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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

氷河期の生き残りウスバシロチョウの舞う陣馬平。気温32度の田んぼで稲の筋蒔き(妻女山里山通信)

2017-05-20 | アウトドア・ネイチャーフォト
 短い信州の春はアッという間に通り過ぎ、里山は新緑で覆われています。まず先週の妻女山陣馬平から。

(左)陣馬平の新緑。山椒の若葉を摘みに男性が来ました。私と同じく山椒味噌にするそうです。今しか食べられない季節限定の珍味です。ご飯のおかずに良し、焼きおにぎりに良し、塩焼きの鮎に添えたら料亭の味。(中)貝母(編笠百合)は結実し始めました。(右)糸巻き状の実。さく果で枯れると飛び散り風に乗って舞います。今年も種を採取して蒔く予定です。

(左)氷河期の生き残りといわれるウスバシロチョウがたくさん舞っています。オスがメスに交尾を迫っています。(中)メスが拒否したのかオスがこのメスはまだ成熟していないと判断したのか、すぐに飛び立ってしまいました。人の世界も蝶の世界も愛の成就は簡単ではないようです。(右)残されたメス。以前、「シェルのランプシェードの様な翅が美しいウスバシロチョウの交尾は女性上位 」という記事をアップしました。

 陣馬平の貝母。黄色く枯れて倒れているものもあります。手前は山蕗。里蕗より味が濃厚です。皮をむかず一度茹でこぼすだけです。今回は干しホタルイカと煮付けました。絶品です。

(左)帰りに堂平大塚古墳へ。隣接するログハウスに、今は亡き大切な山仲間だったKさんの弟さんがいらしたので、色々な話をしながら昼餉にしました。ツツジが満開です。(中)Kさんが植えたレンゲツツジも満開。有毒ですから庭木で植えてはいけません。妻女山山系ではあちこちでヤマツツジが満開。この蜜は吸えます。(右)山藤も満開。ニセアカシヤ(ハリエンジュ)の黄色い花も満開です。両方とも花穂(かすい)を天ぷらにして食べられます。

 帰りに妻女山展望台へ。東方の松代方面の眺め。中央の山は奇妙山。拙書でも紹介しています。右奥には、やはり拙書で紹介の根子岳と四阿山。7月にひと月ほど長い休暇がとれるので、撮影に通うつもりです。また県の天然記念物のミヤマモンキチョウに出会えるでしょうか。
天然記念物のミヤマモンキチョウに会いに峰の原高原から根子岳へ(妻女山里山通信)

 北方の川中島と長野方面の眺め。右に飯縄山、左に戸隠連峰と戸隠富士と呼ばれる高妻山。この時間は昼食時なので誰もいませんでしたが、眼下の畑では長芋の種芋の植え付けが盛んに行われています。

(左)一週間後の週末は、友人のところで稲の筋蒔き。培養土に水を撒いて練ります。(中)パレットに培養土と種籾を入れる機械。(右)120枚ぐらいを持って水田へ。まず根切の寒冷紗を敷きます。

 住宅街の中にある小さな田んぼ。ユニチカのポリエステル長繊維不織布ラブシートを被せています。しかしラブシートってなんというネーミングなのでしょう。中央奥は拙書でも紹介の五里ヶ峰。カッコウの鳴き声が聞こえます。都会の人は高原の鳥と思っている人もいるでしょうが、信州では里山や集落の中にも来ます。朝から鳴かれると結構煩いです(笑)。カッコウ、カッコウと鳴いてるといいのですが、カッで突然止められると、どうしたどうした何があったと気になります(笑)。ここで昼食へ。K氏が作ったおにぎりに私が持参した自家製の山椒味噌を塗って。馬鹿旨です。山蕗と干しホタルイカの煮物も持参。K氏がムサシヤの辛口ジンギスカンとタマネギの炒め物を作りました。

(左)午後は寒冷紗のトンネルを作りました。風飛び防止に洗濯バサミで留めます。(中)最後に水を入れます。(右)水は千曲川の坂城大橋近くから分流する埴科用水の水をポンプで入れます。32度の中の過酷な作業。プロの農家は、こんな時間に農作業はしません。この時間はお昼寝タイムです。

 K氏が畝を高く作りすぎたため、水を入れるのに時間が掛かってしまいましたが、なんとかめでたく終了。6月下旬に田植えをする予定です。美味しい米ができるといいなあ。

 翌日は畑で鬼の様に成り始めたスナップエンドウを収穫してから妻女山奥の陣馬平へ。山蕗を採りました。今回はコウナゴと煮付けます。その後、地元の人も知らない谷へモミジガサ採りに。少し遅かった様ですが、ひと束を採取。おひたしと天ぷらに。東北では山菜の王様と呼ばれる珍味。ウスバシロチョウの舞う山をそそくさと下りたら、下界はなんと最高気温が33.4度。脳みそが溶けそうです。買い物をして温泉に入って帰宅してまずビール。甘露です。少し昼寝して明日の準備。それにしても、この暑さには体がついていきません。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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遠山郷、大鹿村、伊那谷、下諏訪。中央構造線を巡る旅 その2(妻女山里山通信)

2017-05-13 | アウトドア・ネイチャーフォト
 中央構造線を巡る旅二日目は、まさに中央構造線を肌で感じる一日になりました。地球のダイナミックな活動を感じることができました。

(左)早朝、宿の「美野鹿」から。正面の山は青田山。右手の谷は昔から大きく崩壊し治山工事が行われています。朝食前に散歩へ。(中)「美野鹿」二階の左端の部屋に泊まりました。ご主人が花桃が好きで敷地内にたくさんあり満開でした。朝食は前の記事に載せましたが、初めて食べるウコギ飯が非常に美味でした。(右)手前に見える赤い樹木は南天。正月用に出荷されるそうです。

 朝食をいただき会計を済ませて出発です。宿の裏手からの眺め。宿のご主人と名古屋からバイクで来た常連の男性が飼い犬の散歩へ。花桃が鮮やかに彩ります。

(左)まず近くの重要文化財「醫(医)王山福徳寺」へ。仏像台座の墨書に平治2年(1160)とあり、平安時代末期の創建とされるそうですが、建物自体はその後再建されたものだそうです。「山号は天台宗系寺院のものであり、本尊は薬師如来となろう。堂建立の施主や中心人物は不明であるが、大河原城址が指呼の位置にあることから、香坂氏や山号から天台座主であった宗良親王の存在が浮かんでくる。」と村の観光サイトにあります。(中)香坂高宗墓跡。室町末期。「香坂高宗は南北朝時代に大河原城主として征夷大将軍信濃宮宗良親王に忠節をつくした人物で、応永14年(1407)に大河原城にて没する。」と案内にあります。香坂氏(こうさかし)は、信濃国の武家の氏族。高坂とも書く。東信濃の名族滋野氏で、滋野三家の一つ禰津氏の禰津宗直の五男貞行を祖とする。香坂は佐久郡香坂(現佐久市香坂)に由来する。(Wikipedia)(右)春の大鹿歌舞伎が上演される大磧神社。YouTubeでも動画がたくさんアップされています。

