手作りの野沢菜のおやきを持ってきてくれましたが、超絶美味でした。

(左)皆揃って宴会の始まり。今回は日本酒は初めだけにして焼酎をメインに。黒霧島、二階堂、いいちこを飲みました。それとK氏とS氏が作ってきたどぶろくを2本。こういうわがままができるのも、ここの主人が高校の同級生だからなんです。(中)食事はお膳で郷土会席料理。これにさらに大きなブリのカマ焼きがつきました。ボリューム満点です。左にある信州の郷土料理の鯉こくも美味。まず右下のとろろ蕎麦でお腹を満たします。よく食べて飲みました。会話のレベルは非常に高く専門的で、いつもいい情報が得られます。(右)朝食。これで酒代も入れて15000円弱とリーズナブルです。お土産に六文銭まんぢうと干支の絵が描かれた湯飲み茶碗を頂くのも恒例です。

(左)翌朝の千曲川畔にある駐車場から見る温泉街。(中)そのまま直帰もつまらないのでスイッチバックで有名な姨捨駅へ。松本行きの普通列車が、長野行きの快速列車の通過待ちをしていました。快速列車の運転手は若い女性でした。近所に勤めている女性がいるのですが、もしかしたら彼女かな。(右)ホームのベンチは善光寺平方面を向いています。日本三大車窓の絶景が有名ですが、ガスがかかって何も見えません。ここからの夜景は、それは見事です。ぜひ映画やアニメで使ってください。駅前には駐車場はないのですが、長野方面に200mほど行った三叉路の先に姨捨駅専用駐車場があります。またホームへは無料で入れます。

 普通列車は年配の男性が運転手で、若い男性が車掌でした。列車勤務はトイレにも行けないし、変速シフトだし、必ずしも土日や祭日が休みではないので、大変だろうなと思います。人の命も預かっていますしね。2015年の時と異なり、今回は撮り鉄はいませんでした。不景気が原因ですかね。
姨捨駅の上の姨捨SAのさらに上にある403号の千曲川展望公園からの善光寺平暮色

 次に訪れたのは、駅の下にある姨岩のある長楽寺。2015年の初詣は息子達とここに参拝に来ました

 最後に妻女山展望台へ。茶臼山も北アルプスも見えません。完全に上雪(かみゆき)でこちらは雨降りだった様です。松本や飯田の方が積雪がありました。しかし、冬の本番はこれからです。酉年は、過去に天変地異が多く発生しているというデータもあるそうです。平穏な年であるといいのですが。政治的には国民の生活や命を粗末にする現政権が完全崩壊するといいなと思います。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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佐久間象山大砲試射地から諏訪立川流山門の興正寺。象山の定宿だった伴月楼へ。象山神社と松代城(妻女山里山通信)

2017-01-04 | 歴史・地理・雑学
 夜に食べるタラバガニ入り「小田巻き蒸し」の用意をささっと済ませてお出かけ。うどんは千曲市のユメセイキの手打ちです。「苧環蒸し」は、「小田巻き蒸し」とも書きますが、うどん入りの茶碗蒸しのことで、大阪の船場あたりでよく食べられていたちょっと豪華な料理です。昔、卵は高級食材だったのですから、その卵をたくさん使う苧環蒸しが高級料理だったのもうなずけます。丼の底で渦を巻くうどんの様子が、紡いだ麻糸を玉のように巻いた苧環(おだまき)に似ていることから「おだまき蒸し」の名がついたといわれています。

(左)最初に向かったのは、千曲市生萱の沢山川辺りにある佐久間象山の大砲試射地。石碑がありますが拓本は禁止されています。(中)拓本。近所の家で買えます。そういうことかい(笑)。(右)これが石碑の文章です。砲弾は屋代の一重山を越えて幕府領の満照寺に着弾とよくいわれていますが、これはでっち上げ。佐久間象山を快く思わない人達が地元の子供に駄賃をあげて実際は一重山手前に着弾したものを運び上げて満照寺に落としたものだそうです。こちらの記事を御覧ください
 全国的には、「さくましょうざん」で通っていると思いますが、地元では「さくまぞうざん」というのが普通です。

(左)中央ちょっと右にある小山が今は一重山なんですが、本来は小島山で本当の一重山はその右にの低いところ。妻女山と同じく国土地理院が勝手に名前を移動したのです。いずれにしても当時の松代藩が試射した大砲の射程距離は2キロぐらいで、一重山を越えることは不可能です。(中)試射地脇の本誓寺橋。本誓寺という寺院は、現在の生萱や倉科にはないのですが、往古にはあったようです。詳しくはリンクの信濃・本誓寺をお読みください。リンクでは、「童子が述べた「西の寺」との言葉と親鸞らが川を渡った位置との関係が問題になるが」と書かれていますが、当時の千曲川の流路は現在と全く異なるものだったので整合性はあると思われます。
(中)本誓寺橋。(右)ジャコウアゲハを守る会の看板。アゲハモドキ(擬鳳蝶蛾)というジャコウアゲハにそっくりな蛾がいます。

(左)次はあんずの里森の母方の祖母が眠る大城山興正寺へ。(中)本堂の内部。(右)ここの山門には、天才と呼ばれた諏訪立川流の和四郎富昌の子持ち龍の木彫があります。当時彼は八幡の武水別神社の再建中でした。そこで、森出身の弟子・宮尾八百重を案内役に住職、世話人、名主らが建築現場に赴き建築を依頼。引き受けた富昌は三月頃から、父富棟が寛政二年(1789)に建築した善光寺大勧進の表御門形式を参考に絵図面を制作。四月には八百重の家に投宿し近くの薬師山に登って酒宴を催し、満開の杏花を愛でたといわれています。夜は篝火の下で鼓を鳴らし謡曲の「鞍馬天狗」を吟じ、見事な龍を描き上げ、村人や近郷近在の話題をさらい、村では日本一の宮大工が来たと喜んだそうです。興正寺は、浄土宗西京大谷知恩院の末派で、創立年は不詳。
 実は友人に宮彫りの研究家がいるのですが、彼をこの世界に引きずり込んだのが私で、その原点がこの木彫なのです。彼の『北信濃寺社彫刻と宮彫師』のブログの2016年12月23日の記事に、この山門が詳しく紹介されています。ぜひ御覧ください。

 子持ち龍。和四郎富昌の作品は、京都御所の建春門の「蟇股(かえるまた)の龍」、遠州の「秋葉神社」、諏訪の「諏訪大社下社拝殿」、善光寺大勧進御用門「江梁の龍」、松代町西条の白鳥神社の「神馬」などがあります。また、同市屋代の須々岐水神社、土口の古大穴神社にも富昌の作があります。左右にある波の彫刻は、葛飾北斎の影響を受けたものともいわれていますが見事です。

 非常に迫力があります。また透かし彫りも見事です。この近くの岡地地区の天満宮には、幻の善光寺五重塔建立のための試作品とされる名工・立川和四郎富棟作の「惣金厨子」がありますが、結局、善光寺五重塔は、江戸幕府の許可が降りずに建てられることはありませんでした。その前の唐獅子は富昌の作です。(出典:生前伯父が執筆した『岡地探訪乙路の県天満大自在天神とその周辺』岡地天満宮刊より)

(左・中)精緻な木彫は必見です。(右)「旧阿吽(あうん)獅子」嘉永四年 尾張なんとかと書いてある瓦。これも見事なものです。

 冬景色だけではなんなので、昨年の4月に杏が満開だった時の興正寺裏から見たあんずの里の風景です。桃源郷ならぬ杏源郷です。春が待ち遠しい信州ですが、本格的な冬はこれからです。

 最後は、佐野川温泉竹林の湯へ向かいましたが、その隣りにある佐久間象山が定宿としたという伴月楼記念館へ。実は一般住宅なので現在は閉館中。外観だけを撮影させていただきました。「(伴月楼)記念館百話」 ~関家が伝える逸話~
 撮影後温泉に入り温まって帰宅しました。

(左)佐久間象山といえばやはり象山神社。仕事始めの方も多く、社員総出でお参りの会社も。下乗とは馬や車を降りてということです。学問の神様として受験生に人気があります。象山の正室は門弟勝海舟の妹順子ですが子がなく、嫡子は側室お菊の生んだ恪二郎です。象山の敵を討つべく新撰組に入りましたが、生来のわがままで役立たず、後に司法省に入りましたが、食中毒で29歳で亡くなっています。象山はケツがでかい女がいいと言っていたそうですが、勝海舟の娘はたぶんそうだったのでしょうね。でも子ができませんでした。多産とお尻の大きさは無関係です。(中)佐久間象山が安政元年(1854年)から約10年間の蟄居中に住んでいた松代藩家老望月主水の下屋敷聚遠楼の敷地内にあった建物。来客があるとこの2階に招き、応対したそうです。中岡慎太郎や高杉晋作も訪れています。(右)心の池。この向こう側の小径を行くと象山の生家跡。

(左)生家跡の片隅にある煙雨亭は、象山が元治元年、凶刃に倒れるまでの2ヶ月間を過ごした煙雨楼の遺構で、 煙雨楼の茶室を移築したもの。煙雨楼は2階家で京都木屋町の鴨川畔にあったそうです。(中)神社右手の泉水路。各家々の庭をつないでいるものもあります。黒澤明監督の『椿三十郎』を思い出します。
城下町松代(殿 町地区)に おいて江戸時代に造られた 泉水路の形成過程とその用途
庭園都市松代の推進 - NPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会
(右)近くの象山記念館にある写真。小学校の家庭科室に大きな肖像画がありましたが、どこか日本人離れした風貌ですね。電気治療器は妻で試したとか。最初の携帯電話も展示されています。ペリー来襲の時に松代藩は横浜の警護を命じられ、象山は横浜に赴きます。彼の活躍には時の松代城主・真田幸貫の力もあります。
 象山は儒学者・科学者・医者・砲術家で、日本最初の電信実験をし、地震計、医療器、写真機など数多くの科学実験をしました。その多彩な才能には驚かされますが、それ以上に、世界的な視野から日本の行く末を見つめる視点を持っていたことに驚かされます。後に勝海舟にまでほら吹きなどといわれましたが、結局鎖国が続いた後の日本では、彼の才能と見識を真に理解できる人は誰もいなかったのでしょう。ただ、そんな象山も、明治維新が英仏金融勢力による日本隷属を企て、明治維新は結局彼らが薩長の田舎侍を利用したクーデターになるとは、想像もできなかったのではないでしょうか。
 今回初詣に訪れた神社には、憲法改正のビラやアンケートは一切なかった。しかしお賽銭の一部が悪名高き神社本庁に上納されることはあるのだろうか。賽銭は松代藩の六文銭にちなんで五円玉6個で30円と決めているのですが…。

(左)続いて『真田丸』で訪問者が激増した真田信之の松代城。太鼓門。(中)櫓台。(右)櫓台から東北東を見るとモーニング娘。17の羽賀朱音ちゃんが通った松代中学。私の母校でもあります。サッカー小僧で、編集委員長でした。校章は真田の結び雁金です。
真田十万国「松代城(海津城)」の歴史 その1(妻女山里山通信)
真田十万国「松代城(海津城)」の歴史 その2(妻女山里山通信)

 櫓台の北西にある絵図。二の丸北西の土塁上にあった「知身貴亭」という茶室から松代の北部を望んだ風景です。19世紀中頃に描かれたものだそうです。左から北アルプス、虫倉山、陣場平山、富士ノ塔山と続き、右へ戸隠連峰、戸隠富士と呼ばれる高妻山。一番右に長野市民の山、飯縄権現が祀られる飯縄山。そして手前には千曲川が描かれています。

 復元された太鼓橋と太鼓門越しに見る斎場山(旧妻女山)。上杉謙信が本陣としたと伝わる山頂で、円墳です。展望台のある現在の妻女山は、本来は赤坂山で、柳の木の向こう辺りです。お堀の水は少なめで、鴨が悠々と泳いでいました。

(左)最後は2012年に廃線になった長野電鉄屋代線の松代駅。中学生の時はこれで通いました。サッカー部の練習が終わって帰る際に空腹に絶えきれず、駅前の母の同級生がやっていたラーメン屋に先生の目を盗んで飛び込んだものです。(中)駅の内部。昔は壁の上部に松代映画館で上映のポスターが貼られていました。石原裕次郎とか清水の次郎長とか。ちょっとエッチなポスターの時には、出会った先生に見るなとか言われました。(右)切符は硬券でした。廃線になる直前は、全国から鉄道マニアが訪れました。線路跡はサイクリングロードとして復活します。このサイクリングロードを起点として里山トレッキングや山城、古墳巡りもできそうです。そんな本を作りたいですね。正月には、このコースを走っている女性もいました。

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謹賀新年。初詣は古代科野国の祖、産土神の会津比売神社へ。元旦初登山で鞍骨城跡への人達も(妻女山里山通信)

2017-01-01 | 歴史・地理・雑学

 明けましておめでとうございます。初詣は会津比売神社へ。会津比売命は、諏訪大社の祭神、建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)の子、出速雄命(いずはやおのみこと・伊豆早雄)の子といわれています。つまり大国主命の曾孫。しかも、古事記によると神武天皇の子、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の子孫といわれる、大和王権より初代科野(信濃)国造に任ぜられた武五百建命(たけいおたつのみこと)の室(妻)といわれています。
■科野国造 武五百建命と妻 会津比売命の家系図(諸説あり)
神武天皇--神八井耳命--武宇都彦命--武速前命--敷桁彦命--武五百建命--健稲背
          大国主命--建御名方富命--出速雄命--会津比売命(出速姫神)

 会津比売神社はいわゆる式外社(『延喜式』神名帳に記載の無い神社)ですが、「国史現在社」です。「国史現在社」とは、式外社ですが、『六国史』にその名前が見られる神社のことを、特に国史現在社(国史見在社とも)と呼びます(広義には式内社であるものも含む)。『六国史』とは、『日本書紀』、『続日本紀』、『日本後紀』、『続日本後紀』、『日本文徳天皇実録』、『日本三代実録』。