 1957年竣工の小渋橋(国登録有形文化財)の向こうに南アルプスの赤石岳の勇姿。

(左)今回のハイライト、中央構造線博物館。学芸員の河本さんの解説は、専門的ながら非常に分かりやすく面白いです。中央構造線の露頭を切り出して展示してあります。中央構造線の立体模型が秀逸。この裏手にある大鹿村ろくべん館も同じチケットで観られます。大鹿歌舞伎の展示や村人の昔の暮らしなど。(中)鹿塩温泉の塩湯荘。海水とほぼ同じ塩分濃度の塩水が標高750mの地から湧き出ています。大昔ウユニ湖の様な塩湖があって、そこからお湯が湧き出しているのでしょうか。謎だそうです。(右)その向かいにある黒部の洞窟。幻の岩塩を求めて彫り続けた洞窟。結局岩塩は見つからず夢は叶いませんでした。その後、すぐ下の「塩の里」に寄り、私は鹿肉ソーセージと山塩を買いました。

(左)大鹿村の大西公園へ。ソメイヨシノは終わっていましたが、八重桜が満開でした。大西山の崩壊現場。南アルプスは砂山ともいえる山脈で、あちこちにこういう崩壊箇所が見られます。(中)県道59号を下って松川町へ。途中の小渋ダム。(右)南アルプスの塩見岳。

(左)昼食は、伊那でタイ料理のサワディー。私は鶏肉炒めご飯。奥の甘辛いソースをかけて頂きます。(中)青パパイヤのサラダ。タイ料理はハズレがないのですが、ここのは特別に美味でした。(右)伊那から高遠を通過して152号を諏訪に向かい北上。途中で立ち寄った守屋山の麓に鎮座する守屋神社。洩矢、守矢、守屋と検索すると、古代ユダヤ人まで遡ります。

 杖突峠の無料展望台からのパノラマ。拙書でも紹介の左の蓼科山から右へ八ヶ岳連峰。少しずつ重ねて撮った5枚の望遠カットを、フォトショップでつなげてあります。

 展望台から諏訪湖。諏訪盆地は、フォッサマグナにできた盆地で、約150〜120万年前からの糸魚川-静岡構造線断層帯の左横ずれ運動によって形成されたプルアパート盆地だそうです。そこにできた水たまりが諏訪湖。なので水深は7メートルしかありません。

(左)展望台のカフェで、私は地ビールの諏訪浪漫を。ブラジルのチーズパン、ポン・デ・ケージョも。なんでも前経営者が日系ブラジル人だったとか。ブラジルでよく食べた懐かしいコシーニャ・デ・フランゴもあります。(中)神長官守矢史料館。江戸時代まで諏訪大社上社の神長官をつとめた守矢家の敷地内にあります。設計は世界的な建築家、藤森照信氏。(右)館内展示の「サナギの鈴}。ミシャグジ神の鈴とあります。他には生贄の鹿や兎、蛙の剥製の展示も。武田氏の古文書も沢山所有しているそうです。

 藤森照信氏の茶室「空飛ぶ泥舟」。 昨年の初詣でも訪れました。その時のブログ記事です。藤森氏についても記しています。

 同じ敷地内にある茶室「高過庵」 。アメリカのTime誌に「世界でもっとも危険な建物トップ10」に選ばれています。

(左)ついで初詣ででは混みすぎて入るのを断念した諏訪大社上社本宮へ参拝。トヨタ・スポーツ800(通称ヨタハチ)。1965年(昭和40年)から1969年(昭和44年)にかけて製造されました。学生時代に知り合いの喫茶店店主に何度か乗せてもらいました。このオーナーは、この車を愛して止まないのでしょうね。非常に状態がいいです。(中)遊泉ハウス児湯へ。温まって帰路につきました。(右)夕食は料理尾が得意な長男が作りました。右手前はコシアブラがたっぷり入ったアサリのボンゴレビアンコ。超絶美味でした。左はベーコン入りの長芋のお好み焼き。外がカリカリ中がトロトロ。上は大鹿村で買い求めた鹿のソーセージとアスパラガスとエリンギのソテー。これも後引きの旨さでした。南信へ行かれたらジビエを買うことをお勧めします。実に内容の濃い中央構造線を巡る旅でした。ぜひ再訪したいと思います。
南アルプス ジオパーク

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遠山郷、大鹿村、伊那谷、下諏訪。中央構造線を巡る旅 その1(妻女山里山通信)

2017-05-11 | 歴史・地理・雑学
 ゴールデン・ウィークの後半は、長男と一泊二日で、信州の南端近くの秘境、遠山郷と大鹿村へ。そして伊那谷から下諏訪へと、中央構造線を巡る旅をしてきました。

(左)中央自動車道松川インターを下り、飯田方面へ。喬木村から県道251号を一路遠山号へ。すると山中で突然現れる自動車専用道路のループ橋。国道474号小川路峠道路です。未完成の三遠南信自動車道の一部。奥に見える直線の道路は、左の山際で突然終わっています。(中)上村川に沿って秋葉街道152号を南下。南アルプス ジオパーク・エコパークの看板。全体像をここで掴んでおきます。(右)遠山郷下栗の拾五社大明神(正八幡宮)。応神天皇を主祭神として八幡社を祀り木火土金水の五神が合祀。さらに元和元年に遠山氏滅亡後その霊を慰めるため八社の神として祀られる。諏訪大社の祭神、建御名方神その御子神十三神が祀られていることから拾五社大明神と呼ばれている。(神社の看板から抜粋)。湯立神楽行事で有名な霜月祭も行われます。

(左)神社の参道脇に咲くニリンソウ。(中)下栗の里をジグザグに登っていきます。花桃や菜の花が咲いていました。ロードバイクで登る人もいます。(右)下栗の里の最上部にある駐車場。レストランや売店なども。ここから30分ほど歩いて下栗の里が一望できる展望台へ向かいます。

 展望台からの下栗の里。信州三大秘境や、日本の秘境100選のひとつに数えられている秘境です。

(左)山を下って遠山郷の中心地の和田へ。ジンギスの肉のスズキヤのある秋葉街道。(中)昼は道の駅の横の食楽工房屋で。私はゆず塩ラーメンとビール。化学調味料臭くないあっさりラーメンも美味。クラシックラガーは珍しい。(右)息子は鹿肉のメンチ定食。非常に美味しかったそうです。