(左)戊辰戦争以降の戦没者を祀る妻女山松代招魂社。(中)その南にある大正天皇が皇太子の特に訪れた石碑。大阪から来た男性を堂平大塚古墳へ亡き友人の慰霊碑に参るので、斎場山と陣馬平案内しますが行きませんかと。お連れしました。帰ると中国人の歴史好きカップルが来訪。謙信の本陣と伝わる斎場山の話をし、拙書も紹介しました。(右)慌ただしく帰宅して昼は信州の埴科と更科の郷土料理、おしぼりうどんの用意。うどんは地元のユメセイキや地粉をブレンドした私の手打ちです。汁と絡みやすい様にやや柔らかめ。おしぼりは、友人のS氏が作った激辛の辛味大根。これに信州味噌を溶いて花鰹をまぶした汁でいただきます。長く太く生きるという願いを込めた正月料理です。うどんの原点の食べ方ともいわれる古い郷土料理です。私のおしぼりうどんのレシピはこちら。長野市南部の篠ノ井や松代、千曲市の戸倉上山田温泉、坂城町では食べられるお店があります。ぜひ一度食べてみてください。うどんに対する概念が変わります。おしぼり蕎麦もおすすめ。

 妻女山(旧赤坂山)展望台からの西北西の展望。北アルプスは晴れているようですが、その手前に雲がかかっています。一番右の里山は茶臼山。その右奥は虫倉山。あそこまでが松代藩の領地でした。

 真北を見ると川中島(善光寺平)。おだやかな元旦です。午前中はほぼ無風でした。戸隠連峰と飯縄山は雲に隠れています。手前の広大な農地は名産の長芋畑。長芋100%のお好み焼きは絶品です。手作りさつま揚げに入れたり、海老しんじょうにしたり、色々応用が効きます。また、とろろはインフルエンザに対する予防効果もあるそうです。

 東方は松代城方面。昨年は『真田丸』ので大賑わいでしたが、その余韻は、まだ続いていて、大勢の人が訪れています。ゴールデンウィークぐらいまでは続きそうです。鞍骨城からご夫婦が下りてきました。5,6人のハイカーが登った様です。拙書を愛読してくださっているそうです。面白くて毎日読んでいると言ってくださいました。本当に嬉しいことです。

 その後、松代PAへ。ここは外からも利用できます。中央の丸い山が斎場山(旧妻女山)。山頂は謙信の本陣と伝わる山で、古代科野国の古墳です。松代PAには松代の説明看板もあります。

 松代PAから南方の眺め。逆光でパノラマ写真は無理かなと思ったのですが、なんとかつないでみました。保基谷岳の手前のプリン型の山は皆神山です。右の陣馬平を右へ下ると長坂峠。奥に斎場山、下って妻女山と続きます。帰って奄美黒糖焼酎のれんとのお湯割りを飲みながらゆるゆると天皇杯の鹿島 vs川崎戦を見ました。本当に穏やかな元旦でしたが、今年は何か重大な事件や天変地異が起きる予感がします。

貞観地震と仁和地震
•貞観元年(859年)河内・和泉両国の陶窯用の薪山争い起こる。饒益神宝を鋳造する。
★貞観2年(860年)出速雄神に従五位下〔延喜元年(901年)の日本三代実録〕
•貞観3年(861年)4月7日、直方隕石が落下。落下の目撃がある世界最古の隕石。
★貞観4年(862)埴科郡大領外従七位金刺舎人正長。廿日戊子 信濃國埴科郡大領-外從七位上-金刺舍人-正長(日本三代実録)
★貞観5年(863)信濃国諏訪郡の人右近衛将監正六位上金刺舎人貞長、姓を大朝臣と賜わる。これ神八井耳命の苗裔(びょうえい)也。
•貞観6年(864年)富士山噴火(貞観大噴火)
•貞観8年(866年)閏3月10日、内裏朝堂院の正門・応天門が放火によって炎上、これを巧みに利用して伴氏・源氏の追い落としに成功した藤原良房は、同年8月19日、天皇の外祖父であることを理由に人臣初の摂政に任命された。応天門の変。
★貞観8年(866年)に會津比売神に従四位下
•貞観10年(868年)7月8日、播磨国で地震。日本三代実録によれば官舎、諸寺堂塔ことごとく頽倒の記述。前年から引き続き、毎月のように地震があったことも見受けられる。
•貞観11年(869年)格12巻が完成。貞観地震とそれに伴う貞観津波が発生。貞観の韓寇。
•貞観12年(870年)貞観永宝が鋳造される。
•貞観13年(871年)式20巻が完成。貞観格式の完成。鳥海山噴火。
★貞観14年(872年)出速雄神に従五位上
•貞観16年(874年)開聞岳噴火。
•元慶2年(878年)相模・武蔵地震(現在の関東地方における地震)伊勢原断層の活動によるM 7.4の大地震
★元慶2年(878年)出速雄神に正五位下
•仁和3年(887年)8月22日(8月26日)に仁和地震(南海地震、M 8.0~8.5。東海・東南海との連動説も有り)。
 八ヶ岳が突然水蒸気爆発をおこし崩壊。千曲川・相木川を堰き止めて“大海(南牧湖)”や“小海湖”を造った。天狗岳と硫黄岳の東側斜面が大きく崩れた跡が今でも見られる。
•仁和4年(888年)決壊し、善光寺平までその被害は及んだ。
•寛弘8年8月3日(1011年9月3日)に再決壊。下流域に再び災厄を撒き散らして完全に消滅した。
 長さ3kmに達した「小海」は、古地図等からその後600年以上、江戸時代初期まで残っていたことが確認できるが、いつどうやって消滅したのか判っていない。
•延喜元年(901年)の日本三代実録。会津比売神社は式外社となる。

•寛保2年(1742年)の大洪水が「戌の満水」。死者は2800人以上。
•弘化4年(1847)善光寺地震による土砂崩れが犀川をせき止め、崩壊し下流に大きな被害をもたらした。死者は8600人以上。松代藩の財政は破綻した。


 翌日の2日は、さらに穏やかな日となりました。家にいては食べて飲んで太るだけなので茶臼山へ。足跡がけっこうあったので元旦ハイクをした方がいるようです。MTBの轍もありました。友人がここの登山道の整備をしていて、MTBのコースとしての整備も考えているということです。拙書でも紹介の小松原コースは、ハイカーも少なくコースもMTB向きなので提案をしました。まず北アルプス展望台へ。白馬三山と右手前に神話の山、虫倉山。2014年の神城断層地震で山頂が4割も崩壊してしまいました。残りの4割にもクラックが入っているので、再び大地震があれば崩壊必至です。

 帰りの道すがら。信里小学校の少し下から善光寺平南部のパノラマ。山座同定をしてみました。亜高山も積雪が少なめの新年です。

妻女山(斎場山)について研究した私の特集ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」。「きつつき戦法とは」、「武田別動隊経路図」など。このブログでも右上で「妻女山」でブログ内検索していただくとたくさん記事がご覧いただけます。
上杉謙信布陣の斎場山と陣場平「今昔物語」 昭和22年にGHQが撮影した斎場山、妻女山、陣場平の空撮と江戸時代後期の榎田良長彩色『川中島謙信陣捕之圖』。
川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。 ホームページとブログから選択して作ったリンク集「妻女山まとめ」