(左)遠山郷土館のある和田城跡へ。(中)霜月祭の展示がたくさんあり非常に興味深く鑑賞しました。(右)和田城跡からの展望。

(左)和田城跡の裏手にある曹洞宗盛平山龍渕寺。春の花まつり。万国旗が…。(中)神社の木彫。(右)遠山氏の墓。後ろの四本の杉の大木は、根本で全て繋がっていました。

(左)旧木沢小学校へ。(中)校長先生です。(右)懐かしい机。蓋をひっくり返して粘土細工をしました。

(左)展示はプロの学芸員ではなく地元の老人達がやっている様で、雑然としていますが、面白いです。(中)亡き父が冬になると使っていた縄綯い機。(右)遠山郷の森林鉄道の写真は非常に興味深いものでした。

(左)なんとテクニクスのアナログプレーヤー。(中)職員室。6つの机と右に校長先生の机。(右)懐かしい謄写版。中学時代に編集長だったので、これで速報新聞を作りました。古いハモンドオルガンがたくさんあり、懐かしくてちょっと弾いてみました。私が通っていた小学校や中学には、理科準備室に人体の内蔵模型やホルマリン漬けの色々な生物がいて結構恐怖でした。

(左)遠山森林鉄道の牽引車。(中)索道を利用した伐採現場。(右)崩壊した山林に植樹。色々な広葉樹が植えられていました。

(左)北上して大鹿村へ。今夜の宿の「美野鹿」へ向かいます。(中)「横須賀カレーフェスティバル2015」で鹿肉カレーがグランプリを受賞,そのカレーが食べられるレストラン。(右)宿の「美野鹿」からの眺め。これは写真では伝わらないと思います。北信では見られないダイナミックな風景です。

(左)民宿の夕食。これに山菜の天ぷらが追加。地元の食材が使われとても美味でした。裏の斜面に咲いていたショカッサイがちらし寿司に。お洒落です。瓶ビールを2本いただきました。宿泊者は名古屋からのご夫婦と、やはり名古屋からのライダー。拙書を紹介しましたが、色々質問もしてくださり、持っていた見本誌を興味深く読んでくださいました。(中)民宿の部屋からの夕暮れ。(右)朝食。ウコギ飯を初めて頂きました。茹でて塩もみしたウコギが大層美味。

 次回はその2で、大鹿村の中央構造線博物館から伊那へ、更に北上して下諏訪へ。中央構造線の旅は続きます

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上田市塩田平、別所温泉の後背にそびえる雨乞いの山、夫神岳トレッキング(妻女山里山通信)

2017-05-06 | アウトドア・ネイチャーフォト
 ゴールデン・ウィークの前半は、妻女山里山デザイン・プロジェクトの面々と上田市塩田平、別所温泉の後背にそびえる雨乞いの山、夫神岳に登りました。荒れ模様だった前日とは違い、朝からピーカンの好日でした。

(左)信州の鎌倉と呼ばれる塩田平からの夫神岳。コースは主に別所温泉からと青木村からのコースがあるのですが、今回は後者です。(中)まるべりーオートキャンプ場上の登山口駐車場から出発。トイレもあります。(右)獣害避けの扉横にジグザグに抜ける登山者用の通路があります。イノシシはここを抜けられないのでしょうか。そうならば他の山も取り入れて欲しいですね。

(左)林道歩きの後に月波(つくば)の泉。甘露です。(中・右)そのすぐ上のくらおかみ大明神。ここで休憩。この祠は説明文によると、寛文五年(1665)に建て替えられたといいます。おかみ信仰は高龗(淤加美:おかみ)と闇(くら)龗(淤加美:おかみ)の二柱の神で、雨の神、水の神で、遠い昔の雨乞いの歴史を今に伝えるもの。この夫神信仰が元になり麓の村は夫神郷と呼ばれるようになった。この社に夏祭りの時に奉納されるしなり織りは、雨の神、龍神の姿をあらわすものとされる。「とおき世に 雨を祈りて 祀るてふ 泉のかたえ くらおかみたつ」※PCの環境によっては文字化けします

(左)林道や登山道脇に咲く花々。マキノスミレがあちこちで咲いていました。(中)ネコノメソウの仲間。ネコノメソウは種類が多く、同定はなかなか困難です。(右)シロバナエンレイソウ。咲き始めでした。

(左)雨量の少ない塩田平ですが、北側だからかあちこちに美しいスギゴケが見られました。(中)小さなホンドサルオガセ。(右)うつむいて咲くモミジイチゴも散見。

(左)キンポウゲ科イチリンソウ属のアズマイチゲ。スプリング・エフェメラル(春の妖精・春の儚い命)と呼ばれる花のひとつです。(中)シダ類の一種でしょうけど、なんでしょうね。すごく小さいです。(右)猛毒のハシリドコロの群生。ヤマトリカブトの群生もありました。

(左)N氏の帽子に止まったヒオドシチョウ。(中)同じくN氏の手に止まったベニヒラタムシ。どうも虫をおびき寄せる才能がある様です。(右)ヒメツチハンミョウですかね。幼虫はハナバチ類の巣に寄生して卵や花粉,蜜を食べます。触るとカンタリジンという有毒成分を分泌するので要注意。

(左)山頂まであと600m。急登が堪えます。(中)やっと山頂。前述の祠があります。(右)山頂は北面のみ眺望が開けます。子檀嶺岳が正面に。右奥に大林山。さらに右端の奥に鏡台山。眼下に青木村。

 拙書の表紙にもなっている子檀嶺岳。眼下の道の駅あおきからは、ゴールデン・ウィークの客を迎える太鼓の音が聞こえます。夫神岳は残念ながらページ数の関係から拙書には載せられませんでしたが、子檀嶺岳はその名前の由来や歴史からコース、麓の国宝大法寺の三重塔(見返りの塔)まで詳細に載っています。

 山頂で記念写真。昼餉は事前に打ち合わせをしなかったので、豚や鴨など肉だらけになってしまいました。これは厳しく反省しなければなりません。ほかにおにぎり、こねつけ、インスタントラーメン、ウドのぬた、にんにくの芽と豚肉の中華炒めなどもあり、食べすぎての下山となりました。これも反省点です。

 なんだか分かりますか。下山中に伐採地で見つけた鮮やかな物体。カエデの切り株に発生した樹液酵母です。舐めてみましたが無味無臭です。ビールの酵母やパンの酵母にも使えます。昆虫たちも食べに来ます。

 下山後は「無言館」へ。戦没画学生慰霊美術館です。冬にひとりで来た時とは違い連休なので大勢の人が訪れていました。戦争によって絵を描くという夢を絶たれた若者たち。ぜひ訪れて欲しい美術館です。
 第二展示館「傷ついた画布のドーム」の前庭にあるモニュメントの裏の一文。
『画家は愛するものしか描けない 相手と戦い 相手を憎んでいたら 画家は絵を描けない 一枚の絵を守ることは 「愛」と「平和」を守るということ』

 次回からは、ゴールデン・ウィーク後半の信州の秘境への旅「遠山郷、大鹿村、下諏訪。中央構造線を巡る旅 その1」をアップします。あまりにも濃すぎる旅で一度では表現しきれません。南信は非常に非常に奥深いです。忙しくなりそうなのでアップの日は未定です。

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妻女山・陣馬平の貝母(編笠百合)が満開。山菜の季節到来!(妻女山里山通信)

2017-04-22 | アウトドア・ネイチャーフォト

 前回紹介した妻女山陣馬平の貝母が予想通り満開になりました。10日に満開と異常に早かった昨年と比べるとほぼ平年並みといえます。今日は曇りがちで北風が強く、最高気温も12度でした。貝母は丸まった葉先で互いを結び合いながら強風に揺れていました。見頃は今月いっぱいですが、天候が良ければゴールデン・ウィークの中頃まで見られるかもしれません。現在は自然写真家ですが、若い頃はアイドル雑誌のデザインをしたり撮影のディレクションもしていました。貝母と美女の撮影もしてみたいですね。あんずの花には童女が似合いますが、貝母には三十代以上の女性が似合うと思います。そんな慎ましやかな美しい趣のある花です。

 貝母の和名は編笠百合ですが、下から花の中を除くとその理由が分かります。4月の茶花で慎ましやかな美しい花ですが、呼吸器や中枢神経に麻痺を起こすかなり強い毒草です。決して持ち帰らないでください。
 満開と書きましたが、実際は天頂部がまだつぼみのものもあります。ゴールデン・ウィーク突入の29日、30日は完全に開いて見頃でしょう。

「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集)
 これが貝母のことであるという説があります。薬用に持ち込まれたのが江戸時代なのでしょうか。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。
 意味は、季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は咲かないのだろうか(咲くのだったら摘み取って共に行くのに)。防人というのは、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。

 貝母の群生地のある陣馬平。第四次川中島の戦いの際に、上杉謙信が陣城を建てたと伝わる場所です。行き方は拙書に地図を載せています。群生地は、陣馬平の南半分にあるのですが、手前にヨシとノイバラの群生地ができ貝母を侵食し始めたため、昨年、妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーを中心に何度も通って根の除去作業をしました。そして、その後に貝母の種や球根を蒔いたり植えたりしたのですが、それらが芽を出しました。上手く行けば数年後には群生地が二倍ぐらいに拡大するかもしれません。

(左)オオヤマザクラ(ベニヤマザクラ)も開花。(中)ズミも満開です。(右)林道沿いにはキブシ。

(左)ウスバシロチョウの食草であるシロバナケマン。(中)エゾスミレに続いてタチツボスミレも咲き始めました。(右)さらに20分ほど登ってカタクリの群生地へ。盛りは過ぎていましたが、これから咲くものもありました。タチツボスミレもそうですが、アリが種に付いているエライオソーム(脂肪酸や高級炭水化物などが大量に含まれる)を求めて酢に運び食べた後に種を外に蒔くことで増えるアリ散布植物です。日本には200種以上あります。アリさんは偉い。

「もののふの 八十(やそ)乙女らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子(かたかご)の花」大伴家持(万葉集)
 当維持29歳の大伴家持が、赴任先の越中国府の伏木(現在の富山県高岡市伏木に5年間赴任)で、寺井の井戸(井泉の跡と歌碑がある)の周りにたくさん咲くカタクリを宮中の乙女になぞらえ、都を懐かしんで詠んだ歌だといいます。そう思うと写真のカタクリが、美しい乙女に見えてくるから不思議です。

 キブシの玉暖簾。木々の芽吹きも一斉に始まりました。

 妻女山松代招魂社のソメイヨシノは散り始めています。山桜が咲きだすのはこれからです。

 妻女山展望台から松代方面。松代城のソメイヨシノも散り始めているでしょう。強風で花吹雪が見られたかもしれません。

 展望台からの下り。ヒノキの芽吹きで春紅葉が見られます。道路上は散った桜の花びらの絨毯。

(左)山上はまだ蕾でしたが、麓の山吹は満開でした。(中)妻女山里山デザイン・プロジェクトの面々とやっている椎茸の原木栽培。このところの雨で大きく成長していました。大きな袋いっぱい採って干し椎茸にします。(右)山菜の季節が到来。左から時計回りにコゴミ、タラの芽、椎茸、コシアブラ、ハリギリ。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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妻女山・陣馬平の貝母(編笠百合)が開花。あんずの里は満開!(妻女山里山通信)

2017-04-16 | アウトドア・ネイチャーフォト

 前回紹介した妻女山陣馬平の貝母が開花し始めました。異常に早かった昨年とは異なり平年並みです。満開は20日頃からゴールデン・ウィーク前半まででしょう。昨年は信濃毎日新聞の斜面でも紹介していただいたので、訪れる人が激増しました。すでに県外から開花情報の問い合わせもありました。
 左奥は昨年、妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーや協力者によってヨシとノイバラの根を除去し、貝母の種や球根を植えたところなのですが、たくさん発芽しています。

 貝母の和名は編笠百合ですが、このカットを見ると納得がいくと思います。茶道を嗜む人はご存知でしょう。4月の茶花です。喉の薬になる薬草ですが、同時にかなり強い毒草です。持ち帰って庭に植えたいという方もいますが、危険なのでお断りしています。野草や山菜での事故が毎年ありまから。

 森のあんずが満開というので長男と出かけました。拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林でも載せている私が好きな撮影ポイントです。まだ9時なので花見客もまばらです。早朝に農薬散布をしているので、農薬の臭いがします。

 ツクシ(土筆)の群生。保育園の頃、祖母がこれの卵焼きを作ってくれてお弁当に入れて行きました。血糖値を下げたり、むくみ解消の効能があるそうですが、今ツクシを食べる人はほとんどいないでしょうね。アルカロイドを含むので大量摂取はいけません。ビタミンEは野菜ではトップクラスだとか。ビタミンCやカロテンも豊富。