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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村上春樹さんのジャズ喫茶 - 『国分寺・国立70sグラフィティ』目次 [CONTENTS]
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村上義清の里巡りに続いて大晦日は葛尾城跡へ。いい出会いもありました(妻女山里山通信)

2016-12-31 | アウトドア・ネイチャーフォト

 前日はホームグラウンドの妻女山へ。仲間とやっている椎茸のホダ木栽培の様子を見に行きましたが凍っていました。春までそのままにしておきます。写真は妻女山(旧赤坂山)展望台からのパノラマ。9枚の望遠カットをフォトショップで合成しました。川中島には全く積雪がありません。長野市北部の里山もほとんど雪が見られません。

(左)妻女山松代招魂社。戊辰戦争以降の戦没者を祀っています。左奥に見える丸い山は茶臼山。(中)斎場山(旧妻女山)。山頂は円墳で、地元で上杉謙信の本陣と伝わる場所です。(右)地元で上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる陣馬平。4月半ばには、中国原産の貝母が満開になり見事です。拙書でも紹介しており、私が仲間とやっている妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーで保護活動をしています。来春、ぜひ訪れてください。ただ薬草ですが猛毒の毒草でもあるので絶対に持ち帰らないでください。

 帰りに再び妻女山展望台に寄りました。松代方面の眺め。今年は『真田丸』効果で、松代も妻女山も鞍骨城も訪れる人が激増しました。拙書を持っている方にも何人も出会いました。著者に会えるとは思っていなかったと喜んでいただけたのが何より嬉しいことでした。

 そして大晦日は、あえて真田ではなく村上義清の葛尾城跡へ。(左)登山口の坂城神社では初詣の準備で大忙しでした。(中)登り始めてすぐ正面に見えるのが飯綱岩稜。帰りに寄ります。往路は右へ近道コースを選びました。赤松の急斜面を登っていきます。左は松茸の留山。

(左)山頂近くでホンドサルオガセでしょうか。地衣類の同定はなかなか困難です。ここにはマツゲゴケもありました。(中)途中、地元の方と邂逅して拙書を紹介したり色々お話をしたので山頂までは1時間ちょっとでした。山頂から東奥に五里ヶ峯が見えます。これも拙書で載せています。(右)山頂から西を見ると四阿があります。登山ノートがあるので記入しました。風もなく穏やかな大晦日です。
 五里ヶ峯から男性が下りてきました。なんでも坂城の80人ぐらいのトレッキングクラブに所属とか。拙書を紹介しました。続いて途中で出会った方の友人が到着。私のことを聞いていた様で、この方にも拙書を紹介。拙書で紹介の冠着山の鳴海新道を復活した鳴海さんのこともご存知でした。そのあと来られた方は、拙書を興味深く見ていました。これ写真全部撮ったのですかと。もちろん何万点も撮影した中から厳選したものです。紹介のコースももちろん全部歩いています。皆さんと色々なお話ができてとても有意義な時間でした。

 豚カツとコロッケと目玉焼きとレタスにソースをドバドバかけてきた手作りおにぎり(カツ丼おにぎり?)とアサリのみそ汁で昼食後、皆さんが下山した後は撮影に没頭。一番左は冠着山(姨捨山)。右下へ鳴海新道の長い尾根。麓は善光寺参りの精進落としの湯、戸倉上山田温泉。中央は姨捨駅辺り。奥には鹿島槍ヶ岳の仁科三山と右へ白馬三山。いつまでも見飽きません。

 南南西方面には、蓼科山。左へ八ヶ岳連峰。手前は独鈷山の山並みとその麓の塩田平。北条氏が庇護したため信州の鎌倉と呼ばれます。左手前は太郎山と虚空蔵山から続く岩鼻。その向こうにほぼ垂直に切り立った半過岩鼻。前の記事で紹介しています。ここには拙書でも写真を載せていますが、本州ではここにしか自生しないモイワナズナの群生地があります。銀色に光る千曲川の流れが本当に美しい。

 南方には眼下に坂城の町並みと、その向こうに太郎山から虚空蔵山、和合城跡から岩鼻へと続く山脈が。左に上信越自動車道。右奥に蓼科山と八ヶ岳連峰ですが、その左奥には南アルプスも見えています。

(左)帰路は飯綱岩稜のコースへ。この先からが飯綱岩稜。装備と技術がなければ越えて行けませんが、右(西側)には巻道があります。(中)東面の登山道を下ります。残雪がありました。(右)飯綱岩稜に寄りました。三点確保ができれば、かなり上まで登れます。山頂で出会った方がロッククライミングをしていました。

 飯綱岩稜からの眺めは格別です。まさにバーズアイビュー。鳥になった気分が味わえます。カメラを斜めに振って飛ぶ鳥が旋回している様なカットを撮影してみました。

(左)上から下りてきて登り返しているところ。楽しそうですね。(中)帰りに国道18号から見上げる飯綱岩稜。右上が葛尾城跡。(右)帰りに近くの笄の渡しに立ち寄りました。葛尾城跡が陥落した時、奥方や腰元衆が荒砥城跡に逃げる際に、この千曲川を渡らなければならないのですが、地元の農民に頼んで小舟で渡してもらい、その礼として奥方が笄をあげたと伝わる場所です。駐車場と説明看板があります。そこから見た千曲川。左に岩井堂山(自在山)右奥に大林山(氷澤山)。右に八頭山。その右には写っていませんが冠着山が続きます。

 左手を見ると、先日長男と行った村上大國魂神社の上に村上氏の狐落城跡、三水城跡があります。この後は、冷えた体を温めに戸倉上山田温泉の万葉温泉に入って帰りました。今年の最後もいい方たちに出会えたいい山行で終えることができました。では良いお年を。

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久しぶりのジェイソンパーティーと村上義清の里巡り。真田丸何するものぞか…(妻女山里山通信)

2016-12-25 | 歴史・地理・雑学
 今回は妻女山里山デザイン・プロジェクトの作業ではなく、メンバーのK氏が千曲川河川敷でのハリエンジュの伐採権を得たためのジェイソンパーティー。伐採したものはK氏の自宅のストーブの燃料となります。したがって今回は全部彼のおごりです。

(左)坂城大橋の下に到着。ユニックとトラックとバン一台で到着。(中)まず伐採地の確認。今回は細い木ばかりです。楽かというとさにあらず。(右)伐採は皆で一斉にやると危険なのでN氏に依頼。スチールのチェーンソーで切っていきます。ハリエンジュは非常に硬いのでこんなに細くても簡単に伐倒できません。ましてや20センチ以上になると結構大変です。その分火持ちもいいのですが、特有の香りがあるので好みは別れるかも知れません。

(左)切ったものを残りのメンバーがチェーンソーやナタや手鋸で処理して行きます。(中)太い部分は3〜4mに。先っぽの枝はとりあえず積みます。これが棘だらけで痛いのなんの。左手の手首に棘が刺さって血だらけになりました(笑)。(右)あるハリエンジュにアラゲキクラゲがびっしり生えていました。私が全部もらいました。乾燥して保存します。

(左)今回最も太かったハリエンジュ。受け口を作って伐採します。(中)倒れます。(右)切ったものを玉切りしたり枝をはらったり、トラックに積み込んだり。皆作業手順を熟知しているので黙々と作業が進みます。