 満開のあんずの木の向こうに白馬三山。葛飾北斎の様な外連味のある構図を意識して撮ってみました。あんずの枝の踊り具合がいいですね。

 樹齢が250年以上というあんずの巨樹。森のアンズは、天和年間(1681~1683年)元禄時代、伊予宇和島藩主伊達宗利侯の息女豊姫が、松代藩主真田幸道侯に興し入れの際、故郷の春を忘れじとして国許よりアンズの苗木を取り寄せ、松代東条地区に植え付けたのが始まりとされるのですが、それ以前にも少しはあった可能性はあります。安永年間(1772~1780年)松代藩は、森村・倉科村・生萱村・石川村などへ苗木を配布し、栽培を奨励しました。

 その巨樹の花のアップ。花びらが白く、雄しべの黄色が目立つため、遠くから見るとやや黄色みを帯びたコーラルピンクに見えます。私が高校生の頃に教室の窓から見えたあんずの里は桃色ではなくこの色でした。

 花見客やカメラマンがまず訪れない山際のあんず畑には巨岩がゴロゴロしています。樹下にはホトケノザ、ヒメオドリコソウ、オオイヌノフグリ、タネツケバナ、ミヤマハコベ、カキドウシなどが咲いています。

 毎年ついつい撮影してしまうあんず畑のスバルサンバートラックの廃車。今回は長男にいつ頃のどういうモデルかを詳しく教えてもらいました。普通のカメラマンはあんずを撮影に来ているので、こんなカットは撮りませんが、私はこういうところにも感性の琴線が震えるのです。

 長男が八十二銀行のカレンダーにありそうなベタなシチュエーションだねと言ったカット。レンギョウの向こうに菜の花。その向こうにあんず。アートディレクター時代の私なら、なにか特別な意図がない限り絶対に使わないだろうカットですが、今回はあえてアップしてみました。

 禅透院の鐘楼の周りに咲くサンシュユ(山茱萸)と在来種のあんずの花。

(左)どれでも四つ1000円の売店は人気でした。干しあんず、あんずの焼酎漬け、シロップ漬け、セロリの粕漬けなど。(中・右)昼食はおもてなし食堂で郷土料理の「おしぼりうどん」。美味でした。その隣にあったスバルサンバーの消防車。これはミニカーでも販売されているそうです。

 母方の祖母が眠る興正寺へ。山門の脇に咲く枝垂れ桜。

 興正寺山門の「子持龍」は、天才・立川和四郎富昌の作。一見の価値があります。和四郎富昌は八幡の武水別神社の再建中でした。そこで、森出身の弟子・宮尾八百重を案内役に住職、世話人、名主らが建築現場に赴き建築を依頼。引き受けた富昌は三月頃から、父富棟が寛政二年(1789)に建築した善光寺大勧進の表御門形式を参考に絵図面を制作。四月には八百重の家に投宿し近くの薬師山に登って酒宴を催し、満開の杏花を愛でたといわれています。夜は篝火の下で鼓を鳴らし謡曲の「鞍馬天狗」を吟じ、見事な龍を描き上げ、村人や近郷近在の話題をさらい、村では日本一の宮大工が来たと喜んだそうです。興正寺は、浄土宗西京大谷知恩院の末派で、創立年は不詳。
 彼の木彫は、京都御所の建春門の「蟇股(かえるまた)の龍」、遠州の「秋葉神社」、諏訪の「諏訪大社下社拝殿」、善光寺大勧進御用門「江梁の龍」、松代町西条の白鳥神社の「神馬」などがあります。また、同市屋代の須々岐水神社、土口の古大穴神社にも富昌の作があります。左右にある波の彫刻は、葛飾北斎の影響を受けたものともいわれていますが見事です。

 帰りに妻女山展望台へ立ち寄り、松代城へ行きました。『真田丸』効果が冷めやらぬか観光客が大勢訪れていました。(左)太鼓門への橋から尼厳山と奇妙山。いずれも拙書で詳しく紹介しています。(中)武者姿の人が二人いて観光客と記念撮影に応じていました。(右)松代城の櫓台越しに見る上杉謙信が本陣としたと伝わる斎場山(旧妻女山)。私の本やブログを見て訪れる人も増えました。現在の妻女山は往古は赤坂山といい、謙信の本陣と伝わる場所ではありません。そのことも拙書では詳しく記しています。

YouTubeに各年のあんずの里のスライドショーをアップしています。ぜひご覧ください。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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妻女山・陣馬平の貝母(編笠百合)の群生地へ。千曲市あんずの里の開花状況(妻女山里山通信)

2017-04-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
 4月に入って一気に春めいてきた北信濃です。3月はまだ冬でした。5月になると一気に初夏へ。信州の春はたったひと月しかないのです。3月に残雪の中から芽吹いた貝母の群生地の様子を見に行きました。

 耕作放棄地に咲くホトケノザ。その向こうにナズナの群生地。その向こうには菜の花。更に奥には妻女山が見えます。紅梅が満開です。

 拙書で満開のカットを載せている貝母の群生地。咲いているものは一輪もありませんが、たくさんの蕾が風に揺れています。

(左)蕾の感じでは次の週末からぽつぽつ咲き始めると思います。満開になるのは20日頃でしょう。ゴールデン・ウィークの前半頃まで楽しめると思います。(右)貝母の群生地には蕗もたくさん自生しています。山の蕗は一味違います。今回は長男のアドバイスで鶏のひき肉入りの蕗味噌にしてみました。馬鹿旨です。

 左前方は、昨年に妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーと、何度も通ってヨシとノイバラの根を除去した場所。種や球根を植えたのですが、そこからも発芽していました。ひょっとしたら数年後には貝母の群生地が2倍ぐらいになるかもしれません。しかし、広がるのは昔畑だったところのみで、土質が異なるところへは増えては行きません。
 まだ小さなものも多く、これからもっと壮観な光景になります。4月の茶花でもあるので茶道を嗜む女性にはおなじみの野草です。元々は中国原産の薬草ですが、誤って食べると呼吸麻痺や中枢神経麻痺などを起こすかなり強い毒草です。美しいからといって決して持ち帰らないでください。山野草の誤食による事故が毎年起きています。

(左)シロバナケマン。氷河期の生き残りといわれるウスバシロチョウの食草ですが、これも毒草です。(中)春一番真っ先に咲くスミレ。アオイスミレですが、葉先が尖っているのでエゾアオイスミレでしょうか。小さく可憐なスミレです。(右)今は亡き山仲間のKさんのログハウスに咲く紅梅。

 陣馬平から403号を千曲市のあんずの里へと向かいました。咲いているのは北風が当たらず、日当たりのよいところの杏。多くの杏はまだつぼみか三分咲き、五分咲き程度でした。予報では13日の木曜日が満開とか。15日(土)と16日(日)は多くの花見客で賑わうでしょう。

 五分咲きぐらいですね。観光客もまばらです。火曜日は雨ですが、水曜日から天候が回復するので花見客やカメラマンが訪れるでしょう。いいアングルを見つけるには、とにかく歩くことです。在来種は集落の中にも残っているのでおすすめです。一般の人があまり行かない山際の高いところや、少し離れた岡地集落や倉科もおすすめ。

 この辺りは北風が吹き付けるからでしょうか三分咲き。菜の花も咲き始めです。ホトケノザやカキドウシ、水仙も咲いていました。

 あんずの花三種。在来種にも何種類もあり、栽培種も色々あります。スケッチパークでそれらが見られるので訪れることをおすすめします。

 在来種の大木も咲き始めです。この大木の満開のカットは拙書に載せています。私が高校生の頃に校舎の窓から見えた杏の里は在来種が多く、手前にあるような濃いピンクの花ではなく、やや黄色みを帯びたコーラルピンクに染まっていました。あんずの里の風景も時代とともに随分と変わりました。
YouTubeに各年のあんずの里のスライドショーをアップしています。ぜひご覧ください

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村上春樹さんのジャズ喫茶 - 『国分寺・国立70sグラフィティ』目次 [CONTENTS]
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その美しさから「見返りの塔」と呼ばれる大法寺の国宝三重塔へ(妻女山里山通信)

2017-04-02 | 歴史・地理・雑学
 昨年の5月に妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーと子檀嶺岳に登った帰りに参拝した天台宗一乗山大法寺の国宝三重塔を訪ねました。ちょうど三重塔の裏手の梅園が咲いているのではと思ったからです。塩田平は平安時代までに新田開発が進み、鎌倉時代には米と麦の二毛作が行われ、相当に豊かだったようです。そして、北条氏の庇護を得てたくさんの寺院や塔が建立されました。今回訪れた「国宝大法寺三重塔」は、そんな鎌倉時代の栄華を残す名塔です。そのあまりの美しさに、誰もが思わず振り返ることから「見返りの塔」と呼ばれています。

 その前にまず妻女山奥の拙書でも満開の写真を紹介している上杉謙信の陣城跡と伝わる陣馬平へ。女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーと保護活動を行っている貝母(編笠百合)の生育状況を見に行きました。2週間も早かった昨年とは違い、今年は平年並み。蕾もたくさん見られます。ヨシやノイバラの根を除去した場所に、種や球根を植えたのですが、それも芽生えていました。昔畑だったところは周囲と土質が異なるので、そのエリアにだけ増えていくのです。数年後には今の倍ぐらいに群生地が広がると思われます。満開は20日頃からゴールデン・ウィークの前半まででしょう。4月の茶花であり慎ましやかな美しい花ですが、かなり強い毒草です。決して持ち帰らないようにお願いします。

 「信州の鎌倉」といわれる塩田平は、平安時代までに新田開発が進み、鎌倉時代には米と麦の二毛作が行われ、相当に豊かでした。そして、北条氏の庇護を得てたくさんの寺院や塔が建立されました。子檀嶺岳の山麓にある国保大法寺三重塔は、そんな鎌倉時代の栄華を残す名塔であり、地元の宝です。
 塔は、大正9年の解体修理の際に発見された墨書により、鎌倉幕府滅亡の年である1333年(正慶二年)に建立されたことが分かっています。塔のある大法寺は、大宝年間(701~704)藤原鎌足の子上恵が開基し大宝寺と称したといわれ、平安初期の大同年間(801~810)に坂上田村麻呂の祈願で僧義真(初代天台座主)により再興されたと伝わっています。
 ここにこのような壮麗な塔が建ったのは、北条氏の庇護とともに、この麓を東山道が通り、浦野駅(うらのうまや)(古代に30里毎に置かれた人馬の施設)があったからなのです。大法寺はその駅寺(うまやでら)でした。
 三重塔の構造は、天王寺から来た工匠により造営が行われたということで、当時の都の洗練された美しさを今に伝えています。三層の屋根は桧皮葺で、高さは18.56m。相輪を備え、天頂部には美しい水煙があります。初重の組物は二手先とし、裳階【もこし】(ひさしようなもの。あると四重の塔のように見える)がありません。裳階をつけずに初重内部を広くとるためだそうですが、そのため初層が大きく非常に安定感があり荘重、重厚な感じがあります。また、裳階がないためシルエットがシンプルで軽快感もあります。この造りは、他に奈良の興福寺三重塔(鎌倉時代初期)と石川県の那谷寺(なたでら)三重塔(江戸時代)だけといいます。内部には、金剛界大日如来坐像を安置しています。また、文化庁の調査の結果、国宝大法寺三重塔の一層内壁に壁画が描かれていたことが判明したそうです。これは興福寺の三重塔と同じです。

(左)大法寺の駐車場から望む夫神岳。初夏の妻女山SDPのトレッキングで登る予定です。(中)三重塔の初層にある「庭照」の額。「庭を照らす」という意。「我々は仏の子であり、皆仏の庭で遊んでいる。その庭を照らしているのが仏の慈悲である」というようなことなのでしょうか。この額は後世にかけられたものの様です。
(右)大正9年の解体修理の際には、これらの複雑な木組みを全て解体して元に戻したのでしょう。今現在その様なことができる宮大工はどれほどいるのでしょうか。

 三重塔後背の梅園は咲き始めでした。4月の中旬過ぎからは桜も咲くでしょう。

 美しいシルエットの屋根の向こうにそびえる夫神岳。遠い鎌倉時代の北条氏の栄華が想い起こされます。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)です。檜の樹皮を何層にも竹釘で止めていく非常に重厚で耐久性のある屋根です。檜皮を採取する技術者を『原皮師(もとかわし)』といい、樹齢50~60年の檜の樹皮を剥いで使います。その樹木を枯らさないように剥ぐのが高度な技術です。剥がれた樹皮は、8~10年で再生します。

(左)軒を支える肘木(ひじき)には 丹塗(にぬり)の赤い顔料が残っています。いずれも創建当時のものです(右上に見える)。つまり往時は、朱色の壮麗豪華な三重塔だったわけです。(中)塔の九輪とその上にある水煙。合わせて相輪といいます。釈迦が荼毘に付された際に残された仏舎利を納めた塚であるストゥーパの上に重ねられた傘が起源とされます。(右)軒下には地塗りに用いられた白い胡粉(ごふん)の顔料が見られます。

 独特の鋭い曲線を描く屋根のライン。この反りについて、『日本美の特質』(鹿島出版会)の書の中で吉村卓司氏は、日本刀の反りと共通する日本人の独特な美意識について非常に深い洞察を述べておられる。