(左)作業は順調に進んで昼食。K氏が作ってきたおにぎり2種と牡蠣の味噌鍋。牡蠣に長ネギと、私が採ってきた皆で妻女山で栽培している原木椎茸を入れて。馬鹿旨です。信州の年末にしては暖かい日で幸いでした。

(左)綺麗に伐採しました。(中)ユニックに太い材を積み込みました。最も細い小枝はフレコンバッグ2つに入れました。(右)小枝はトラックに。

(左)満載して出発。(中)村上義清の葛尾城跡と飯綱岩稜。右奥は五里ヶ峯。いずれも拙書で紹介しています。(右)坂城大橋を渡って帰ります。葛尾城跡と五里ヶ峯。この後、材を下ろして戸倉上山田の万葉温泉で温まり、慰労会は屋代のやきとり智家で慰労会。生ビールに焼酎2本ボトルを開けて日本酒2合を開けてタクシーで帰還しました。

 翌日のクリスマスイブ、長野市は降雪。里には積もりませんでしたが山はホワイトクリスマス。妻女山展望台からの松代城と尼厳山と雪雲に隠れる奇妙山。10時頃までは横殴りの吹雪でした。

(左)長男と待ち合わせて川中島の麒麟児で鶏の中華そばと餃子を食べて坂城の村上義清の里、村上郷にあるびんぐし湯さん館へ。硫黄の香りがするいいお湯です。露天風呂からは坂城の町が一望できます。お風呂からあがると、休憩所のテレビでは『真田丸』の最終回の再放送をやっていました。その後近くの村上義清にまつわる村上大國魂神社へ。この上に村上義清の狐落城・三水城があります。(中)村上義清が作ったという十六夜観月殿。兵火に焼かれましたが江戸時代に再建。観月の名所、鏡台山が見えます。(右)右手を見ると坂城と上田を分ける虚空蔵山。半過岩鼻からグルっと回って歩いてきたという男性が下りてきたのでコースの状況などを聞きました。

(左)その後、半過岩鼻の上にある千曲公園へ。ちゃんと真田丸の看板がありました。拙書ではここの崖に咲く希少なモイワナズナを載せていますが、この撮影は崖にかかったフェンスをよじ登って撮影するという非常に大変なものでした。(中)眼下に上田 道と川の駅交流センターが見えます。(右)拙書でもコースをいくつも紹介していますが、里山とは思えないほど厳しい虚空蔵山。太郎山からの縦走もおすすめです。

 上田市街の向こうに浅間山山系の黒斑山。左手前は雪雲に隠れた烏帽子岳。2座共に拙書で詳しく紹介しています。手前に上信越自動車道のローマン橋のアーチが見えます。今年、上田は松代と共に真田丸で大変盛り上がりました。

 パノラマ写真。3枚の望遠カットをフォトショップでつないであります。右手奥に見えるのは佐久方面の群馬県境の山々です。群馬県との県境は放射能汚染が高めです。山菜やキノコは高汚染しています。詳しくは長野県のホームページで。

 こちらは北側の展望。左に戸倉上山田温泉街が見えます。右手前は岩鼻。奥に葛尾城跡と五里ヶ峯。その向こうは善光寺平。真冬はここを境に南北で天候がガラッと変わります。翌日の最低気温は、-7度と冷え込みました。

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眼下に聖湖を抱く麻績村の三峯山へ。やはり360度の大パノラマが魅力!(妻女山里山通信)

2016-12-21 | アウトドア・ネイチャーフォト
 前回の聖山の帰りに姨捨に立ち寄ったので、今回は冠着山(姨捨山)に登ろうと戸倉上山田温泉へ。荒砥城跡への急な道を登っていくと、城跡のところで冬季閉鎖の看板が…。事前にちゃんと調べておかなかったのが失敗でした。姨捨山というと、一般的には冠着山のことをいうのですが、江戸時代の『信濃希勝録』には三峯山を姨捨山と紹介しています。長楽寺の姨岩の上にある山だからでしょうか。

(左)男女和合の神・澳津神社(大きな男根と女陰が祀られている)の下から、眼下の戸倉上山田温泉街を見下ろしたところ。高校の美術班のOBを中心とした新年会は、当主が高校の同級生ということもありここの「国楽館 戸倉ホテル」で毎年行っています。ホテルといいますが、実際は昭和レトロの木造旅館で、ノスタルジーに浸れます。料理も素朴な郷土料理が中心で美味しい。千曲川では夏の花火大会と鮎釣りが有名です。右に見える山は、拙書でも紹介の五里ヶ峰。
(中)403号を登って聖湖へ。登山口がある対岸への道は積雪が。麻績村は昔、自衛隊の演習場を誘致しようとしたことがあるらしく、F86やF104Jなどのジェット戦闘機が展示されています。善光寺街道の博物館も併設されていますが冬季は閉館しています。(右)聖高原の絵地図。四季に咲く花の写真も。

(左)落葉松と白樺などの森をジグザグに登って行きます。山頂まではわずか20〜30分。(中)スライダー。(右)山頂には展望台。休憩所とトイレは閉まっていました。2回階のベランダの丸太の椅子でランチ。北東側は寒風で激寒ですが、南西側は無風で日当たりも良くポカポカ。

山頂から眼下に聖湖。左には前回登った聖山。左奥と右奥には北アルプス。

聖山の右奥に見える北アルプス。一番左に鹿島槍ヶ岳。右へ五竜岳・唐松岳・不帰ノ嶮・天狗ノ頭・鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳と続きます。

その右は、戸隠連峰の西岳・戸隠山・九頭竜岳・高妻山・妙高山・黒姫山・飯縄山と続きます。手前の低山は、虫倉山・陣場平山・富士ノ塔山・旭山など。

南東を見ると根子岳と四阿山。一番手前は五一山脈。奥に姨捨からの観月の名所の鏡台山のある戸神山脈。その奥は保基谷岳や大松山の山脈。そこと根子岳や四阿山との間が菅平高原です。

山頂から東北には眼下に善光寺平。中央に千曲川。右手前に一重山など五一山脈の北端が見え、その奥に薬師山や斎場山のある戸神山脈の先端が見えます。いずれも拙書で詳しく紹介しています。左奥に見えるのは斑尾山。中央奥は信越トレイルのある山脈で、右へ高社山。さらに右には志賀高原の山々。山頂には360度の山名を表示した方位盤があるので、山座同定をするといいでしょう。ところでこのところ晴天が続いていますが、善光寺平はいつも靄がかかっていて霞んでいます。朝は放射霧でしょうけど。調べてみると中国からPM2.5が大量に飛んできている様です。運転中もゴーグルをしないと目が痒くてシバシバします。

南を見ると今回登りそこなった冠着山(姨捨山)。左に伸びるアップダウンの激しい長い尾根には、拙書でも紹介している坂城の鳴海さんが復活させた鳴海新道があります。大正橋の先から2時間半から3時間かかる長いコースです。奥に見るのは浅間山。聖湖から冠着山へは、一本松峠、古峠経由で登山口のある鳥居平まで車で行けます。

一番手前から五一山脈。左の一重山から一度下って登り返して有明山。右へ五里ヶ峯までの長い尾根が続きます。奥に続くのは薬師山から斎場山、鞍骨山、深山、御姫山、大嵐山から三滝山、鏡台山と続く戸神山脈。その奥は金井山から奇妙山へと続く奇妙山脈。その奥は若穂太郎山から妙徳山、熊窪山から菅平高原へと続く山脈。一番奥は志賀高原の山々。右から白根山・横手山・三角の笠ヶ岳。

南西を見ると眼下に麻績村。長野自動車道が蛇行しています。奥には常念岳や北穂高岳などの北アルプス。左手奥には中央アルプスの木曽駒ヶ岳も見えました。

(左)帰りは雪のほとんどないゲレンデを下ります。前方に三峯山の名前の元となるもう二つのピークが見えます。その奥には篠山や茶臼山。さらに奥に戸隠連峰と飯縄山。右に善光寺平。(中)ゲレンデを適当に下ってきました。この下の雪のない急斜面で滑って仰向けに転倒。ザックが泥だらけになってしまいました。(右)湖面は一部が結氷しています。向こうには廃墟となったホテル。

 湖畔の駐車場から見上げる三峯山。へらぶな釣りの太公望が長閑に釣り糸を垂れています。左がゲレンデ、中央がスライダー。その右の森のなかに登山道。山頂まで別荘地があるので、ほぼ山頂まで車でも行けます。拙書に載せていますが、反対側の千曲市の『風林火山』のロケが行われた大池から風越山経由でのコースもおすすめです。いずれもファミリー向け、初心者向けのいいコースです。

【信州の里山】三峯山 Mt.Mitsumine at Obasute in Nagano  秋の大池コースの2本のスライドショー。紅葉と秋雨。
【信州の里山】冠着山(姥捨山)鳴海新道 Mt.Kamuriki at Togura in Nagano  カタクリの咲く鳴海新道の春。4箇所の展望台からの絶景をぜひ。コースの全景と『信濃希勝録』も紹介。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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麻績村の聖山へ。北アルプス初め360度の大パノラマを堪能!(妻女山里山通信)

2016-12-17 | アウトドア・ネイチャーフォト
 15日の木曜日、信州の12月とは思えないほどの晴天で風もなく穏やかな日。これはどこかの山に撮影に行かなくてはと思いましたが、色々雑用があり出発したのが11時過ぎ。北アルプスになるべく近い山ということで、麻績村と旧大岡村の境にある聖山へ車を走らせました。403号から雪の凍った道路を慎重に登って聖山パノラマホテルに着いたのが正午。

(左)聖山パノラマホテルの大きな駐車場から、今は閉鎖されたスキー場のゲレンデの遊歩道をジグザグに登ります。左に見えるのが山頂。ここの気温は−3度でした。(中)ゲレンデの中頃から聖山パノラマホテルと、向こうに見えるのは戸隠連峰。国民宿舎ですが、手打ち蕎麦や郷土料理が美味しいと評判らしいので、いつか泊まってみたいですね。(右)更に登ると東に善光寺平(長野盆地)が見えます。奥の志賀高原方面は真っ白です。ニホンカモシカとタヌキの足跡を追いながら登りました。

(左)25分で展望台。以前はリフト降り場だったところです。(中)山頂は目の前に見えますが、やはり25分ほどかかります。(右)聖山山頂(1447.2m)。実はアンテナがあるため山頂まで車で行けます。今回もアンテナの保守点検作業の車が来ていました。ほぼ無風ですが、気温は−6度ぐらい。慌てて出てきたので、フリースにウィンドブレーカーと軽装で寒いです。でも登っている時は軽く汗をかいた程でした。積雪は10センチ足らず。これぐらいだとスノーシューやかんじき、軽アイゼンも不要です。輪かんじきは持っているのですが、今回は持ってきませんでした。ただ、独鈷山や京ヶ倉の様な、厳しい岩場がある山は、里山でも軽アイゼンは必須です。過去には滑落死亡事故も起きています。

 北東の展望は善光寺平。左に見えるのは中野の高社山。その右奥に連なるのは志賀高原の山々。右手前には右(南)から何本もの尾根が左(北)に伸びていますが、これが長野盆地南部の地形の特徴です。一番手前は、私が撮影や自然観察のホームフィールドとしている妻女山・斎場山山系です。今年は『真田丸』人気で訪れる人が激増しました。中央手前の青い流れは千曲川。

 南東に見えるのは噴煙を上げる浅間山。現在はレベル2です。左手前に三角の烏帽子岳。一番手前は冠着山(かむりきやま)。別名は姨捨山(おばすてやま)。浅間山外輪山の黒斑山と共に、いずれも拙書で紹介しています。黒斑山や浅間山の火山情報は、気象庁や小諸市のサイトで確認してください。

 北西を見ると仁科三山の勇姿が見えます。左から爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳。手前の霧氷がキラキラ光って綺麗です。美し過ぎてため息が出ます。

 山頂の雲が取れたので、鹿島槍ヶ岳を望遠で撮影してみました。西風で吹き上げられる雪も見えます。まだ積雪量は多くない様ですが、厳しい冬山の様相です。日本4例目、信州初の氷河らしいと調査中のかくね里も見えます。思わず言葉を失う厳しさと美しさです。

 こちらは南面の大展望。一番奥に蓼科山と八ヶ岳連峰。その右手前に美ヶ原。蓼科山の左奥は南アルプス。その手前、八ヶ岳の長い裾野の手前のノコギリ状の山は塩田平の独鈷山。その手前の台形の山は子檀嶺岳。中央手前の大きな里山は四阿屋山。その手前の里は麻績村。長野自動車道が見えます。

 南西を見ると安曇野や左に松本盆地が見えます。台形の有明山の奥は大天井岳でしょうか、左に常念岳。手前にはゴールデン・ウィーク頃に満開になるヒカゲツツジで有名な京ヶ倉も見えます。京ヶ倉は拙書でも紹介していますが、テレビで紹介されたこともあり、ヒカゲツツジの季節は全国からの登山者で溢れます。ただし1000m弱の低山ですが滑落事故も起きており、初心者向きの山ではありません。

 一番右が爺ヶ岳。大きな木の左に大きな山体の蓮華岳。左へ唐沢岳、餓鬼岳と続き、一番左が燕岳辺りでしょうか。手前のアンテナがある山はタララ山ですね。

 結局、山頂に25分弱いましたが、厚い雲に覆われはじめ、あまりに寒いので下山しました。白馬三山方面と戸隠連峰、志賀高原などの北部の山脈は、結局稜線がずっと雪雲の中でした。登りは50分ほどでしたが、下りはさっさと30分ほどでした。

(左)403号に下りる途中で撮影した三峯山。これも拙書で紹介していますが展望がよく、ファミリー向きのいい里山です。スキー場には全く雪がありませんね。下の聖湖では数人がへらぶな釣りをしていました。(中)JR東日本篠ノ井線のスイッチバックで鉄道マニアには有名な姨捨駅に寄りました。色々改装中でした。駅舎の左に造っているのは展望レストランでしょうか。手前は幅が広いのですが奥は狭いのでカフェですかね。なんか楽しみです。(右)ホームにあるベンチは、線路側ではなく善光寺平側を向いています。ここからの夜景は一見の価値があります。ぜひ訪れてみてください。姨捨SAでもご覧いただけます。