(左)大正9年の解体修理の大正9年の解体修理の石碑。(中)満開の白梅。(右)路傍の水仙。

 参道にある羅漢石像。(左)酒を酌み交わす二人。(中)赤子をあやす母。(右)誰かな口の中にお賽銭入れたのは。他にもたくさん並んでいます。

(左・中)根元から株立ちした大きな榧(カヤ)の巨樹。古名はカエで、転訛してカヤとなったとか。榧の実は灰汁抜きして炒って食べられます。寺社に植えられているのも飢饉の備えという意味があったのかもしれません。また、碁盤や将棋盤といえば、榧材といわれるほど珍重されます。(右)桜が満開の頃や紅葉の秋にも訪れたいと思います。

 「道の駅あおき」へ。拙書の表紙は、ここから撮影したものです。子檀嶺岳という山名は、ルビがふってなければ読めないでしょう。その山名の由来も拙書では紹介しています。山頂は真田関連の山城で、空堀なども見られます。
大法寺ホームページ
青木村の国宝大法寺三重塔のページ
大法寺ウィキペディア

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春の妖精、春の儚い命の節分草に会いに千曲市倉科の群生地へ。妻女山のダンコウバイも開花(妻女山里山通信)

2017-03-26 | アウトドア・ネイチャーフォト
 千曲市倉科の杉山にあるセツブンソウ(節分草)が開花という情報をネットで得たので訪れました。昨年は春の訪れが2週間も早く、月末に訪れた時にはほぼ咲き終わっていました。今年は例年並みです。群生地は、「倉科の自然を守る会」の方々が管理や保護活動を行っています。

 早春に咲き、2、3ヵ月でその年の生活サイクルを終え消えてしまう植物は、スプリング・エフェメラル(Spring Ephemeral、春の妖精、春の儚い命)と呼ばれます。セツブンソウの種は、アリが巣に運んで発芽する虫媒花。アリ散布植物です。石灰質の土壌を好み、晩秋から冬の間に、地中深くにある黒褐色の塊茎から発芽します。種子から開花まで3年以上かかるわけですから、林床の環境が良い状態で続かないと生育できません。昔は雑木林に入って草刈りや灌木の除伐や薪拾いをしたので、明るい林床にセツブンソウがたくさん咲いたのだとか。カタクリと同様、人の暮らしと密接な関係にある植物だったのです。ですから、盗掘や自生地の環境が破壊されると真っ先に消える植物です。(絶滅危惧植物II類)

 セツブンソウはキンポウゲ科セツブンソウ属で、本州の関東地方以西に分布する高さ5〜10センチほどの小さな多年生草本。花の直径は約2センチ。花びらに見えるのは萼です。先が黄色く見えるのが退化して蜜腺になった花びらです。東京調布市の野川自然公園観察園では、毎年1月末から節分の頃に咲いていましたが、信州では3月中旬から下旬に咲く花です。この倉科の群生地は信州の北限といわれていますが、私は実は全く知られていない群生地があるのではと思っています。

 この日は、夜間に降雪があり里山は真っ白になったので、2011年の様に雪を纏ったセツブンソウが撮れるかなと思ったのですが、昼近くには既に溶けていました。もっと早く来ればいいのですが、群生地は西向きのため、10時を過ぎないと日が当たらないのです。
雪中の節分草(妻女山里山通信) 2011年3月28日

 千曲市の群生地は、他に戸倉のものが有名で訪れる人も多いのですが、倉科の群生地は訪れる人も少なく静かに鑑賞や撮影ができます。

 セツブンソウで蜜を舐める昆虫を発見。形態からハエの仲間でしょう。3000種類もいるので同定はなかなか困難です。盛んに花から花へと飛び移って蜜を舐めていました。

 当日は昼頃になると寒風が吹き下ろし始め、セツブンソウは細かく揺れ始めました。寒風に震えるような感じでした。ブレて撮影もなかなか難しくなったので、三滝へ行くことにしました。

(左)逆光のセツブンソウ。(中)群生地の入り口。車は林道脇に止めます。(右)倉科のMさん手作りの標識。斎場山(旧妻女山)から天城山、鞍骨城跡などでもお馴染みです。

 三滝春景。(左)一の滝と上に二の滝。(中)二の滝の下にはダイナマイトで破壊されて落ちた岩石の山が。理由は下記の「倉科三滝の知られざる歴史」をお読みください。
(右)明治の倉科村村誌には「二の滝、高四丈三尺、幅一丈七尺、是に龍の劍摺石と唱うる石ありて、自然の穴七ツあり、俗に摺鉢と称す」と書いてあるのですが、「自然の穴七ツ」とは甌穴(おうけつ)のことで、河底や河岸の岩石面上にできた円形の穴のこと。瓶穴(かめあな)ともいいます。三滝の甌穴は岩石で埋まったと思っていたのですが、今回一の滝の上の平らな岩盤に土砂で埋まった様な甌穴ではないかと思われるものをいくつか発見しました。土砂を取り除けば全容が見られるかもしれません。水温が低すぎて入れませんが、夏になったら調べてみようと思います。といっても真夏でも水温は12度ぐらいですが。
倉科三滝の知られざる歴史(妻女山里山通信)


 拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』の扉に使った三の滝。扉のカットは真夏で水量も多く緑濃い風景です。遊歩道もありますが、ご覧のように整備されているとはいい難く、岩もゴロゴロしているので、トレッキングシューズが必要です。また昨年は友人が子熊を目撃しているので熊鈴も必須です。

(左・中)セツブンソウが咲く頃に、妻女山のダンコウバイ(壇香梅)も咲くので寄ってみました。咲き始めでした。これから標高の高いところに向かって咲き上がっていきます。(右)斜面に白い花を発見。ヤマシャクヤクが今頃咲くはずはないしなんだろうと近づいて見ると、なんとクリスマスローズでした。もちろん園芸種です。困ったことですが、家で要らなくなった園芸種を捨てていく人がいるのです。以前は紫色のオダマキが咲いていました。いずれも状況を観ながら自然環境を破壊するほど繁殖することもないだろうと放置してあります。オオブタクサやヨウシュヤマゴボウ、セイヨウタンポポなどの帰化植物の方が余程大問題です。そして、それ以上に大問題なのが、放射能や農薬、排気ガスなのです。
 さて、里ではやっと白梅が咲き始めました。これから紅梅、杏、ソメイヨシノ、桃、林檎、山桜、レンギョウ、カスミザクラ、オオヤマザクラ、ウワミズザクラやズミと信州の春は駆け足でやってきます。
カタクリ、イカリソウ、クサボケ、モミジイチゴ、オオヤマザクラ、ズミが満開(妻女山里山通信)

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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諏訪立川流の諏訪大社秋宮と大隅流の春宮の宮彫探訪(妻女山里山通信)

2017-03-20 | 歴史・地理・雑学
 当ブログでは、諏訪立川流や大隅流の宮彫がある神社を紹介してきましたが、その代表作ともいえる諏訪大社下社の春宮と秋宮を載せていないということに気付き撮影にでかけました。三連休で参拝者も多いと思い9時半頃には秋宮に到着。参拝と撮影に勤しみました。諏訪大社下社は、春宮と秋宮の2社があり、秋と春に祭神を秋宮、春宮へ遷座することが通例となっています。
「諏訪藩主は大隈、立川の両者をよび、腕を競わせることになった。諏訪大社の下社を同じ規模、同じ期間で同時に二つの社を作るよう命じた。どちらも全力を注ぎ見事に完成した。大隅流の作った社を「春宮」、立川流の作った社を「秋宮」といい、現在もその当時の姿で下諏訪町に存在している。結果は立川流の評判が勝り、立川和四郎富棟の出世作となり、以後立川流は大隅流を圧倒し発展していった。」:立川流彫刻のサイトより引用。

(左)秋宮の鳥居前の手水舎。皆さんちゃんと作法を知っているのですね。彼女が彼氏にこうやるのよと教えているのも微笑ましい光景でした。「諏訪大社下社秋宮 境内ガイド」。(中)石造りの神橋を渡り境内へ。(右)神楽殿からは御祈祷(おはらい)の太鼓が。諏訪立川流の木彫が施された幣拝殿はこの後ろにあります。

 諏訪立川流和四郎富棟の名声を世に広めた幣拝殿。1781年(安永10年)建立。屋根が大きく下が小さな逆三角形の構図は、空(宇宙)に向かって飛び立つかの様な軽快感を覚えます。

 木彫は全体に施されていますが、目を引くのは幣拝殿最前部の柱に施された獅子と像の木彫です。立川流の特徴が凝縮された造作ともいえるものです。後に息子の富昌へとその技法は進化してゆき更に洗練されてゆきます。

 獅子のアップ。眼は翡翠がはめられているのでしょう。諏訪大社の祭神、建御名方命(たけみなかたのみこと)の母神である高志沼河姫の象徴。
『『万葉集』に詠まれた「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」(巻十三 三二四七 作者未詳) の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられ、沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王であるとみられる[1]。天沼矛の名に見られるように古語の「ぬ」には宝玉の意味があり、「ぬなかわ」とは「玉の川」となる。』by ウィキペディア
 と書いたのですが、友人の宮彫研究家から、あれは銅板ですとのメールが来ました。緑色は緑青の様です。残念ですね。翡翠なら古代へのロマンへと繋がったのですが。

 獅子と対をなす象の木彫。獅子が怒りの象徴であるとすれば、象は喜びや笑いの象徴だったのでしょうか。象は貘である場合もあります。貘は鼻が同じ様に長いのですが、耳が立っていて体毛があります。

 同時代の葛飾北斎に影響されたという波の木彫。激流をものともせず遡る鯉が彫られている見事な木彫です。

 幣拝殿内部の両脇障子は竹に鶴。その上部にも鶴。両脇には獅子。ため息が出るような素晴らしい木彫です。

(左)家紋の五根梶。諏訪大社の神紋は、上社では四根の諏訪梶・下社は五根の「明神梶」とされているのですが、例外があり混在している様です。理由は武士が台頭した時代にありそうです。「諏訪氏 梶の葉紋」で検索を。(中)巫女さんがお守りを販売したり御祈祷の案内をしています。(右)数あるお守りで私が買い求めたのは、薙鎌守(なぎがままもり)。大国主命の「福俵」、母神沼河姫の翡翠、諏訪特産の黒曜石を組み合わせたお守りです。

 下諏訪を散策しながら春宮へ。(左)道路の真ん中にある春宮に神橋。(中)駐車場が狭く観光バスも来ないので静かな春宮。(右)高島藩御用の宮大工村田長左衛門矩重(ともしげ)作(大隅流)の幣拝殿。

 木鼻の唐獅子。その上部を飾る持送り牡丹。秋宮の獅子と象と波の木彫と見比べると、その違いが際立って興味深く観られます。当時の庶民には秋宮の立川流の方が評判が良かった様です。しかし、大隅流が常に劣っていたということではありません。このブログの二つ前の記事「名宮大工棟梁・大隅流柴宮長左衛門矩重の木彫が圧巻! 千曲市戸倉の水上布奈山神社」にある様に、ある程度抽象化された木彫は、現代美術にも通じる様なセンスとコンセプトを感じます。

 両社とも人のいないカットを撮影するのは非常に困難ですが、早朝から訪れることをお勧めします。凛とした空気の中で参拝や散策ができます。しかし、両社とも杉の大木に囲まれていて、花粉症でグズグズになりながらの撮影でした(涙)。

(左)春宮からはすぐに有名な万治の石仏へ浮島神社を経て行くことが出来ます。画家の岡本太郎氏が絶賛したことで有名になった石仏です。(中)正面の写真は溢れていますが後ろ姿は初めてではないでしょうか。こんなです。(右)ノミを突き刺して血が出たという痕。なんだかなあです。岡本太郎氏の発見がなければ世に出ることはなかったでしょう。

(左)撮影は午前中で終えたので下社下の山猫亭はなれへ。11時過ぎで一番乗りでした。かけ蕎麦とデザートのそばちちを注文。蕎麦はしっかり締まったもので汁はあっさりめ。(中)実は一日五食限定のデザートのそばちちが目当て。美味しかったです。鳥居前の本店よりはなれがお勧めかな。(右)花粉症が酷くなって松本へ。モンベルで買い物をして一路19号を長野へ。長男の所で次男の大学卒業祝いと就職祝いの宴会。メインは牡蠣とナメコと椎茸とネギの味噌鍋。これは絶品。後にスープを足して中華出汁を加え煮込み味噌ラーメンに。これも絶品。奄美黒糖焼酎のれんとのお湯割りを呑みながら色々な話に興じたのでした。

 最後に諏訪大社秋宮の近くの山王ホテルの脇にある春霞に煙る展望台からの諏訪湖。古代科野国の始まりがここで生まれたことを想像しながら花粉症の涙目で色々と想いをめぐらしたのでした。
諏訪大社上社の探訪記事は、『藤森照信氏の神長官守矢史料館・高過庵・空飛ぶ泥舟と、諏訪大社上社前宮と本宮へ(妻女山里山通信)』をご覧ください。

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