 最後に棄老伝説で有名な姨捨の長楽寺に寄りました。そこから見る姨捨の棚田と左に観月の鏡台山。姨捨から見た浮世絵、安藤(歌川)広重が江戸時代後期に描いた『信濃 更科田毎月 鏡台山』で有名です。
信州麻績村の聖山はアサギマダラの楽園だった。その100倍ぐらいアブが大発生でフリーズ(妻女山里山通信)真夏の聖山もおすすめです。
日本3大車窓駅の姨捨駅と初詣は雪降りしきる姨捨山長楽寺へ(妻女山里山通信)真冬の姨捨駅。
403号の千曲川展望台からの善光寺平大パノラマ(山座同定)
同じく千曲川展望台からの暮色に染まる善光寺平と五一山脈。街の明かりが灯り始めた青く染まる善光寺平の大パノラマ。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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一反の畑で栽培した大豆を脱粒。雪も舞う寒い日でしたが鯛飯と天然キノコ入けんちん汁で温まる(妻女山里山通信)

2016-12-11 | 男の料理・グルメ

 まず7日の妻女山展望台からの戸隠連峰と飯縄山。最高気温が8.6度で風もなく穏やかな日でした。仲間とうちの山でやっている椎茸の原木栽培の森へ行き、椎茸を40本ほど採取しました。半分に割って天日干しします。椎茸の放射能汚染が酷いので初めたものですが、2年前に40本ほどコナラに2000駒打ち込んだものが次々続々出始めました。採りながら脳内をアンジュルムの『次々続々』が流れていました(笑)。アマゾンもボリビアもロンドンも香港も行ったのに九州には行ったことがないのです。アンジュルム「糸島Distance」2016春【九位一体】ごぼ天うどんとモツ鍋食べたいですね。

(左)週末は、仲間と一反の畑で栽培した大豆の脱粒作業でした。K氏が農協で脱粒機を借りてきました。トラックから慎重に降ろします。(中)右から入れると殻や枝と分けられて袋に大豆がたまるはずなんですが、何かおかしい。豆が袋に出てこなくなりました。(右)なんかおかしいなとあちこち見ています。分かりました。枝が大豆が送られるところに詰まっていました。結構アバウトな機械です。

(左)出が悪いので機械の傾斜を変えました。これで作業は捗り始めました。しかし、実にやかましい機械です。(中)根っこを切っていなかったものを押し切りで切ります。うちにもありますが、古い農家にはどこにでもある道具です。(右)今回は使いませんでしたが、これが昔の足踏み式脱粒機。これでやっていたら一日じゃ終わりません。昔はこの機械で稲や麦の脱穀もしたのです。

(左)時折、北陸新幹線も通ります。ガンガンぶち込んで大豆がたまっていきますが、ほぼ有機栽培に近い方法で育てたので虫がたくさんいました。(中)私は麻ひもで束ねてある大豆を紐を切って受け皿に乗せます。N氏が脱粒機にどんどん突っ込んで行きます。(右)その間にS氏は鯛飯の火の番とけんちん汁も作ります。気温は4度ぐらいですが北風が吹くと体感気温は0度ぐらい。時々小雪も舞いました。寒いのですが動くのでさほど寒さは感じません。

 新幹線の向こうに見えるのは、西山の長野市西部の陣馬平山ですが、雪雲に覆われています。この機械は樹木の枝を粉砕するチップマシーンと同じぐらい喧しいです。近所迷惑ですが、幸いすぐ近くに民家はありません。時々通る北陸新幹線の轟音の方が、一瞬とはいえ煩いかも。他にJR東日本のワイドビューや普通列車、しなの鉄道の列車が通ります。

(左)捗って1時前に作業は終了。私が持ってきた天然キノコ、ジコウボウ(ハナイグチ)、ムキタケ、ヒラタケ入りのけんちん汁。熱々で馬鹿旨です。(中)K氏が作ってきた鯛飯。旨いです。鯛一匹を焼いて酒蒸しして彼の自家製米にのせて現場で炊きました。炊き上がったらほぐして骨を除去してご飯と混ぜます。お焦げがまた美味しい。(右)この大豆でまずは味噌を作りますが、豆腐、豆乳、湯葉、油揚げ、厚揚げ、きな粉と夢は広がります。今回は152キロほど採れました。これから唐箕にかけて選別が大変なのです。昔は味噌も醤油も全て自家製でした。お醤油豆という郷土料理もあります。

(左)大豆の殻が山になりました。(中)ブルーシートに乗せて脱粒機で畑の真ん中に持っていきます。(右)どうするかというと燃やして肥料にします。このまま耕運機ですき込むと来年、大豆がたくさん出てきてしまうのです。大豆は日本国内の大豆消費量は年間約434万トン。このうち国産大豆は約23万トン。300万トンぐらいがサラダ油などに。今回作って分かったのですが、いやうちでも父が亡くなるまでは作っていましたが、大量に作ると本当に大変なのです。なので大豆栽培は今回で一旦終わり(笑)。次に何を作るかというとワイン用葡萄と料理用トマトです。県から補助金も出るそうで。明治時代に我が家はワイナリーでした。その夢よもう一度ではないのですが、おじさん達の妄想は膨らむ一方なのです。やれやれ。帰りは温泉に入って温まって帰宅しました。S氏と長芋とねずみ大根を物々交換しました。これで信州埴科更科の郷土料理「おしぼりうどん」を作ります。もちろんうどんも地粉で手打ちです。これを食べずしてうどん通を名乗るなかれ。タオルのおしぼりではないですよ。冬の北信に来たら甘もっくらの旨味を一度ぜひ味わってください。
信州地大根の酢辛子漬け。塩分も少なくご飯が進む絶品の漬物。亡き父の発明です。塩漬けした大根が、酢と辛子に漬けると入れ替わるのです。青首では物足りないかも。
信州のスローフード、切り干し大根と野沢菜のおやき。切り干し大根は地大根(辛味大根)の天日干し、野沢菜は本漬けでないとだめです。

 その前日にまた椎茸を採りに行ってみつけた座頭虫。日本には80種類ぐらいいます。アメリカでは足長伯父さんと呼ばれます。森の掃除屋さん。これは大波座頭虫でしょうか。寒いので動きが緩慢で長い時間じっとしていてくれました。

(左)椎茸が大量に出ています。菌がこぼれたのか地面から出ているものもありました。なかなか晴天が続かないので椎茸が乾かなくて困っています。やはり天日干しがひと味もふた味も違います。(右)柿酢もほぼ出来上がりました。白いのは酵母のコロニーで、この下に透明な柿酢が出来ています。搾ってもいいのですが、コロニーをどけて上澄みを掬って瓶に詰め替えて行きます。これがもう一樽あり、息子にやる小さな樽がひとつと、広口瓶がふたつ。そのうちのひとつは、柿酢になる前の柿サワーの状態で飲んでいます。多少アルコール分もあり美味です。次は年末に千曲川の河川敷でハリエンジュの伐採作業が待っていますが、今日は冷たい粉雪が舞っている善光寺平です。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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北アルプスの絶景を求めて茶臼山へ。仁科三山、白馬三山の絶景を堪能(妻女山里山通信)

2016-12-07 | アウトドア・ネイチャーフォト

(左)篠ノ井から86号を登って茶臼山動物園の入口前を通り、信里小学校の校門の前を右折するとすぐに茶臼山登山の駐車場。100mほど登ると、大正時代に立てられた川中島合戦の石碑。(右)武田信玄が布陣というのは看板にもある様に江戸時代後期の『甲越信戦録』からの引用で、これは極めて物語性が強く史実とはとうてい思われません。それ以前の文献には信玄の茶臼山布陣は全く見られません。

(左)大正時代に崩壊してしまった茶臼山南峰のあった場所。双耳峰で、ここに北峰と同じ高さの山があったのです。古い写真でも残っています。山頂には山城の跡や空堀があったといいます。古墳があったという伝承もあります。(中)15分ほど登って北アルプス展望台へ。丸太のベンチがあります。(右)信州の里山の原風景のかなたに北アルプスのスカイライン。この山里は、古代より信濃の豪族望月氏系の布施氏の領地でした。茶臼山を中心として東西南北に布施神社(布制神社)があります。

 茶臼山の北アルプス展望台からの白馬三山。左から唐松岳・不帰ノ嶮・天狗ノ頭・白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳。右手前に神城断層地震で山頂が4割崩壊してしまった虫倉山。
妻女山展望台から見た北アルプスの大パノラマ。山座同定(初夏) 
妻女山展望台から見た北アルプスの大パノラマ。山座同定(冬)

 鹿島槍ヶ岳から白馬三山のパノラマ。北アルプスの大パノラマが望める里山は、鏡台山、太郎山、大林山、虫倉山、大姥山などがありますが、いずれも拙書で紹介しています。特におすすめは鏡台山からの大パノラマ。北アルプスの北から南までほぼ全てが見えます。このパノラマ写真は、拙書の鏡台山のページに載せています。

 鹿島槍ヶ岳。山頂右(北側)の大きな谷は、平家の落人が隠れ住んだという「かくね里」。日本で4例目の氷河かもしれないと雪渓の調査がされましたが、その可能性があるそうです。かくね里の人々は、やがて大川沢を下り鹿島川の辺りに住み、それが今の鹿島集落とか。ただ、鹿島神社には807年(大同2年)には集落があった記述があるそうで、平家追討以前にすでに集落があったことになります。戦国時代の天文年間の大地震で鹿島槍が大崩壊し、麓が大被害を受けたため、地震の神様である鹿島神社を勧請したともいわれています。かくね里は、鹿島川最上流部の標高1800〜2200mにあり傾斜もきつく、雪崩や落石も多くとても人が住めるようなところではなさそうです。もし落人が住んでいたとしても、もっと下流の方かも知れません。

 白馬三山の勇姿。左から白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳。明治時代に帝国陸軍陸地測量部が地図を作るために白馬村に訪れた時、この山々には確固たる山名がありませんでした。岳山(たけやま)とか西山とか適当に呼んでいたそうです。そんな馬鹿な話があるかと役人に怒られて、長老が命名。
 代かき馬からとって代馬岳、貝杓子に似ているので貝杓子岳、長いので貝を取って杓子岳、尖っているので槍ヶ岳、しかし槍ヶ岳、鹿島槍とあるので駄目だと言われて白馬鑓ヶ岳と命名。西山にいる山の主で天狗の尾根、身の程を知らぬ者が天狗に近づこうとして帰れなくなったので不帰ノ岳と適当に命名して今に至ります。代馬岳は、実際の地図では白馬岳となっていましたが、村人達は長い間その事実を知らなかったそうです。(出典:『北アルプス白馬ものがたり』石沢 清著)

 2014年(H26)11月22日22時8分に白馬村を震源として発生したM6.7の神城断層地震で、山頂が4割崩壊してしまった虫倉山。崩壊した赤茶色の崖が生々しく見えます。1847年5月8日(弘化4年3月24日)の善光寺地震でも大規模な山崩れが発生し、死者総数8,600人強、全壊家屋21,000軒、焼失家屋は約3,400軒を数えました。折しも善光寺御開帳の真っ最中で死者が増えました。参拝者の生存率は1割ぐらいとか。松代藩の立てた慰霊碑が、妻女山展望台の裏にあります。
 虫倉山は、上部が硬い凝灰角礫岩(荒倉山火砕岩層)で、下部が柔らかい砂岩など。その境界部辺りの岩石が大崩落し、大田の集落を全滅させました。崩落地点のすぐ左側を登って山頂に到る人気のさるすべりコースは、登山禁止のままです。
虫倉山。神城断層地震で崩壊した山頂へ。無常と360度の大展望と。登山情報(妻女山里山通信)崩落した山頂の写真がご覧いただけます。

 同じく展望台から山布施の集落。左の布施神社の右の道を15〜20分ほど登ると、布施氏の須立之城跡。
山布施の布施神社と石川流木彫。布施氏の須立之城探訪。陣馬平のカモシカの親子(妻女山里山通信)
大彦命と布施氏の布制(布施)神社詣でと茶臼山ラッセル(妻女山里山通信)
茶臼山の茶臼ケ城、修那羅城、篠ノ城探索。布施氏の山城は想像以上に大規模でした(妻女山里山通信)

(左)茶臼山山頂(729.9m)。布施氏の茶臼ケ城跡で、南北に長い変形ですがおそらく地滑りや侵食で当時の形ではないと思います。北側から南を見たところ。(中)北の端から北側の段郭らしき部分を見下ろしたところ。右(東)へ伸びる尾根を下ると、修那羅城、篠ノ城へ。(右)山頂から尾根の登山道に戻り北アルプス展望台を過ぎて北へ200m足らず下ると、右に善光寺平展望所。手前で男性に遭遇。マイナーな小松原コースを登ってきたというので、どこで知りましたと尋ねると拙書を持っていました。嬉しいですね。載っていないコースなどを紹介しました。

 善光寺平展望所から見る根子岳と四阿山。拙書で詳しく書いていますが、四阿山は真田の修験の山で、山頂には麓の山家神社の奥宮が二つあります。神社には、真田幸隆が奉納した奥宮の漆塗りの扉が現存します。その手前に松代東条の奇妙山とさらに手前に東条氏の山城がある尼巌山(あまかざりやま)。いずれも拙書で紹介しています。根子岳もほとんど積雪がありません。これではスキーはできませんね。この日の善光寺平は、地面から300m辺りまで薄い霧がいつまでもかかっていました。
四阿山から根子岳縦走。多くの方とお話ができました(妻女山里山通信)

 同じく展望台から横手山の望遠カット。山頂へのリフトの白い線が見えます。標高は2307mで、横手山・渋峠スキー場は、日本一標高の高いところにあります。横手山山頂ヒュッテのパンとボルシチときのこスープは人気です。山頂へは、のぞきの駐車場からスカイレーターとリフトで、渋峠の駐車場からはリフトで。周辺にはトレッキングコースもいくつもあります。左の梢の向こうに見える三角の山は、笠ヶ岳。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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